前日に浜離宮に行っている。去年の暮に浜離宮(1回目)と小石川後楽園と続けざまに行っている。そうなると都内の回遊式大名庭園のもう一つである六義園も行っておいたほうがいいかと。
六義園は一昨年の6月に行っている。そのときはお茶の水での通院のあと、そのまま歩いて駒込、巣鴨あたりまで行き、最終的に染井霊園へと回ったんだったか。
そのときは予備知識なしだったのだが、一周1.2キロのこぶりな庭園という印象をもっただけだった。なので改めて六義園についてまとめる。
五代将軍徳川綱吉の御側用人となり、のちに大老格に出世した柳沢吉保が、1695年(元禄8)に加賀藩下屋敷であった駒込の地46000坪を拝領し、約7年余をかけて1702年に完成させた回遊式庭園。明治に入ってから1878年(明治11)に三菱の岩崎弥太郎が買収して別邸とし、1938年(昭和13)弥太郎の子久弥が東京市に寄付し、今日では都立庭園となっていて、国の特別名勝に指定されている。
柳沢吉保は和歌に通じる教養人で、和歌の名所を集めて、庭園を和歌の世界に仕上げようとした。中国趣味の儒教精神で造形された小石川後楽園に対して、女性的で和歌的な文芸趣味のひらがな世界を表現しゆとして、池泉を巡って歌まくらや和歌の名所やさまざまな歌人が和歌を詠んだ場所や風景八十八か所を選んで、それらを象徴する景観を配置している。現在も残る八十八境には、「出汐湊」、「妹山」「背山」、「臥竜石」、「紀川」、「藤代峠」、「蛛道(ささがにのみち)」などがある。
家を出たのは1時半頃。ディープ埼玉から池袋に出て、山の手線に乗り換えて駒込に。それでも3時前には着いたので賞味2時間ゆっくり周ることができる。ついでに昼飯を食べていなかったのだが、どこかによると時間がなくなるというので、六義園入り口近くのファミリーマートで菓子パン二個を買って園内に。
入口から大泉水を反時計周りに回って、出汐湊を左手に歩き渡月橋を渡り、紀川で池を前にしたベンチに座って買ってきたカレーパンとピーナッツバターのコッペパンを食べる。本日の昼食は都合290円。アラ古希のジイさんが何をやっているんだか。
その後は園内で一番高い築山藤代峠を上り、そこから下って蛛道へ。さらに山陰橋を渡りつつじ茶屋へ。そこから吹き上げ茶屋の前を通ってまた紀川に戻る。そして来た道をまた戻り池泉に沿って蓬莱島を眺めたり、池泉から少し離れて滝見茶屋に行ったりして、閉園の5時少し前に出入り口に戻った。





















六義園は藤代峠のような築山以外はほとんどが平場であり、吹上峰やつつじ茶屋のあたりは段差、石段、階段などがあるが、それ以外のほとんどが車椅子通行可ルートになっている。でも遊歩道のほとんどは舗装されていないので、当然のごとくそこそこに凹凸があるので、車椅子での自走はまず難しいかと。
六義園の入り口を出ると、道路の向こうに児童書出版社のフレーベル館がある。ふ~ん、こんなところにあるんだと思った。
その後は5時ジャストくらいに駒込駅に。いつもなら都内に出たら必ずどこかに寄ってくるのだが、この日は池袋でも寄り道せず乗り換えて一路帰宅。最寄り駅にも6時過ぎに着き、ちょこっと夕飯の買い物をして帰った。こういうのも年のせいなんだろうかね。
しかし思い立って都内に行き、目的地を巡ったらすぐに帰宅する。こういうのも悪くないかもしれない。老人帰宅部みたいなものか。