ベニー・ゴルソン死去

 ネットで流れてきた訃報。

 ベニー・ゴルソンが亡くなった。

 

 

 95歳と長命だった。2019年に来日してブルーノートでライブを行ったときにすでに90歳。たぶん最後だろうから行ってみようかと思ったりもした。と同時に90代で存命に少し驚いたものだ。そしていずれ訪れるだろう訃報に接した。これでもう50年代から活躍したジャズ・ジャイアントはロリンズだけになってしまったか。ハービー・ハンコックも存命でたしか84くらいになるはずだけど、彼はどちらかといえば若い世代(ちょっと表現へんか)のような気もしたり。

 自分の聴いてきたジャズ、モダン・ジャズはまちがいなく50年代のハードバップだ。それはほぼマイルスやコルトレーンと同時代のジャズという意味合いだろうか。もっとも自分がジャズを聴き始めたのは70年前後からだから、そこから遡行するようにして聴いていったのだろう。ハードバップは50年代の後半から60年代半ばにかけて。まさにモダン・ジャズはそのようにして確立した。その後マイルスは電化マイルスになり、一方でメイン・ストリーム・ジャズとフュージョン、あるいはコルトレーンのフォロワーたちによるアブストラクト・ジャズへと変化していく。

 ベニー・ゴルソンはサックス奏者としてよりも、作曲家、アレンジャーとして意識したのだと思う。短い間だったがジャズ・メッセンジャーズ音楽監督を務めた。そのときの印象が強かったのだろう。ちょうどジャズのアレンジャーに興味を覚え、ギル・エヴァンスやオリバー・ネルソンなどを集中して聴いていた頃に、ベニー・ゴルソンを意識して聴くようになった。多分、20代の半ばだったからこれもまたジャズの歴史を遡行していったということだ。

 そして例のゴルソン・ハーモニー、二管、三管によるやや低音でのユニゾンが心地よかった。これがジャズ・アレンジの基本みたいな風に、当時的に訳知り顔に一人得心していたような気がする。

 20代後半、勤め先が神保町だったので、昼休みや会社帰りに、中古のレコード屋巡りをしていた時期もある。そして帰りには横浜桜木町のジャズ喫茶に通う。ベニー・ゴルソンのレコードで最初に買ったのは、彼の初のリーダーアルバムだ。

 

Benny Golson's New York Scene

 このアルバム、9人編成のサウンドはさながらビッグ・バンドのようで心地よかった。特にCDだと4曲目(B面1曲目)の「Just by myself」に痺れた。マンハッタンを背後にしたゴルソンのこのカバー写真とともに、このアルバムは繰り返し聴いた。

 

 その後は「Gone with Golson」、「Groovin' with Golson」などをジャズ喫茶で集中して聴いた。するとこの人は有能なアレンジャーだがテナー奏者としては凡庸といわれたりしていたが、けっこうバリバリに吹きまくる人だとそんな風に理解するようになった。というよりもソリストとして一流な人だと思った。ハードバップのテナーという点でいえば、ハンク・モブレーに匹敵するんじゃないかと、まあ適当に思ったものだ。

 

 

 それ以後もずっとゴルソンは聴き続けてきた。10年くらい前にはLPレコード8枚を4枚のCDにまとめた廉価CDボックスも買った。ほとんどLPでもっていたのを買い直す。ちょうどCDが驚くほど廉価で商品化され始めた頃で、LPを手放してCDに買い替えるにはちょうどいい頃あいだった。もっともゴルソンのLPは結局手放さず、ほとんどをいまだ持っているけれど。

 

 前述したけれど、自分にとってのジャズはモダン・ジャズであり、50年代から60年代のハードバップだ。そこにはマイルスやコルトレーンがメインでありつつ、一方でファンキーを中心にしたジャズ・メッセンジャーズから派生するかのようなホレス・シルバーがいて、ルー・ドナルドソンリー・モーガンハンク・モブレーがいて、一方ではロリンズがいた。そのようにしてハード・バップを聴いてきたそのど真ん中にベニー・ゴルソンもいた。

 95歳、大往生なのだとは思うがそれでもやはり淋しい。自分が聴いてきたジャズ、それはもう20世紀のジャズとして括られるのでだろうけど、それがもう歴史の中のモニュメントの一つのようになってしまった。存命のジャズ・ジャイアントはもうソニー・ロリンズくらいしか残っていない。彼が死んだときにも多分同じような感慨を覚えるのだろう。

 ベニー・ゴルソン(1929-2024)。

ベニー・ゴルソン - Wikipedia

 ご冥福を祈ります。