Amazon.co.jp: ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック(字幕版)を観る | Prime Video
ウェストコースト・ロックの聖地=ローレル・キャニオン ミュージシャンたちの貴重な映像と写真で綴る、永遠なる名曲誕生の歴史
ロサンゼルスのハリウッド・ヒルズに位置し、カリフォルニア・サウンドという言葉を生み出したウェスト・コーストロックの聖地、ローレル・キャニオンを巡る音楽ドキュメンタリー。
ジョニ・ミッチェル、CSN&Y、ザ・バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ドアーズ、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、イーグルスなど、錚々たるミュージシャンのヒット曲で紡ぐ夢の音楽映画。
たまたまAmazonプライムで見つけて観た。1960年代後半から1975年にかけて、ハリウッドのさほど開けていなかった高台に住み着いた若きミュージシャンたち、次第に多くののミュージシャンが集まり、そこからロック・スターが輩出する。ウェストコースト・ロックの草創期を、多くのミュージシャンのインタビューと当時の写真、記録映像などによって紡ぎだしたドキュメンタリー。
これは正直、面白かった。この手の回想的ドキュメンタリーはメインとなる誰かの主観に基づくことが多いけれど、この作品ではスターの誰かに偏らない多面的な形でのさながら群像劇を描き出している。女性監督アリソン・エルウッドの手腕といえるかもしれない。
Laurel Canyon (TV series) - Wikipedia
そもそもローレル・キャニオンってどのへんにあるのか。
ハリウッドのメインストリートから北へ上ったところ。さらに北へ進めばワインディングロードが続くマルホランド・ドライブに。東に直線で行けば『理由なき反抗』や『ラ・ラ・ランド』でも使われたグリフィス天文台がある。ウィキペディアによればもともとは別荘地として開発されたところだが、ここに1965年あたりから若いミュージシャンたちが住むようになる。理由はコテージの家賃がべらぼうに安かったからだ。
最初はバーズから始まる。住み始めたのはデヴィッド・クロスビーだ。その後スティーヴン・スティルスやリッチー・フューレイらバッファロー・スプリングフィールドの面々が。最初に大ヒットを飛ばしスターとなったのはママス・アンド・パパスだ。以降、ママ・キャス・エリオットはこの地の中心人物となる。
さらに当時では珍しかった黒人と白人の混成ロックバンド、ラブがスマッシュヒットをとばす。彼らはメジャーレコード会社と契約するために、所属していた小さなレコード会社に前座バンドを紹介する。それがドアーズでありジム・モリソンはスターダムにのし上がっていく。
デヴィッド・クロスビーはカナダからやってきた若く才能のある女性シンガーをプロデュースする。ジョニ・ミッチェルである。クロスビーは「いろいろいじることなく」、ジョニのありのままの音楽をレコードに録音させる。ほどなくジョニはローレル・キャニヨンの主要なミュージシャンとなっていく。
次にイギリスのポップス・バンド、ホリーズを脱退してアメリカへやってきたグラハム・ナッシュがこの地にやってくる。そしてあるときスティーヴン・スティルスが弾き語りで作った曲にクロスビーとナッシュがコーラスをつけると不思議な融合とインスピレーションが開花する。スーパーグループCSNが生まれた。そしてスティーヴン・スティルスはツアーをやるためにもう一人リード・ギターが必要ということで、バッファロー時代の盟友ニール・ヤングを誘う。
グラハム・ナッシュはまたジョニ・ミッチェルの才能に魅せられ二人は付き合いだす。彼らが一緒に暮らした家、その暮らしの中から名曲『Our House』が生まれる。映画の中では詳しく描かれないが、ジョニをプロデュースしているときにジョニとクロスビーは付き合っていた。そしてジョニはグラハム・ナッシュと付き合う。これもここでは描かれないけれど、たしかニール・ヤングとも一時期そういう関係になっていたはず。ジョニは恋多き女、その時その時の心のままに生きている芸術家なのだ。
そして70年代に入ると新たなウェーブ、第二世代がうまれてくる。その先頭に立ったのがジャクソン・ブラウンである。デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツはCSN&Yやジョニ・ミッチェルのマネージメントなどをやっていた。二人はブラウンを売るために新たなレコード会社を立ち上げる。それがアサイラム・レコードだ。ブラウンのアルバムはヒットする。
その次はJ・D・サウザーやグレン・フライ、ドン・ヘンリーたちがキャニヨンにやってくる。まずは歌姫リンダ・ロンシュタットがカントリーをベースにして売り出す。そのバックバンドとしてグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディー・マイズナー、バーニー・レドンが集まる。そこからスーパー・グループ、イーグルスが誕生する。
1965年~69年、ローレル・キャニオンのミュージシャン、クリエイターのコミュニティは牧歌的だった。どの家も鍵をかけることなく、誰かが誰かの家に勝手に入って曲作りをしている。中心的な人物の家に自然と集まってパーティをする。音楽と酒と薬。そんな雰囲気が一変したのは1969年のマンソン・ファミリーによる殺人事件だ。この映画の中でも事件によりコミュニティの雰囲気が一変する様子が描かれる。
さらに70年代、フォークロックは売れるジャンルとなり、それまで小さなライブハウスを中心にしていたミュージシャンたちはじょじょに大きなコンサート・ホールやスタジアムでのライブが中心となる。長期にわたるライブツアーによるストレス、メンバー同士の軋轢などから離合集散し、過度なドラッグやアルコールの摂取により心も身体も蝕まれていく。ジム・モリソンやママ・キャス・エリオットのパリ、ロンドンでの客死が象徴的にとりあげられる。一つの時代が終わったものとして。
ある意味、全部知っているエピソードばかりかもしれない。そしてかかる曲もほとんどが知っている。愛聴したものばかり。そういう意味ではこの映画は自分のような長くウェストコースト・ミュージック、フォークロックを愛してきたものたちのために作られたようなものかもしれない。懐古的にウェスト・コースト・ミュージック。、フォーク・ロックの歴史をトレースする。懐メロ映画といってしまえばそれまでだろう。でもノスタルジックでなにが悪いとあえて言う。
1965年頃から1975年にかけて、若き才能あるミュージシャンがローレル・キャニオンに集った。その中から多くのスーパー・スターが輩出した。その中にはすでに鬼籍に入った者が多い。いずれあと10年もすればみんな向こうの世界に行くだろう。その音楽にどっぷりつかってきた我々がいずれそうなる。でもあの時代のフォーク・ロックに心揺さぶられ、胸ときめかした、そういう記憶だけはずっと残る。そういうものだ。
映画はアサイラム・レコードの創業者でニール・ヤングやジョニ・ミッチェルのマネージャーでもあったエリオット・ロバーツ(2019年に76歳で死去)に捧げられている。