病院の待合

 兄の付き添いで病院に行く。大学の付属病院なので広い受付ロビーはいつも人がごった返している。兄予約は3時からなのだが、兄からは昼食取るとか諸々あるので早めに来て欲しいという。最初12時くらいに来てというがさすがに早いと思ったので1時少し前に行くことにする。

 昼食、何をするかと聞くとあまり食べれないというのでロードサイドの牛丼屋に入る。兄は確かに食が細く、ミニの牛丼を半分ちょっと食べておしまいという。ここ1~2年、病気のせいもあるのか、みるみる痩せてきて心配ではあるのだが、もう次から次への病気の連続なので、どこをどう心配してアドバイスしていいのかもわからない。

 今のところ、週3回の人工透析、三か月に1度投薬のためにだけに糖尿と高血圧で受診。ここのところは心臓にペースメーカーを入れたこと、今一番の問題である足の血行障害が一番緊急性のある問題。今は足の親指の切除くらいですんでいるが、今後病状が悪化すれば足の切断とかそういうことも考えなくてはいけない。

 今、兄を住まわせているのは団地の5階だが、ここでの生活もいずれ難しくなる。年金だけの収入の独居老人が入れる施設は限られているし、年齢や介護度からするとなかなか難しい。なんかいろいろなことが重なってくる。

 病院に着いたのは1時半過ぎで予約の時間までだいぶある。一緒に待合室にいても特に話すこともないし、病院の待合ってある意味もろもろ菌が充満しているところ。こっちも一応高齢者のはしくれだし、出来ればリスクを避けたいと思い兄とは別行動する。大きな病院なので2階にタリーズが入っている。そういえば同じ大学の別の病院に10年近く前にカミさんが検査入院をしたことがあったが、あそこにはスタバが入っていることを思い出した。

 タリーズではコーヒー飲みながら本を読んだり、スマホをいじっていたがそのうちに眠ってしまったみたい。4時近くになってからそろそろ受診も終わりかなと待合に戻ると、兄はまだ同じベンチに座って寝ている。起こして話を聞くと医師が診察の前に手術が入っていてそれがおしているのだとか。それで自分はまたタリーズに戻ってコーヒーのおかわり。以前取り寄せた老人保健施設のパンフレットを何通か持ってきていたので、その中身を確認したりして時間をつぶした。

 結局、兄の診察は予約した時間から2時間近く遅れ、実際の診察時間は10分程度で終わったみたいだ。でも病院着いたのは1時半過ぎだから4時間近くかかったことになる。まあ大学病院での受診なんてものはそんなものかもしれない。

 これから少しずつでも、兄が入れそうな施設を探すこと、それとは別に兄の収入(年金)で入れそうな低層の住宅を探すこと、そういうことに比重を置いていかなくてはいけなくなる。なにか仕事を辞めて楽になるかと思っていたのに、仕事とは別のハードな課題を突き付けられてしまった感じ。

バイデンとカマラ・ハリス

 接戦のアメリカ大統領選はジョー・バイデンに当確が出たようだ。接戦州でバイデンの優勢が決まりメディアが当確を報じた。トランプは再集計や訴訟を主張しており、確定するのはまだ先になりそうだが、ほぼこの情勢が覆ることはなさそうである。トランプ側がよく途上国を揶揄していうバナナ共和国でない限りは、選挙制度に疑義を呈しても覆らない。それが民主主義国の建前だ。

 自分は別にバイデンを積極的に支持している訳でもない。まあ民主党共和党という点でいえば、民主党の方が若干贔屓にしているかもしれないが、しょせんアメリカ、かっては米帝と罵っていたクチである。基本、五十歩百歩だとは思っている。しかしそれでも素直に民主党の大統領の選出を喜びたい気分である。

 なぜかといえば、今の共和党の現職が、トランプが酷すぎるからだ。分断を煽る、自国ファーストを強調し、敵か味方かを明確にする。自分に対して否定的なメディアはすべてフェイクと切って捨てる。例えば大統領線での候補者討論会でもバイデンが話しているところに、かぶせて自説をひっきりなしに話続ける。史上最低の討論会と称され、トランプ、バイデン共に批判されたが、ルールを無視したのはトランプである。

 モラルに欠け自国の利益のみで動く唯一の超大国のトップ。そういう人間が4年間大統領の座にあり、へたをするともう4年君臨する可能性が高かった。バイデンに当確が出たのはほとんど安堵に近い。

 もともとトランプにはなんの見識もない。彼になって景気が回復した、とんでもない。たまたま世界経済は回復期にあっただけだ。彼の4年間、戦争らしき戦争はなく、アメリカの軍事介入もなかった。これも世界の情勢があらかたその前のオバマ時代に収束局面にあったというだけのことだ。紛争地の状況はアラブであれ、中南米であれ、東欧であれ、危機的な状況が回避され、局地的な小紛争に限定されている。トランプの外交により解決されたものはほとんどないといっていい。

 欧州の首脳はトランプと一定の距離を置いていた。外交面での同調、強調はあっても親密な関係を構築することはなかった。なぜかトランプがモラルに欠ける人物というのは、ある意味共通認識としてあったからだ。先進国で唯一、トランプの懐に入り親密度をアッピールすることで、自らの権威権力を増長させた人物が一人、東アジアの辺境国の首脳にいた。そう、安倍晋三である。彼もまたモラルに欠ける人物であり、トランプ同様反知性主義の塊である。

 4年前の大統領選でトランプが当選したときに、就任前であるにもかかわらずいち早く馳せ参じてトランプと会談したのが安倍晋三だ。まだオバマが大統領であるにも関わらず、同盟国の首脳が時期大統領に会いに行った。これは外交的には相当に非礼なことだが、これを安倍周辺と日本のマスコミは大々的に外交上の勝利として喧伝した。

 安倍は健康面を理由に8月に辞任した。そしてトランプが敗北した。モラルに欠け反知性的な日米の首脳が退陣した。ひょっとしたら世界は少しだけ良い方向に向かうかもしれない。そんな思いを抱いている。

 バイデンが当確となったことにより、アメリカでは初の女性かつ非白人系の副大統領が誕生することが確定した。4年前、ヒラリー・クリントンが女性大統領の座に後一歩まで迫り、ガラスの天井によって阻まれた。バイデンが非白人系の女性、カマラ・ハリスを副大統領候補に指名したのは大きい。就任時に78歳と高齢であるバイデンは、場合によっては任期途中での退陣もあるえるかもしれない。そうなれば必然的にカマラ・ハリスが大統領となるのである。

 カマラ・ハリスは検事出身で前カリフォルニア司法長官で現在は上院議員1期目。まだ政治的キャリアという点では乏しく、能力は未知数かもしれない。プエルトリコ系の父、インドからの移民の母をもつ。アフリカ系アメリカ人にしてアジア系という出自はアメリカの多様性の象徴ともいえる。カリフォルニアとはいえ地方検事から46歳で州司法長官に駆け上ったのは、能力とともに幸運があったのだろう。

 12年前にバラク・オバマアフリカ系アメリカ人として初めて大統領に選ばれた。そして女性の大統領の実現がもうあと少しのところにあるのだ。女性差別、男女の不公平、それは西欧社会にあっても2000年近く続いてきている。先進国ではイギリス、ドイツで女性の首脳が生まれているが、まだまだ男性中心の社会が続いている。アメリカが4年後、あるいはもう少しかかるかもしれないが、女性の首脳を生むことは、世界にとってはある種の福音かもしれない。

 しかし、今回は関西旅行とアメリカ大統領選が重なっていて、どこにいてもネットのニュースを見てばかりいた。とにかく気になって仕方がなかった。それもこれもトランプの悪夢が後4年続くのかどうか、その結果が知りたかったからだ。

 ニュースやSNSを見ていると大統領選を巡る楽しい、興味深い動画をたくさん見た。

 まずカマラ・ハリスがバイデンの当確が決まり、バイデンと初めて電話で話した時の映像。


'We did it, Joe!': Kamala Harris calls president-elect Biden to celebrate election victory

 そしてカマラ・ハリスの当確を受けての感動的なスピーチ。


Watch Kamala Harris' full victory speech

ノンストップ・ドライブ

 2時半過ぎに名神高速菩提寺PAに到着した。このPAは地味だが食事が割とインパクトある。何回か利用していて以前にもここのかき揚げうどんのことを書いたことがある。とにかく器から完全にはみ出るようなデカさだったと記憶している。

 もう9年も前の記述になるんだと小さい感慨。その後も何度かよっているんだが、新名神が開通してからは、ナビで草津ジャンクションから新名神で亀山の方に誘導されるのであまりここには寄らなくなった。亀山ジャンクションもかなり混むのだが最近はだいぶそれも解消され、そのまま伊勢湾岸道から新東名という流れになっている。

 久しぶりに寄った菩提寺PAの食堂では、例のおばけかき揚げうどんはなく、メニューもまったく違っていた。ただしここの定食類はけっこう量も多い。やはり10年くらい前だけど、トラック・ドライバーの間でもけっこう評判になっているというようなことを誰かのブログで読んだ記憶がある。

 今回、頼んだのはから揚げ定食大盛、から揚げ8個入りというもので780円。これ通常のから揚げ定食が700円で多分から揚げ6個みたいなので、80円なら大盛にしたいというのも人情。まあ実際出てきた量をみてちょっとびっくり。少なくとも還暦過ぎのジイさんが食べる量じゃない。とはいえ朝食の後なにも食べていなかったので、なんとなくイケてしまった。

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 その後、車の中で少し仮眠をとる。あとでカミさんに聞いたら小1時間くらい寝ていたとか。なんか夢みてたくらいなので、割とよく寝たのかもしれないが、結局それが効いたみたい。

 4時半過ぎ、多分45分近かったと思うけどようやく出発して帰宅の途に着く。ナビはなんど再検索かけても中央道を通る路線になる。中央はアップダウンとワインディンロードが多いので、出来ればまっすぐで空いている新東名を通りたいのだけど、やはり名神を通るとそういうルートになるのか。

 心配していた一宮付近でも車が止まるような渋滞もなく順調に中央道に入ると拍子抜けするくらい車がいない。もうほとんど一人旅の様相。あまりにも順調なので途中で休憩も入れずに走りまくる。だいたいこのルートだと諏訪湖SAあたりで休むのだけど、あんまり眠くなったりしなかったんだよね。途中、けっこうな豪雨にあったこともあり、スピードは抑えめの100~105キロ走行。本当は50キロとか80キロ制限でている区間もあったので、それなりにその区間は控えめに。

 諏訪湖過ぎてもほとんど交通量は増えず、睡魔も襲ってこない。普段だと2時間くらいの運転でも耐えられないような睡魔に襲われることもある。やっぱり菩提寺での1時間の仮眠が効いてるみたい。大月過ぎてようやく交通量が少し増えてきたので談合坂あたりで休むかと思ったのだが、どうせだからとそのまま運転続行。八王子ジャンクション圏央道に入ると少し交通量が増えた。しかし土曜日、夜の8時~9時台でこんなに空いている中央道というのも初めてかもしれない。これもコロナの影響とかあるのだろうか。

 まあトイレ休憩ということもあり狭山PAに入ってそれから地元まで一気に走った。結局着いたのは10時少し前。5時間ほとんどノンストップで走ってきた。きちんと睡眠とれば意外とイケるのではと思う反面、64歳という年齢からこういう運転はやってはいけないかなとも思った。

 かえってからメーターを確認すると5日間で1800キロ超える距離を走ったことになる。よくぞ走ったという思いと、次回はもっと余裕のある日程にしないといけないかなというちょっとした反省。まあロングドライブができるのは後4~5年のことだし、行けるうちはもう少し頑張りたいとか思っている。

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大覚寺

 火曜日からの関西旅行の最終日、今日はもう埼玉に帰るだけなのだが、最後のあがき的にどこか一つくらい観光をしようということになる。当初からカミさんは太秦映画村に行きたいと言っている。なんでもリニューアルで新しくできたエヴァのアトラクションに興味があるらしいのだが、こっちは正直あまり興味ない。

 自分はというとキョーハクでやっている皇室の名宝とかいう企画展に興味があるのだが、コロナ下入場制限しているためか、事前予約が必要なようでこれも断念。二日前にサイトをのぞくと13時からで2名が空いているという。ようはけっこう混んでいるようだ。まあ皇室は沢山文化財持っているし、その蔵出しみたいなことを京都でやれば、そりゃ人来るわなみたいな気持ちもある。

 なので金閣寺龍安寺あたりに行こうかと思っていたのだが、そういえば大覚寺に行ったことがないことを思い出した。ちなみカミさんは病気になった年に一度、小学二年生の子どもを連れて京都に来た時に訪れているのだとか。元気な時に一度だけ子どもと二人だけで旅行したのが京都だったので、けっこう思い出深い。

 そのときは自分は仕事で行けなかった。京都に泊まるのはいつも健保の宿で嵯峨野にあるのに、大覚寺だけ見ていないというのもちょっと残念と思っていたので。ちょっと寄ってみようかとそういう感じで行ってみた。実際のところは、この名刹はちょっと寄るようなレベルのところではなかったけれど。

 創建876年、平安時代のことだ。それから1200年、その間には一時三種の神器が保管されていたこともあり、皇室との関連もある名刹なのだとか。その境内は広い、堂内を歩くだけでもけっこうたいへんである。基本的に靴を脱いで、一部はスリッパで歩いて回る。カミさんは靴を脱いで装具だけで杖歩行で周るのだが、装具だけだと滑るのでいつも以上に集中している必要があり、その分時間もかかる。

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参拝マップ
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 また通常は非公開の霊宝館も春と秋の一時期は特別公開されている。今回は「武家大覚寺」という企画で重要文化財の太刀『薄緑(膝丸)』が公開されていた。

季節の行事 秋 – 旧嵯峨御所 大本山 大覚寺

 この刀以外にも霊宝館には重要文化財が沢山あり、こんなに無造作に重文が展示されていていいのかと思うくらいにてんこ盛りだった。

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五大明王



岡山~後楽園

 今回の旅行で行ってみたいと思ったのが岡山。せっかく京都二泊、淡路二泊するので少しだけ足を伸ばしたいという貧乏性。まあ倉敷まで行っちゃうのだし、その手前の岡山も少しくらいはみたいな感じである。なので淡路の宿を後にして前日倉敷から淡路に来た道をまた逆に走り、高松道から瀬戸大橋というルートで岡山に入った。時間はやっぱり2時間ちょっとかかる。ようするに岡山は遠いということ。

 岡山市街は感覚的には初めて行くみたいな風だったのだが、よくよく思い出してみると通過というか駅の乗り換えで岡山駅にというのが一回。多分、初めて倉敷に行った時のことだと思う。そして出版社の営業をしている時に一度か二度訪れている。当時も今も岡山といえば丸善紀伊國屋だ。今も二店ともにあるようだが、多分自分が行った時とは違う場所で営業していると思う。さらにいえば岡山というと弘栄堂なんていう地元の書店があった。

 余談になるが、出版営業をしていたのは30代の頃で6~7年くらいだったか。そのわずかの間に3社渡り歩いているのだからずいぶんとヤクザな感じもする。まあ移りにはそれぞれ理由はあったのだけれど、いずれも小さな出版社だったから、もちろん注文取りの書店回りがメインだったけど、販売計画たてたり、DM作業したり、取次回り、取引交渉、請求書作成、さらには売上管理から予算作成まで、ほぼすべてをやった。

 そこそこ儲かっている出版社、あるいはちょっとした話題作を出していた出版社なんかもあったので、かなり忙しく、最低でも月に1回一週間は地方出張、出版社団体での会合出席などもあり、酷いときには週に1~2回会社に泊まるみたいな、今でいえばハードを通り越したブラックな仕事もした。

 もっともその時の短い経験が、ある意味では後の自分の仕事にはずいぶんと役に立ったようにも思う。管理業務ではパソコン草創期だったこともあり、パソコンを使った係数管理等はわりと先駆け的にやってこれた。なのでその後の仕事についていえば、数字が見れてコンピューターに強いみたいなアドバンスも得られた。

 販売計画から具体的な書店販促なんかも一通り把握できていたので、一応書店販促面ではプロみたいな扱いを受けたし、割とどんな仕事にもあたりがつけられた部分もある。

 とはいえ元々、本屋が遊び場、書店で時間を過ごすのが好きだった人間が、書店を仕事場にして、しかもさほど好きでもない営業、注文取りをする、書店が職場になるのは正直苦痛だった。最初に勤めた書店はどうだったかといえば、やはり始終本に触っていられる、棚作りをするというのは自分には向いているなと思ったりもした。実際、棚に手を入れて、それによりジャンルの売上が伸びると、まさにしてやったりみたいな気持ちになったものだった。

 話を戻そう、岡山のことだ。書店営業で岡山に行ったのは多分1990年くらいの頃だ。もう30年も前のことだ。地方都市はどこでもそうだが、岡山も駅前から少し離れたところに表町商店街がある。多分そのあたりに大型書店があったのだと思う。なので駅から表町あたりくらいしか歩いていないのだろう。30年ぶりに車で訪れて走り回ると、思った以上に大きな街であると認識させられる。市電が走っているのを目撃して、そういう街なんだと思ったりもした。

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 そしてお目当ての場所が岡山後楽園である。

 日本三名園の一つである。後の二つは金沢兼六園水戸偕楽園はもう何度か行っている。そうなるともう一つの後楽園も行ってみたくなるのが人情というものだ。ちなみに日本三景は松島、天橋立、宮島だったか。ここも宮島だけは行ってないので、いつか見に行きたいとは思っている。

 ウィークデイということもあって駐車場も空いていて一番近い身障者用の駐車場にもなんなく止められた。あとで地図とかで確認すると後楽園は朝日川の中州が丸々庭園になっているようだ。

Google マップ

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後楽園入り口


 園内は美しく整備されている。感覚的には兼六園偕楽園よりもきれいな印象がある。そしてこじんまりとしている。車椅子を押している身としてはこのこんじまりとうのも重要なポイント。

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 南門から一度園外に出て右に少しいくと月見橋がありそこを渡れば岡山城である。城内にはエレベータも設置されていて天守閣まで行けるようなのだが、今回は時間もなかったので断念。さらにいえば月見橋を渡ったところから城内に入るには段差があり、車椅子の場合はぐるっと回らないと行けないようなのだ。

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 その日は、再び京都に戻り宿に泊まることになっていた。岡山から京都までは3時間くらいかかるので、岡山城を見てしまったらとても夕食の時間に間に合わない。京都の宿は初日と同じ出版健保の宿なので夕食は6時から。

 ということでまた後楽園内に戻り速攻で駐車場に戻り京都にひたすら走った。京都の宿に着いたのは6時半。ほぼ3時間きっちりかかった。やっぱり岡山が遠いということ。岡山、倉敷に足を伸ばすのであれば淡路をベースにするのがベスト。京都ではちょっとしんどいというのが結論でした。

 

南淡路での中華三昧

 南淡路のいつもの宿では、一泊目は和食、二泊目は中華と決めている。ここ10年いくたびにそのパターンである。記憶をたどると当初は最上階にあるフレンチを食べたこともあるのだが、健保の契約では割があわないのかいつからかフレンチは夕食の選択にはなくなった。

暢叙園 |【公式】ホテル&リゾーツ 南淡路(ダイワロイヤルホテル)

 ここの料理は基本は四川ベースらしいのだが、いわゆる中華の小籠包みたいなものとは異なる創作中華が中心。だいたいにおいて出てくるものは美味いし見た目も楽しい。ときに飛び切り美味いものとそうでないものもある。今回はというと、まあ中の上みたいな感じだったか。一部、これはちょっとと思ったのは山椒ベースのソースのものとか。まあそうはいってもそこそこ手が込んでいるので十分楽しめた。記録のためもあり料理画像をアップしておく。

 昔、土岐麻子ツィッターで彼女が食べる料理の画像をアップしていて、どれもあんまり美味しくなさげに撮られていて、一部で「土岐撮り」と言われていたことがあった。自分の料理画像もどうもその類のようで、お店にはなんか申し訳ない感じもする。

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前菜盛り合わせ 有頭海老の蒸し物
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帆立と色々きのこの炒め       淡路牛ロースと鳴門金時の炒め
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鯛の焼き物青山椒ソース    三つ葉汁そば

 これにあとデザートがついた。自分はビール、紹興酒で食した。まあ還暦過ぎのジイさんはこのくらいの量で腹いっぱいになった。以上。

14回目の大塚国際美術館

 久々、大塚国際美術館にやってきた。どのくらい久々かというと、その前に来たのが2018年の11月のこと。子どもが神戸で開かれる声優のイベントに行くというので、それに便乗するというか、連れていってやるという名目で淡路に来た時以来である。

 試みにこれまで何回この陶板複製名画の美術館に来たのかを記憶や記録をもとにひっくり返すと、これまでに13回来館していることになる。最初に行ったのが2008年のゴールデンウィークだ。観光地によくある美術館の一つのノリで出かけて、その壮大さと展示作品の質量に驚いたことを記録していた。

 その後の来館記録をつけてみるとこんな風になる。

 1.2008年5月 淡路・姫路旅行

 2.2009年1月 淡路・奈良・大阪旅行(新世界・通天閣

 3.2010年1月 淡路旅行

 4.2010年5月 淡路・倉敷旅行 (大原美術館

 5.2011年1月 淡路旅行

 6.2011年5月 淡路~神戸~京都旅行

 7.2013年5月 淡路旅行

 8.2015年1月 淡路旅行

 9.2015年5月 淡路旅行

10.2016年5月 淡路・名古屋旅行(名古屋ボストン美術館

11.2017年5月 淡路・京都・名古屋旅行

12.2018年4月 淡路・倉敷旅行(大原美術館

13.2018年11月  淡路・神戸旅行 

  だいたいにおいてゴールデンウィークか正月に行っていることになる。間が空いているのは多分子どもの受験とかで旅行に行けない都合があったのだろう。またこれも何度か書いているが、なぜ淡路かといえば健保の契約しているホテルで安く泊まれるというのが一番の理由。さらにいえば以前は淡路というと関東圏からはあまりにも遠いということもあり、正月やゴールデンウィークでも簡単に宿が取れたのだけれど、次第に抽選でも当たらなくなってきている。おそらくだけど定年延長とかがあって2012年くらいに65歳で団塊世代がリタイアする時期、多分そのあたりからだったんじゃないかと密かに思っている。

 14回目ということで、多分十分にリピーターなんだと思うけど、やっていることはいつも同じで、いつも同じような回り方をするし、だいたい同じような作品を時間かけて観ている。そしていつも同じように時間がなくなって、最後の現代美術は駆け足になる。

 どうしても自分の趣向性から近代絵画中心になってしまうので、出来るだけルネッサンスあたりに時間をかけてみようと心掛けている。そしてここ何回かはおざなりになる古代や中世美術をひととおり観ようとそれなりに時間をかける。するとまたいつものように最上階にある現代絵画が時間とれなくなる。今回もまた同じ轍を踏む感じで、ピカソやダリなんか閉館間際に2~3分、文字通り走るようにして観た。

 その広さは延床面積29,412平方メートルで日本の美術館では六本木の国立新美術館(29,412平方メートル)に次ぐという。土台1日で回るのは難しいということなんだと思う。理想的にはウィークディに2日くらいかけるのが一番いいのだろうけど、地元民でもなければ難しい。

 それと思うのは、以前、10年近く前は連休中であっても割と観客数は少なかったと思うのだが、ここ5年くらいは土日休日だとかなり混むようになってきている。美術館の営業努力も多分にあると思う。自分はよく知らないが、米津玄師が紅白でのライブ映像をここで撮ったことで話題になったという。入場料3300円は観光地の美術館としても相当に高いのだが、質量等から口コミでこの美術館の話題は広がったいるのだと思う。

 この美術館についてはパンフレットにも掲載されているが初代館長であり、一代で大塚グループを大企業に育て上げた大塚正士氏の文章「一握りの砂」が載っている。この文章がけっこう感動的で読ませる。

 所詮は複製絵画であり、オリジナルとは比べ物にならないかもしれない。しかし大塚氏が書いているようにここで観たものをいつか本物の絵を観てくれればいいという、まさにそのとおりなのだと思う。

 ここの入場料は前述したとおり3300円と高いが小中高生は550円と安価に抑えている。校外学習など教育の場として活用してもらうことが考慮されているのだろう。実際、ウィークデイだったこともあり団体での中高生が多数来ていた。

 自分自身、ここで複製画を観ることから絵画鑑賞に目覚めた部分も多分ある。ここで観たものを海外で実物にという訳にはいかないが、ここで観たものが海外からやってくるという企画展には盛んに通った。大塚国際美術館に展示されている作品は1100点弱と聞いているのだが、多分自分はその1割弱くらいはオリジナルに接していると思う。大塚で観たあの絵がやってくるということで楽しみにしながら行った企画展も数多いし、逆にルーブル名品展とかオルセー展のようなもので、この絵大塚で観たみたいに記憶がよみがえるものも多数あった。

 以前から思っていることだが、陶板複製画は劣化がなく1000年近い耐用年数があるという。絵画は修復を行っても永遠に残すことができないだけに、陶板複製画として保存することは歴史的アーカイブとして必要なことだと思う。さらにいえば洋画に比べて日本画はさらに保存が難しいときく。実際、国立近代美術館でも頻繁に展示替えを行っているのは、日本画は常設展示が難しいためということもあるようだ。そうであるなら、日本画の陶板複製画はもっと普及してもいいのではないかと、そんなことを思う。

 大塚の陶板複製画も一番最初に試作したのは尾形光琳の『燕子花』だという。あの大型の陶板は障屏画にぴったりだと思う。後世に残すためにもぜひ日本画の陶板複製画をと思う。実際に陶板を制作している大塚オーミ陶業のサイトにこんな企画があり制作した日本画が期間限定で大塚国際美術館で展示されるという。

「多彩な表現展」-陶板でめぐる日本美の世界-:2020年12月29日から大塚国際美術館で開催|ニュース|大塚オーミ陶業株式会社

「多彩な表現展―陶板でめぐる日本美の世界―」2020年12月29日から大塚国際美術館で開催 | 大塚オーミ陶業のプレスリリース | 共同通信PRワイヤー

 12月29日から2月21日までの限定展示なのでちょっと行くのは難しいかと思う。また展示されるのは11点ということだ。こういう試みがもっと広がればいいと思う。出来れば国が助成して大塚国際美術館の日本美術版ができないかと思ったりする。マスク配布に何百億も使うのであれば、そのくらいの費用なんとかなるのではと皮肉の一つもいいたくなる。

 また今は少子化が進んでおり、学校の統廃合による廃校が増えているという。廃校をリニューアルして地域の美術館にすることは難しいだろうか。作品を陶板複製画にすれば、世界の、日本の名画を気軽に楽しむことが出来る。各地域の廃校利用の美術館がそれぞれ特色のある複製画を置くことで地域の活性化にもつながるのではないかと、そんなことを思ったりもする。箱物ではない文化施設を既存施設の再利用で補っていく。そういうことも必要なんじゃないかと、まあこのへんはかなり適当な思いつきではある。

 大塚国際美術館は撮影が自由である。今回も楽しんだものを幾つか。

 お約束のシスティーナとスクロヴェーニ。

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システィーナ礼拝堂
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スクロヴェーニ礼拝堂

 割と真面目に観た中世系統展示とマンガチックなキリスト。

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 モネの大睡蓮

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 一休みの色気より食い気。

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 年賀状に使いたい絵柄。

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 割と風俗画、通俗画っぽいティツィーアノ。

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 上野西洋美術館でおなじみのフュースリー。この人はだいたいにおいて、幽霊、亡霊、小鬼みたいなものを題材にすることが多く、夢、象徴性みたいなものの走りなのかもしれない。18世紀から19世紀にかけてドイツで活躍したスイス人。なんでも教養があり、数各語をあやつるインテリだったのだとか。

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 ウィリアム・ブレイクとかと共時的に呼応している部分があるようなないような。上野西洋美術館でいつも目にするのはこの絵で、けっこうインパクトがあるので何となく覚えていたのだが、大塚国際で彼の絵を何度も観ていたのかと改めて思った。

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「グイード・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」(フュースリー)