サギ雑記

 ここのところ散歩の度にサギばかり見ている。写真に撮っている。

 まあサギのいそうな所にばかり行っているといってしまえばそれまでのことなんだが。家からだと徒歩で2~3キロくらいあるビオトープとその周辺の遊歩道とかに。

 まずは1日。この日は一人で出かけた。

 いきなり人家の屋根に止まっているのを発見。

 

 さらに樹上でダイサギアオサギがコラボしてたり。

 この日はちょっとばかり歩き過ぎたみたい。帰りに高倉町珈琲店で少し学習しようかと思ったが、疲れたせいかあまりはかどらんかった。

 

 続いて翌日、これは北の丸公園を散歩しているときに池にいるのを発見。割と至近の橋の上で見ていたのだが、人馴れしているのか警戒する様子もない。羽の感じからするとまだ子どもかもしれない。

 

 そして4日の土曜日。この日は妻の車椅子を押して1日とほぼ同じコースを歩く。ビオトープまで行き、そこから高麗川遊歩道をぶらぶらと。

 今回はスマホだけでなく、光学24倍ズームの古いデジカメを持って出かけた。しかしデジカメはもうほとんど使うことがないなあ。5~10年くらい前のものをまだ2~3台持っているけど、ほとんど使うことがない。安い小型デジカメは完全に淘汰されてしまったのかもしれない。

 まずは遠目にたたずむアオサギ


 続いて川が干上がって池というか水たまりのようになっているところにいつもいるダイサギ。まだ若いが、この子(なぜか子扱い)は人馴れしているのか、近づいても逃げない。この警戒心のなさは成鳥になったら変わるのか。その前に人はともかく、イタチかなにかに襲われないかと、ちと心配になったりする。

 

 しかし雨がずっと降らないせいか、高麗川は完全に干上がっている。1月の後半に歩いたときにはまだいくらか水溜りのようにして水があったのだけど、今はもう一面道みたいになっている。

 

 ついでにこれも人馴れしてるのか近くに寄っても逃げないカラス。

 

 結局、この日も16.4キロ歩く。

 

 そして翌日の5日も、再び同じ場所まで散歩。この日は買い物に行くつもりだったので車でビオトープの駐車場まで行き、そこから車椅子を押して出発。

 いきなり樹上のダイサギ発見。なんとなく凛々しい。

 

 次にいつもの人馴れした若いダイサギの居場所。お約束のようにしている。取り合えずダイサギのダイちゃんと命名(適当)。

 

 

 最後に車の通行量が多い橋を歩いている時にみかけたサギ。

 

 ついでにもう上がってきた真ん丸の月なんかも。

 

 この日の歩行距離は11.1キロでした。

東近美雑記

 東近美は現在行われている企画展「大竹伸朗展」と常設展「MOMATコレクション」の開催が2月5日(日)まで。その後は一月と少し休館となる。3月17日からは企画展「重要文化財の秘密」と恒例の常設展「美術館の春まつり」が開催となる。休館前に行っておきたいということで、急遽出かけることにした。

 といっても去年暮れの12月8日に行ってるので特に目新しいものがある訳でもない。とはいえ行けば新しい発見もある美術館である。最近学習している日本の近現代の作例も多数展示されている。教科書に載った図版に、これは観たことがある、これも観たことがあるみたいなことも多く、確認をかねてみたいな部分もあった。

 大竹伸朗展は会期末ということもあり大盛況だ。ウィークデイでも会場入り口には列ができるほどだ。やはり美術やデザインを専攻する学生さんや単なる観光客ではなさそうなアーティストっぽい外国の方なども多く見受けられた。そのいで立ちも大竹の作品に負けず劣らず、お洒落かつカラフルだったりもして、さすがに「ネオ・ポップ」みたいな感Jである。

 東近美で企画展があるときは、いつも先に企画展を観てから常設展示に向かうのだが、入り口の列を観てとりあえず今回は常設展からということですぐに4Fに上がることにした。以下、気になった作品を幾つか。

古賀春江

《海》 (古賀春江) 1929年

 1929年16回二科展に出品された作品。水着姿のモダンガール、工場、飛行船、潜水艦という先端的な文明要素と海中の魚類らとの対比、シュルレアリスムの日本における初期の受容的作品と位置づけらえるということらしい。シュルレアリスム(=超現実)を、古賀は独自解釈として「よりよき現実」ととらえた近未来的世界像を描いたという解釈もあるようだ。

 たしかにこの作品にどこか明るさがあり、文明の進歩を悲観的に捉えるような感性はなさそうである。「明るい未来」といってしまえばそれまでか。いまだ欧米のシュルレアリスム作品や抽象美術は日本に入ってきていないか、あるいは紹介され始めた頃である。

 この作品が制作された翌年、滝口修造アンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』を翻訳し、本格的にシュルレアリスムが紹介される。それを思うと、超現実という言葉からこの作品を描いた古賀春江を現代の視点から微笑ましく思うのは僭越だろう。ひょっとしたらこの作品は、日本における超現実主義の受容と初期の作例として、いつか重要文化財にでもなるかもしれない。

村山槐多

《バラと少女》 (村山槐多) 1917年

 関根正二と比肩される早世した画家である。失恋、貧困、放浪を繰り返し、23歳の若さで当時流行していたスペイン風邪で急逝した。その死もまたデカダンス的であり、2月の深夜雨まじりの嵐の中に一人彷徨いでて、草むらの中で倒れているところを探しにきた友人たちに発見される。失恋した女性の名を口にしていたという。家に連れ戻されるがその日のうちに絶命したという。虚無、退廃、無頼である。

 村山槐太は絵画だけでなくやや稚拙ながら詩作や小説(怪奇小説)をも書いていたという。特にその小説は一部で評価されていたとも。

村山槐多 - Wikipedia (閲覧:2023年2月2日)

 この《バラと少女》は最初に観たときに感じたことだが、その表情の硬さ、生硬などこかひきつった雰囲気を感じさせる。それはこの年代の少女にありがちな生きにくさ、そうしたものの現れのようにも思える。それはそのまま息急いだ画家の人生をも投影したもののようにも思えたりもする。硬いひきつったような表情、生き方。

 

村山知義

《コンストルクチオン》 (村山知義) 1925年

 この絵というか作品は何度も観ている。そしてなんとなく面白いけれど、やっぱり判らないという風にスルーしてきた作品でもある。教科書などによれば、長方形の板に垂直線と水平線が強調され、紙、木、布、金属、皮などがさまざまに取り付けられ、近代文明の破壊と構築のイメージが交錯する先端的な表現なのだという。う~む、わからん。

 村山知義はこの作品制作の2年前にベルリン留学から帰国したばかりであり、ダダイズム的な新興美術運動としてマヴォの結成した、画家、劇作家、建築家、舞踏家、小説家などなど、とにかく活動は多岐にわたる人だ。

村山知義 - Wikipedia (閲覧:2023年2月2日)

 建築家として吉行あぐり美容室なども手掛けているという。あのNHKの朝ドラ「あぐり」の吉行あぐりであり、吉行淳之介吉行和子の母親でもある吉行あぐりである。「あぐり」のヒロインはたしか田中美里だったか。そして破天荒な夫役を演じたのは野村萬斎だった。ドラマでも美容院のセットが作られたが、当時としてはおそろしくハイカラ、モダンである。ネットで拾ったのだが、左がドラマのセット、右が実際のものらしい。

 さらに舞踏家としてのこの人もぶっとんでいる。これもネットで拾ったが、これはもうおかっぱ頭の藤田嗣治などのかなり上の方を突き抜けている。

 

 画家=アーティスト、建築家、舞踏家、さらに劇作家として活動し、プロレタリ運動などに打ち込み、戦後は絵本作家や忍者小説などもものにしている。おそらく村山知義山田風太郎あたりが忍者小説の草分けだったのだろう。驚くべき文化的巨人だったというべきか、かなりの才人、天才だが、様々食い散らかしていった人なのか、この人の全貌を描いた評伝があればちょっと読んでみたくなるような人物だ。

藤田嗣治

《哈爾哈(はるは)河畔之戦闘》 (藤田嗣治) 1941年

 戦争画、戦争記録画といっていたが、詳しくは「作戦記録画」というらしい。国策として戦意高揚や記録を目的として戦争画の制作が画家に課せられ、軍命により従軍して描かれた「作戦記録画」は展覧会で公開されたという。いわば戦争プロパガンダということだったのだが、画家からすれば従軍して戦場という危険な場に出向くという危険な仕事ではあったが、金になる、しかも大画面の制作ができる。ある意味では戦争を遂行した当時の軍部と画家それぞれにとってウィンウィンの関係性があったのかもしれない。画家からすれば戦争画は、西洋画の戦史を描いた歴史画を、しかも大画面で描くという画家冥利に尽きることだったのだ。

 こうした画家の戦争への関わりについては、1945年10月に朝日新聞宮田重雄による「美術家の節操」という記事により、画家の戦争責任を問う論争が起きる。戦後態度を一変させた画家たちの無節操さが批判されたのだ。それに対して藤田嗣治は「国民的義務を遂行したに過ぎない」と反論した。この論争は藤田が日本を離れフランスに帰化したことで立ち消えになったというが、もっと論争は深められるべきだったのかもしれない。さらにいえば、藤田に戦争責任を押し付け頬被りした多くの画家たち、それも大家と称せられる人々が多数いたことも指摘されている。

 この「作戦記録画」はGHQにすべて接収され、1951年にアメリカに移送されていたが、1970年に無期限貸与という形で日本に返還され、こうして東近美に収蔵されることになったという。その数は153点とされている。東近美の戦争画アメリカに帰属しているものであり、戦後はまだ終わっていないということになるのだろうか。

大竹伸朗

 常設展示を一通り観終わってから企画展の方に行く。時間は4時くらいで、もう入り口に列は出来ていない。正味1時間なのでこれはもう流すようにして観ることにする。二回目ということで、けっこう気が楽である。じっくり観ても多分感想は一緒かもしれないけれど、大竹伸朗は面白いけれどよくわからないというのが結論。

 ゴミ、ガラクタを寄せ集めたようなオブジェ、重層的に写真をそこに貼り付けたり垂らしたり。さらには広告や雑誌の切り抜きをひらすら貼り付けた「スクラップ・ブック」などなど。どれも思わず魅入ってしまうような作品、アート的塊である。

 それらに鑑賞者である自分が、自分への理解として意味性を付与する、言語化するというのが理知的な鑑賞なのかもしれない。でもまあいいか。面白さだけは感じる。それもまた美的体験といってもいいのかもしれないし。

 

 

マーティ・ペイチ~Four Classic Albums

 最近、またまたジャズのCDをポチることが多くなっている。

 今回、購入したのがこれ。

Four Classic Albums 2

Four Classic Albums 2

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 アルバム4枚を2枚のCDに収録したセット品である。でもって値段はなんと833円である。こりゃ買うよなっていう感じである。このFour Classic AlbumシリーズはイギリスのAvid Entertainmentというところで販売している。アマゾンで「Avid」で検索かけると、このシリーズ出てるわ、出てるわという感じである。

(閲覧:2023年1月31日)

 なんかもう次々とポチりたくなる。久々に物欲がうずく感じである。

 いまさらCD買ってもiTunesに取り込んだら、あとは棚にしまって終了。多分、CD自体で聴くことはほとんどない。それでも買ってしまうのはなぜか。多分、多分だけど、若い頃、ジャズを聴き始めた十代から二十代の頃、貧乏でレコードが満足に変えなかった。当時レコードはだいたい1枚3300円とかしたし、廉価版でも1500円くらいだった。なかなか手が出なかった。月に1枚買えれば御の字だった。あとは中古レコード屋巡りするか、ジャズ喫茶日参するか。

 そういう貧しい青春送ったことの代償行為みたいなことなんだろうかな。おまけに当時3000円以上したものがだよ、4枚分を2枚にしたCDで800円とかである。1枚あたり200円かそこらということになる。こりゃもう、買うっきゃないでしょみたいな。

 そしてマーティ・ペイチである。この人のアルバムは一枚も持っていない。ウェストコースト系のビッグ・バンド・ジャズの人、指揮者、アレンジャー、ピアニストということくらいの知識だ。

マーティ・ペイチ - Wikipedia (閲覧:2023年1月31日)

 ただまったく聴いたことがないかといえば、そんなことはなく、よくジャズ喫茶でリクエストしていた時期がある。そして自分にとってマーティ・ペイチというと、メル・トーメのバックをやっている人という印象が強い。多分何枚か持っている。

スウィングス・シューバート・アレイ

スウィングス・シューバート・アレイ

Amazon

 全部、マーティ・ペイチのアレンジ、指揮だ。粋でクール。ある種のウェスト・コーストのクール・ジャズの典型のように受容していた。特にアステアのナンバーを歌ったものなんかは落涙的で、今でも聴くとジーンとくる。と、同時にアステアのヴォーカルはけっこうジャズ・シンガーに影響を与えているんだということが判ったりもする。

 ということで今回のFour Classic Albumだ。

 収録されているのは以下の4枚。

CD1

Revel without a pause

1957

1.Blue Lou

2.Soft wind

3.Dinah

4.Jumpin' at the woodside

5.Look around

6.Ida

7.Yardbird suite

8.Logrolling

 

Marty Paich-Trio

1957

1.I had'nt anyone till you

2.The facts about Max

3.Dusk light

4.The new soft shoe

5.A dandy line

6.El Dorado blues

7.What's new

8.By the river Sainte Marie

 

CD2

The Broadway Bit

1959

1.It's all right with me

2.I've grown accustomed to her face

3.I've never been in love before

4.I love Paris

5.Too close for comfort

6.Younger than springtime/The surrey with the fringe on top

7.If I were a bell

8.Lazy aftermoon

9.Just in time

 

I get a boot out of you

1959

1.It don't mean a thing(If It' aint got that swing)

2.No more

3.Love for sale

4.Moanin'

5.Violets for Your furs

6.What am I here for/Cottontail

7.Warm valley

8.Things 'aint What They used to be

 やはりマーティ・ペイチの良さが際立っているのはCD2に収録の2枚。特に「I get a boot out of You」はスタンダード・ナンバーの定番キラーチューンを集めていて際立っている。多分ウェスト・コースト系ビッグ・バンド・ジャズのエッセンスを際立っているように思う。多分、ジャズに興味がある初心者にも最適かもしれないと思う。そして何よりもジャケットがいい。これだもん。

 CD1はコンボとトリオ、CD2はビッグ・バンドで、すべてでマーティ・ペイチはピアノも弾いている。そしてドラムは4枚ともメル・ルイス、あのサド・メルのメル・ルイスが叩いている。

 ビッグ・バンドの方で特筆すべきは、2枚ともアルトをアート・ペッパーが吹いている。マーティ・ペイチ・デクテットではたしかバド・シャンクが入っていたように記憶している。どちらがいいかというと、これは好き嫌いの問題になってしまいそう。ただし、バド・シャンクのほうがなんとなくクールな感じもしないでもないような。

 とにかくこの4枚収録のCD2枚組はお買い得感が満載。このシリーズのポチりがしばらく続きそうな気がする。

妻の入院が決まる

 妻は毎月二つの医院に通院している。一つは総合病院の神経内科。こっちは障害が固定されいるので、ほとんどご機嫌伺いみたいなもの。せいぜい頭痛薬を処方してもらうくらい。もう一つは地元の内科医院で、こっちは糖尿病だ。自分も糖尿病で都内の医院に三カ月に一度通っているのだが、妻のほうが薬は軽めという印象だった。

 先週、いつもの通院の後で医師から数値がかなり悪くなっているので、インシュリンを打つか、入院して治療を受けてはどうかという話があった。それで二日後くらいに、自分もついていって再度説明を受けた。いつもは診察は妻一人で受けて自分は待合室にいるか、外で時間をつぶすようにしている。

 医師の話では、血糖値も高目だがそれよりもHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)の数値がかなり高いということらしい。実際、直近の数値でみてみると、自分のものよりもかなり高目だ。本人はできればインシュリン注射はしたくないというので、そうなると選択肢は入院治療ということになる。早速、大学病院に紹介状を書いてもらうことになる。そして週明けの月曜日に紹介状をもらった。

 妻はウィークデイは木曜以外はデイサービス、デイケアに通っている。なのでいくなら今日ということで、午前中出かけることにした。しかし予約なしで大学病院である。相当待たされるのだろうなとは覚悟した。多分、朝8時くらいに入ればよいのだろうけど、なんとなくグズグズして出遅れる。家を出たのは8時半くらいだったか。やはり健常じゃないので、どうしても支度に時間がかかる。

 病院に着いたのは9時過ぎ。ここは山の斜面に次々に病院棟を建て増ししたような作りであり、駐車場はかなり上の方にある。まず本館の入り口前に車を止めて、妻を降ろして車椅子に乗せて館内に入れ、それから駐車場に車を置きに行く。みると次々そうやって車を止めては受診される方を降ろして車椅子に乗せる。だいたい年寄りだ。

 受付では医師からの紹介状もあり、受付書類を書いて窓口に提出。すぐに診察券を作ってもらう。そこに印字された患者IDによってこれからの検査、診察と流れ作業のようにして進行していく。

 順番的には、まず採血、採尿、次に心電図をとり、それから眼科で眼底出血とかの検査。それからようやく内分泌糖尿内科で医師と面談というやりとり。そこで2月中旬に入院ということが決まる。よくある糖尿病の教育入院かと聞くと、数値が悪いので基本は治療のための入院で、そこに教育プログラムを付加するものになるとか。

 それから患者支援センターに行き入院についての書類を渡され、おおまかな説明を受ける。ほぼすべてが終わり会計を済ませると時間は2時くらい。結局5時間くらいかかったのだけど、なんとなく感覚的にはスムーズにいったような気がした。実際、東館、GF、本館と、あっちに行き、こっちに行きということで、その都度の検査や診察とかのそれぞれ待ち時間はせいぜい15~30分くらいだったような感じ。まあ右往左往しているので、さほど時間がかかったという気がしない。

 それでも二人とも朝飯も食べずに来ていて、昼飯も食べていない。会計を待つ頃には、妻も「お腹が空いた」を連発していた。病院を出ても、周辺になんとなくしっくりくるような店もなかったので、結局地元まで戻ってファミレスに入ったのは2時をだいぶ回った時間。まあ地元に戻ったのは、出来れば役所に寄って限度適用認定証を発行してもらおうと思ったから。

 妻の脳梗塞の発症はたしか2005年の10月だったか。そこから翌年の6月に退院するまで、新宿戸山の国際医療センター、所沢国リハ病院にそれぞれ二回ずつ切れ目なしで入院を続けた。8ヶ月半である。都内で発症しそのまま国際医療センターに入院、脳圧を下げるために頭蓋開頭手術を受け、その後に国リハに移りそこで二ヶ月急性期リハビリを行い、再び国際医療センターに入院して頭蓋形成手術を受け、また国リハに戻る。そんな流れだったか。

 その後は症状、障害は固定したので、月1回神経内科への通院だったが、一度当時の主治医のすすめで大学病院で精密検査を受けるために入院した。45歳での発症だったが、当時から原因不明だった。しいていえば内頚動脈が通常よりも細いということを国際医療センターの医師からいわれていた。そこで一度、心臓から血栓が出て動脈が詰まったのかどうか、そのへんを心臓の裏側から超音波検査をするとかそんな話だったか。検査はやたらと長い経食道超音波検査というものだった。

 それで二週間近く検査入院したのが2009年のことだった。今回入院することが決まった大学病院の別の医療センターだったと記憶している。入院はそれ以来だから13年ぶりのことだ。

 今のところ糖尿病によるなにか症状というものはないので、妻も自分もあまり深刻に考えていない。でも先々のことを考えるとさまざまな合併症もあるだろうし、脳梗塞自体の再発リスクもあがる。多分、そういうことになれば、今の生活は一変することになってしまう。そういう意味じゃ、けっこう深刻に考えたほういいのかもしれない。

 妻には少しシビアに考えて、食事の量とかも減らしていかないといけないみたいなことを言う。でも、妻は「あのときに一度死んだようなものだし、早死にしてもかまわない」みたいなことを言う。片麻痺という障害と付き合い続ける部分で、やや厭世的になっている部分もあるのだろう。

 身体の自由を奪われて、おまけに唯一の楽しみである食べることにも制限がかかる。それを思うと、なんとなく大目にみるというか、甘くなってきた部分もある。ケーキが食べたいといえばつい買ってくるみたいな、ずっとそんな風にやってきた。でも先々考えると・・・・・・。今回がちょっとした契機にしなければいけないのかもしれない。

 夜、子どもにLINEすると、「もう二人ともヴィーガンになるしかないね」と返事が来た。あくまでクールである。

ビオトープ~高麗川ふるさと遊歩道

 ここのところ毎週、日曜日に出かけている。

 坂戸にある浅羽野ビオトープから高麗川ふるさと遊歩道は、2年前くらい前からよく行くようになっている。遊歩道は平坦な道なので妻の車椅子を押して散歩するのにはちょうどいいい。ビオトープ高麗川の流れや水鳥などを見たりして歩くのにちょうどいい。もっとも夏とかだと、ニョロ系が出そうなので少し敬遠している。実際、あちこちに「〇ムシ注意」の看板がある。妙にリアルな絵つきちょっとイヤである。

 撮った写真などを見てみると、9日、15日と来て今回は22日。そうやって来てみると定点観測ではないけど、いろいろと変化もある。まずはというと雨降らないので、とにかく川の水が減っている。22日は干上がった川を歩いていくと、だいぶ先のダムのところまでずっと歩いていくことができた。こんなにも水が減っているんだということが実感できる。

 

 ここにはいつもだと水が一面流れているはずなのだが。

 そして上流の方を見渡すとこんな感じである。

 

 このあたりでは水鳥というとカモうやシラサギ、アオサギなどが見ることができる。

 この干上がった川を歩いていると、すぐ近くを悠然とアオサギが飛んできて、少し離れたところに舞い降りる。そおっと近づいてみるとやや判りにくいがこんな感じだったか。

 

 シラサギ、アオサギに限らず、たいていは人の気配を感じるとすぐに飛び立ってしまうのだけど、一匹だけみょうに慣れているというか、人が近くにいても気にせずエサ探ししているのもいる。

 9日に見かけてちょっと近づいて撮ったのがこれ。

 

 そして22日にもほぼ同じ場所で見かけたのがこっち。

 多分、同じ鳥だと思う。やや小ぶりなのでチュウサギかとも思ったのだが、くちばしが先まで黄色いので多分ダイサギのようだ。というかシラサギをネットでググってみたら、総称としてのシラサギは実はダイサギチュウサギコサギなどの種類があるのだとか。勉強になります。

白鷺(シラサギ)の見分け方(身近な野鳥の高画質写真集)

(閲覧:2023年1月24日)

 たいてい車で行くのでまずはビオトープの駐車場に車を止めて、最初にビトープに入って高麗川の岸部を散策。それから遊歩道に戻ってから、そのまままっすぐ進み若宮橋のところで川をわたり、対岸を万年橋まで行き橋をわたってまた遊歩道を戻ってくるというパターン。いつも3時過ぎに行くことが多いので、帰りはほとんど真っ暗になる。それでも9日よりも15日、そして22日と毎回、少しずつ暗くなるのが遅くなっている。去年の暮あたりだと4時半を回るとかなり暗くなっていたのだけど、今は5時を回らないと暗くならない。こんなところにも時節の変化みたいなものがあるということだ。

 遊歩道近辺で毎日のように散歩に来る方たちからすると、もっと小さな変化も感じられるのかもしれない。実際、自分たちと同じような高齢者が多いけど、ひんぱんに散歩に来られているみたい。自分ももっと家から近ければもっと頻繁に散歩に来ているかもしれない。

 とはいえ夏になると、やっぱり自然につきもののニョロとかもいるので、そういう時期はちょっとお休み。とはいえGWくらいまで週一ペースでのお散歩続けてもいいかもしれない。

伊佐沼へちょっと寄る (1月19日)

 埼玉県美の後、もう遅い時間だったけど、どこか公園的なところに妻が寄りたいというので伊佐沼に行ってみることにした。

 ここは去年の6月に訪れて以来、その後もなんとなく1~2回行っている。埼玉県で最大の自然沼だそうな。

 しかし時間も5時を回っていたので暗い。杭の上に止まっている水鳥、白鷺とかが見れたらいいなくらいのつもりで行ったのだが、水鳥を観察するのには相当に暗い。そしてよく見ると水がない。いつもだとけっこうなみなみ水があるのだが、岸に近い部分はほとんど干上がっている。雨が全然降ってない影響なんだろうな。2~3日前に降るには降ったが、思ったほどじゃなかったし。

 ということで杭も干上がった水底から直接出ているような感じで、そのうえには鳥も止まっていない。あれって休みながらも水面の虫やら魚やらを狙っていたりするのだろうか。

 ほとんど真っ暗になる中で、遊歩道っぽく整備されている桟橋を歩くことにする。妻も手摺につかまって少しだけ歩く。桟橋の周囲の水もみんな干上がっている。わずかに水溜まりのようにして残る水には鴨が浮かんでいる。

 遠くを見やると、いちおう沼的な感じで水があるにはあるが、それでもかなり水量は減っている。冬場はこんな感じなんだろうか。ここではヘラブナ釣りも盛んらしいが、岸辺に水がないというのは釣師のみなさんも難儀なことになっているのだろうか。

 桟橋を渡って岸辺の並木沿いを少し歩く。多分並木は桜のようなので、シーズンには相当の人が訪れるのだろうか。ここは東西300メートル、南北1300メートルで、一周2.4キロあるらしい。もっと暖かくなったら、車椅子を押して一周してみるのもいいかもしれない。

 

 

 

埼玉県立近代美術館「桃源郷通行許可証」 (1月19日)

 会期末の展覧会、埼玉県立近代美術館桃源郷通行許可証」に行って来た。

 よく判らないタイトル、企画である。パンフレットやHPにある開催概要をそのまま引用すると。

 桃源郷は、中国の詩人・陶淵明が記した物語「桃花源記」に由来する、理想と平和の土地です。「桃花源記」では、武陵に暮らすある漁師が舟を漕ぐうちに、林の奥の桃源郷へとたどり着きます。そこは、世俗とは隔絶された穏やかな時間が流れる美しい世界でした。

 古今東西の芸術作品を鑑賞するということは、私たちが今立つ地点から遠く離れた時間や空間を経験するということでもあります。現実の奥深くに、現在の時空間から解放された「桃源郷」があるとすれば、芸術作品は「桃源郷」への扉を開くための「通行許可証」のようなものであるといえるでしょう。日常と非日常の裂け目から目に見えないものを想像したり、別の世界を経験したりすること。私たちが様々な時空間を自在に行き来することを願うとき、芸術作品は多くの示唆を与えてくれます。

 「桃源郷通行許可証」は、多様な時代、ジャンルの作品と埼玉県立近代美術館のコレクションとの遭遇を通じて、時空を超えた芸術作品の魅力を探る展覧会です。展示の中心となるのは、絵画、写真、ドローイング、インスタレーションなど、それぞれの手法を用いて、日常や現実のはざまに潜在する事象を繊細に掬い取る6名の作家の作品と、当館のコレクションとが出会うことで生まれる空間です。作家や作品同士の対比、テーマによる対照、意外な組み合わせなど、様々な角度から構成される本展覧会は、コレクションに新たな光を当てるとともに、幅広い世代の作家たちの現在地に立ち会う機会となるでしょう。

2022.10.22 - 2023.1.29 桃源郷通行許可証 - 埼玉県立近代美術館 The Museum of Modern Art, Saitama (閲覧:2023年1月23日)

 桃源郷=異次元・別世界・非日常、美術作品はそんな別世界へ誘う「通行許可証」ということ(本当にそうだろうか)。そして埼玉県美のコレクションと現代作家の作品のコラボによってその「通行許可証」とやらを展開していくということのようだ。

 そのコンセプトにそってコレクション作家と現代作家の作品が以下のような組み合わせで展開される。

Prologue  童基/小川芋銭ドラクロワ/アントニオ・ダ・トレント/コレッジョ

※前期展示省略

2.佐野陽一✕斉藤豊作

3.文谷有佳里✕菅木志雄

4.松井智恵✕橋本関雪

5.東恩納裕一✕マン・レイ/キスリング/山田正亮/デザイナーズ・チェア

6.Interlude   丸山直文/シニャック/ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット

7.松本洋子瑛九カミーユ・コロー/菱田春草

8.Interlude   駒井哲郎/難波田龍起/福岡道雄

9.稲垣美侑子✕駒井哲郎

 

 正直、意味つかみにくい企画展だし、ちょっとこじつけ的じゃないかと、そんな気がしないでもない。単純にコレクション名品と現代作家のコラボで良かったんじゃないかとそんな気もしないでもない。

 そしてこれがちょっと致命的かもしれないと思ったのは、この企画展にはキャプションの類が一切ない。最初に入り口の担当女性から、「キャプションありませんので、作品リストをご覧になって下さい」という説明がある。

 あとは作品とリストをいったりきたりしながら確認する。当然のごとく作品リストにも作家の解説の類はない。ニワカからすれば「松井智恵とか東恩納雄一って誰?」みたいな感じする。これってキュレーションの放棄じゃないかと、ちょっとぷんぷん。

 ようはニワカは感じればうよろしい、考えるなみたいなことなのか、もっと勉強してから来いと、そういうことなのか。ついでにいえば、一緒に入った妻は車椅子の人である。美術館では自分のペースで鑑賞するので、自走して観るようにしているのだが、リスト見つつ車椅子の自走は難しい。ただでさえ人よりも時間がかかるのに。

 鑑賞者にいちいち作品とリストを確認させる作業を強いるってどういうことなんだろうか。最低限、作品、技法、支持体、所蔵、制昨年などの基本情報のキャプション、作家の略歴などの説明は必要なのではないかと、そのようなことを思ったり。まあどうせすぐ忘れてしまうような鑑賞者のことなど、かまっていられないということだろうか。

 とかなんとか、ちょっと意地悪な気持ちになってしまう、そんな企画展でした。展示作品はそれなり面白かったりもしたのだけど。コレクションはもっとオーソドックスに展示していいのではないかと思ったりもするし、現代作家の作品はきちんとそれ単体で展示していいようにも思ったり。別に橋本関雪は松井智恵とコラボしなくてもいいし、菱田春草も松本陽子と一緒でなくてもいい。

 もうひとつ思ったこと。これは埼玉県美だけでなく、比較的現代美術にふった美術館の展示によくあるのだけど、インスタレーション的作品の展示に関して、意外と説明的要素を省くことが多い。作家の希望なのかもしれないけど、美術館には教育的な側面もある。難解な現代美術作品には相応の説明、現代美術の流れの中での位置づけとかが鑑賞者の理解のために必要なのではないかと、そんなことを思ったりもした。

 以下、気になった作品を順不同。

《ダイニングセット》 (東恩納裕一) 2022年 作家蔵

 椅子は埼玉県美のコレクションらしい。まさにインスターレーションなんだろうけど、気になったのは背後のブラインドというかカーテンみたいなやつ。絵と実際のカーテンになっているんだったか。このへんって「モノ派」みたいな文脈で考えればいいのだろうか。そして人の不在こそが桃源郷というか異次元的なのだろうか。

 

《picture 2019-06》 (松井智恵) 2018年 作家蔵

 「桃源郷許可証」というタイトルもこの作家の作品からとられているのだとか。とはいえ、作家についての知識もまったくないうえでの拙い感想をいえば、これって誰かの絵に似ているなと。たしか群馬県立近代美術館にある《ペガサスにのるミューズ》と構図、色遣いとかに類似性があるようなないような。どうだろうか。

オディロン・ルドン - 群馬県立近代美術館 (閲覧:2023年1月23日)

 

 あとはタイトル判らないけど同じく松井智恵作品。

 

 

 そして松本陽子作品。

 

 そして常設展の方ではなぜかカーテンで仕切られた一室に丸山直文の作品が。

《garden3》 (丸山直文) 2003年 寄託作品

 東京国立近代美術館所蔵の《garden1》と同じシリーズ。というかこれがシリーズ作品であることを初めて知った。湿らせた綿布にアクリル絵の具を染み込ませてるステイニング技法を使った作品。《garden1》はどことなくヴァロットンの《ボール》を想起するものがあったが、この作品は人物が一人増え、ボールはない。この絵画世界はどこか異界めいた雰囲気があり、この作品の方が「桃源郷許可証」っぽいのではと思ったりもする。

 丸山のこの作品にはどこかイケムラレイコ、高松次郎の作品と似たものを感じさせる。それは多分いずれの作品にも鑑賞者に「見る」こと、あるいは「視る」ことという行為への問いかけがあるような。そして人物こそ描かれているがテーマ的には不在みたいな部分を想起させるような気もしないでもない。

 もう少しこのへんの作品はじっくり観ていく必要がありそうだし、戦後の美術史上での理解を深めていかないとうまく言い表せないような気もする。