出産難民!?

朝日の社説に「産める場所はどこに」という産科の減少を憂う論説があった。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1(5/21日付3面)
人口23万の自治体で出産できるのは診療所1ケ所のみという草加市の例は尋常でないものを想起させる。もちろん私立の産科医院が幾つかあるのだろう。試みに検索すると以下のようにヒットする。
http://women.benesse.ne.jp/kensaku/obstetrics_and_gynecology/saitama/sokashi/s21.html&reportMask=0&pageNum=1
http://www.cocokarada.jp/hospital/24/saitama/221/index.html
社説の内容はおそらく草加市の市民病院で出産できなくなったという事実をあげたものなのだろう。でも読み方によっては草加市で分娩できる病院がないと勘違いされかねないとも思った。しかし草加市の事情についてはかなり深刻なものもあるようだ。
http://ugaya.com/column/060425fujinkoron.html
しかし由々しき事態だと思う。産科、婦人科の減少は総体としては少子高齢化の流れに沿ったものなだろうか。だとすれば少子化対策が叫ばれる中、国はきちんとした対策をたてる必要があるだろう。今の世の中、安心して子育てができない、特に仕事をもった女性は子育てか仕事かの選択を余儀なくされるようになっている。そんな産まれてから以前の問題として、産む時にも安心して子どもを産む場所がないという事態はとんでもないことだと思う。
社説では産科、産婦人科の減少の理由を明確に記している。

理由は、はっきりしている。激務に耐えかねて辞める医師が多いうえ、産婦人科を志す若い医師が減っているからだ。
出産は昼夜の別なく対応が迫られ、当直が多い。母子の命にかかわることもあり、他の診療科に比べて訴訟が多い。なのに、負担に見合った報酬がない。

ようは、産婦人科は収入とコスト面から経済的に成り立たないということなのだろう。これも規制緩和やら市場原理導入のつけなのか。そのそも医療という国民の健康を司る仕事にに市場原理導入していくとどうなるのかという問題。国の福祉政策との兼ね合い。なにかいろいろのことを考えざるを得ない。
小泉流改革路線の流れで導き出すとすれば、ようは出産も自己責任ということか。安心して子どもを産む環境も個人が自己責任、自己負担で探せばよいということなのだろう。経済格差を助長する世の中だ。お金をかければいくらでも安心な病院を探すことができるだろう。
社説では産婦人科医の不足の一因が女医の割合が高いことにもあると説明している。

産婦人科医に女性の割合が高いことも不足の一因になっている。現状では自身の家庭生活と両立させることがむずかしく、職場を去る人が後を絶たない。
彼女らに復帰してもらえるよう研修や子育て支援を充実させたい。一定の報酬を保障したうえで、複数で仕事を分け合う勤務態勢を工夫できないものか。

結局、女医さんの世界も仕事と子育てやら家事労働が両立できない仕組みになっているということなのだ。女医さんは収入もそこそこあるだろう。だから子育てのコストに金がかけられないということじゃないはずだ。ようは絶対量としての仕事が子育てとの両立を不可能にさせているということなのだ。
結局、この国の子育て支援等への無策、少子化への対応不足が、医療現場でも顕著に現れているということなわけだ。
それにしても「出産難民」という言葉のもつインパクトは大きい。たぶん日本では、出産と死という人生の最初と終わりを家庭ではなく病院という医療施設で体験することになっている。戦後以降はずっとそうではないかと思う。それががらがらと崩れつつあるということなんだろうか。その先にはなにがあるのだろう。
ちなみに同じ埼玉でも、ふじみ野あたりは若い世代の人口が多いようで、幾つかの近隣産科医院もけっこう繁盛しているようではある。ただし元々市立病院すらない医療事情もある。