北斎館 (9月13日)

 北斎館に来るのはたぶん二度目のことだとおもう。前回がいつ頃かというと、ほとんど記憶に残っていないくらい前。まだ妻も病気になる前、子どもができる前だから確実に30年以上経っているのではないか。

 小布施は妻の実家から30分かそこらのところなので、何かの機会に行ってみようということになったのだろう。といっても小布施と妻の実家がある夜間瀬との位置関係も実は当時はよくわからなかった。もっとも今でも長野のそのへん、いわゆる北信といわれる周辺の位置関係などは実はよくわかっていない。

 そういえばこれもかれこれ30年くらい前だけど、須坂市に巨大な出版物流センターを作り、出版物流の一元管理を須坂市を中心に第三セクターJBC(ジャパンブックセンター)で行うという須坂構想なんていうのがあった。まああれはいつもまとまらない出版業界の悪弊そのままに頓挫したんだが、紙を中心にした出版業界が壊滅状態にある今となっては、もし稼働していたなら今頃廃墟と化していただろうなと思ったり。

 まあその須坂と小布施は割と近接しているのでちょっと思い出した。話は戻すけど、その小布施になんで葛飾北斎の美術館がというと、北斎は地元の豪商であった高井鴻山の招きで1842年頃(83歳)から1847年頃(88歳)まで、この地を断続的に訪れており、祭屋台の天井画などを描いている。また1847年には岩松院の大画面の天井画「八方睨み鳳凰図」を描いている。そういう縁もあり美術館ができたということのようだ。

信州小布施 北斎館|画狂人葛飾北斎の肉筆画美術館

北斎館 - Wikipedia

北斎の画歴 | 北斎年譜

 ここでちょっと記憶が曖昧。今回祭屋台の天井画を見たとき、以前観た天井画はもっと大きいものだったような気がした。そしてその絵を観たのはなにか木造の建物だったような。だとすると以前自分が観たのは岩松院の天井画で、北斎館に来るのは実は初めてかもしれないのでは。30年も前のことだとこのへんは曖昧である。

 それ以外に小布施というと栗菓子が有名で、特に竹風堂と桜井甘精堂が老舗として知られている。妻に言わせると竹風堂の方が老舗で、桜井甘精堂のほうが後発なのだとか。とはいえあちこちの高速のSAやデパートなんかでよく見かけるのは桜井の方だったりもする。まあこれもどうでもいい話だ。

 

 今回の北斎館では「北斎の植物図鑑」という企画展が行われていた。

 

【企画展】北斎の植物図鑑 | 信州小布施 北斎館

 北斎の植物画を色彩見事な肉筆浮世絵から、また北斎漫画の中のスケッチなどから集めて展示している。多分この色鮮やかなな肉筆による《菊》双幅が目玉になるんだろうか。まあこの手は人気のある若冲の動植彩絵との類推になるのだろうか。

 

 

 もともとこうした色鮮やかな花鳥画は中国の南宋画あたりの影響だったりもするのだろうし、19世紀というと清の宮廷絵画の影響も受けているのだろうとは思う。

 

 さらに小品としては版本に登場する植物画やデザイン化されたものも多数展示されている。

 

さらには動物の図や庶民の生活の絵も。

 

 この手はイラスト、あるいは図版として、他の絵師にとっては粉本みたいな需要があったのかもしれない。多分、もともとは本草学や博物学的な記録図として、16世紀に中国明代の《本草綱目》あたりの影響から始まったのだと思う。さらに18世紀には丸山応挙の写実主義と、多分博物学的関心から描かれた《写生帖》あたりの影響もあるのだろうか。

 北斎漫画が庶民の生活は人間の様々な仕草、様態とともに、動物や植物をスケッチした。それらは大衆に受けいられられるとともに、大作を描く際の参考になる素描の集成だったのかと、まあ適当に思ったりもした。

 

 常設展示では祭屋台の天井画が展示してあった。でもこれにあまり見覚えがないので、ひょっとすると北斎館を訪れるのは初めてかもしれないなと、まあどうでもいい個人的確信を得たりした。

 

 

 

 祭屋台の天井に描かれているのはレプリカで、その前に並列して展示してあるのが本物なのだとか。

 

 

 

 今回は北斎館だけだったが、次回機会があれば岩松院の天井画も観たいと思う。小布施には別におぶせミュージアムがあり、そこには中島千波館があるという。中島千波の絵はまとまって観たことがないので、これも観たいものだと思った。

 このようにして長野に来る愉しみも増えた。でも次はいつになるだろうか。