東近美再訪 (8月23日)

 健康診断の後、竹橋の東近美に行く。前回は6月の末だったので約二か月ぶり。

アート・ライブラリー

 今回は初めてアート・ライブラリーを利用してみた。

アートライブラリのご案内 - 東京国立近代美術館

 アート系の図書館・資料室である。前からその存在は知っていたけれど利用するのは初めて。というか各地の公立の美術館、博物館の中には資料室があり、多くの場合自由に利用できるのだが、なんとなく学生さんの自由研究用スペースみたいな印象がある。

 今回はというと、レポートに必要な朝鮮の芸能についての資料をあさっている関係で、ちょっと利用してみようかと思った。といっても性格的にはこれは博物館系の資料室を狙うべきで、東近美とはちょっと違うとは思った。

 アートライブラリーはショップの脇のエレベーターで2階に上がり、レストランを左手にしながら進むとすぐにある。なのでライブラリーだけを利用する場合は、入館料も必要はない。

 入り口前のコインロッカーに荷物を入れ、中にある透明のバッグに筆記具などを入れて入室。受付で入室証をもらって首から下げる。壁面は開架用の図録、画集類が陳列してあり、閲覧用のデスクと座席は10席用意されている。図書検索用の端末は2台、検索した資料請求用のペパーを印刷するプリンタが1台ある。資料請求ペーパーに名前、住所を明記して受付にもっていくと、閉架用の資料を閲覧できる。

 初めての利用だけどさしてハードルは高くない。持ち込みは筆記具の他にノートパソコンやタブレットもOK。

 今回は朝鮮の芸能についてで、書籍関係はほとんどヒットせず。古い雑誌の資料を数冊請求。そのまま座席で閲覧、必要なところを抜き書きした。本当はiPhoneのカメラについているテキストのコピー機能を使えるといいのだが、室内での撮影はできないので、結局写すしかない。別に有料コピーサービスを利用すればいいのだが。

 利用しているのはなんとなく大学生、院生っぽい若い人たちで5~6名くらいだったか。そこにアラ古希のジイさんがパソコンかたかたさせてテキスト抜き書きしているのだから、笑えるといえば笑える。自分でも違和感はあるなと思っている。

 請求した雑誌類はひととおり目を通して利用できる部分は抜き書きして、時間を見ると3時過ぎ。一応、企画展の入館料も払ってきているので、まあ絵も観たいしということで今回のアート・ライブラリーの利用は終了。

 ちなみに上野の西洋美術館では同じような施設として研究資料センターがあるようだけど、こちらは研究者、美術館・博物館・図書館職員などに限定しているようで、一般利用はできないらしい。

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション - 東京国立近代美術館

 この企画展の東近美での開催は8月25日まで。ギリギリで滑り込んだ感じである。そしてこの企画展は9月から大阪中之島美術館で12月まで開催が決まっている。

 すでに3回目ということ、この後友人と会う予定もあったので軽く流すような感じで端折って観ることにした。ウィークデイの午後だが、会期末ということでお客さんはけっこう入っている。ほとんどの作品が撮影可能なので、みなさん音声ガイド聞きながら、気になる作品を撮影している。このへんの緩さはこの企画展のいいところかもしれない。

 自分はというと、なんていうか今回はクローズアップに終始することにした。

 

確かに読書しているドローネー

《鏡台の前の裸婦<読書する女性>》部分 ドローネー

 

《金蓉》のアップ

 確かに肩の部分が修正されているのがよく判る。この絵は様々な角度からモデルをスケッチして合成したもので、多視点から構成されているという。

《金蓉》部分 安井曾太郎

 

都市の孤独な遊歩者

ユトリロ《モンマルトルの通り》部分

 ユトリロの絵に描かれる孤独な男の後ろ姿は、たいていの場合ユトリロ自身だといわれている。

 

松本竣介《並木道》部分 

 松本竣介もまたユトリロの影響を受けているという。でもこの絵の雰囲気はどこかアンリ・ルソーのような感じがする。ルソーもまたパリの風景画の中にさりげなく自身を描くことが多かった。ルソーは孤独な税管使としてパリの城壁の周囲を監視する仕事をしていたという話を何かで読んだことがある。

 さて松本竣介のこの《並木道》の風景はどこか。本郷通り小川町から聖橋へと向かう坂道ということらしい。歩く人物は当然松本自身である。多分ここには描かれいないが右手にはニコライ堂がある。そして現在であれば聖橋の手前には日販のビルがあり御茶ノ水丸善がある。そういう場所らしい。

並木道 文化遺産オンライン

 

《パリ風景》部分 藤田嗣治

《パリ風景》部分 藤田嗣治

 背中を丸めて歩く男。三輪の荷車を押す女性。暗い雰囲気の中、孤独と貧困。パリでまだ脚光を浴びる以前の藤田の心象風景が投影されているような感じがする。

 

ユトリロ《セヴェスト通り》部分

 ユトリロの風景画に描かれる女性はみな押しなべて尻が大きく強調されている。それはユトリロの女性蔑視、女性嫌いの現れだったという説や、モデルであり画家でもある美人の母へのマザーコンプレックスからくるものだったという説もある。子どもの頃からアル中で、いじめにあっていたユトリロは当然女性からも相手にされなかったという。

 ユトリロはアル中の治療のため母親に勧められて絵を描きだす。その絵が注目され、母親よりも売れるようになる。でも孤独な彼は自室にこもり酒浸りになりながら、絵葉書をもとにパリの風景を描き続けたという。絵の中で淋しそうに背中をすぼめて歩く一人の男はたいてい自身をモデルにしている。女性たちはけっして孤独な遊歩者を見向きもしない。けっして自分の相手をしてくれることのない女性たちは、みな太った意地悪そうな風に描かれている。

 

佐伯祐三《ガス灯と広告》部分

 ヴラマンクに影響を受けたという点で、フォーヴィズム的なあるいは表現主義的な、奔放な色彩みたいな風に佐伯祐三を考えていた部分がある。でもこの人は基本的に線描のリズミカルな表現の人なのかもしれないと思ったりもする。あるいは画面に垂直に伸びる縦線へのこだわりである。グラフィカルな背景のポスターの文字も直線的。そして闊歩する女性と子どもも垂直線的である。

 時代的には佐伯祐三のほうが先だけど、この線、垂直線への拘りは戦後フランス絵画の若きスターとなったベルナール・ビュッフェに通じるものがある。色彩感覚にあふれた垂直線の佐伯、暗く沈んだ色彩のない線、引き伸ばされた対象を執拗に描いたビュッフェ。まあこのへんはいつもの勘違い的思いつき。