東京タワー

上野を後にしたのはもう暗くなりつつある頃。駐車料金は2750円で5時間半もいた計算だ。その後、これもやっぱり妻が行きたいという東京タワーに行ってみた。東京タワーに行くのはそれこそ40年ぶりくらいかもしれないな。
東京タワーはエレベーターに上るので車椅子でも全然問題なし。ただ7時近いのにかなりの人手だった。さすがだね。展望台での夜景はかなり綺麗だったし、階下に下りてから蝋人形館も行ったしそれなりに楽しめたかな。
結局、娘のためのTDLが父と母の好きな場所への観光になってしまった一日だったかな。でもね、家族で上野のミュージアムへ行く、東京タワーに上る。そういうのが幸せな日々だったといつか気づくことになると思うし、あるいは幸福な記憶の一つになるんだと思う。いつか大きくなって今度は彼氏と上野へ東京タワーへ行くときに、昔家族で行ったことを思い出す。そんな風であればと父は思うわけなのである。

フェルメール展

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遅い昼食をとってからまた上野公園に向かう。さてどうするかなと思いつつも、やっぱりフェルメールかと思い東京都美術館に行くことにする。時間はすでに3時を回っている。いくらなんでもこの時間からなら混雑もいい加減緩和されているだろうと思った。
TBS「フェルメール展〜光の天才画家とデルフトの巨匠たち〜」
フェルメールの絵画はほとんど見たことがない。画集とかでもほとんど目にしていない。どこの人かも知らずじまいで、それこそ例のシャープアクオスのCMで吉永小百合フェルメールの絵画を鑑賞するやつ、あれで知ったのではないかと思うくらいだ。簡単に学習すると17世紀オランダでレンブラントとともに活躍した画家であると、まあそういうことらしい。
ヨハネス・フェルメール - Wikipedia
レンブラントは知っているけどそれに匹敵するほどの画家だったとは本当知らなかったな。この展覧会でもフェルメールを「光の天才画家」と形容している。実際確かに陰影を明確にした絵画はその時代(17世紀)としてはきわめて斬新なスタイルだったのだろうとは思う。なんたって徳川時代が始まった頃のことなんだから。
しかしレンブラントに比べるとなんていうかチープというか軽い感じがする。そのへんがこれまでの美術史の中でも今ひとつきちんと取り上げてもらってこなかった理由なのかななどと勝手に思ってみたりもする。自分が知らないのをそういう理由で合理化しようというわけである。でもどう考えてもレンブラントは一枚看板だけど、フェルメールはその他大勢的な扱いだったんではとも思うわけだ。そのへんが昨今大きく取り上げられるようになった理由はなんなのかなとも思う。
フェルメールの作品は30数点しか現代には存在しないのだという。そういう希少性とかなのかなとも思う。さらにはこの人の陰影の表現の仕方、光があたった部分の鮮明な明るさと当たらない部分の暗さ、その明確なコントラストとかも評価される部分なのだろうか。それでいてレンブラントのように重々しさがない。
フェルメールの作品 - Wikipedia
通して見ると基本的には写実派の人ということでくくられるのだろう。ウィキペディアの中でも途中から風俗画家に転向したという記述もある。まあそんな感じだ。よくできた絵葉書みたいな絵だと思う。たぶんこの時代のオランダにあっては、画家は写真家だったのだろうなと思う。人物や風景をそっくりそのままキャンバスに描き出す。リアリズム=写実ということなんだろう、まあある種の歴史的限界として画家とは、絵画とはそういうものだったのだろうということだ。デフォルメなし、描き手の思想だの情念だのといったものとも無縁。いかにしてそのままに描くかということだ。そのためには一にも二にも遠近法、そして光の陰影をどう描き出すかということだったということなんだろう。
オランダというと当時日本が唯一交易していた国である。17世紀オランダ絵画は風景画や生活画が中心だったという話である。
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実際今回の展覧会で展示されたフェルメールにしろ同時代の画家達の作品もそうしたものばかりだ。これらの作品は長崎出島を通じて日本にも伝わってきたのかどうか知りたくもなる。日本に西洋絵画が紹介されたのは18世紀当たりだったろうか。平賀源内が紹介しその弟子である小田野直武や司馬江漢等がパイオニアを担ったのが蘭画といわれている。このへんのことを私はみなもと太郎の傑作コミック「風雲児たち」で知った。このコミックは日本近世、近代史の通史としては比類のないくらいの傑作だと実は思っている。一度きちんとこの本のことを書いてみたいなとも思っている。
風雲児たち (8) (SPコミックス)
そこで知った小田野直武の生地角館を訪れて平福美術館にも行ってみたことを思い出す。「風雲児たち」を読まなければ、蘭画だの小田野直武だのを知る由もなかった。その彼等に影響を与えた西洋絵画が、オランダの画家たちのものだった可能性が極めて高いのではないかと私は思っている。そう思うと今回展示されたフェルメールや同時代の画家たちの絵ももっと興味深く見ることができたのかなとも思わないわけでもない。
でもそういう予備知識がなくて見るとやっぱりこの手の絵画はみな風俗画であり、絵葉書、ポストカードみたいな感じの、ようは当時の写真だったんだろうなと思うのである。
さてとこの東京都美術館なのだが、ここも入場するにあたってのバリアが大きい。入口が地階にあり、階段降りてエントランスへという設計になっている。どうしてこういう作りにするのかなとも思う。まあ設計も芸術だから様々なる意匠っていうことなんだろうけど、車椅子押していく身としてはもう入るだけでストレスである。
さらに3時過ぎとはいえさすがにフェルメールである。かなり混んでいる。車椅子だから前列でないと妻は絵画を見ることができない。でもなかなか進まない。絵画のまん前で長々と鑑賞している人が必ずどの絵の前にも数人いる。さらにだ、最近のミュージアムではポータブル音声再生機を貸与して音声でガイダンスを行っている。絵の解説を受けながらじっくり絵画鑑賞するのはいいけど、目は絵画に釘付け、耳は音声だろう、周囲がまったく目にも耳にも入ってこない。KYどころの騒ぎじゃない。混んでいる展覧会では一所に立ち止まらない。ゆっくりとでも移動しながら鑑賞するのが基本だと思うのだが、もう彼等には周囲のことはまったく感知されていない。俄か鑑賞家の皆さんはみんな絵に対峙していらっしゃるのだ。
自分一人ならそういう絵画の真ん前に居座る人々の肩越しでも絵を眺められる。適当にやり過ごせる。でも妻は一番前に行かなくては絵を見ることができないのだ。
正直言って本当にストレスがたまった。もう美術館に行きたくないと思ったほどだ。さらにだこれらの鑑賞家の人々は絵画だけでなく絵画の手前にある解説文を長々と読みふける。彼等の後ろで待っていないと絵の前にいけないのである。美術館に来てから勉強するなよと小声でぶつぶつ言いたくなってしまった。
とにかくだ、たった一人で絵を見に来ているのではないのだ。絵の前で5分近くも陣取るのはやめれと言いたいな。それと絵の前で会話しているカップル、君たちそれもルール違反だと思う。それなりに混んでいる美術館ではゆっくりと鑑賞しつつも移動しなくてはいけない。立ち止まっても数十秒が限度だと思うぞ。それからあの音声ガイダンス、あれも周囲の状況を把握できなくなるからやめたほうがいい。美術館での基本的なルールが明確にされていないところでああいうのを導入するのは問題だと思うな。
そりゃ人もまばらな美術館だったらいくらでも美術作品の前に立ち尽くし、何時間をかけて鑑賞してもいい。でも混んでいるところでそれをやってはあかんと思うのだが、どうだろう。まあこういう場所に来ると結局人は自分のことしか考えていないのだなとまあ当たり前のことを思い知る。誰も車椅子の人間のことなんて考えちゃいないということ。ミュージアムとは文化的なところだけど、そこでは人間本来のエゴイズムがある意味先鋭化されるわけだ。文化と福祉は別ものなんだろうな。
まあしょうがない、そういう世の中だし。あえて言っちゃえば身障者ということでこの美術館に入るのも実は無料なのである。向こうはきちんとお金を払っているわけなので、そういう意味では非はこちらにありということなんだろう。きちんと代金を払っているものがきちんとそれにふさわしい対価を得られて当然ということ。
とりあえず混みそうなミュージアムに行くのはもうやめようと思った。ハンディを背負ったものは肩身が狭くなるような構造物のなかで肩身が狭くなるような見方しか出来ないのだからな。
でもそういうのを差し引いてもフェルメール、そんなにすごい画家とは思えなかったな。フェルメール展といいながら例の青ターバンの娘とかもなかったし、などと結局ぶつぶつ、ぶつぶつ。

上野で遊ぶ〜科学博物館

上野には10時半頃に着いた。以前から上野の美術館、博物館巡りがしたかったのだけど、妻の車椅子のことや、娘が美術館とかに乗り気になるかということもあり、ずっと躊躇していた。上野公園に一番近い駐車場はたぶんここだろうと、ナビで検索したのが上野パーキングセンター。
上野パーキングセンター
実際上野公園の地下にあり、駐車場内のエレベーターで一階の入口に出るとすぐに目の前にエレベーターがありそれですぐ上野公園に行けるようになっている。上野公園で遊ぶには一番便利な駐車場である。
上野公園に入るとけっこう人が出ている。芸術の秋である、けっこうな人が出ている。とはいえここは博物館や美術館が何軒もあり、おまけに動物園もあるわけだ。それでいてこの人ごみはTDLに比べればちょろいものである。さてどこへ行くかと考える。簡単な下調べをすると国立博物館は大琳派展をやっている。東京都美術館では例のフェルメールをやっている。この二つはかなり興味がある。個人的は尾形光琳かなとも思いつつも、フェルメールはこれを逃すと当分見ることはなさそうだし。ただし国立博物館なんかに入ったら最後、たぶん鉄板で一日をそこで過ごすことになりそうだし、家族連れだしちょっと今回はパスみたいな感じ。フェルメールはおそらく相当の混雑だろうから、出来れば夕方短時間で見るのがいいかな。じゃあそれまではどうするかということで結局選んだのはここ。
国立科学博物館
展示 ≫ 常設展 :: 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo
前から行きたかったところ、いや子ども時代に一回くらい来ているはずなのだがあまり記憶がない。たぶん日本館(旧本館)のほうだろうと思い今回は地球館(新館)のほうを中心に考える。まあ科学博物館ならば子どももけっこう興味を持ってくれそうだし、実際これまでも小田原にある神奈川県博物館とかで楽しんだこともあるしと。本当は地球館、日本館の両方回りたいところなのだが、たぶんそういうわけにも行かないだろうなとは思った。
最初に常設展ではなく特別展「菌類のふしぎ」に入る。別にきのこやこけ、カビの類などに興味はないのだが、なんとなく勢いで入ってしまった。
特別展:菌類のふしぎ−きのことカビと仲間たち
そこで初めて「もやしもん」なるコミックが存在しけっこうなヒット作になっていることを知る。幾つかの菌類がキャラクターにもなっているようだ。
もやしもん - Wikipedia
キャラクターはけっこう面白いのだが、個人的には菌類などほとんど関心もなく私と娘は早々に見るのを終了したのだが、妻はのんびりというか興味深深でゆっくり車椅子を自走してそれぞれの陳列物、たいていはきのこの模型だの標本だのを眺めている。さすがに途中から私が車椅子を押して後半は一気に眺め回して終了した。
ちなみに私が最も興味深く見ていたのはこれ。
冬虫夏草

昆虫などに寄生したきのこの総称なのだ。たいていは地下にいるセミの幼虫などに寄生する。これがまた中々お目にかかれないもので、けっこうそそられる。妻がそんなに面白いものかと聞くので、一言「冬虫夏草男のロマンだ」とわけのわからないことをつぶやく。
この冬虫夏草は昔、白戸三平のマンガでとりあげられていた。イシミツと呼ばれる不老長寿の薬の一つがこの冬虫夏草だった。ネットでくぐるとこの方のサイトで詳しくストーリーが解説してあった。
http://toppycappy.cocolog-nifty.com/muukun/2006/01/gc_674f.html
「菌類のふしぎ」を見てから地球館の常設展を見る。この地球館ワンフロアのスペースはあまり広くない。地下3階、地上3階とあるので展示スペースは相当な広さなのだろうが、エレベーターでの上下動が車椅子だとかなりストレスになるのだ。もっとワンフロアで広いスペースだといいのになと思う。昔訪れたニューヨークの国立自然博物館は巨大なスペースだったなと思う。あそこはワンフロアがかなり広大だったから車椅子でもストレスなかっただろうななどと改めて思うわけだ。
この国立科学博物館も例えば地球館は1階から入っても出口は地階にあり階段で上がってくることになっている。日本館は地階が入口になっている。だから地球館を選んだというのがけっこう選択の理由だったかもしれない。地球館を出る時に係員から出口は地階でそこからエレベーターでと言われて、少しだけきれて「ここはアップダウンがありすぎる。入口から出ます」と答えて入口の通路を逆走させてもらった。
それでもなんだかんだ3時間以上いたのだろうか。娘がお腹が減ったというので出ることにしたのだが。個人的には日本館にも未練たらたらの部分もあったけれど、車椅子の妻を連れてではこのくらいがいいのかなとも思った。娘も今ひとつここの展示物には乗り切れていないようだったし。
すでに2時近くになっていたのでどこで飯を食べるかと思ったが上野公園の中ではそれこそ精養軒くらいしか思いつかない。かなり割高かつ豪勢な昼飯となるけど一応行ってみることにする。が、やっぱり土曜の昼下がりである。入口前でかなりの人が待っている。こりゃあかんと上野公園を一度でることにする。妻が上野といえば鰻と言う。昔、妻とつきあったばかりの頃に、妻を伊豆栄に連れていったことがあるのだが、けっこうそれをよく覚えているようなのだ。家族三人で伊豆栄というのも贅沢だなとも思ったが、まあたまには良いかと思い池之端の本店にいってみる。入口の階段は妻を歩かせ車椅子を担いで入った。すぐに7階を案内されてエレベーターで上がる。けっこう空いている。
娘は鰻は昔から苦手と言っていたが、考えてみればこれまできちんと鰻など食べさせたことはない。最初は嫌がっていたのだが、店の前に来るとここで食べたいと言い出す。なんとなく店構えからうまいもの食べれそうと思ったのだろうか。三人で一番安い松のうな重を食べ、妻と私で瓶ビールを一本飲む。車とはいえ、まだこれからけっこうな時間上野を徘徊することになるので、まあいいかとも考えた。
娘はうな重を完食した。鰻が苦手はただの食わず嫌いだったわけだ。丼物が大好きでカツ丼、親子丼、牛丼などなんでも食べるから、たぶん鰻はOKだろうと思っていたのだが案の定だった。

TDL行きを断念する

明日は娘の誕生日である。娘は誕生日にディズニーランドへ行きたいとずっと行っていたので出かけることにした。テレビでも盛んに宣伝している25周年アニバサリーでハロウィン・パーティーである。娘はわくわくなのである。
我が家の場合いつもTDLにいくのはけっこう遅めである。昼頃に着いてから回ったなんてのもざらだし、たぶん10時前に入ったことなどはないのではと思う。でたまには少し早めにと思い7時くらいに家を出る。8時の開園には間に合わなくても少なくとも9時前には入れるかなと淡い期待を抱いて。まあはっきりいって甘かったです。
鶴ヶ島から関越で普通に練馬に出て外環から首都高とこのへんまでは非常にスムーズでした。和光のパーキングでトイレタイムをとり首都高でいつものように池袋の手前から中央環状線に入るといきなり渋滞情報が飛び込んでくる。それもなんか半端じゃない感じで葛西ジャンクションまで確か90分とか出ていたような気がした。これまでTDLに行くにあたっては何度も渋滞にぶち当たっているけれど、こんな渋滞はみたことがない。それでもまあ行くしかないという感じ。四つ木あたりからはノロノロどころか時々動くみたいな状態。9時を回っても舞浜には近づく気配なし。まもなく10時という頃にようやく葛西のジャンクション近くまで来て渋滞はほんと動かなくなる。
あまりの渋滞、この止まっている車がみんなディズニーランドを目指しているのかと思うと眩暈もしてくる。娘に今日はパスするかと聞くと「絶対行くと」答える。まあ気持ちはわかる。いささか遅きに失した気もするが、念のため携帯でディズニーサイトを検索してみるといきなり「現在入場制限中。5時より入場を開始」という。あちゃ〜、そんなに凄いことになっているとは。TDLの入場制限にでっくわしたのは何年か前に一度だけ。それも昼近くの時間にいった時だ。その時は前売りチケット持っていたから良かったけど。しかし10時前後で入場制限とはいやはや恐れ入った。25周年アニバサリー、ハロウィン・パーティー、あのテレビでの宣伝の効果というか威力はそれほど凄いことであったか。
娘に今日はもう入れないらしいよと告げると、娘は渋々理解した模様。それでも来週か再来週には必ず行くからと約束してようやくのことだった。そんでもって首都高を千鳥町で降りてからユーターンして再び浦安で高速に入り、さてどうするかな、真っ直ぐ帰るか、都内でどこかへ行くかと考えた。それで久々上野にでも行ってみるかと思い、後ろに向かって「上野に行く。多分動物園には行かないけど」と告げる。妻は「行く行く」とすぐに乗り気になる。まあこの人はお出かけできれば本当どこでもいいわけだ。娘は消沈して「どこでもいい」と。