Steely Dan 「Aja」

  9月の20日過ぎ、たぶん25日前後にTwitterにこの曲の動画が流れてきた。

 なんでもアルバム発売が1977年9月23日で、47年目とかそういうことらしかった。Twitterにはけっこうそういうのがある。有名人の誕生日から没年月日とかで動画や音楽が添付されたツィートが流れる。しかし47年目とはこれもまた中途半端なことだ。

 スティーリー・ダンはまあ一通り聴いているけど、きちんと聴いていないかもしれない。手持ちのCDを『幻想の摩天楼』とベスト盤の『 A Decade of Steely Dan』しか見当たらない。もう少し持っていたはずなんだけど。

 ということで早速Amazonでポチることにした。

Aja

Aja

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 2日くらいで届く。便利な時代である。

 1曲目の「Black cow」からもう懐かしくなる。ちなみにこのタイトルはソフトドリンクの名前で、ルートビアにバニラアイスをフロートしてるのだとか。

 しかしこのアルバム1977年の制作でスティーリー・ダンのベストアルバムとされている。いや本当に47年前になるんだな。いつ頃だそれ。多分、大学に入った年くらいだろうか。

 当時はきちんとロックとかそのへん聴いてなかったから、このアルバムも知らなかった。当時の音楽事情でいうと、きちんとアンテナ張ってないと情報も入ってこないし、そもそもその頃はジャズばっかり聴いていたような気もする。

 スティーリー・ダンも友人のT君に聴かせてくれたんだったか。彼の下宿で「Aja」の一つ前の『幻想の摩天楼』とフリートウッド・マックの『噂』を聴いたんだったか。T君はこの手のけっこう聴いていて、「これいいよ」みたいにさかんに勧めてくれた。

 そのときの話がけっこう今思うと、いろんな雑誌類の受け売りなんだろうけど面白かった。フリートウッド・マックリンジー・バッキンガムスティーヴィー・ニックスがデキていて、ジョン・マクヴィークリスティン・マクヴィーは夫婦で、なぜかアルバム作っている途中で、二組とも破局したとか、破局の原因がニックスがドラムのミック・フリートウッドと浮気したとかなんとか。

 同様にスティーリー・ダンもドゥーヴィー・ブラザースとメンバーがいったりきたりしてるみたいなことをT君が語っていた。でも今思うとスティーリー・ダンを首になったジェフ・バクスターがドゥーヴィーに加入したのと、もともとスティーリー・ダンで1枚だけアルバムに参加したマイケル・マクドナルドが、バクスターの誘いでドゥーヴィーに加入したとかそんな程度だったのだけど。

 ちなみにジェフ・バクスターについては彼がミュージシャン=ギタリストだけでなく、独学で軍事アナリストとなって、国防省の軍事顧問になったという話がとてつもなく面白かったりする。おまけに彼は根っからの共和党員らしいので、トランプ支持者かもしれない。Wikipediaによれば、彼がスティーリー・ダンをやめたのは音楽的方向性の違いやセッション・ミュージシャンを集めた凝ったスタジオ・ワークに嫌気がさしたことだったとも。彼はフュージョン志向がなかったのかもしれない。

 同様にドゥーヴィーでもマイケル・マクドナルドが中心となったAOR的な音楽に馴染めず脱退したということらしいが。

ジェフ・バクスター - Wikipedia

 

 ちなみにスティーリー・ダンを教えてくれたT君とは一緒に成田にも行ったりしたのだけど、その後けっこうそっちにのめり込んでいったみたいで音信普通になってしまった。卒業したのかどうかも不明。たしか東北出身で、両親ともに学校の先生だったとか聞いていたが、どうしているのだろう。大学卒業後15年くらいした頃に一度サークルの同窓会を開いたけど、彼の消息は誰も知らなかった。

 ということで『幻想の摩天楼』と『噂』には少しだけ苦い記憶があるな。

 

 話を『Aja』に戻す。ほとんどの曲がキラー・チューンというか、心地よく響く。まさにAOR、あるいはロックとフュージョンの融合という感じだろうか。ドゥービーもスティーリー・ダンもなんとなくイーグルスなんかと一緒にウェストコースト系というイメージがあるけど、ドナルド・フェイゲンニュージャージーウォルター・ベッカーはニューヨークと、いずれも東部出身。イーストコーストの人なんだな。おそらくそっち系のジャズとか聴いて育ったんだろうかなどと想像する。そうウェストコースト的なテイストとは無縁だし、アーシーな南部のカントリーやブルース的な要素がない。都会的なんだと改めて思ったりもした。

 

 

パーソネルがまた楽しい。

Drums: スティーヴ・ガッド
Bass: チャック・レイニー
Guitars: ラリー・カールトンウォルター・ベッカーデニー・ディーアス
Electric Piano: ジョー・サンプル
Piano: マイケル・オマーティアン
Percussion: ヴィクター・フェルドマン
Synthesizers & Police Whistle: ドナルド・フェイゲン
Tenor Sax: ウェイン・ショーター
Backup Vocals: ドナルド・フェイゲン、ティム・シュミット

 スタッフのスティーブ・ガッド、クルセーダーズのジョー・サンプル、当時的にいえばウェザー・リポートウェイン・ショーターが参加という懐かしさ。ジャズ・フュージョンという点でいえば、やはりフェイゲン、ベッカーともにイーストコースト系ということもあり、なんとなくスタッフ的な雰囲気がある。少なくともこのセッションに関して言うと。

 

 次に4曲目の「Peg」。

Drums: リック・マロッタ
Bass: チャック・レイニー
Electric Piano: ポール・グリフィン
Clavinet: ドン・グロルニック
Guitar: スティーヴ・カーン
Solo Guitar: ジェイ・グレイドン
Percussion: ヴィクター・フェルドマン、ゲイリー・コールマン
Lyricon: トム・スコット
Backup Vocals: マイケル・マクドナルド、ポール・グリフィン

 イントロ、中間でのギターソロとどこかで聴いたことがあるな。ラリー・カールトンの「ルーム335」とよく似ているなとは、まあ昔から思っていた。でも「ラリー・カールトン ルーム335 PEG」とかで検索するとその答えは簡単に見つかる。

 このアルバムでラリー・カールトンはほとんどの曲にセッション・メンバーとして参加している。前作『幻想の摩天楼』でカッコいいギターソロを聴かせているなど、この頃のスティーリー・ダンにはかかせないギタリストだ。そしてこの「PEG」でもギターとして参加したのだが、そのセッションは没になってジェイ・グレイドンが参加したセッションが採用されたのだとか。でもカールトンはこの曲が気に入って、それにインスパイアされた形で「ルーム335」を作ったのだとか。

 「ルーム335」が収録されたラリー・カールトンのアルバム『夜の彷徨』は1978年。『Aja』の翌年のこと。そういう時代だったのですな。

 

 

 1970年代後半から80年代にかけて、ロックとジャズ・フュージョンは融合化されていく。コマーシャルな部分でも成功するだけでなく芸術性を帯びた作品も次々と生まれていた。そしてロック系ミュージシャンも積極的にジャズ・フュージョン系の芸達者なミュージシャンを採用していた時代だと思う。そうした中でのある種の最高峰にあるのがスティーリー・ダンの『Aja』だったのかもしれないと、47年後の今になって、まあ今更と思わないでもないようなことを思っている。

 同時にこの時代にジャズ・フュージョン系のミュージシャンを積極的に登用して、高品位な作品を次々に発表していたのが、自分的にはジョニ・ミッチェルではないかと思ったりもする。1976年に個人的には最高傑作ともいえる『Hejira(逃避行)』を発表した。そこではジャコ・パストリアスラリー・カールトンウェイン・ショーター、トム・スコットらが参加している。

 その後はジャコ・パストリアスとの蜜月で『ドンファンのじゃじゃ馬娘』(1977年)、『ミンガス』(1979年)といった実験的なアルバムやジャズ色の濃いアルバム制作。さらに1980年にはジャコ・パストリアスマイケル・ブレッカーパット・メセニーらを率いてライブ・アルバム『『シャドウズ・アンド・ライト』を発表。

 スティーリー・ダンAOR路線とは違うけれど、ジャズ・フュージョン系ミュージシャンを集めて従来のフォーク・ロックとは異なる世界をジョニ・ミッチェルは作り出していた。とまあいつものように脱線しながら、なんとなくジョニ礼賛となってしまった。