最後のパレード

最後のパレード 
一月以上前だろうか、朝日で全5段広告を見て購入した。ディズニー・ランドにまつわる美談、ちょっといい話を集めたものということで。まああれだけの集客があるところだ。美談、泣かせる話はいくらでもあるだろう、あっただろう、あるいはあったかもしれない。そういう意味では一種のディズニー・ランドにまつわる都市伝説みたいなもの。
とりあえずアマゾンで購入した。中身はすかすかかつお涙頂戴満載の短い文章を集めたものだったので30分くらいで読んだ。中の1〜2本ではたぶんそうなるだろうなと思っていたけど泣けた。涙腺緩みっぱなしのオッサンだからいたしかたない。そしてすぐに忘れた。うちの娘は無類のディズニー好きで、唯一の夢がTDLで仕事をしたいというくらいだから娘にあげた。娘すぐに読んだようだった。娘にしてみればディズニーネタならなんでもいいわけ。内容的にハートウォーミングだからけっこう満足しているようだった。
ところが4月21日の朝日の記事。

TDL題材の本に盗作疑惑
「最後のパレード」23万部ベストセラー

あれれ、という感じだ。盗作の内容は記事によると

問題になっているのは、同書に収録された「大きな白い温かい手」と題するエピソード。ドナルドダックが障害を持つ夫を励ましてくれたという内容で、2004年、社団法人「小さな親切」運動本部が主催したはがきキャンペーンに大分県在住の女性が応募した作品「あひるさん、ありがとう」に酷似している。女性の文章は日本郵政公社総裁賞を受賞、河出書房新社発行の「涙がでるほどいい話 題10集」にも収録されている。
同法人では「女性からは対応を一任されている。顧問弁護士と相談して、今後の対応を練りたい」という。一方、「最後のパレード」の発行元は「数多くの書き込みがインターネット上にあり、すでに誰もが知っている話だという著者の判断があり、掲載させていただいた。『盗用』ではない」というが、「大分の女性、社団法人に対して誠意を持って対応させていただきたい」としている。

なんというか「がっかりだよ」という感じだ。「数多くの書き込みがインターネット上にあり、すでに誰もが知っている話だという著者の判断」というが、この著者はTDLに15年勤務し現場運営の責任者を勤めてきたというのが経歴上のふれこみである。そういう著者が前書きでこう書いているのである。

東京ディズニーランドのキャストだけが知っている秘密のストーリーがあります。それはパークの中で実際に起こった心温まる出来事です。社長を含むすべてのキャストたちがそのストーリーを共有し、そこから人を思いやることの本当の意味を学びます。そして自分たちが”ディズニー”という偉大な存在の一部であることを再確認するのです。

「キャストだけが知っている秘密のストーリー」がインターネットに書き込まれた「すでに誰もが知っている話」だという。もうこのへんからして詐欺っぽいと感じた。
実際この件に関してはネットで検索すると、もう出るわ出るわという感じでそこら中で祭りになっている。いやもう今日現在ではどちらかというとすべてが旧聞になりつつある、ある意味終わっているとすらいえる。その中で一応ググっていくと、まずはアマゾンのレビューがほぼ炎上状態になっている。
Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 最後のパレード
 そしてそのレビュー内容を読んでいくと、どうも盗作記事はまず読売から発しているようなのである。なんでも例の「あひるさんありがとう」の文章は読売に掲載されたものだったようなのだ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090419-OYT1T00854.htm
それに対して著者が逆ギレして読売批判を自分のブログでぶちあげたらしい。しかしその内容があまりにも品性を欠いたものだったので、自らエントリーを削除している。そのへんのことは以下のブログに詳しい。そこにも魚拓があるというので、一応そのキャッシュを貼ってみる。確かにひどい内容だな。
http://majilife.seesaa.net/article/118040701.html
【魚拓】読売新聞、日本テレビを提訴します
いろいろググってみると本書の内容はその「あひるさん」だけでなく、ネット上の書き込み、特に2ちゃんの遊園地板等に書き込みされたものを
無断で引用というか、無断で掲載しているのである。著者的には巻末の参考文献の部分の末尾で以下のことわり書きを入れることですべての免罪符を得ているらしいのだが。

本書を執筆するにあたって、以上の書籍、また多くのディズニーランド関係資料、元ディズニーランド関係者の方々、関連サイトの情報を参考にさせていただきました。
この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。

ディズニーランドで長く働いていた著者であれば、著作権に関しては相当な知識を当然持っているであろうと思う。ディズニーが著作権に関してはとてつもなくうるさい会社だからだ。そのうえでいいますが、関連サイトの情報を参考にしたということわりだけでは駄目です。引用した場合は出典を明示しなければいけないし、基本的に著作権者の了解が必要になる。だから無断引用などもっての他なのである。ネットの書き込みについても著作権が認められるという判例も出ているくらいなのであるからだ。
ネット掲示板書き込みにも著作権!)!)東京地裁が初判断 | 日経クロステック(xTECH)
 なんというかディズニーランドという夢の世界というか、とりあえず非日常的な場所で俗世を一瞬でも忘れたいとか、子どもの頃の純な気持ちに一時でも戻りたいとか、まあそういう思い出で子どもともども年に数回でかけている者としては正直がっかりな気持ちだ。子どもにこの本の顛末のことはちょっと話せないなとも思う。
この本の著者もなんというか、TDLに勤務した経験でとにかく飯食っていこうという邪な部分がありありな感じもする。まあいってしまえばディズニーゴロっていう感じかな。まあ毎年過去最高利益をあげるような超優良企業だし、金の成る木なわけだから、周辺にはこの手のゴロがけっこういるのだろうなという気もする。「TDL勤務○○年、その成功のノウハウをビジネスモデルとして提供します」みたいな感じかな。
この中村克という人、ブログでは自らマスコミからいわれなき非難を受けている者として民主党小沢一郎に対する共鳴、共感とかを展開しているけど、こりゃ小沢としても大きな迷惑だとは思う。
http://rondan.tv/2009/04/27/%E6%80%9D%E3%81%84%E3%82%84%E3%82%8A%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%92%E5%89%B5%E9%80%A0%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E%E3%82%92%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AB/
小沢もいくら国策捜査で、微罪での摘発だとしてもとりあえず秘書が逮捕されるようなネタしょっていたのだから、次期首相候補の筆頭だった野党党首としての公人部分での責任は相当に重いとは思うわけで、それを思うと早く辞めてもらいたいとは思う。そうでないと中村克のような小悪の輩がどんどんお仲間みたいな顔してくる。それは選挙による政権交代という日本政治史上の最重要問題が実現するかどうか、そういうメインテーマに対して悪しき影響を与え続けると、話はどんどん脱線してしまう。
この本については正直がっかりである。ただしこの本で紹介されたお涙頂戴的なお話の数々については最初にも書いたけれど、TDLにまつわる都市伝説的美談としては受け入れようと思う。あそこに行って楽しい気持ちで一日を過ごした何千万という人々の気持ちの集約というか、ある種の幸福の共同幻想を抱く場所なのだから。
たとえTDLオリエンタルランドの本質がトコトン金儲け主義みたいなものであっても、実際そうかもしれないけど、少年時代にディズニーのアニメやテレビ放映されたディズニーランドの番組で人格形成した人間の一人としてはディズニーランドに対するある種の信仰というか妄信みたいなものはある、それはたぶん揺らがないのだよ。長嶋茂雄が好きな野球少年に悪い奴がいないように(本当か!?)、ディズニーランドが好きな子どもはみんな良い子であると(???)、まあちょっとはそういう思いでいたい。実際親は別だけど、あそこにいる子どもたちはみんな良い顔していると思うものな。
ただし表の顔もあれば裏の顔もある。ディズニーランドにだって光と影みたいな部分はいくらでもある。元TDL勤務15年のキャリアで商売をする中村克のような人物もある意味影の部分なんだろう。たぶんオリエンタルランドの本質は主役はディズニーのキャラクターや施設だから、社員は黒子に徹するみたいなことなんだろう。だから元社員がそのキャリアで本出したりするのはあんまり嬉しくないのだろう。まあだからこそ元社員なんだろう。
この本で中村はこう語る。

ウォルト・ディズニーがディズニーランドに求めたものは、お客たち全員が映画の世界に入り込み、その中で一緒に感動を作り上げていくことだった。
だからここではお客様をゲスト(招待者)と呼び、従業員をキャスト(出演者)と呼ぶ。
ディスニーランドは永遠に完成しない。そこは新しい感動を創り続ける空間であり、キャストたちはその機会を捜し求め、つねに心を配り続けている。

お客に感動を与えるために用意周到かつ万人向けの様々な対応マニュアルが作成され実演されている。たぶんそういうことなんだろうな。均質的な笑顔と均質的な親切心、まあそういうことなんだろう。
この前訪れたディズニーシーでこんなことがあった。あるレビュー形式のアトラクションに娘と車椅子の妻が先に行っていた。私はたぶんトイレかなにかで後から行ってみると、キャストから妻と娘はこんな説明を受けていた。
「車椅子の方の優先スペースは用意してありますが、その場合後ろの方になります。もし前の方でご覧になりたい場合は、車椅子を降りて他の方と一緒に歩いて席までいってもらいます。ただしこの場合でも前の方に座れない場合もございますので、ご了承のほどお願いいたします」
なんともマニュアル通りの対応である。車椅子で観るなら後ろのほうで観てくれ。前で観たいなら他の人と同じ対応になるけど、必ず前で観れるわけでもないよと。世界のルールである蓋然性にもとずいた見事な説明である。車椅子だし、後ろでいいと思ったのだが、最初に説明を受けて前でもみれるかもしれないという部分に反応してしまった娘が後ろは嫌だという。二律背反である。それで私は困ってしまい、時間も時間だったので(8時近かっただろうか)、今回はパスしようということにした。
すると説明したキャストはそれでは困ります。できればお客様にぜひショーを楽しんでもらいたいからと食い下がってくる。でも子どもは前で観たいといっている。でも車椅子だからそういうわけにはいかないでしょうからと断ってそこから離れようとする。
「ぜひショーを楽しんでもらいたいんです。上司に話してきますので、なんとか」と真剣である。
 私はそこでそのキャストの名札を見て名前を呼びながらこういった。
「○○さん、あなたの熱意はわかりました。でも今日は時間も時間だし、一番前で観たいという子どもの気持ちと、車椅子の母親を連れていてそれが難しいという部分を子どもに理解させることが短い時間にできそうにもないので、今回は断念します。でもあなたの対応は悪くないですから」
でも正直にいうとこのキャストの対応には一点だけ欠けている部分があったと思う。それは前の方であれ後ろの方であれ、ショーは十分楽しめるということを自信をもって説明しなければいけなかった。前で観れるかもしれないし、観れないかもしれないという蓋然性を超越した部分でショーを楽しんでいただくということが実は対応マニュアルの中にはあったはずなのではないかと思う。たぶんにまだ日の浅いアルバイトなのだと思う。それでもなんとかお客がディズニーの施設の中でがっかりした気分を抱くことがないようにと、その熱意だけは汲み取れるそういう対応だった。
でも、ショーが観れない娘は、やっぱりどこかで車椅子の母親の存在についての悲しい思いを感じたかもしれない。私は朝からずっと車椅子を押していたし、けっこう疲れていたし、正直どうでもいいという気分もあった。でも、家族全員がショーを観れないことで小さな失望感を抱いたことは事実だ。そういう小さな失望感なんていうのも実はディズニーランドの中にはごろごろと転がってはいるのだとは思う。端的にいえば楽しみにしていたアトラクションが調整中でやっていないとか、とにかく待ち時間が半端じゃなくて断念せざるを得ないとか、その他もろもろである。
誰もが幸せな気分になれる場所、感動を与えられる場所、そんな言葉を100%真実だと思っているわけではない。でも出来ればあの非日常的空間世界については、出来れば光の部分だけを見ていたいと思う。今回の本の盗作疑惑のような陰の部分はみたくない。