誕生日

 昨日はポール・マッカートニーの79回目の誕生日、そして自分の65回目の誕生日だった。

 昨年の9月末で仕事を辞めてからもう9ヶ月近くが経った。高齢化社会でなにやら70くらいまでは働かなくてはいけないような風潮になりつつあるけど、とりあえず65になるとなんとなく引退モードとなる。年金も僅かで心もとないけれど一応満額出るし、求人情報とかでも「年齢65歳以下」というのを普通に見るようになる。

 仕事があってもほとんど最低賃金、シルバー人材あたりだと最低賃金以下でも雇えるようになる。国的には年金支給を遅らせたいのだろうが、実際のところ仕事はないに等しい。まあ仕事選べなければなんかしらあるんだろうが、なかなかスーパーのカートの整理とか駅のトイレ掃除とかなかなか踏ん切りがつかない。仕事の貴賤とかそういうことではなく、40年以上仕事し続けてきてなんでさらに働かなくてはいけないのかみたいに思ったりもする。

 働かないとボケるとか、身体動くうちは社会に出てとか、人からはよく言われるんだけど、40年ストレス抱えながら人と接して、好きでもない仕事をしてきたんだし、いい加減少しは休ませてよと思ったりもする。仕事やめてみて思ったし、何度か書いたようにも思うが、自分は正直仕事って向いてないタイプだったなと。

 わずかな年金で、いずれ音を上げることになるのかもしれないけど、今のところブラブラ、ダラダラでいいと思ったりもしている。人から期待されたり、気にかけてもらうこともない代わりに、自分ももう他者のために動くみたいなこと考えなくてもいい。まあ家族のことだけ考えて生きていければなどと取り留めもなく思ったり。

 数日前に友人宅で軽く酒を飲んだ。同世代の友人がまあ嫌味というか洒落ているというか一応誕生日を祝ってくれた。65本もロウソク立てるのは物理的に問題だし、まあこういうのでいいのではないかと思い、ちょっとだけ感謝する。

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 そして今日は自立した子どもが誕生祝ということでこんなものを送ってくれた。

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 最近、ビールを家ではほとんど飲まないので、多分これは妻の胃袋に入ることになるんだろうが、まあ素直にうれしい。これまで子どもから誕生日とかに何かをもらったことはない。やっぱり社会人になって、家を出て暮らし始めると少しはこういうことにも気が回るようになるのかと思ったり。

 一人っ子だったし、小学一年生の頃に妻が病気になったこともあり、出来るだけ苦労させない、特に経済的な面でとか思ってけっこう甘やかして育ててしまった子である。私立の高校、大学に行かせてようやく去年新社会人として働き始めた。あの甘ちゃんに仕事勤まるのかと思ったが、無遅刻無欠勤、会社には始業の30分前に行くという一応優良社会人しているみたいだ。

 多分、いろいろと煩い父親のことはあまり好きではないのだろうが、それでもこうやって子どもらしいこともしてくれるようになった。友人なのは「それが成長だよ」と言ってくれる。リタイアしたジイさんとしてはまあ素直に感謝している今日この頃というところか。