江川坦庵

初日は沼津から韮崎に入り、最初に訪ねたのが江川邸である。この江川は伊豆韮山代官を代々勤める江川太郎左衛門のことである。
江川太郎左衛門 - Wikipedia
なのだが一般的には韮山代官江川太郎左衛門といえば幕末に活躍した36代当主江川英龍(号は坦庵)のことを指すようである。実際江川邸でもメインで紹介されていたのはこの江川英龍のことだった。まあそれらについては、以下の江川邸のHPが詳しいし、とても勉強になる。
重要文化財 江川邸
まあ早い話が幕末の幕府高官の一人であり、開明的な人物でペリー来航前後にとても活躍した人なのである。そしてなによりもあのフジテレビで有名なお台場の砲台を築いた人物である。お台場のフジテレビの13階にはこの人の銅像があるというのは真っ赤なウソである。
江川英龍 - Wikipedia
別に幕末時代劇ファンでも司馬遼太郎の愛読者でもない私がなぜこの人物を知っているか、さらにはその縁の地を訪れてみようかと思ったのは、以前にも書いたことがあるが幕末大河歴史コミック「風雲児たち」を愛読しているからである。
風雲児たち: ワイド版 (第1巻) (SPコミックス)
風雲児たち - Wikipedia  Operations Automation Default Page
ちなみにこのコミックの中で江川坦庵はこんな風に描かれている。
ちなみに画家でもあった坦庵の自画像はこのようになっている。なかなか特徴をきっちり出しているとは思いませんかね。

このコミックのおかけで江川坦庵の事跡のあらましを知っていた。幕末期の幕府の官僚でありながら、西洋砲術の研究から大砲の材料として良質な鉄を得るために反射炉溶鉱炉を設計制作してみたり、ペリー来航で急遽砲台の築造を命じられて、わずか半年余りで人工島と砲台を築造したこと。陣中食としてのパンの研究と実際に製造するなど。新しい知識をどんどん摂取してそれを実行させた極めて有能な人物なのである。
こういう人物を誰かがとりあげて歴史小説にすればよいと思うのだが、どうだろうね。だいたい坂本竜馬があれだけ国民的英雄になったのもほとんどが司馬遼太郎のお陰だろうし。豊臣秀吉あたりだって吉川英治太閤記があってこそでしょう。誰かが歴史小説でスポットライトをあてて、それがそこそこに売れれば歴史的偉人が出来上がるというのがある種の仕組みのようにも思うのだけど。
私なんぞが江川坦庵に入れ込むのも結局は源太郎の「風雲児たち」があってこそなんだとは思う。
さて江川邸はというとこんな感じである。

なかなか雰囲気のあるお邸である。なんでも例のNHK大河ドラマ篤姫」のロケにも使われたとかで、あちこちに「篤姫」のポスターが張り出されていた。
屋内には様々な文書(もんじょというのかな)が陳列してあり、邸の奥には初期の頃の江川塾を再現した座敷もあった。まあさほど面白いものではない。歴史好き、幕末ファンとかでないとかなり退屈ものだろうとは思った。私はというと、けっこうこの雰囲気嫌いじゃなかった。まあそれなりに基礎知識を持った人物の邸ということもあるのだろうけど。
次に訪れたのが例の反射炉である。
http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/syakai/bunkazai/hansyaro.jsp
反射炉 - Wikipedia
まあ詳しい構造とかそのへんはとんと門外漢だけど、150年以上も前に当時としては最新技術を取り入れて築造された溶鉱炉である。それがそのまま現存していることに幾ばくかの感動さえ覚える。当時の開明的な日本人たちもけっこうやるではないかと思わせるだけの中々に立派な異形な構造物であると思う。

ここではみやげ物屋で江川坦庵が実際に作ったものをほぼ同様とされるパン祖なるものを販売していた。試食してみると味もそっけもない乾パンなんだが、まあある種の記念にもなるかと思い購入してみた。でも絶対これは家帰っても食さないだろうという自信はあるな。うまいものじゃない。