株主総会とか

 株主総会が終わった。

 零細企業とはいえ、一応体裁を整えている。そのうえでまあシャンシャン総会が終了した。とはいえいつまでたっても慣れない。前日も事業報告書や総会議事を何度も読み直し、最後にまた赤を入れる。数字のチェックも何度も行う。特に異議だの質問だのがある訳ではないが、万が一の質問に備え、数字の説明、増減やその理由等についても細かいメモを作る。ようは気が弱いのだろう。

 役員になって9年、代表権とかいう肩書きがついてからすでに3期6年である。多分、これが最後の任期になるのだろうと思う。体力的にもしんどい部分もあるし、体が動くうちに少しでも自由な時間を過ごしてみたいという誘惑にもかられる。

 なんだかんだで、仕事をするようになって40年である。長いと思う。

 その間、6度会社を変わった。でもいわゆる失業という期間や充電期間をもったことがない。唯一最初の会社から次の会社に移るときに、先方の準備の都合で一ヶ月ほどプラプラしていたことがあった。まだ二十代半ばの頃である。それからは常に仕事をしている。会社をやめ次の会社に翌日から出る。そんなことを繰り返してきた。

 仕事はほとんどが営業や販売系ばかりだった。三つ目の会社からはずっと肩書きがついていた。課長だの部長だのなんの。小さな出版社だと営業課長、営業部長兼雑用係りみたいな、ある意味なんでも屋だった。

 それにしても40年である。学生時代に思い描いていた未来の極北のような場所でずっと空回りの人生を続けてきたような気もする。まあしいていえば、仕事がないという状況だけはなんとか凌いでこれた。そして「君はできないね、明日からこなくていいよ」みたいなシビアな通告の経験もなくこれた。

 ある意味、還暦を過ぎた身でまだ仕事があることは僥倖なのだろうと思う。世の中には自分などよりはるかに優れ、人望のある人々が、なにかの気まぐれ、星めぐりのため、ハードな人生を余儀なくされるということもあるのだ。それからすれば、凡庸で人としての魅力にも乏しい自分が、とりあえず職業人としてのキャリアをなんとなく全うできているのは、本当に巡り合わせということでしかない。

 学卒以来ずっと本の仕事をしてきた。子どもの頃から本屋で長い時間を過ごしていた。だから最初に本屋に勤め、いつも本に触っている仕事につけた時はある種の幸福感があった。でも出来れば、本に関わる様々な仕事についてみたいと、そんな思いから転々と根無し草みたいな人生を送ってきた。

「いつまでたっても落ち着かないね」と会うたびに皮肉な言葉をかけてきた知人は、とっくの昔に鬼籍に入ってしまった。互いに浴びるほど酒を飲んだが、自分はなんとなく生き延びてしまった。

 さてとあと2年である。でも出来ることなら1年でリタイアしたいと思っている部分もある。昨年手続きを終えているので、仕事を辞めればすぐにでも年金が出る。わずかであっても。借金もないし、一応持ち家に住んでる。子ども来年社会に出る。慎ましく生きればなんとか凌いでいけるかもしれない

 人生の黄昏ってこういう気分なのかもしれない。もう上を目指すとかそういう気分でもない。出来れば底に転がることなく、ただただ人に迷惑をかけず、好きな本、音楽、映画に、今までよりも少し多く時間を割きたい。

 あと2年だけど、あと1年、なんとか凌いでいきたいと思う。