大谷探訪

 久々、日光に宿をとったので大谷資料館へ行ってみた。
 ここに来るのは三度目のことか。人気スポットになっているようで、最初に来た頃に比べるとずいぶんと手が加わっている。以前は車椅子用車だと上まで行けて、バス駐車場の隅っこに止めることができたのだが、今はダメになってしまった。一応、専用スペースがあるので、そこに止めてからゆるい坂道を車椅子押して登っていく。
 構内も以前より整備されていてなんか舗装されているようなイメージがあるのだが、これは自分の勘違いかもしれない。

 そして前回行ってけっこう感銘を受けたのが大谷寺の大谷観音。日本最古の石仏という千手観音はもうシルクロードそのもの。平安時代初期の西暦810年に弘法大師に作られたと伝えられている作品である。1200年以上も前の石仏というのがすでに感動ものである。この千手観音を第一区とし、その横に岸壁を斜めに切り出した第二区の石仏が釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像と連なっている。
 
 こうした岩壁を切り出して彫られた石仏を磨崖仏という。有名なのはシルクロードやインドの石窟群だとか。
 大谷寺のすぐ手前には戦後の昭和23年から6年かけて飛田朝次郎が制作した大谷平和観音がある。高さ約27メートルのこれも磨崖仏だが、なかなかに壮観。戦争の戦死者を追悼するために建立した総手彫り像。
 案内文にはこのような説明がある。

大谷寺の南側に高くそびえる平和観音は、身丈26.93メートル(88尺8寸8分)の高さで、第二次世界大戦による戦没者の霊を弔い、世界平和を祈念するために、大谷観音の御前立として彫刻されたものです。
戦後間もない昭和23年9月より、当時の大谷観光協会と地元の人々の熱心な後援のもとに、大谷石採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。東京芸術大学教授・飛田朝次郎が彫刻を手がけ、その指導のもと、大谷町の石工・上野波造氏らが制作にあたりました。6年の歳月を費やした結果、昭和29年12月に完成しました。昭和31年には、日光輪王寺門跡菅原大僧正により開眼供養が行われ、それ以降大谷の顔としてそびえ立っています。

 ようするに芸大教授であった飛田氏が制作した仏像をもとに大谷町の石工たちが制作したものなのだと。実際にはどのくらいの石工が作業にあたったのか、石工の代表でもあった上野波造氏を含めけっこう興味をかきたてるものがある。