アメリカ大統領選のもう一つの側面

 民主党の候補者はオバマが連勝を続けて、ついにヒラリー・クリントンを上回る勢いになりつつあるようだ。民主党の候補者がアフリカ系アメリカ人になるのか、それとも白人女性になるのか、この究極の選択はたしかにアメリカ合衆国がいよいよもって変化をとげてきたことの現れのようにも思える。しかしだ、本当にそうか、という思いにもとらわれる。アメリカはそんなにも変貌を遂げたのかい、人種問題をこうも易々と乗り越えることができたのだろうか。あるいは性差、社会的性差としてのジェンダーにかくも寛容になりえているのだろうか、どうにもそのへんを疑問に思いつつ、時々にニュースをつらつら横目で眺めているのだ。
 人種問題やジェンダーの視点から今回の大統領選挙を分析するような論説はないのだろうかとぐぐってみるとありました。以下のようなサイトです。
 '08 大統領選 RACE 選挙と人種が映すアメリ
フェミニズムの白い顔
'08 大統領選 RACE 選挙と人種が映すアメリカ フェミニズムの「白い」顔
これはまさしく私がこのへんに実は問題があるんじゃないのかな〜と漠然と考えていたテーマを見事に言い表している。

◆ 「もしもオバマが女だったら」 ◆
スタイネムは、アメリカの近代女性解放運動の中心的存在だった白人女性だ。72年にフェミニスト雑誌「Ms(ミズ)」を創刊。今も著書はベストセラーになる影響力を持つ。そのスタイネムが8日朝、NYタイムズの社説欄にこんな論説を寄せた。「Women are never front-runners(女性は決して先頭走者にはなれない)」。
 圧倒的な知名度でレースを独走してきた「フロントランナー」ヒラリーが、アイオワオバマに逆転され、エドワーズにも抜かれて3位に転落。7日、有権者との会で見せた「涙」をめぐって、男性中心のメディアが醜いバッシングを続ける中、スタイネムがヒラリーに「女性として」贈るエールだった。
 人種(レイス)問題ばかりが注目されるが、アメリカ社会を最も強く縛り付けているのはジェンダー(性)差別ではないか、とスタイネムは言う。アメリカが受け入れる「変化」の順番は、人種が先でジェンダーが後。その良い例として「黒人男性は、どの人種の女性より50年も早く投票権を与えられた」。オバマが白人男性から支持されるのは、「黒人」ではあっても「男性」だからだ、とスタイネムは主張する。
 もしもオバマが女だったら……? スタイネムは問いかける。「地域のために活動して弁護士になり、同じ弁護士と結婚して2人の女の子を産んだ。母は白人で父はアフリカの黒人。州議員を8年務めただけで国民の融和のシンボルになったーー。正直に言ってください。この履歴書で、あなたはこの女性が上院議員になれると思いますか? 上院の1期も終えないうちに大統領候補になれると思いますか? この人がバラク・オバマではなく、仮にアコラ・オバマという名の女性だったら? あなたは彼女が世界最強の国アメリカの大統領になれると、本気で信じますか?」

 男のオバマに比べて、ヒラリーの経験や好ましさ(likability)は女であるが故に公平に評価されない、というのが論説の骨子だった。

 人種差別よりも性差別のほうが実は根が深い、それがそのままヒラリーよりもオバマが優位に立ち始めた民主党予備選の結果となって現れているのではないか、なんとなく私もそんな気がしていた。人種問題はたかだか数百年のことでしかないけど、性差別はある意味有史以来面々と続いてきているのである。
 以前、私が親しくしていてかつ尊敬していた、とても有能な女性と酒を飲んでいるときに私は彼女を激励する意味でこんなことを言ったことがある。
 「君が仕事ができることはみんな認めている。でも君が男性社会の中でトップにのし上がるためには、たぶん男の何十倍も頑張ってやっていくしきゃないんだと思う。男性中心の社会はゆうに二千年続いてきたんだから。君はそういうものと戦っていかなくちゃいけないだよね、きっと」
 酔っ払っていたとはいえ、いい気なもんだとは思う。でもねある意味真実そういうことなんじゃないのかなとは今でも思う。
引用したサイトの記事の中で紹介されているグロリア・スタイネム女史の指摘はきわめてストレートかつ的確だ。
オバマが白人男性から支持されるのは、「黒人」ではあっても「男性」だからだ」
 まさしくそのとおりなのだろう。ちなみにスタイネムってどういう人なんだろうというと、アメリカの著名なフェミニズムの活動家にして、あの雑誌「Ms」を創刊した人なのだとか。
 くわしくはウィキペディアを参照してくださいな。
グロリア・スタイネム - Wikipedia
 白人男性からすれば、ヒラリー・クリントンよりもとりあえず黒人とはいえ男性であるバラク・オバマ氏を支持するというのは、まさにそのとおりなのだろう。『ジャイアンツ』というテキサスを舞台にした映画があった。あの中で油田長者たちの旦那衆が食事後に政治のことを話し合っている。奥さん連中は別に集まって編み物をしたりゴシップ記事のようなことを中心に話をしている。ロック・ハドソン扮する金持ちの旦那と結婚したエリザベス・テイラー(彼女は東部からやってきたリベラルな考えをもっている)がそのまま男たちの会話に加わろうとして、やんわり排除される。<女は政治に口をはさむな>という暗黙のルールがそこに存在している。
 アメリカ社会は長くそういう形でやってきたのだ。20世紀以後、男女平等が徹底化されてきたとはいえ、まだまだ底流にはしっかり男社会が根付いている。それは声高々に語られることはないにしろ、男性有権者の意識の中で無意識にだんだんと頭をもたげてくるのではないかと、どうにもそんな気がするのだ。
 とはいえ一方の人種問題は見事にクリアされたのかどうか。それは今後のバラクフセインオバマの活躍如何にかかっているのかもしれない。彼が民主党候補者の地位を確立し、本選において共和党のマケインを破ってホワイトハウスに君臨することになったとき、はじめてクリアされるのかというと、いや実はそこがたぶんスタートになるのだろうと思う。バラクホワイトハウスの主になってからも茨の道を歩むことになるだろう。人種問題もまた相当に根深い。アメリカにとっては社会的な病の一つなのだからだ。
 しかしアメリカ南部の旦那衆にとって今回の民主党予備選ほど面白くない選挙はないのではないかと思う。彼らは心中、苦虫をかみつぶして眺めている。「ガッデム、女とニガーしか選択肢がないっていうのか」そんなことを言い合いながら、まずい酒を飲みポーカーあたりを興じているんじゃないのか。
 今回の大統領選は普通に考えれば民主党が勝つはずだった。共和党政権が二期続いている。それもブッシュ王朝がだ。アメリカ人のバランス感覚からいっても間違いなく次ぎは民主党のはずだ。しかしその鉄板であるはずの候補者がニガーか女なのである。どっちが勝っても本選はかなりの接戦になるような気がする。へたすると共和党がふたたび勝つ可能性も十分にありそうだ。そう、71歳のマケインがだ。アメリカという国の保守的土壌からすればそれは十分考えられることではないのかな。
 こういう状況になってくると、たぶんノーベル賞受賞者であるゴア氏あたりは、実は立候補しなかったことについて忸怩たる思いでいるのではないかと、そんなことを想像してしまう。
 民主党オバマになるのか、ヒラリーになるのか、そして本選でマケインとの勝負はどうなるのか。黒人と女と老人の戦い。最後は突然の結末が用意されてしまうのではないかという不吉な予感さえしないでもない、そう銃声によってだ。