柳沢厚生労働省失言「女性は子どもを産む機械」

http://72.14.235.104/search?q=cache:Q5brLk6XjI8J:www.asahi.com/politics/update/0128/009.html+%E3%80%8C%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AF%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E7%94%A3%E3%82%80%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E3%80%8D%E6%9F%B3%E6%B2%A2%E5%8E%9A%E5%8A%B4%E7%9B%B8%E3%80%81%E5%B0%91%E5%AD%90%E5%8C%96%E5%B7%A1%E3%82%8A%E7%99%BA%E8%A8%80&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1
政治家としてはあまりに思慮欠く発言だ。でもつい本音が出てしまったということか。でもこういう考え方は一部の人間の女性蔑視観じゃない。きわめて一般的な女性観なんではないのかなとも実は思っている。
この発言で同じ日に安部首相がぶちあげた「少子化対策へ戦略会議」の新設が見事にかすんでしまった。新設会議のメンバーでもある厚労相がこうした女性蔑視発言をしたことで、戦略会議自体がさながらぶっ飛んだかのようだ。
http://72.14.235.104/search?q=cache:gOaiJDD8VEYJ:www.asahi.com/edu/news/TKY200701270308.html+%E5%B0%91%E5%AD%90%E5%8C%96%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%B8%E6%88%A6%E7%95%A5%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E6%96%B0%E8%A8%AD%E3%80%80%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%80%81%E5%AE%B6%E6%97%8F%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%81%AB%E9%87%8D%E7%82%B9&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp
しかしこれとても家族再生に重点という理念的なもの。さらにいえば、介護や障害者自立支援と同様、社会的なインフラ整備をすることもなく、家族再生、地域支援をうたいあげるのは、結局のところ家庭という名の個々人ににさらなる負担が増すことになるということだ。「人口減に歯止めをかけなければ税収や労働力に跳ね返る」ので家庭に「生めよ増やせよ」を求めている。それがより具体的な文言として出てきたのが柳沢氏の発言ということなんだろうと思う。
少子化という問題は国力にも関係してくる重要な問題だ。とはいえこんなことは何十年も前からわかっていたことだったはず。それに対して政府はなんらの対策も施してこなかった。問題を先送りしてきただけ。それが第一の問題。さらにいえば、少子化は女性の社会進出にも関係しているのだろうとは思う。これに対して男性社会の一般通念は一環して、子どもを作るということは女性にしか出来ないこと、だから女性は社会進出するのではなく家庭に入って育児・子育てをメインに家事を行い、家庭を守るべきだという。
そういった家庭観、子育てのイメージがずっと出来上がっているのだ。女性は実際大変だとは思うね。紀子さんの出産で沈静化したけれど、雅子さんに男子ご懐妊のプレッシャーを与え続けてきたことなんかとも同根のものでもあるし。例えばほとんど根拠のない三歳児神話がずっともっともらしく喧伝してきているのも同じ。
だからずっと女性の就職というのは、結婚するまでの腰掛だったのだろうし、寿退社後は家庭に入って、いそいそ子作りに励み、育児と家事中心にというわけだ。そうして子どもの手がかからなくなったら、家のローンとかもあるし、少しは家計を助けるためにパートとかにでるという。いや社会の就業的受け入れ状況もある意味パートぐらいしか用意されてきていなかったということもある。だからどんなに優秀な女性でも、低賃金の単純作業に甘んじてこなければならなかった。こういう枠組みがずっと続いていたんじゃないかなとも思う。
それがここ十数年の間に崩れた。この女性を家庭に縛り付けるための基盤となっていたのは、戦後日本の経済成長と終身雇用制でもあったんだと思う。右肩あがりに上昇していく男性正社員の給与には、家事労働につく奥さんの不払い労働への手当ても含まれていた。奥さんたちが家事やっていても旦那の給料で家族を養っていくというのが、女性を家庭に縛り付ける上での前提だった。それがバブル以降の低成長時代にあって崩れた。企業はグローバルスタンダードとか国際競争力とかを合言葉にこのシステムを捨て去った。終身雇用制度も右肩上がりの賃金制度もなにもかも。その結果が現在の格差社会だ。
今や男性でも非正規雇用が普通にまかり通るようになっている。もはや家族を養うどころか結婚すらでき得ない男たちが沢山いる。そして女性たちも普通に生活のために働かざるを得ない。それも非正規雇用がけっこう主流を成している。結婚しても生活のために共稼ぎをせざるを得ない状況だ。そこで子ども作ったらどうなる。女性は雇用すら覚束なくなる。保育園への送り迎えと仕事の両立。いや保育園に入るのにも待機するという状況すらある。働く女性の中には子ども二人作ったら、もう出世コースからは外れるし、へたすりゃ仕事を失いかねないという声すらあがっている。
そんな時代にどうやって子作りに励めというのだろう。子育て支援一つとってもインフラ整備がぜんぜん出来ていないのだ。うちなんかもずっと共稼ぎやってきた。雨の日も雪の日でも自転車で子どもを保育園に送っていった。お互いなんとか遣り繰りして交互に迎えにいった。会社も最初の頃はけっこうやさしくしてはくれるが、だんだんと子どもを理由にして時間外勤務とかを避けてるとけっこうなプレッシャーもかけてくる。まだ、男の場合だとなんとかなる部分もあるにはあるけど、女性はなかなかに逃げ道がない場合が多い。今思うにそういうことのストレスとかも妻の病気の遠因なのかもしれんなと思うこともあるにはある。
身近でも子ども二人以上作っている共稼ぎ家庭って、旦那か奥さんのいずれかが公務員とか奥さんが看護婦っていう場合が多い。両方民間企業っていうのは、ほとんど身近にはいない。今という時代はある種そういう時代。子どもを何人も作ってどうのという時代ではないのではないかと思う。だからこそ唯一の子ども=一人っ子にとにかく金かける。いい服、いい教育、いいおもちゃという具合だ。
そういう時代で女性に機械のように子ども作れっていうのは、およそ理念にもならないものだと思う。それに家庭再生だのどうと少子化対策のお題目唱えても、やっぱりインフラ整備、社会のあり方を変えていかなければどうにもならないと思う。
柳沢氏の問題発言。たまたま「少子化対策へ戦略会議」の新設とかぶったお陰で、安部首相の中身なき少子化対策をぶっとばしてくれたという一点で意味があったとは思う。ただしこの発言のおかげで戦略会議の中身のなさへの議論そのものが胡散したのは少しばかり残念ではあったけれど。