『ロバート・キャパ 戦争を超えて』 (4月11日)

 

 

 木曜日、東京富士美で始まったばかりの『ロバート・キャパ 戦争を超えて』を観てきた。ロバート・キャパは著名な報道カメラマンである。自分も若い時に『ちょっとピンボケ』を読んだことがあるので、一応名前は知っている。ハンガリー人でパリを中心に活躍、ヘミングウェイなどとも親交があった。報道カメラマンという存在を高めたスター・カメラマンでもある。スペイン内戦の時に撮られた「崩れ落ちる兵士たち」ヤノルマンディー上陸作戦で撮られたまさに「ちょっとピンボケ」の1枚などは世界的に有名だ。

 そのキャパのプリントを多数所蔵しているのは、国内では東京富士美と横浜美術館の二館。何年かに一度こうしたロバート・キャパ展が開かれているのだが、実際に観るのは初めてだ。今回は所蔵するヴィンテージ・プリント75点を前後期に分けて展示されるという。

前期展示:4月09日~5月19日

後期展示:5月21日~6月09日

 

デンマークの学生にロシア革命史について講演するレオン・トロツキー
コペンハーゲンデンマーク,1932年11月27日 ロバート・キャパ 東京富士美術館

 キャパが初めて職業カメラマンとして撮ったのが当時亡命生活を送っていたレオン・トロツキーアジテーションを活写した1枚。雑誌社の資料係をしていたキャパは、他のカメラマンが駆り出されていなかったため、急遽デンマークに行くことになったのだとか。

 トロツキーはこの後メキシコへと亡命生活を続ける。そこで出会ったのがディエゴ・リベラと妻のフリーダ・カーロ。カーロとは親子ほどの歳の違いがあったが、不倫関係になったという。女性関係に奔放だった夫ディエゴ・リベラへの当てつけだったのか、若い20代の好奇心溢れる女性だったカーロが希代の革命家に興味を覚えたのかは判らない。近しい知人に年寄りの相手は疲れるといった感想を述べていたという話も何かで読んだ記憶があるが。

 ロバート・キャパハンガリー生まれで本名アンドレフリードマンという。ドイツの雑誌社で資料室の仕事をしていたが、その後パリに行く。当初はまったく仕事がなく食うや食わずの生活だったという。そのときパートナーだった同じ報道カメラマンのゲルダ・タローの発案で、アメリカで成功したカメラマンであるロバート・キャパという架空の人物を作り出し、フリードマンは架空のロバート・キャパに成りすまして仕事を受けるようになったのだ。

 そしてキャパはスペイン内戦に報道カメラマンとして臨む。そこで撮られた1枚が彼を、そして戦争報道の写真として歴史に名を残すことになるこの写真である。

共和国軍兵士の死(崩れ落ちる兵士)、エスペホ近郊、コルドバ戦線、スペイン
1936年9月5日 ロバート・キャパ 東京富士美術館

 しかしこの写真は真偽について数々の証言がありまた様々に検証が行われてきた。そしてどうやらこの写真は実際の戦闘シーンではないことや撮影したのはキャパではなく、パートナーのタローだったことなどが明らかになっているようだ。

崩れ落ちる兵士 - Wikipedia

 キャパはこの写真についてはコメントを避け続けた。そしてパートナーだったタローはこの写真が有名となる以前に同じくスペイン内戦の取材中に戦車に轢かれて亡くなっている。

オマハ・ビーチに上陸するアメリカ軍、Dデイ、ノルマンディー、フランス 1944年6月6日 ロバート・キャパ 東京富士美術館

 そしてこの1枚もキャパの名前を有名にした1枚である。オマハ・ビーチはノルマンディー上陸作戦での最大の激戦地である。オマハ・ビーチの戦闘が熾烈を極めたことは、映画『史上最大の作戦』でもメインのシーンとして描かれている。指揮をしていたのは第29師団のコータ准将扮するロバート・ミッチャム。副官で『ローマの休日』の陽気なカメラマン役だったエディ・アルバートが出ている。とにかくドイツ守備隊の屈強な反撃の中で海岸にくぎ付けになる。

 そしてもう一つよりリアルにオマハ・ビーチの戦闘を描いたのがスピルバーグの『プライベート・ライアン』の冒頭のシーンである。あの兵士たちがめったやたらと死にまくる延々と続くシーン。あれは映画史上に残る戦闘シーンだと思う。

 そんな熾烈が激戦の場で、兵士よりも前に出て兵士を撮る。兵士以上に勇猛な報道カメラマンの存在を印象付けるのがこのピンボケの戦闘シーンの1枚だ。しかしキャパはこの後すぐに戦場を離れて艦船に戻り、そこで意識を失ったのだとか。

 

パリの解放を祝う人々 パリ、フランス 1944年8月26日 
ロバート・キャパ 東京富士美術館


 今回の企画展で多分一番気に入った作品かもしれない。ナチスからの解放を祝うパリ市民祝祭気分を活写した奇跡の1枚のようにも思える。

 

集団農場の微笑む女、ウクライナ 1947年8月 ロバート・キャパ 東京富士美術館

 そして印象に残る1枚。この時キャパは作家ジョン・スタインベックとともにソヴィエト連邦に取材旅行に出ている。そこで撮った1枚。当時は当然のごとくウクライナソ連邦の一共和国だった。戦争を生き延び、今は農業に従事する逞しい女性の姿を捉えている。

 

母親と赤ちゃん、ネゲヴ砂漠北部のネグバ・キブツイスラエル 1949年
 ロバート・キャパ 東京富士美術館

 ユダヤ人であるロバート・キャパは当然のごとくイスラエルに対して大きなシンパシーを抱いている。1949年、建国したばかりのイスラエルを訪れ、そこで希望に満ちた新し国作りの中に生きる人々を親和的に撮っている。しかしもし今のパレスチナの惨状を目にしたら、キャパはどんな写真を撮るだろう。そんなイフををつい思い描いてしまう。

 

キジ狩りの合間に休息するアーネスト・ヘミングウェイと息子グレゴリー、サン・ヴァレー、アイダホ、アメリカ 1941年10月 ロバート・キャパ 東京富士美術館

 20年後にライフルで自殺するノーベル文学賞作家の家庭的な姿を描いた1枚。ナイーブで感受性豊かな作家は、タフな男を演じていた。息子を狩りに連れ出す強いパパを演じていた1枚。そういうことなのだろうか。キャパとヘミングウェイはスペイン内戦以来親交があり、キャパはヘミングウェイをパパと呼んでいたという。

 

映画『凱旋門』の感傷的なシーンを撮影中のイングリッド・バーグマン
ハリウッド、アメリカ 1946年7-10月 ロバート・キャパ 東京富士美術館

 この頃、ロバート・キャパはこの人気女優イングリッド・バーグマンと密かにロマンスを進行させていたとか。スウェーデンからハリウッドに進出し、『カサブランカ』、『誰がために鐘は鳴る』、『ガス灯』などに出演し、『ガス灯』でアカデミー賞を受賞するなどトップスターでもあった。一方で彼女はスウェーデンの医師と結婚して一子をもうけている。キャパとのロマンスは秘められたなんとかみたいなことだったのだろう。

 バーグマンはその後1949年にイタリアの映画監督ロベルト・ロッセリーニと不倫関係になり、離婚してロッセリーニと再婚する。ロッセリーニとの関係は一大スキャンダルとして大きく報じられ、一時期バーグマンはハリウッドからヨーロッパに仕事の場を移すことになった。

ツール・ド・フランス 1939年 ロバート・キャパ 東京富士美術館蔵 

 東京駅のプラットホームで一緒に電車を待つ子どもたち 、東京、日本、1954年4月
 ロバート・キャパ 東京富士美術館所蔵

 ロバート・キャパは1954年4月に毎日新聞社の招待で来日。日本各地に取材して撮影を行っている。急遽、日本での滞在を切り上げてインドシナ戦争の取材に出向き、ベトナムで地雷を踏み亡くなった。1954年5月25日のことだった。

4月の日誌的

テキストとレポート

 やはりGoogle keepで日記のようなものをつけ始めたら、はてなの方はおろそかになってしまった。まあここのところは、テキストの読み込みやら、レポート課題の草稿作りとかに時間をとられていたので、どちらかといえばそっちの影響かもしれない。

 科目は「西洋史」で課題は四問。最初の一問から四問までは西洋史というよりも「歴史学」や「歴史学」に関するもの。E.H.カーのこともテキストに言及してあったりなど、まずはテキストを読み込むのにえらく時間がかかってしまった。

 おまけに四問目はいくつかのテーマから選んでそれについて論じるのだけど、選んだのが「イギリス産業革命とその社会的帰結」。そのため別に『世界の歴史22巻』を概説書として通読するはめに。しかしなんで金払って、それもそこそこ高い金払って、こんな苦行しなくてはならないのだろうなどと。

 もう67歳の老いた脳ではもろもろ集中力、理解力も減じているし、本読んでいてもすぐに睡魔がやってくる。まあ卒業できようが、できまいが今年が最後なので、とりあえずダラダラ続けるしかないか。

4月2日

保険の話

 生命保険で2年前に受けた白内障手術の給付金が降りるようだ。先日やってきた保険屋さんにそのことを話したら、手術内容の明細が判れば降りるという。保険屋はずっとかけている生命保険が6月に更新になるので、継続するか、保険内容を見直すかみたいな話。

 今の生命保険は多分、祖母が始めたのでおそらく40年くらい前から。いちおう死ぬと〇千万くらいの死亡保険になるのだが、6月からは保険料が3倍近くに跳ね上がって7万近くになる。とても払えないので解約するつもりなのだが、解約しても10数万しか戻ってこないとか。

 もう子どもも独立したし、死んでも葬式代程度があればいいかなどと思ったりしてもいる。障害のある妻のことを考えると預貯金だけではしんどいものがあるかもしれないけど、こればかりは。

夕食

 めずらしく作ったものを全部書き出した。

麻婆茄子

スペイン風オムレツもどき

浅漬け

レンチン菜の花

サラダ

ゴーストバスターズ アフターライフ』

ゴーストバスターズ/アフターライフ | Netflix

 

 深夜、Netflixで『ゴーストバスターズ アフターライフ』を観た。新作の『ゴーストバスターズ フローズン・サマー』がまもなく公開されるということで話題になっていたのでその前作を観てみようかと。

 子役のマッケナ・グレイスは確かに上手い。新作でも主演を務めているようで順調にキャリアを積み重ねている。現在は17歳で、大人っぽい雰囲気で子役的イメージを脱し始めているようだ。この子は『ギフト』で天才少女役を演じていたのを覚えている。子役時代にスターとなった人は、その後のキャリア苦戦したり、薬などに走るケースもある。この子はどうなるだろうか。
 映画自体は定番のコメディであり、かっての雰囲気をよく受け継いでいる。監督のジェイソン・ライトマンは第一作の監督だったアイヴァン・ライトマンの息子。若い頃から俳優として、また監督としてキャリアをスタートさせている。シャーリーズ・セロンの『ヤングアダルト』、『タリーと私の秘密の時間』なども監督している。またデミアン・チャゼルの『セッション』の制作総指揮も行っている。

 その後もノリで女性科学者をメインにしたコメディスピンオフ作品『ゴーストバスターズ(2016)』も観た。これは昔、家族でワカバウォークで観ている。まあまあのドタバタコメディ。主役の女性たちはみなコメディエンヌとしてキャリアのある人たちで、久々観たけどけっこう楽しめた。

 ということで寝たのは明け方近く。

我が家の桜

 陽気がいいせいか、我が家の桜も少し花開いた模様。

 

4月3日

 朝8時少し前、妻の階下からの声で起きる。

 すぐに降りて妻のインシュリン注射をしてから、ゴミ出しに行く。前夜集めておいたビン、缶、他プラ。最近、よく飲むので缶ゴミが多い。

 

 9時頃、テレビの「モーニングショー」を見ていたら、石垣島や沖縄近辺で震度4の地震発生。震源は台湾近くで浅いので津波警報が出た。それからはどこのチャンネルを回しても「津波が来る、逃げて」のオンパレード。

 じょじょに情報が入ってきて、震源の台湾ではマグニチュードが7.6、震度も6強とかで、映像でもビルが傾いたり、山が崩れたりといった情報も入り始めた。

4月4日

 明け方まで西洋史のテキストからのノート書き。といってもメモソフトに入力してまとめているのだけど。

 起床は11時過ぎ。妻のインシュリンを打つために階下に行く。

 

 新聞に目を通すと訃報記事が。

 NHKのアナウンサーだった鈴木健二が亡くなったとか。この人の本『男は20代に何をなすべきか』が学生に読まれていたことを思い出す。勤めていた大学内の本屋でもそれこそ飛ぶように売れた。なんでこんな本が売れるんろうって思ったものだ。自己啓発雑誌の『ビッグトゥモロー』が創刊されたのも同じ頃だったか。

 同じくアメリカの作家、ジョン・バースが亡くなった。難解なアメリカ文学の人。自分的にはピンチョンと同じ括り。酔いどれ草の仲買人』、『やぎ少年ジャイルズ』は持っているけど読んだ記憶がない。引っ張り出して読む気もさらさらない。多分、一生読まないのだと思う。

鈴木健二さん死去 元NHKアナウンサー 95歳:朝日新聞デジタル

ジョン・バースさん死去:朝日新聞デジタル

 

 その後は妻のお出かけ欲求を満たすため、幸手の権現堂桜堤へ行く。去年行ったときは2月だったので駐車代は無料だったけど、今回は駐車場料金2000円をきっかりとられる。桜は三分から五分咲き。菜の花は満開近い。

 

 帰宅後、割と早めに夕食。

 その後はだいぶ咲き出した庭の桜見つつ、一人でだらだらと酒を飲む。酒は横山大観が愛飲したという「酔心」。なんとなく「勧酒」の気分だ。

勧酒  井伏鱒二
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

 

4月5日

 日中は中央公論の『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』のイギリス産業革命の部分を読んだ。例の西洋史の課題のため。もともと受験は日本史だったし(もう50年近い前の話だけど)、世界史のことは本当に知らないことばっかりである。

 農本主義から工業化社会への転換、人口増加、運河建設、舗装道路、鉄道の建設など交通網の整備。すべてエネルギー源の石炭を炭鉱から紡績工場のあるランカシャー地方(マンチェスターなど)に運ぶためだったとか。

 夕方、友人と会うために外出。その前に妻用の夕食のおかずを作る。

 友人と会う前に少しだけ散歩。埼玉は駅から少し歩き、住宅地を離れるとけっこう畑にでくわすが、菜の花畑や桜を見かけることもある。

 

4月6日

 前夜、明け方4時過ぎまで映画を観ていたので、かなり遅い起床。妻のインシュリンをうってから軽めの朝食。

 午後は自室でダラダラと過ごす。事前に車椅子を外に出しておいたので妻は3時過ぎに一人で散歩に出かける。その間に週に一度の掃除。

 夜7時くらいに駅前のスーパーに行き買い物。トンカツが30%オフになっていたので2パック購入。夕飯はカツ煮に決定。他には半額になっていたさつま揚げの詰め合わせとか。なんかこういうおつとめ品や半額ものを7時過ぎに買いに行くって、高齢貧困家庭っぽい。いや実際そうなんだけど。

パルプ・フィクション

 明け方近くに観たのはタランティーノの『パルプ・フィクション』。Netflixで観たのだが本当に久々観た感じ。最近、たしかAmazon primeで『レザボア・ドッグス』を観たので(こっちは初めて)、その流れでって感じ。知性のかけらもないクズなギャングのエピソードを集め、時系列をバラバラにしたアンソロジーみたいな映画。『レザボア・ドッグス』に比べるといささか冗長ではあるが、やっぱり面白い。トラボルタとユマ・サーマンのツイストを踊るシーンは何度見ても最高。

 クリストファー・ウォーケンの出てくるシークエンスはちょっとダラける感じで寝そうになった。クリストファー・ウォーケンハーヴェイ・カイテルなどを使うところなど、タランティーノマーティン・スコセッシ好みなんだろうなと感じる。そういえばデ・ニーロはなかなか出てこないなと思ったのだが、あれは『ジャッキー・ブラウン』だったか。

 勢いで次は『ジャッキー・ブラウン』も観るかとは多分ならないと思う。タランティーノ、面白いことは面白いが殺伐としているし、ぶっちゃけクズたちの話はちょっと食傷気味かもしれない。この感覚は北野武の映画をあまり観たいと思わないのと同じような部分かもしれない。

 同じクズを集めたヤクザ映画でも、深作欣二の『仁義なきシリーズ』はけっこう好きなのだが、その違いがなんというか微妙。多分『仁義なきシリーズ』はヤクザ映画というよりも、ヤクザ社会でのある種の群像劇みたいな部分に面白味を感じるのかもしれないな。まああまり掘り下げて考えたことはないけど。

4月7日

 妻がデイサービスの友人たちとカラオケに行くというので、その送迎を仰せつかった。11時からの約束で、その10分くらい前に友人2名を車で拾ってカラオケ喫茶まで。

 妻の友人の一人は70歳過ぎの独身男性、妻と同じく脳梗塞片麻痺。状態は妻よりはだいぶいいようで、なんなら一人で少し離れたカラオケボックスまで出かけていくという無類のカラオケ好き。もう一人はやはり70過ぎの女性。こちらはたしか脳幹出血の後遺症で下半身に痺れがあるという。とはえい両手両足ともに使える。ただ痺れであまり感覚がないという。

 そういう意味では片麻痺高次脳機能障害、1種1級という点だけでいえば妻が一番重症なのだと思う。まあ病気はすべて個々だからなんともいえない。

 

 夕方、また迎えに行くまではフリータイム。

 割と近くということもあり、一人でいつも妻と二人でよく行く高麗川遊歩道に行く。

 手ぶらで来たので、スマホBluetoothのイヤホンつなげて音楽を聴く。なんかBeatlesローラ・ニーロスティーヴィー・ワンダートッド・ラングレンばかりがループしている感じだった。

 遊歩道の周囲に咲く菜の花、桜とも満開に近い。

 菜の花畑を見ていると、なんとなく「菜の花畑でつかまえて」みたいな言葉が思い浮かんだ。もちろん『The Catcher in the Rye』のパクリだ。イメージ的には菜の花畑で「死」に捕縛されるような感じ。そうだな、菜の花畑で死ぬというのも悪くないかと。

 なんとなくスウェーデン映画、ベルイマンの『みじかくも美しく燃え』を連想した。音楽はたしかモーツァルトのピアノ・コンチェルトだったか。

 

 

 

 

4月8日

 8時少し前に起床。妻のインシュリン注射。

 紙ごみの日なので、前日縛っておいた新聞紙を捨てに行く。

 午前中、先週とった西洋史のノート読みながら、そのままうつらうつら。

『エア・フォースワン』

 午後、NHKBSでやっていた『エアフォース・ワン』を観る。これは多分初めてかもしれない。ハリソン・フォードが大統領役で、ハイジャックされた大統領専用機エアフォース・ワン内で孤軍奮闘する話。荒唐無稽だが面白い。女性副大統領役のグレン・クローズが名演技。この人はやっぱり『ガープの世界』の母親役が印象的。あと『危険な常時』がオカルトチックで凄すぎた。

4月9日

 前夜からずっと雨が続いてる。

 朝はいつものように妻のインシュリン注射。それから前夜用意した燃えるゴミを出しに行く。

 妻をデイに送り出してから眠ってしまい、目を覚ますと昼近い。そういえば前夜はNetflixで『正しい医師生活』を3~4話みたんだっけ。これはたしか2年くらい前に夢中で観ていた記憶がある。医者もの、大病院での群像劇だが、とにかく悪人が出てこない。多分、韓国ドラマでは一番好きかもしれない。

ア・フュー・グッドメン

 これもNHKBSでやっていたので観た。

 キューバのグンタナモ基地内で起きた殺人事件を巡る法廷サスペンス。トム・クルーズジャック・ニコルソンデミ・ムーアキーファー・サザーランドらが出演。面白い映画だが、やっぱりトム・クルーズが二枚目過ぎて入ってこない感じ。けっして演じが下手ということではないのだけど。この感覚は『7月4日に生まれて』でも感じたものだ。

 ジャック・ニコルソンの演技はいかにもというか感じの軍人ギミック。トム・クルーズの優秀な弁護士にして海軍の将校といいもう少し類型的な役柄を変えた方がいいような気もした。

 ハリウッドのシステム、人気俳優起用による興行収入期待とか、もろもろあるのだろうけど、こういう配役はちょっと微妙、せっかくの法廷ドラマの緊張感がだいなしみたいな感じがする。こういう映画ではもう少し配役を考えた方がいい。そしてジャック・ニコルソンはやり過ぎというかなんというか。でも当時的にいえば人気二大俳優を配し、さらにやはり人気のあったデミ・ムーアも使っている。主役三人で制作費の三分の二くらいもっていったのではないかと想像したり。

 ということで面白いような面白くないような。ぐいぐい画面に引き込まれることもなく終了した感じ。

4月10日

 前夜はNetflixジュリア・ロバーツ主演の『終わらない週末』を観た。サイバー攻撃でネットワーク、通信が遮断されたリゾート地で孤立化していく家族の話。奇妙な映画だ。

 カメラワークがけっこう面白いこと、制作会社がバラク・オバマとミシェル・オバマが立ち上げた会社で、二人はエズゼクティブ・プロデューサーも兼ねているとか。

Watch 終わらない週末 | Netflix Official Site

権現堂桜堤 (4月4日)

 もう一週間も前になってしまったけど幸手の権現堂桜堤に行った件。

 ホーム - 県営権現堂公園

 ここは去年の2月の終わりに初めて訪れたところ。たしか入院していて退院したばかりの妻を連れて行った。伊豆の河津桜を見たいと言っていたので、さすがに日帰りで下田まで行くのはと思い、近場で河津桜が見れそうなところということで探したんだったか。

権現堂公園~河津桜埼玉巡礼 - トムジィの日常雑記

  行ってみると公園自体はとにかく大きくて1号公園から4号公園まである。そして4号公園の一角に河津桜があるのだが、それよりも大きな桜堤がありまた広大な菜の花畑もある。さすがに2月末だったのでそっちはまったく花もなにもあったものではなかったけど、来年は桜と菜の花の時にきたいものだと話していたような記憶がある。

 ということでそろそろ桜もいい見頃かと思い出かけてみた。多分、桜は五分かそこらか、そして週末には満開近くなるのではと思いつつも、土日は相当な人出となるだろうから、その前にみたいなこと思った。

 地元から幸手までの道順は一年前と同じ。圏央道から東北道に入り加須インターで降りてそこから下道で行く。帰りもナビは最初そっちを案内したが、考えてみたら圏央道には幸手インターもある。少々遠回りになるが、圏央道で一本で帰ることができるので、こっちの方が楽である。実際、そのルートで帰ったが少し早かったかもしれない。

 

 今回も前値と同じように広い駐車場に止めるつもりでいたのだが、ウィークデイなのにけっこう車が止まっている。そしてなにより驚いたのは駐車場料金1000円也を徴収されたこと。去年は無料だったのだが、これはおそらく桜の花見の時期だけ有料になるということらしい。しかし1000円とは強気だなと。

 そして桜堤には両側に長く出店がでている。焼きそばあり、たこ焼きあり、串肉、大判焼きなどなど、大盛況である。そしてウィークデイだというのにけっこうな人出。これは土日はかなり凄いことになるのだろうなと思ったりもした。

 例によって駐車場から桜堤に行くには階段となる。奥のトイレのさらに奥に車椅子で上がれるスロープもある。それも記憶の通り。そして桜堤から下の菜の花畑の方にも基本は階段なのだが、何か所かスロープ的に下ることができる。とりあえず桜堤を端から端まで行ってみることにした。

 

 

 なかなか見事である。そして菜の花畑の方に移動する。

 

 

 

 なかなか見事な菜の花畑だ。

 そして菜の花畑からの桜堤は。

 

 

 去年も渡った外野橋からの眺めはこんな感じ。去年は遠くにダイサギがいたけど今回はいない。中州にも菜の花が少し咲いている。

 

 桜堤の方も見事は見事だが、人混みと屋台とかで賑やかなだけどのんびり花を愛でるという雰囲気ではない。それからすると菜の花畑のほうは解放感があっていいかもしれないなと思ったりもした。菜の花畑沿いの遊歩道で妻はほんの少しだけ歩いたりもした。

 天気はずっと曇り空だったけど、寒くも暑くもない。まあまあの花見日和だったかもしれない。

 来年も来るかどうかは分からないけれど、桜と菜の花の両方を楽しめるし、ここはまあまあ良い場所だなとは思った。少なくとも駐車代1000円は高すぎるとは思わなかったかも。

 帰る間際、屋台で辛味餅とあんころ餅を買って二人で食べた。なんということのない餅なんだけど、屋外で食べるとなぜか美味く感じる。それぞれ一パックずつだけど、二人であっとういう間にたいらげた。

『エリック・クラプトン : ライヴ・イン・サンディエゴ〜伝説の一夜』

  友人と立川で昼のみをすることにしていたのだが、急遽友人がクラプトンのライブ映画をやっているので観ようという。まあクラプトンは嫌いじゃないし、この友人とは以前クラプトンとスティーブ・ウィンウッドのライブを武道館で観ているくらいだしということで、昼12時15分からの回を観ることにした。

 しかしこんなに早い時間帯の回の映画を観るのは何年ぶり、いや何十年ぶりだろうか。映画館に入るとちょうど午前の回が終わったところで、人が出てくる。全部で10人くらいか。まあウィークデイだしね。クラプトンだし、ウィークデイだし、観客は全員シルバー世代だろうと思ったのだが、何人か若い人もいてちょっと驚いた。逆に我々が見る昼からの回はというと、こっちも全部合わせて10名くらいで、こっちは全員シルバー、おそらく平均年齢は65以上だと。まあそういうものだ。

(閲覧:2024年4月1日)

 このライブは2006年に行われたもので、クラプトンが若くてイキのいいデレク・トラックスとドイル・ブラムホールⅡ世を引き連れ、さらにゲストとしてクラプトンがファンであることを公言していたJ.J.ケールが参加したライブ。これはなんとなく聞いたことがある。まさに伝説のライブだ。

メンバー以下のとおり(年齢は当時)。

エリック・クラプトン (61): ギター、リードボーカル、プロデューサー
ドイル・ブラムホール Ⅱ世(38): ギター、バッキング・ボーカル
デレク・トラックス (27):スライド・ギター
ウィリー・ウィークス(58): ベースギター
ティーブ・ジョーダン (49) : ドラムス
クリス・ステイントン (62):キーボード
ティム・カーモン  (?): キーボード
ミシェル・ジョン  (?): バッキング・ボーカル
シャロン・ホワイト  (?): バッキング・ボーカル

<ゲスト>

J.J.ケール(68): ギター 、 ボーカル
ロバート・クレイ(53):ギター、ボーカル

 ゲストを除くほぼこのメンバーで2006年の11月~12月に来日していて、現在まででもクラプトンの最高ライブと言われている。また当時からギター小僧として、若手三大ギタリストとして名を馳せていたデレク・トラックスをツアーに参加させたことも有名で、この時期のライブではデレク・トラックスがクラプトンを食ったともよくいわれたところだった。

 もう一人のギタリスト、ドイル・ブラムホールⅡ世は左ききの名手である。注意して映像を見てみると、この左ききギタリストは右きき用に張ってある弦のまま左で弾いている。ようするに右利きギターのダウンストロークはアップストロークになるというやつだ。これってギター始めた頃に、左利きだと弦を撒き直さなければならないので、右利きギターをそのまま使う場合にやるということでよくあるらしい。

 大昔、日本のロックバンドでノラというグループがあって、ビートルズの「You Never Give Me Your Money」をまんまパクって「懐かしのメロディ」とかいう曲でデビューした。そのメンバーの一人が左利きで、右利きのギターをそのまま使って弾いていたのを覚えている。たしかラジオかなにかに出演したときにその話になって、実際に弾いたときに、不思議な音色だなと思ったとか。まあこれは余談も余談。

 ドイル・ブラムホールⅡ世はクラプトンのバンドメンバーとしてはかなり長くつきあっていて、たしか2023年の来日でもメンバーに入っている。自分はというと2014年のテデスキ・トラックス・バンドのライブでこの人が加わって何曲一緒にやっているのを見ている。そのときもドイル・ブラムホールって誰だみたいな話になって、一緒に行った友人とたしかクラプトンのバンドにいるやつみたいは話をしてたような。

 あとこの人は、一時期シェリル・クロウとつきあっていて、アルバム『100 Miles from Memphis』のプロデュースをしていたっけ。当時48歳のシェリルが6歳下のギタリストと付き合っているみたい情報が伝わってきたような。

 ギター自体は右利きギターそのまま左持ちでということで、ちょっと不思議な音になるんだけど、割とオーソドックスな演奏。そしてこの人もデレク・トラックス同様指弾き。でもデレクの音が柔らかいのに対して、やや硬質な感じがする。さらにこの人がヴォーカルもできるのでクラプトン的には重宝しているのかもしれない。

 クラプトンはピックを使うけど、デレクとドイルは指弾き。でも音の感じはだいぶ違う。そういうところがこのトリプルギターの持ち味になっている感じがした。

 リズムセクションはというと、ベースがウィリー・ウィークス。この人もキャリアが長い。この人を最初に知ったのはたしかドゥービー・ブラザースあたりからか。たしか解散ツアーのときにもこの人がベースをやっていたと思う。

 もうバックとしては本当にいろんな人とやっている。自分の記憶ではライブを二回観ている。一回はたしか矢沢永吉の武道館。何年頃かも定かではないが、ある時期の矢沢は解散したドウービーのメンバーを積極的に使っていた。もう一つは2011年にクラプトンとウィンウッドのライブ。これも武道館だったけど、あの時はドラムがスティーブ・ガッドだった。

 今回のライブ映像でも、ウィリー・ウィークスのベースは本当に安定している。なにかもうバンドの音が締まるという感じだった。

 そしてもう一人のリズム・セクション、ドラムはスティーブ・ジョーダン。この人も凄い。今回のライブである意味、一番凄みを感じたのはスティーブ・ジョーダンだったような。演奏自体はクラプトンが主役、仕切っているのだろうけど、個々の演奏だとなんとなくジョーダンの仕切りみたいにも思えてくる。多分、クラプトンが目で合図を送るとジョーダンがそれに合わせてコントールするみたいな雰囲気があった。いや凄かった。

 そしてこの人というと思い出すのは、ジョン・メイヤーのトリオでのライブ。ギター:ジョン・メイヤー、ベース:ピノ・パラディーノ、そしてドラムのスティーブ・ジョーダンのスリーピースバンド。これはアルバムを持っているけど、YouTubeなどの映像を見ても素晴らしかった。やっぱり秀逸なバンドはドラムとベースが上手いと締まるし、あとはメインのギターの長短のソロが自由自在に発揮できる。

 今回のライブでもドラム、ベース、そして二人のキーボード奏者が安定しているだけにトリプルのギターが本当に気持ちよく、そしてノリ良く演奏している。伝説の一夜と副題がついた名演奏はリズム・セクションの安定があってこそと思った。

 ギターはというとクラプトンはボーカルもこなすだけに、ギタープレイの妙技は若いデレク・トラックスとブラムホールにまかせているような印象もあった。そしてブラムホールはバックメンバーとしての矜持みたいな感じで抑えた演奏をしている。それに対してデレク・トラックスはもう全開という風にスライド・ギターをがんがん鳴らす。ちょっと悪目立ちじゃないかと思うくらい。

 でもそれも含めて、こいつ凄いだろうみたいな感じでクラプトンが引き立てている感じもする。デレク・トラックスの今があるのはどこかでクラプトンの引き立てたからみたいな感じもあるかもしれない。というかトラックス自体は目立とうとかそういうのではなくて、とにかくギターを弾くのが好きで好きでたまらない、もうずっと弾いていたいみたいな感じでどんどんグルーヴしていく。しかも御大クラプトンと一緒にやるのが嬉しくてたまらないみたいな感じ。

「御大、俺まだまだいけます、いきますよ」

「おお、やったれ、やったれ」

 そんな雰囲気が伝わってくるような感じ。

 2006年のライブ映像、18年も前のことになる。当然、画質は悪いはずなんだが意外にキレイだった。たぶん最新の技術、コンピュータを使ってノイズ除去とかされているんだろうか。

 しかし久々に映画館でライブ映像を観た。どのくらい久しぶりかというと、もともとライブを映画館で観るなんてことがほぼまったくないので、それこそジョージ・ハリソンバングラデシュとかウッドストックとか、そういうレベルの大昔以来かもしれない。印象深く記憶に残る劇場でのライブ映画はというと、エルヴィスのオン・ステージだったりして。それって1970年じゃん、中学生の頃じゃんみたいなこと一人でボケ突っ込みしてみたり。

Live in San Diego (Eric Clapton album) - Wikipedia (閲覧:2024年4月1日)

<セットリスト>

1.    "Tell the Truth"    Eric Clapton · Bobby Whitlock    6:23
2.    "Key to the Highway"    Charlie Segar    4:12
3.    "Got to Get Better in a Little While"    Eric Clapton    9:35
4.    "Little Wing"    Jimi Hendrix    6:58
5.    "Anyday"    Eric Clapton · Bobby Whitlock    6:05
6.    "Anyway the Wind Blows" (with J. J. Cale)    J. J. Cale    5:32
7.    "After Midnight" (with J. J. Cale)    J. J. Cale    5:44
8.    "Who Am I Telling You?" (with J. J. Cale)    J. J. Cale    4:52
9.    "Don't Cry Sister" (with J. J. Cale)    J. J. Cale    3:33
10.    "Cocaine" (with J. J. Cale)    J. J. Cale    5:31
11.    "Motherless Children"    Blind Willie Johnson    5:23
12.    "Little Queen of Spades"    Robert Johnson    17:21
13.    "Further on up the Road"    Don Robey · Joe Medwick Veasey    6:49
14.    "Wonderful Tonight"    Eric Clapton    4:31
15.    "Layla"    Eric Clapton · Jim Gordon    8:25

<encore>
16.    "Crossroads" (with Robert Cray)    Robert Johnson    6:55

 


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府中市美術館「ほとけの国の美術」 (3月28日)

 

 恒例の「春の江戸絵画まつり」企画展「ほとけの国の美術」に行ってきた。

 この春の企画展に行くのは4年目になる。

  • 2021年 「動物の絵 日本とヨーロッパ」展

      府中市美術館「動物の絵 日本とヨーロッパ」展に行く - トムジィの日常雑記

  • 2022年 「ふつうの系譜 『奇想』があるなら『ふつう』もあります-京の絵画と敦賀コレクション」展

       府中市美術館 ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります - トムジィの日常雑記

  • 2023年 「江戸絵画お絵かき教室」展 

府中市美術館「 江戸絵画お絵かき教室」 (3月16日) - トムジィの日常雑記

 

 そして今回はどんな切り口から江戸絵画をみせてくれるか。

春の江戸絵画まつり ほとけの国の美術 東京都府中市ホームページ

(閲覧:2024年3月31日)

 仏教画中心にということである。「菩薩来迎図」、「曼荼羅」、「地獄極楽図」、「禅画」、そして「仏陀涅槃図」とそこに多く動物が描かれているということの派生から、この春の江戸絵画の売りでもある丸山応挙や長沢芦雪の「狗子図」などに「かわいい動物画」も多数展示されている。結局、毎年この「ゆるかわ」的動物画をどう見せるかということで、この企画展続いているのだろうかと思ったりもする。それだけヒットした企画といえるか。

 「春の江戸絵画まつり」という企画なので、江戸期の絵画が中心だが、「菩薩来迎図」、「曼荼羅」などには、鎌倉期や室町期のものもある。また絵画以外の仏像では円空の仏像も一章を設けて展示されている。

 この企画展は展示点数も多い大型企画展なのだが、日本画は作品保護のため展示期間が限られている、さらに所蔵先との関係もありで前後期で大幅な展示替えがある。今回もトータルでの出展作品は117点にのぼるが、前後期でほぼ半々の展示となっているので、全貌を観るためには最低二度は足を運ぶ必要がある。 

<展示点数> 

通期展示   13

前期展示   54

後期展示   50

  合計         177

<開催期間>

前期:3月9日(土曜日)~4月7日(日曜日)
後期:4月9日(火曜日)~5月6日(月曜日・振替休日)

 おそらくこの企画展での目玉ともいうべき作品土佐行広の《二十五菩薩来迎図》(京都市二尊院)は通期で展示となっていて、最初に大きく展示され目を引くことになる。

     土佐行広 二十五菩薩来迎図(17幅のうち)重要美術品 京都市二尊院蔵(前・後期展示)

狩野了承《二十六夜待図》 (前期展示)

《二十六夜待図》 (狩野了承) 一幅・絹本着色 江戸時代後期 個人蔵

 「二十六夜待」は行事の名で、旧暦の正月と七月の二十六日の夜、月の光の中に阿弥陀三尊が現れると言い伝えから、人々が集まり月が昇るのを待ったという。これは阿弥陀如来のの脇侍の一尊である勢至菩薩(せいしぼさつ)が月の神の化身だとする中国の仏教書『法華文句』に書かれた思想に由来するのだという。

 また『往生要集』では阿弥陀如来の顔が月に例えられていたなど、月と阿弥陀如来を結び合わせる様々な言い伝えがあったことに由来してこの行事が生まれたものだという。江戸時代には特に芝から高輪辺りでは多くの人が集い賑わいを見せたのだという。

 狩野了承は(1768-1846)は、鍜治橋狩野家の狩野探信に学んだ表絵師。幕末期には庄内藩の御用絵師になった。江戸時代の幕府の御用絵師は狩野家が奥絵師として、鍛冶橋・木挽町・中橋・浜町の四家が務めた。その奥絵師の門人や分家が独立したものが表絵師と呼ばれ15家あった。

 この絵は俯瞰で遠く房総半島から昇ってくる月と、それを見るために集まった人で賑わう海沿いの町を描いてる。明るい月光と家々の灯り、薄暗い海景を描いてる。本来はもっと暗いのだろうが、月明かりでぼんやりと浮かぶ海を薄墨で描いている。浮世絵でも水墨画でもない、どこか西洋的な風景画を思わせる不思議な絵だ。昇る月の中には確かに三尊が描かれている。

 
春日曼荼羅 (前期展示)

《春日宮曼荼羅》 一幅・絹本着色 鎌倉時代(13世紀~14世紀) 

 藤原氏氏神である春日明神に藤原家の繁栄を願い、参詣の代用として多数制作されたのが《春日宮曼荼羅》。日本古来の神々は、仏教の仏が神となって現れたという本地垂迹の思想によるもので、月が昇る御蓋山(みかさやま)の上空には五つの仏が描かれている。それぞれ一宮の本地仏(服塢検索観音もしくは釈迦如来)、二宮の本地仏薬師如来)、三宮(地蔵菩薩)、四宮(十一面観音)、若宮(文殊菩薩)となっている。

 春日宮曼荼羅は多数制作されていて、奈良市南町自治会所蔵のもや東京国立博物館所蔵の者などが有名。いずれも昨年の「やまと絵」展で実作を観ている。本地仏が描かれているのは南町自治会のものだが、それは丸い円の中に描かれている。今回の作では本地仏が雲に乗って描かれている。

岩佐又兵衛《達磨図》 (前期展示)

《達磨図》 岩佐又兵衛 一幅・紙本墨画 江戸時代前期(17世紀前半)

 達磨図は今回3点が出品されているが、前期展示は岩佐又兵衛の1点。遂翁元慮と白隠慧鶴のものは後期展示。

喜多元規《隠元即非・木庵像》 (前期展示)

隠元即非・木庵像》 喜多元規 一幅・紙本着色 1679(延宝7)年

 日本に黄檗禅をもたらした中国の僧隠元は、1654年に63歳で来日し、はじめ長崎の興福寺に入り、次に崇福寺の住侍となる。さらに1658年に江戸で四代将軍徳川家綱に謁見して、1660年幕府より宇治に土地を拝領してそこに黄檗宗の寺院萬福寺を建立した。隠元に遅れて来日したのが弟子の即非、木庵らである。隠元黄檗宗には後水尾天皇を始め、公家や幕府の要人らが帰依した。

隠元隆琦 - Wikipedia (閲覧:2024年3月31日)

 作者の喜多元規は隠元に従って来日した中国の画家楊道真に学び、黄檗宗の僧の肖像画を専門にした。

鈴木其一《毘沙門天像》 (前期展示)

毘沙門天像》 鈴木其一 一幅・絹本墨画金泥 1854年嘉永7)
 個人蔵(京都国立博物館寄託)

 正面性による細密画である。この細密画は中国の影響だろうか。同時にこのシンメトリー的な正面性も、上の黄檗宗隠元肖像画と似通っている。中国の肖像画は唐代あたりまでは横向きだったが、明代の後半からこうした正面性が多くなっていて、清代になると王族などを描いた肖像画は正面を向くものが多い。

 イエズス会の宣教師で画家でもあったジュゼッペ・カスティリオーネは中国に来日し、清王朝の宮廷画家として仕えた。彼が最初描いた清皇帝の肖像画は、斜め向きだったが、当時すでに中国では要人の肖像画は正面から描くことになっていたため描き直しを命じられ、描き直した正面からの作品が皇帝に気に入られたという。

7月19日はジュゼッペ・カスティリオーネの誕生日 - クリプレ 

(閲覧:2024年3月31日)

 鈴木其一のこの作品の頃にも、貴人や仏教画を正面から描く中国の様式が伝えられていたのだろうか。

白隠慧鶴《豊干禅師》 (前期展示)

豊干禅師寒山拾徳図の一部》 白隠慧鶴  一幅・紙本墨画 18世紀(江戸時代中期)

 豊干は中国唐代の僧。寒山十拾の師匠とされる。虎の背に乗って周囲を驚かせたという話があり、虎に乗ったり、虎を従えた絵が多く描かれている。

仙厓義梵《豊干禅師図》 (前期展示)

豊干禅師図》 仙厓義梵 一幅・紙本墨画 江戸時代後期(19世紀前半)

 仙厓義梵(1750-1837)は江戸時代臨済宗古月派の禅僧。元祖ヘタウマともいうべき妙味のある絵を描き、狂歌も詠んだという。白隠慧鶴とともに江戸時代の禅画ではとても人気があるという。正直いって、今回の企画展、さまざまな仏画、動物画が出ていたが、この絵が全部持っていったような感もある。この脱力感は禅的な境地を超えているような気もしないでもない。

伊藤若冲《石峰寺図》部分  (前期展示)

《石峰寺図》部分  伊藤若冲 一幅・絹本墨画 1789年(寛政元) 京都国立博物館

 人気の若冲。これも前期展示だ。ポスター等にも使用されている《白象図》は後期に展示される予定とか。石峰寺は黄檗宗の寺院で若冲がデザインしたという五百羅漢の像が有名。若冲は晩年、石峰寺の門前で過ごした。

 この図のデフォルメされた僧侶は羅漢たちで、中には説法する釈迦も描かれている。若冲は実際の石峰寺の中に仏の世界を描き出した。拡大するとその面白味がよく判るような気がする。

 
白隠慧鶴《すたすた坊主》 (前期展示)

《すたすた坊主》 白隠慧鶴 一幅・紙本墨画 江戸時代中期(18世紀)
葛飾北斎《布袋図》 (前期展示)

《布袋図》 葛飾北斎 一幅・紙本着色 江戸時代後期(19世紀前半)
長沢蘆雪《藤花鼬図》 (前期展示)

《藤花鼬図》 長沢蘆雪 一幅・絹本着色 1798年(寛政10) 

 

「~かなあ」という言い方が癇に障る件

 最近、日常会話の中で「~かなあ」と言う回しをよく聞く。普通の会話だけならいいのだが、テレビで司会者やコメンテーターなどからそういう言い回しを聞くことがある。さらにいえば報道番組の中で、記者などの取材報告の中でも使われたりする。

「大谷選手は現時点で言えることはすべて話たのかなあ」

「二階元幹事長のあの暴言は、記者の背後にいる国民に対して失礼ではないかなあ」

小林製薬のサプリはの被害は今後広がるのかなあ」

 今朝も朝のワイドショーを流し見していたら、司会者が何度も「~かなあ」を連発していた。

 

 この言い回し、いつ頃から言われるようになったのだろう。記憶的にいうと少なくとも20世紀にはあまり使われていなかったのではないか。21世紀になってから少しずつ聞くようになってきたような感じがする。そして多様されるようになったのは、ここ10年くらいではないか。誰かが書いていたと記憶しているのだが、それはSNSの広がりと軌を一にしているとも。

 

 この「~かなあ」という言い回しは、おそらく「~かなあと思います」の省略なのだと思う。その表現自体が実は断定、断言を避ける表現でもあるようだ。ネットで検索をかけるとこんなブログ記事も見つかった。

「〜かなと思います」という言い方 - ohnosakiko’s blog (閲覧:2024年3月26日)

 このブログにあるように「~かなと思います」はじょじょに省略されたのだろう。

おそらく、「〜ではないかと思います」→「〜ではないかなと思います」→「〜かなと思います」と変化したのではないだろうか。
「〜ではないかと思います」より「〜ではないかなと思います」の方が、「な」がつく分だけ当たりが柔らかくくだけているので使われるようになり、やがて「ではない」の部分が長々しいので省略されたと思われる。

 

 この「~ではないかと思います」が「~ではないかなと思います」となり、それがさらに短縮されて「~ではないかなあ」となる、そういうことなのだろう。それはSNSによる短縮表現によって使用頻度が増えていったということか。まあ当たらずとも遠からずだ。

 この「~かと思います」、「~かなと思います」、「~かなあ」の言い回しの根底にはあるのは、断定調、断言を避け、できるだけやんわりと自分の意見を伝えたいということの現れなのかもしれない。差し障りのない言い回しに腐心する。それは同調圧力に見え隠れする息苦しい社会の中で、空気を読んで生きるための言語表現の一つなのかもしれない。

 引用したブログの方も書かれているように「~させていただきます」も同じように、空気読みの社会で生まれた語法なのだ。「空気読み話法」という言い方はあるのだろうか。ちょっと気になるところだ。

 そういう世の中なのだと割り切ってしまえば、件の「~かなあ」はあまり気にするものではないのかもしれない。そいうものだ、と。

 いや、そう簡単にはいかない。十代の若者たちならともなく、大の大人がいちいち「~かなあ」を連発するのはどうかと思う。ましては司会者やコメンテーターのような言動に責任を持つものが、その責任性を回避するような意識を働かせて、「~かなと思います」どころか「~かなあ」はないのではないか。さらにいえば、取材し事実を伝えるはずの記者たちが「~かなあ」はあり得ない。それは取材したうえでの事実なのか、あるいは取材したうえでの記者の感想、意見なのか。いや、記者が感想や自分の主観を述べてどうすると思ったりもする。

 「~かなあ」という言い回しに対する反論はなにか。あまり言いたくない言葉だが、例の便所の落書き的な掲示板で巨額を得た自称文化人だか起業家だかの人よく使う表現、「それってあなたの感想ですよね」ということになる。いやそうした切り替えし自体が、空気読み社会ではきつい反語的な意味合いを持っていたりもする。

 

 事実に基づいた言説は断定、断言であるべきだ。多くの作文技術の指南書でも、自身の言説は「である調」で表現するようにと書いてある。「~と思います」という表現はアウトとされる。会話についても日常会話であれば、「~と思います」でも、さらに短縮した形での「~かなあ」もあるだろう。

 しかしテレビで責任ある立場で話す司会者、コメンテーターが「~かなあと思います」、「~かなあ」という言い回しは極力避けるべきだと考える。どうしても使うのであれば、きちんと「これは自分の考えですが」という前提をつけるべきだ。

 言説には責任がある。それを回避するような言い回し。「空気読み社会」はどこかで責任性を回避する「無責任社会」なのかもしれない。

西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」 (3月22日)

 そしてその日の終着点、西洋美術館。

 

ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ|国立西洋美術館 (閲覧:2024年3月25日)

飯島由貴・遠藤麻衣らの抗議行動

 西洋美術館で初めての「現代美術」の企画展ということで注目していた。しかも内覧会でいきなり出展作家たちによる抗議活動も行われた。

飯山由貴がイスラエルのパレスチナ侵攻とスポンサーの川崎重工に抗議。国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」記者内覧で|美術手帖  (閲覧:2024年3月25日)

 西洋美術館のメインスポンサーである川崎重工の前身は、西洋美術館のコレクションの母体となった松方幸次郎が経営していた川崎造船所である。その川崎重工は、パレスチナ侵攻を行うイスラエルより武器(ドローン)を輸入し、利益を与えるとともに代理店として利益を享受している企業だと、今回の企画展に参加した飯山由貴は批判してビラを撒き、賛同者たちによるコールやダイインも実行した。

 また同じく企画展に参加した作家遠藤麻衣は、百瀬文は抗議のパフォーマンスを実施した。

飯山由貴がイスラエルのパレスチナ侵攻とスポンサーの川崎重工に抗議。国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」記者内覧で|美術手帖 (閲覧:2024年3月25日)

国立西洋美術館の館内ロビーでアーティストの遠藤麻衣と百瀬文が川崎重工に対する抗議パフォーマンスを実施|美術手帖 (閲覧:2024年3月25日)

 そしてこのアーティストたちによる抗議行動に対して、公安警察が美術館内に入り、作家のパフォーマンスを監視したことも報じられた。

出品作家、ガザ侵攻に抗議活動 国立西洋美術館、警察が監視 | 毎日新聞

(閲覧:2024年3月25日)

 この公安警察の美術館への立ち入りについて、西洋美術館は警察に要請をしていない。おそらく何らかの形で情報を得ていた警察側が、抗議行動が行われたことに即座に反応したということなのだろう。

 ようは美術館であれ、表現者はすべて公権力の監視対象であり、美術館という表現の場も監視されているということ可視化されたということなのだろう。そしてもう一つガザへのイスラエルの侵攻とジェノサイドともいわれる無差別攻撃に対して、表現者たちが声を上げたことは大きな意義があると自分は思っている。さらにいえば表現者たちは炭鉱のカナリアなのだということを改めて思ったりもした。

 そうした事前の情報もありぜひ観てみたい企画展と思ってはいた。

展覧会の企図について

 今回の展覧会を企画した西洋美術館主任研究員の新藤淳氏は企図についてこうパンフレットで記しているので一部抜粋する。

国立西洋美術館一そこは基本的に、遠き異邦の芸術家たちが残した過去の作品群だけが集まっている場です。それらは死者の所産であり、生きているアーティストらのものではありません。この美術館にはしたがって、いわゆる「現代美術」は存在しません。しかしこのたび、そんな国立西洋美術館へと、こんにちの日本で活動する実験的なアーティストたちの作品をはじめて大々的に招き入れます。

そうするのには理由があります。国立西洋美術館の母体となった松方コレクションを築いた松方幸次郎は、みずからが西洋において蒐集した絵画などが、未来の芸術家の制作活動に資することを望んでいたといえます。また、戦後に国立西洋美術館の創設に協力した当時の美術家連盟会長、安井太郎のような画家も、松方コレクションの「恩恵を受ける」のは誰よりも自分たちアーティストであるとの想いを表明していました。これらの記憶を紐解くなら、国立西洋美術館はじつのところ、未知なる未来を切り拓くアーティストたちに刺載を与えるという可能性を託されながらに建ったと考えることができます。
けれども、国立西洋美術館がじっさいにそうした空間たりえてきたのかどうかは、いまだ問われていません。

 「松方幸次郎が望んでいたという未来の芸術家の制作活動に資する」という思い。その虚妄性とともに、当時の軍需産業の経営者であり、東洋の成金としてヨーロッパで美術品を買い漁った松方への批判的な眼差しを飯山由貴は自らのインスタレーションの中で俎上に載せていたりする。

 本来的には西洋美術館という器とそこに収蔵される西洋美術の作品群から、現代のアーティストたちはどのようなインスピレーションを得て、どのようなモチーフ化して新たな作品群を生み出すか、そういうことがひょっとしたら期待されていたのかもしれない。でもそれはちょっと期待外れだったかもしれない。

 アーティストたちは西洋美術館というある種の国家的権威、さらにはそこに収蔵される西洋古典美術という権威に対する批判的アプローチしてみたり、対象化、相対化、客体化、を図ってみたりしているのだろう。それは造形芸術として提示されものもあり、パフォーマンであったり、あるいは引用であったり、またさらには思考実験であったりと千差万別でもあった。

 なんとなく感じられたのは、造形表現よりもテキストを積み重ねることによって、西洋美術館という対象とその何重にも積み重ねられたさまざまなイメージを剥ぐような試み。それらは失敗とはいわないけれど、けっして成功した試みとはいえなかったかもしれない。

 西洋美術館も現代芸術のアーティストに門戸を開き、包容力を示そうとした。でも美術館の思惑とはちょっと異なる位相に連なる作品も多かったのかもしれない。

 美術館側もアーティストの側も、どこかで「あれ、こんなはずではないんだが」と感じあっているような、そんなギャップが見え隠れしていたような気がしてならない。互いに過度な気負いがあり、それがかみ合わことなく展覧会が始まってしまったような。

 新藤氏の企図はこのように続く。

ともあれ、ある程度は予想していたこととはいえ、展覧会の準備を進めながらに気づかされるのは、過去の芸術作品のみを所蔵する国立西洋美術館は、いまを生きる気鋭のアーティストたちがかならずしも好んで訪れるところではない一例外は少なからずいらっしゃるとしても一という事実です。ゆえにこの展覧会の課題は、その距離を埋めることでもあります。あるいは、国立西洋美術館やそのコレクションとあらためて向きあっていただくなかから、アーティストのみなさんにあらたになにかを考えていただく契機をつくること一それが本展の狙いです。結果として今回の展覧会では、彼ら一彼女らから国立西洋美術館にたいして、さまざまに批判的な問いが投げかけられることにもなるでしょう。美術館そのものを多角的に問題化することが、本展の企図にほかなりません。

 展覧会の課題は、「西洋美術館と気鋭のアーティストたちの距離をうずめることにある」。そして「あらたななにかを考えていただく契機をつくる」こと。それは成功していたかどうかというと微妙なようにも感じられた。あえていえばアーティストたちは、美術館との距離について考えそれをうずめるのではなく、その「みぞ」そのものを問題意識化したのではないかと、そんなことを考えた。

 そしてあらたな何かよりも、現在体制、あるいは権威としての「国立美術館」、さらにはもう一方の絶対的な美術的権威でもある「西洋美術」そのものに対しての意見陳述、そんな作品が散見したようにも思えた。

 自分自身、考えがよくまとまっていない部分は間違いくある。そして展示作品についていえば、情報量が非常に多く、多角的かつ多種多様でもある。逆に言えばトータライズされた部分、企画展としてのまとまりはまったくないに等しい。悪くいえば参加作家が好き勝手に西洋美術館にアプローチしてみました的な部分もあるかもしれない。それでも「美術館そのものを多角的に問題化する」という企図からは大きなズレはないということなのかもしれない。でも間違いなく、難解とはいわないけれど、判りにくい、受容しにくい企画展でもあるとは思った。

 ただ一方で、展覧会というものは、あるいは芸術作品というものは、面白いと感じればいいのかもしれないと割り切ってみれば、散漫で難解とも思える作品群の中でも、これはちょっと面白いというように、受容のレベルを下げてみればそれでいいのかもしれない。

 飯山由貴や田中功起のテキストは難解で「ちょっと何いってるかわからない」みたいにスルーしても、小田原のどかの転倒彫刻はちょっと面白いとか、そういう見方でもいいのかもしれない。バリ島の藤田嗣治はいくらなんでもとか、まさかの西洋美術館での高尚ストリップがとか、そういう部分でもいいと思ったりもした。

気になった作家たち

小沢剛

 藤田嗣治を日本人の画家としてよりも西洋絵画におけるエコール・ド・パリ派の画家の一人として扱っている。そのうえで戦争協力への批判からフランスに帰化しパリを拠点にした藤田嗣治が、パリではなくバリに移住していたらという「駄洒落じゃないか」と突っ込みたくなるような歴史のIFから「帰ってきたペインターF」シリーズをみせてくれる。面白いがやっぱり「駄洒落じゃないか」と突っ込みたくなる。

 

 
小田原のどか

 地震大国である日本の美術館において、彫刻作品の転倒はあり得る現実である。事実、関東大震災の時に上野の日展会場では、展示してあった彫刻作品が軒並み転倒して粉々になったともいう。地震の脅威にさらされる日本においての彫刻の存在を、小田原のどかはロダン作品を「転倒」させて展示する。

 

日本における彫刻という存在を課題化し、近代日本のねじれを指摘し続けた小田原は、西洋美術館を象徴する存在のひとつであるオーギュスト・ロダンの彫刻を、赤い絨毯の上に「転倒」させて展示。また、古くから供養のために建てられながらも地震による倒壊も多く見られる五輪塔、そして部落解放運動のなかで「水平社宣言」を起草し、のちに獄中で転向した西光万吉の日本画をともに展示した。いずれも「転倒」や「転向」を含意しており、これらが緊張感のある関係をもって配置されることで、第二次世界大戦を経て対米追従した日本、震災の脅威にさらされ続ける日本、そしてそのなかで育まれた日本の美術が表れている。

 

 

 さらに「転倒」から「転向」へと思考実験を積み重ね(駄洒落じゃないのか)、部落解放運動のなかで「水平社宣言」を起草し、のちに獄中で転向した西光万吉の日本画を展示し、転向論についてのテキストを転じする。

 「転向」については判断保留だが、普通に転がったロダンは面白く感じられた。

飯山由貴

 内覧会での抗議声明のように、もっとも先鋭的かつ政治的なアプローチをとった飯山は松方コレクション(複製?)とともに大量の手書きテキストを並置するインスタレーションを展示した。そこでは松方幸次郎と川崎造船所軍需産業としての実相を可視化させたり、松方が若き日本の芸術家のたちのためにとコレクションした西洋美術が、戦争プロパガンダとしての戦争記録画に繋がっていったのではないかという問いなど、問題意識化の舌鋒は鋭い。

 

 

 

この島が帝国であった時期、西洋から輸入された技術としての油彩画、西洋画と国粋主義思想と軍事中心主義が癒着して、様式としては美術作品でありプロバガンダでもある大量の作品が産み出された。
松方コレクションの作品は、のちに戦争画・作戦記録画(アジア太平洋戦争期に陸海軍の委嘱で制作された公式の戦争絵画群)と呼ばれるそれらの美術史と近代史に特有の文脈を持つ一連の絵画に影響はあったのだろうか。

歴史画は歴史的事実を視覚化したものではない。フィクションとしての歴史に具体的なイメージを付与して現実のごとく見せるからくりだ。
西郷隆盛の顔は、さきののべたようにキオッソーネが西郷徒道や大山巌の顔を参考にして作り出したものだが、そうと知ってはいても、このお雇い外国人んお創造した顔をはなれて、西郷という人物像を思い浮かべることはむずかしい。
イメージのしみはしぶとくこびりつき、用意にはおとしきれない。

 手書き文字は読みにくく、しかもびっしりと書かれている。しかしその内容は興味深くついつい引き込まれて読んでしまう。

田中功起

 田中功起は作品の展示ではなく、西洋美術館への「提案」をテキスト化して提示した。その中には作品展示での高さに言及し、子どもや車椅子ユーザーにとっては常に見上げるような展示になっていることを提起していた。

美術館へのプロポーザル1:

作品を展示する位置を車椅子/子ども目線にする西洋美術館の常設展示室には多くの絵画が展示されている。下見のために展示室に行くと、多くの観客に交じって車椅子の観客がいることに気づいた。そのひとは、テイントレット(ダヴィデを装った若い男の肖像)(1555~60年頃)を見上げていた。車椅子の位置からするとほとんどの絵画の展示位置は高すぎるように感じた。すべての絵画が車椅子と子どもの目線に合わせて低い位置に展示されている美術館を想像してみる。

 田中はこうした視点をもったのは、自らが子どもを育てるにようになり、ベビーカー押しているなかでの気づきだとしていた。

 こうした田中の提起に対して西洋美術館は常設展示で実験的に数点の絵を車椅子ユーザーや子どもの視線に合わせて低く展示してみせている。今回は一人で来たので、健常者の自分からするとずいぶんと観にくい展示だが、車椅子利用者の妻がいたらどんな反応を示しただろうか。

 

 

遠藤麻衣

 白いカーテンで仕切られた部屋に入ると怪しげな回転ベッドが回っている。そのなかほどは盛り上がっていて、何かが横たわっているようにも見える。そして正面のスクリーンでは館内で撮影されたと思わしきストリップの映像が流れる。腕まである白い手袋をした裸体の女性は、その腕を蛇のように身体に這わす。ちょうど手の部分には目がついていてまさしく蛇である。そしてもう一人のダンサーが現れて二人は絡み合う。

 美術館の中でこうしたストリップ、それも高尚なストリップを見ていると気恥しい部分もある。二人のダンサーは鍛え上げれた美しい姿態で絡み合う。あとで確認すると一人は現役ストリッパーの宇佐美なつで、もう一人が遠藤麻衣だという。

 壁にはエドワルド・ムンクリトグラフが展示してある。これは人と動物の異種交配を描いた《アルファとオメガ》という作品で、遠藤と宇佐美のパフォーマンスはここからインスピレーションを得ているという。

 ストリップ、あるいはソフトなAVといってしまえばそれまでだが、いやらしさや煽情的な部分はない。どちらかといえばフェミニズム的な要素が濃く、少なくとも男女関係なく観ることができる。ただしヘアヌードを含めた表現であるためゾーニングが図られている。HPにも以下のような注意がなされている。

本展には一部、芸術上の目的のため性的な表現を含む作品が展示されています。このような作品を不快に感じる方やお子様をお連れの方は、入場に際して事前にご了承頂きますようお願い致します。

 西洋美術館、とくに入口の部分や常設展示の入り口のロダン作品が置かれたスペースでの二人の女性が絡み合うパフォーマンスは、ある意味で西洋美術館の包容力みたいなものが感じられた。二人のパフォーマンスも芸術性は高く、最初に高尚なストリップと称したが鑑賞に堪える質を有している。しいていえば音楽がどこか安っぽい感じで、これはまさにソフトなAV、ストリップ小屋のBGM的である。多分、これは狙っているのかもしれないが、せっかく西洋美術館でのストリップなので荘厳なクラシックでも使えばいいのにと思ったりもした。

 どんな音楽がいいか。月並みにいえばバッハの無伴奏チェロなんかがいいかもと、俗人の自分は思ったりもした。

 

 
パープルーム

 梅津庸一が主催するグループによる作品空間。ラファエル・コランやピエール・ボナールらの作品から想を得た作品が、パッチワークのような空間の中に展示されている。ボナールはまさしく西洋美術館の所蔵品だが、コランの《フロレアル》って西洋美術館持っていたっけと、ちょっと記憶にないなと思いよく見てみると、《フロレアル》は藝大美術館から貸し出しのようだった。

 
坂本夏子

 初めて知る作家だ。1983年生。抽象画、グリッド、点描などによる作品だが、不思議と奥行き感というか立体感がある。多分、狙っているのだろうがそのへんが特に面白く感じた。競作もあり同時に展示してある梅津庸一や杉戸洋の作品がどこか平面的なので、その差異みたいなものが特に面白く感じられた。個人的にはこの作家の作品が今回一番心に残ったかもしれない。

 

《Tiles》 坂本夏子 2006年 油彩/カンヴァス 個人蔵 

《秋(密室)》 坂本夏子 2014年 油彩/カンヴァス 高橋健太郎コレクション

《階段》 坂本夏子 2016年 油彩/カンヴァス 国立国際美術館