大田区立郷土博物館~「川瀬巴水-版画で旅する日本の風景-」

 龍子記念館の後、そういえば近くにある大田区立郷土博物館で川瀬巴水の企画展をやっているのを思い出して行ってみることにした。龍子記念館の窓口の方に歩いて行ける距離かと聞くと、だいたい15分から20分くらいだという。ご丁寧に印刷された地図をいただいた。龍子記念館からのはしご組が少なからずいるということだ。

 地図をたよりにほぼ来た道の桜並木を戻り、途中で右に曲がり熊谷恒子記念館を左手に見て坂道を少し登る。それから少し戻ってからやや大きな通りを左に折れてしばらく行くと看板があり右に曲がるとみたいな感じだったか。

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大田区ホームページ:特別展「川瀬巴水−版画で旅する日本の風景−」のご案内(会場、会期など)

 入場料は無料、展示は3階と2階。無料の割には展示する版画も多くさらに川瀬巴水が日常使っていた品々や写生帖なども展示してあり、思った以上のボリュームだ。龍子記念館で時間を使ったので、こちらは閉館まで45分くらいしか時間がなく、ちょっと残念な感じがした。

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 特に主要な作品については版画とその画題になった写生が一緒に展示してあり、ふだんから旅をして写生を続け、それをもとに版画の下絵を作っていく巴水の作品の行程がよくわかるような展示となっていた。

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 しかしなぜ川瀬巴水大田区が、郷土博物館で展示なのかというと、川瀬巴水大田区に長く住み、特に晩年の約10年は大田区上池台に暮らしていたという、ようはご当地の画家さんだったということのようだ。

川瀬巴水の住んだ馬込……最後は上池台の地で死去。
川瀬巴水は大正15年(1926)に大森新井宿子母沢(現・大田区中央4-12)に住み、その後、昭和5年(1930)に馬込町平張975番地(現・南馬込3-17、区立馬込第二小学校の裏あたり)に移り住んだ。第二次世界大戦中は那須塩原疎開したが、戦後、昭和23年(1948)から池上町1127番地(現・上池台2-33 都立荏原病院の側)に戻り、昭和32年(1957)74才でこの地で没した。墓は万福寺(世田谷区烏山町)にある。

 http://www.photo-make.jp/hm_2/ma_magomebashi.html

  大田区にとっては川端龍子とともに川瀬巴水もご当地の著名画家ということになる。なるほどねという感じだ。そのため版画類もたくさん所蔵しているようで、前期後期で展示は総入れ替えとなる予定だとか。

前期:令和3(2021)年7月17日(土曜日)~8月15日(日曜日)
後期:令和3(2021)年8月19日(木曜日)~9月20日(月曜日・祝日) 

  ただしこのところ何度か書いてもいるのだが、北斎、広重、小林清親川瀬巴水の名所図会等風景画はやや食傷気味なところもあり、なんとなく心に今一つ響いてこない感じだった。まあとにかく暑いなか大田区周遊していていささかバテていたせいもあるし、とにかく時間もなかったから。

 出来れば後期展示にもう一度来たいものだが、コロナの感染拡大がえらい勢いなので、都内に出るのはかなり勇気がいる状況になってる。微妙な感じである。