多分、今年最後の美術館巡り。 西洋美術館へ行ってきた。
企画展:モネ 睡蓮のとき
開催概要 | 【公式】モネ 睡蓮のとき Le dernier Monet : Paysages d’eau|日本テレビ
西洋美術館でのモネの回顧展。マルモッタン・モネ美術館から主にモネの晩年の作品を中心に約50点が来日するということで連日大盛況という企画展。年の瀬のウィークデイながらかなりの混みようである。
そういえば去年の12月も上野の森美術館では「モネ 連作の情景」展が開かれていて、こちらもえらく混雑していたのを記憶している。たしか美術館の外にあるショップで図録を買うのに20分くらい並んで待ったくらい。今回はそこまでではないけれど、ウィークデイとはいえとにかく混んでいた。
開催概要によれば、主にモネの最晩年の作品、白内障により視力が失われてしまった時期の作品をとりあげているという。以前、たしか2015年の東京都美術館で今回も出品されている《バラの小道》を観たことがある。ジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義の作家に影響を与えたとされるやや黒みを帯びた赤を基調とした色彩のてんこ盛り。
まさに抽象画そのままなのだが、これはモネ自身にすればあえて抽象的に世界を表現したのでもなんでもなく、モネの眼に映った世界をそのままキャンバスに表出したのだろう。モネにとっての具象世界が抽象になるというだけのことのようにも思えた。
私事になるが2年前に左目の白内障の手術を受けた。手術前、右目を瞑って左だけでみると世の中はえらくぼやけて映った。モネの白内障はかなり進行していたようなので、世界はまさに混濁としていたのだろう。
1923年、モネは83歳のときに右目の白内障手術を受けた。その時点で右目はほとんど失明状態に近かったという。以後、3度の白内障手術を受けたという。白内障の診断を受けたのは1912年のことであり、70代から80代にかけてのモネは、視力の低下とともに色覚に大きな影響が出ていて、黄色と緑色が色覚を市は市、それ以外の色はすべて青みがかかっていた。さらにその青みは次第に黒っぽくなり、さらに赤茶けたアメチョコ色となっていった。
《ばらの小道》の連作は抽象表現主義に大きな影響を与えたとされているが、白内障が最も悪化した時期である。下段の方がより赤茶けた色味かつあたかも針金か曲がった釘のような模様が多様かされている。これもぼやけた視覚によるもののかもしれない。
もっともモネはこのクネクネとした模様のような表現を若いときからもよく使っている。常設展の方に展示されている。
それでも白内障が悪化しつつある時期でも、モネは一瞬美しい光をとらえることがあったのかもしれない。それは同時期の作品にも表れている。そのへんが天才モネの余人に代えがたい眼なのかもしれない。
そのほか気に入った作品をいくつか。
モネの描いた藤棚は美しい。オランジェリーに収められた大壁画の睡蓮の池には藤棚があったのだろうか。そういえばあのぐるりと囲まれた大壁画の風景を再現した大塚国際美術館の環境展示睡蓮の空間の前にも池の水と藤棚がしつらえてあったような気がする。その藤棚を描いたモネの絵も素晴らしい。
この長大な二つの藤の絵が並列して展示してあると、あたかも六曲一双の屏風画のごとくである。若い頃から浮世絵や日本画に興味を示していたモネなので、どこかに日本画的な雰囲気が頭にあったのかもしれないと、少しだけ思ったりもした。
黄色が色覚に占める影響が大になっても色彩をきちんとコントロールしているように感じられる作品もあった。
美しい睡蓮の池にかかる日本風のたいこ橋を描いた《日本の橋》の連作でも、混濁する視覚、色覚は、色が溶け合って具象は抽象化していく。
たいこ橋の風景はどんなだったか。以前ポーラ美術館で観たそれはこんな風だ。
この絵のときモネは59歳。それから20年近くの歳月の間にモネの眼病は進行していったということだ。それでもわずかな視覚でも光をとらえるモネの眼はけっして死んではいないし、その光をカンヴァスに描き出している。あらためてモネの天才性を再認識した次第。
この「モネ 睡蓮のとき」展は、西洋美術館で2024年10月5日から2025年2月11日までとロングランで開催されている。さらに京都市京セラ美術館2025年3月7月~6月8日、豊田市美術館2025年6月21日~9月15日と三か所で開催される。ほぼ1年間、東京、京都、豊田と巡回される。機会があればもう一度行きたいものだと思う。