シド・チャリシー死去

今朝、朝日の朝刊の社会面に死亡記事が載っていた。軽くショックだった。86歳、寿命といってしまえばそれまでなんだろうが淋しいね。ハリウッドの名花がまた散っていった。中村草田男が詠んだ「降る雪や明治は遠くなりにけり」の明治はもはや昭和に置き換えられるだろう。そして20世紀を彩ったスターがまた一つ消えたことへの感傷は、「二十世紀もまた遠くなりにけり」ということなのだろうか。

シド・チャリシーさん(米の女優、ダンサー)
米ロサンゼル・タイムズ紙(電子版)によると、17日、心臓発作のためロサンゼルスの病院で死去、86歳。50年代のハリウッド・ミュージカル映画で、スターだったフレッド・アステアジーン・ケリーらとの共演で有名。
テキサス出身、バレエ団で活躍後、40年代から女優としてミュージカル映画に出演、脚線美と躍動的なダンスで人気を博し、「アメに歌えば」(52年)でジーン・ケリー、「バンド・ワゴン」(53年)でフレッド・アステアの相手役を務めた。私生活では一度離婚後、歌手のトニー・マーティンと再婚した。(共同)

往年のハリウッド・ミュージカル女優シド・チャリシー、87歳死去 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200806180021.html
往年のMGMミュージカルスター、シド・チャリシー逝去 : 映画ニュース - 映画.com
テキサス州アマリロ生まれ。けっこう田舎の出だったんだな。アマリロといえばプロレスのドリー・ファンクを思い出す。たぶんあたり一面牧場だらけだったんだろう。
幼少の頃にポリオにかかり、そのリハビリのためにダンスを始めたとのだとか。もしもポリオにならなかったら、彼女の素晴らしいダンスパフォーマンスはなかったのかもしれないわけだ。
16歳でダンス教師ニコ・チャリシーと結婚して離婚。ずいぶんと早熟だったんだね。おそらくそのダンス教師が彼女の虜になったんでしょう。離婚後もチャリシー姓をずっとつかっていたということになるのかな。
彼女の略歴で思ったことを少しだけ書いたけど、本題は彼女がいかにファンタスティックなダンサーだったかということにつきる。「雨に歌えば」のブロードウェイ・メロディのレビューでダンサーとして出演したのが最初なのだろう。そこでジーン・ケリーの相手役として見事なダンスを披露した。その翌年には「バンド・ワゴン」でアステアの相手役を務めた。アステアとは他にも「絹の靴下」でも共演している。ジーン・ケリーとはたしか「プリガードゥン」「いつも上天気」でも共演している。ケリー、アステアという偉大なミュージカル・スターから愛されていたんだね。本当かどうかわからないけど、ケリーは「パリのアメリカ人」でも彼女を使おうとしたんのに、チャリシーは私生活を優先させるため断ったという話もある。それでレスリー・キャロンがスターになったということか。
彼女の魅力はスタイルの良さ、男たちを魅了する脚線美、そしてダイナミックなダンスということになるのかな。とにかく抜群のスタイルと長くて美しい足。身長は1メートル67センチということだけど、たぶん1940年〜50年代にあっては高いほうだったんだろう。がたいが大きくて、それでいてエレガントな部分も兼ね備えていたからスクリーンに映える。ケリー躍動的なダンスやアステアのエレガントでありながらスケールの大きいダンスの相手役としてはうってつけだった。特に50年代のMGMミュージカルがよりスケールの大きな大作化していくときにスクリーン映えする女優・ダンサーの第一人者だったんだろう、なにかそんなことを思う。
もともとバレーダンサーだったから基本がしっかりしている。そしてなによりもエレガント、清楚な雰囲気をもっていた。「雨に歌えば」のレビューシーンでは、ギャングの情婦役みたいな設定だったけど、それ以外でいえばだいたい彼女は基本清純派的な役柄が多かったようにも思う。なんかそういうタイプなんだろうな。
彼女のベストはなんだろうなと考えてみる。なんとなくだけど「絹の靴下」あたりかなとも思う。でもダンス・パフォーマンスの中では?アステアが彼女のダンスをダイナマイトと評したとかという話もあるくらいだから、躍動的なものが多いようにも思うけど、私が好きなのは断然これ。オーソドックで、なんの仕掛けや演出効果もない。ただただアステアと二人、セントラル・パークを模したセットの中で静かにコール・ポーターの名曲をバックに優雅に踊る。ミュージカル映画の傑作「バンド・ワゴン」の中でも一際印象に残るシーン。まあこんなダンス・ナンバーである。

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彼女の美しさは映画がデジタル化された今日、永遠に行き続けていくことになると思う。我々はいつでも彼女の優雅なダンス・ナンバーに会うことができる。