いささか旧聞的になるが、先週の金曜日の朝日朝刊「声」欄に興味を引く投稿があった。
記録的に全文を紹介してみる。
(声)美術館での模写、柔軟な対応を
元ユネスコ職員 〇〇〇〇(フランス 65)
長年暮らすフランスから親子で一時帰国している。美大卒でアニメーターを目指す娘と都内の日本画専門の美術館を訪れた。横山大観、伊藤若冲と並び川端龍子の作品が目を引いた。上野動物園に戦後インドから贈られた象インディラが子供たちと戯れる『百子図』に、娘は小さなスケッチブックを取り出し象の優しいまなざしを鉛筆で模写しはじめた。
すると係員が飛んできて「模写はおやめください」と制された。理由は「お子さんたちがまねするとほかのお客様の迷惑になるので」。その後、学芸員が出てきて「キャンバスを広げたり長時間模写をしたりしないのであれば」と譲歩したが、多くの日本の美術館で模写の禁止は常識化しているようだ。
かたや欧米の美術館では子供たちや美術愛好家による模写は当たり前の光景で、美術遺産を次世代につなぐ教育的な視点がうかがえる。
日本ではスペースの問題もあるだろうが、まずは「まわりの迷惑」の定義を見直し柔軟な対応と若手を引きつける工夫を凝らしてみては。日曜の午後、シニアが大半を占める閑散とした展覧会場で、日本のアートシーンの閉塞(へいそく)感を味わった。
美術館アルアルの一つだと思う。この美術館、名前を上げていないが川端龍子の《百子図》とある。所蔵しているのは龍子記念館のはずだが、今はたしか山種美術館に貸し出されているはずだ。記述の中に大観や若冲とあるので、おそらくこの企画展だろうか。
「特別展 HAPPYな日本美術 ―伊藤若冲から横山大観、川端龍子へ―」
山種美術館か、たしかにあそこは割とハードルが高いところで、撮影できる作品を限っているし、なにかあるとすぐに監視員が駆けつけてくる。まあこればっかりは個々の美術館の運営方針なのでなんとも言い難い。
美術館での模写については、欧米の美術館では割と普通に行われているというが、日本の美術館でそうした風景をみかけたことはない。欧米では美術教育の一環として、学生や生徒の模写を認めていたりするらしい。ルーブルなどの超有名どころはというと、これは何かで読んだ記憶なので不確かだが、画家や美術学校の学生などに、許可制で認めているとか。さらにいえば曜日や時間も限っているとも。まああの観光客で日々混雑するところで、イーゼル広げていてはこれはこれで問題だ。
美術館での模写は昔から行われていたようで、多くの画家がかっては巨匠の作品の模写を通じて画力を磨いていったようで、それこそ19世紀~20世紀の著名な画家もルーブルで肩を並べて模写をしたということもあったとこれも何かで読んだ。
有名なユベール・ロベールの「ルーヴル宮グランド・ギャラリー改装試案」はある種の想像画ではあるが、当時のルーブルの雰囲気をそのまま描いているようでもある。みんな熱心に模写をしている風景がそこにある。
でも日本の美術館でそういう光景を見た試しがない。投稿にあるように「お子さんたちがまねしたら」「他のお客さんにめいわくが」ということなんだろう。
思えば日本の美術館には様々な禁忌事項がある。
一番はスマホ全盛の時代にあっての撮影不可。まあやたら作品の前でパシャパシャも問題かもしれないのだが、なぜ禁止なのかどうか、その理由が判然としない。おそらく著作権のからみや、貸し出された作品の撮影許可の問題とかが一番なのかもしれない。でも、撮影がすべてOKな美術館もあるし、作品を限っている場合もある。美術館によってはそれまでずっと常設展で撮影OKだった作品が、ある企画展で展示したときに撮影不可になったりとかもある。
箱根の岡田美術館だったか、展示室に入室する前にスマホを美術館に預けるというシステムになっていた。飛行機登場並みのセキュリティというか、そこまでして撮影等から作品を保護したいのかと思ったりもした。
個人的には厳密な意味での著作権管理がなされていないものは、撮影許可してもらえればと思わないでもない。もちろん他の鑑賞者の迷惑にならないようにとか、シャッター音を消す無音アプリを使うとか制限は必要かもしれないが、
撮影ついでにいうと、作品の撮影が不可でもキャプションや作品解説、企画展の各章ごとの解説の撮影も不可というのもちょっとどうにかならないかと思ったりもする。今はカメラにテキストのスキャン機能がついていて、カメラアプリからテキストをそのままスキャンしてメモアプリにコピーすることが容易にできる時代だ。撮影可能な美術館では、作品の撮影よりも解説キャプションを撮ってメモにすることの方が多かったりするのだが、それもダメな美術館が多い。
そもそもスマホを使うことすら禁忌とされる美術館もある。カメラによるスキャンができない時代、キャプションをスマホのアプリに入力していたら注意されたことがあった。スマホ利用は一切ダメということで、メモをとるなら紙と鉛筆を貸すと言われたときには唖然としてしまった。埼玉の某県立美術館だったけれど。
ちなみ持参した筆記用具でもボールペンやシャーペンはダメで、必ず鉛筆使用が義務化されているところも多い。これはおそらく作品保護で、ボールペンで万が一作品に何かしたらということなのかもしれない。でも鉛筆だって使い方によっては。
スマホでの撮影は不可なのだが、キャプションにQRコードがあってそれをスマホで読み取ると解説がスマホ上に見ることができるとか、音声ガイダンスが流れるというシステム採用している美術館もあったりした。作品にスマホを向けるのはダメで、キャプションに向けるのはOKという。
そのほかにもいろいろと禁忌事項はある。まあ作品の前で、作品を観るでもなくペチャクチャとお話されている方とかも。こういうのは割とうるさめの高齢の方が多く、あとあといろいろややこしいこともあるためか、スルーする監視員もいる。
いちど館内の展示スペースのベンチに座って居眠りしていたら監視員に声をかけられたことがあった。多分5分程度だったし、いびきとかもかいていないのだが。なんでもこれは生存確認だということらしい。作品の前で幸福なことにお亡くなりになった方でも過去にいらっしゃったのだろうか。
美術館で禁止事項が多いのは、おそらく様々なクレームが寄せられたことに起因しているのかもしれない。多くのクレームが集約されて、それを回避するためにたくさんの禁止事項が生まれた。そういうことなのだろう。
子どもがおしゃべりをする、走り回る、赤ちゃんの泣き声がうるさい。そうしたことへのクレームから未就学児童を禁止する。カメラのパシャパシャがうるさい、撮影をやめさせろ。作品の前でメモをとったり、簡単な模写(メモ的素描)をしているのが鑑賞のジャマだやめさせろ。そうした匿名的なクレームの公約数が多くの禁忌事項をうんでいるとしたら、なんとなく興醒めな部分もあるかもしれない。
そうしたクレームの多くがなんとなく高齢者によるものかもしれない。でもそうでもないかもしれない。冒頭に取り上げた投稿の最後「日曜の午後、シニアが大半を占める閑散とした展覧会場で、日本のアートシーンの閉塞(へいそく)感を味わった」という揶揄にはどこか高齢鑑賞者への当てつけみたいなものも感じたりもする。
高齢者のぺちゃくちゃがうるさいので、高齢者グループの入場を制限しろみたいなクレームでもでてくるか。あとは車いすユーザーがジャマなので土日など混むときは制限しろとか。まあ今はユニバーサル・デザインが建前的には優先される時代だからそれを禁止事項にいれたら大炎上になるだろう。さらにいえば超高齢化社会にあっては、年寄りの声は最大公約的にでかいので、制限は難しいだろう。
個人的に思うこと。人気企画展で列をなすなかで大渋滞となるのは音声ガイドが指定された作品であることが多い。みなさん作品を前にして作品を観るよりも音声ガイドを聴いていることが多かったりする。混んでいるんだから立ち止まらずに一歩下がって聴けばいいのにと思ったりもする。混んでいる土日は音声ガイド禁止。これは美術館の営業上も多分無理だろうな。
美術館での禁止事項の諸々。もちろんこれは美術館個々の事情や独自のルールによるものなのかもしれない。でも出来れば基本的な部分としてはルールを統一してもいいのではないかと思ったりもする。少なくとも国公立の美術館は一定程度ルールを統一するのも文化行政的な問題かもしれないと思う。