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いつかこの訃報を目にすることになるだろうと日々思いながら過ごしてきた。それが現実になってしまったということ。私にとって新作が出れば必ず読むという作家はこの人と村上春樹の二人だけ。かけがえのない二人のうちの一人が永遠に失われてしまった。すでに1998年に最後の長編『タイムクエイク』を発表して以来、こと長編小説については断筆してしまっていたから、彼の新しい長編を読むという愉しみは失われていた。でも、改めて思う。もう和田誠の装丁による楽しい表紙、早川書房刊のあの楽しい新刊を手にとり、頁をむさぼるようにして読むことの快楽が永遠に失われてしまったということを。
単なる小説家としてだけでなく、様々な意味で自分の人生に影響を与えてくれた人だった。この心優しきシニカルなペシミストのメインテーマは人間の様々な営み、思想、造詣、その他もろもろが総て戦争に、核爆弾に、大量虐殺につながっているということへの絶望だった。それを超えるための想像力は方法論としてのSFであり、あるいはより身近なものへの優しい眼差しでもあった。
「どうか---愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」
「愛は敗れても、親切は勝つ」
それは絶望の淵にあってヴォネガットが見出した生きるうえでの糧でもあった。おそらく『チャンピオンたちの朝食』という暗いテーマの小説を書き上げたヴォネガットは自殺の一歩手前までいくほど精神が追い詰められていたのだろう。死の淵からの帰還ともいうべき、自己快癒的な小説『スラップ・スティック』においてヴォネガットは拡大家族と身近なものへの思いやり的精神を見出したんだと思う。そしてその小説を偶然書店で手にとることから私のヴォネガットとの関わりは始まった。本の奥付にある昭和54年(1979年)のこと、私がまだ学生だった頃のことだ。その後『スロータハウス5』や『タイタンの妖女』『プレイヤー
・ピアノ』と遡上していった。既刊書を総て読んだ頃から数年に一度発表される新作を心待ちにした。ある時期には翻訳を待ちわびて原書まで購入した。ろくに読めもしないのに。
人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた、『だけどもう、それだけじゃ足りないんだ』
二十世紀のジェノサイドを経験した我々の想像力を喚起するためには、SFの手法が必要だという方法論をこんな風に宣言してみせたヴォネガット。寓意とあふれるユーモア、絶望と優しさを同居させた彼の作品を、新作を読むことが永遠に失われてしまったことに、ただただおろおろとするだけの一読者、それが今の私だ。いつかつきつけられるだろうその現実がやってきた時に、やっぱりそうなるだろうと思ったとおりうろたえている。この作家の死という事実で今思うことはそれだけだ。
それにしても朝日を初め主要なニュースでヴォネガットではなく、ボネガットと表記されるという事実にも、ややもすればこの作家がもはや過去の人となってしまったということを改めて認識させられてしまう。作家にとって10年の断筆の後の死とは、そういうものなのだろう。
この偉大な作家の死をしめくくるのは、この人が『スロータハウス5』で90回近くも繰り返し使った一つの言葉しかあるまい。
So it goes.
そういうものだ