BSで録画したものを観た。
個人的には子どもの頃に観ていたドラマ『宇宙家族ロビンソン』の元ネタという印象がある。潜在意識の具現化した怪物イドとかロボットのロビーとか。この映画は多分30代の頃にレンタルビデオか何かで観ているように思うのだが、それにしても30年ぶりくらいの再見である。細部どころかストーリーのほとんども覚えていない。微かにアン・フランシスの美貌と肢体やバリアに触れて実体化する怪物がどこか猛獣のように見えたこととか、ウォルター・ビジョン扮する博士の怪しげな雰囲気とかそのへんを覚えているだけ。
改めて見れ見るとSF映画としても、ストーリー的にも粗が多いが、制作が1956年となんと自分の生まれた年であること、ようするに64年前ということでいえばこれはもう歴史的な限界かもしれないなどとも思った。
ウィキペディアの解説や幾つかのレビューを見るとこの映画が実はウィリアム・シェイクスピアの『テンペスト』の翻案であるということがわかり、意外性を感じたりもする。
『テンペスト』か、う~むという感じだ。これも一応読んでいるはずなんだがほとんど記憶に残っていない。なんなら確か大学の英語のテキストで原文で読まされた記憶があるのだが、お勉強をまったくしない学生だったので『テンペスト』を読んだ、もとい読まされたというシチュエーションだけを記憶している。
ロビーは初めて人格が与えられたロボットであり、脇役としてキャラクターが確立されている。後のR2-D2の原初モデルといっていいかもしれない。ロビーなくして以降のロボットキャラクターはなかったか。しかし顔の部分にいかにもアナログな計算機です的な部品が配置されているのは本当にご愛敬。ただし当時の電子計算機、電子頭脳のイメージなんてこんなものだったということだ。
この映画が後のSFに多大な影響を与えるのは円盤型光速ロケットでも、パイロットたちの衣装でもない。潜在意識が具現化した怪物イドというアイデアなのかもしれない。これがフロイトの精神分析に依拠しているのは間違いない。そして潜在意識の暴走による破滅という性悪説。こうしたテーマは50年代には先駆的にオールディスあたりが書いていたかもしれないが、多分60年代以降のニューウェーブが発展させたものかもしれない。ちょっと的外れかもしれないが、過度に発展した文明の崩壊とそれ以後の世界、フロイトの精神分析理論の換用などは後のSF小説にも影響を与えたのではないかなどと適当に思っている。
モービアス博士を演じるウォルター・ピジョンは戦前からの名優で、よく覚えているのは『我が谷は緑なりき』のグリュフィード牧師役。この人はグリア・ガーソンの共演も多く『ミニヴァー夫人』、『キューリー夫人』、『パーキントン夫人』でそれぞれ夫婦役をしている。
宇宙船の船長でありモービアスの娘アルティラ(アン・フランシス)と恋に落ちるのはレスリー・ニールセン。80年代に白髪の紳士役でコメディ映画『裸の銃を持つ男』などでブレイクしたあのニールセンである。デビュー当時は二枚目役者さんだったわけだ。
歴史的SF映画というくくりで観るとそこそこに楽しめるそういう映画だと思う。そして、そしてアン・フランシスは本当に美しい。