「おくりびと」を観た

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http://www.okuribito.jp/statics/introduction.html
といっても23日のこと。例によって家族三人でワカバウォークで観た。本当は「幸福の1ページ」を観にいったのだが、家を出るのがちょい遅くなり、タッチの差で本編始まってしまったのでそれじゃ一番近い時間にやるのはということでこの映画になった。
ここ最近は毎週のようにワカバウォークシネコンに足を運んでいるので、この映画がかなりヒットしているらしいということは知っていた。休日の日中の時間帯で満席になることが多かったから。それでは映画の内容はというとほとんど知識がなく、ポスターなどからモックンがでる葬儀屋さんのことを描いた映画だろうかくらいの印象を持っていただけ。葬儀だから人の死がた
くさんでてくるだろうから、ちょっと重々しい映画かなとか、あるいはかっての伊丹十三の映画のように宗教儀式を面白おかしく描いていくようなその手の映画かなと思ったくらいだ。
会社でも映画好きの女の子たちが観たけど良かったみたいなことを言っていたし、妻も週二で通っているデイケアのPTの療法士からいい映画だと聞いたとかで、そこそこ周囲からも評判の良い映画と聞くことが多かったわけ。今回もこの映画にしようと強く押したのは妻で、私はという
とちょっと小学生の娘には退屈かもしれないし、いっそもう一時間待って「ハンコック」の日本語吹替版でもみるかみたいな感もあった。でも結局、娘もこの映画でいいというので観ることにした。
感想は・・・・・、たいへん面白かった。おくりびととは納棺師という職業のこと。ようは遺体に死に装束、死化粧を施し棺に納めることを専門にしている人たちである。これがとても厳かな儀式めいていて、映画の中で山崎務や本木雅弘が優雅に美しく演じている。なるほどこういう儀式があり、こういう職業があるのだということがまず好奇心をかきたてる。映画にはこういう人の目に普通触れることのない人々の生活や職業やらを映像化して見せるという役割もあるのだなと思
う。いや映画はその初期にあってはこういうことが第一義の役割だったんじゃないかなとも思わないわけではない。マス・メディアがほとんどない、普及していない時代には、情報はほとんどが活字によって流通し、消費されていた。昔の小説が地方、外国とかの風土とか景色、風景、人々の生活とかに長々とページをさいて描写することが多いのはそういう役割も担っていたからとかいうのを、確かメルヴィルの「白鯨」の解説を読んで知った。
小説にしてそうなのだから、映像で実際の姿を映し出す映画には、観客はよりそういう要素を求めていたんじゃないかと。その名残もあって映画にはけっこうこういうふだん我々が見聞きしえない世界をけっこうくわしく描写するようなものが多かったりもする。
それにしてもこの納棺師という仕事はなかなかに興味深い。どんなことをやっているかというと、それはまあこの映画を観れば一目瞭然なんだけど、ネットをググっていたらこういうのを探せた。
http://www.noukan.jp/yukan.html
しかし私なんぞは自分の父親や祖母の葬儀を実際に経験しているけれど、このような儀式はなかったな。清拭や死化粧はだいたい病院で看護師さんにやっていただいた。死装束にはどうやって着替えたのかとか、納棺はどうだったのかはほとんど憶えていない。なんとなく葬儀屋さんがやってくれたような気がする。納棺は一緒シーツだかなんかを持ってとやったような気もする。
ただね、この映画にあるように遺体を、故人の死を悲しみながら送る、葬送という荘厳な気持ちなどあまり抱いていられないのだよね、実は。というのは葬儀という儀式をスムーズに行うために、葬儀屋からスケジュールを示されて、それをとにかく消化していわれるままに進んでいくと。「今度はこれをやってください」「次はこれをどうしますか」みたいなことの連続だから、後になるともうほとんど空白というか、何をどうやったのかすら憶えていない。だからこの映画にあるような粛々と故人の死と対峙して、悲しみに包まれるみたいなことがないのではとも思うわけだ。まあそういう部分を伊丹十三の「お葬式」という映画はきわめて端的に表していたような気もするな。
だからこの納棺師による納棺の儀というのは、おそらく葬儀におけるオプションの一つなんじゃないかなとも思う。さらにいえば地方でより一般的な儀式なのかもしれない。都内で葬儀を行う場合はたいてい斎場でということになる。そうなると一日に幾つかの葬儀が重なる場合とかもあるのでは時間刻みのスケジュールになるし、まあ端折れるところは端折るだろう。まして座敷ではなくホール型の斎場では納棺の儀はあまりしっくりこない。そう、納棺の儀には広いお座敷が必要なので、必然地方に限定されるみたいなこともあるのではと思うわけだ。もっとも映画の中で一度だけ教会の中で納棺が行われる場面があったから、もちろん教会とか斎場のホールとかでもできないことはないのだろう。
映画については申し分のない良質の佳作といったところか。ストーリーも破綻なく進む。途中、若干のダレがないわけではなかった。元チェロ弾きという設定でモックンが山形の美しい風景をバックにチェロを弾くシーンが何度か挿入される。久石譲の音楽も荘厳でとても美しい。このシーンは季節の移り変わりと、納棺師としてのモックンの成長を省略的に表現しているんだろう。よくあるスクリーンプロセスの一つなんだが、ちょっともったりしていて私なんかはこのへんに若干のダレを感じた。なんていうのだろう、ちょっと多用し過ぎかなという印象だ。
ちなみに久石譲の名はクインシー・ジョーンズに由来するのだとか。プロの音楽家をめざすため学生時代好きだったクインシーの名をとったという。意外というか、ちょっと微笑ましい話だ。私が知っている限りでは久石の音楽にクインシーの影響というか、片鱗みたいなものはほとんど感じられないけど、若い時には例の「チャッ、チャチャンチャ、チャッ・チャ〜ン」みたいなブラスセクションのアレンジとか取り入れていた時期もあったんだろうか。
久石譲 - Wikipedia
役者はモックンの演技が素晴らしい。一番最初オーケストラの一員として演奏した後は、楽団のホームページ作りましょうみたいな感じでやや軽薄な若者風の印象だったのだけど、その後は複雑な家庭環境に育ったなごりか、やや暗めな優しい男をうまく演じている。就職面接で納棺の仕事と説明された後の困った表情や、時々見せる眉間に皺を寄せた陰鬱な表情には、元アイドルのカッコよさとは無縁の役者の顔があると思った。
脇を固める役者さんたちもみんなうまい。唯一、うん(?)と思うのはモックンの妻役の広末涼子。悪くはないのだけど、30代後半と思われるモックンの嫁さん役としては少し若すぎる、キャピキャピし過ぎるかなという気もする。なんとなく映画の流れ、雰囲気から少しだけ浮いている存在だ。この映画を観た会社の女の子たちも(といってもみんな30代後半なんだけどさあ)みんな口を揃えて広末はミス・キャストと言っていた。
実際、HPのプロダクション・ノートにもモックンの妻役がなかなか決まらず、広末に決まったために多少設定変更が行われたという記述もある。ここでは絶妙なキャスティングとなっていたけど、「絶妙」=?!という感じもしないでもないな。

◎絶妙のキャスティング
キャスティングは本木雅弘が主演を、佐々木社長役は脚本を読んだ山恕W努が快諾。
一方、難航したのは妻の美香役。もともと脚本では主演の本木の年令に合わせて30代後半の女優を想定していたのだが、どうにもぴったりの人材が見つからない。そのとき滝田監督が間瀬プロデューサーに「あなたが製作するんだから、奥さんはヒロスエでしょう」とピシャリ(*間瀬と滝田がコンビを組んだ『秘密』で広末は、妻役を演じている)。目から鱗の落ちるアイデアではあったが、当初設定していた夫婦の年齢のバランスが崩れてしまう。そこで脚本の設定を、一流のチェリストを目指す男に憧れて結婚した30歳前後の女性という風に変更。これが初稿から最も大きく改変した箇所となったが、映画を観ていただければおわかりのように、この二人が並んでもさほど歳の差を感じさせない瑞々しい夫婦に映ってしまうのは、嬉しい誤算というべきか。

私は多少引っかかりはあるにはあったけど、広末が完全にミス・キャストとは思ってはいない。まあ可愛いし奥さん役でいいじゃないとも思った。本当に可愛いもの。ただリアリズムの追求なんだろうか、この役柄ではわりと化粧が薄い、すっぴん風な感じで、アップになるとあんまり顔綺麗じゃないな〜みたいなこともちょこっと思った。美人女優をこういう風に撮ることには少しだけ抵抗がある。まあいいよ広末は可愛いから、ってしつこいか。基本的にこの娘嫌いじゃないのね。この前DVDで「バブルへGO」観たけど、けっこう楽しめたし。
この映画今年観た映画の中ではかなり上位に入るな。邦画としてはこの映画か「パコ」のどちらかがベストかもしれないな。ただより映画的というか、映画文法駆使した「パコ」のほうに軍配があがるかな。泣きの部分というか、うるうる度合いででも「パコ」のほうが上だったしな。まあ広末よりもアヤカ・ウイルソンのほうが圧倒的に可愛いという部分ももちろんある。結局最後はそういう部分ね。
最後に娘の感想はというと、「けっこう面白かった」とのこと。テーマは人の生き死にと重いけれど、映画自体のタッチは軽く、随所で笑える部分がたくさんあったのも良かったみたいだ。ただ、初めてモックンが遺体、それも一人暮らしで死後一週間くらいで見つかったという腐乱死体の納棺を手伝った後のシーン。夕食にたまたま捌いたばかりの鳥が出たためか、いきなり嘔吐に襲われる。それから救いを求めるように広末の体を求めるというシーン。ストーリー展開としてはけっこう重要なシーンなんだけど、小学生の娘と一緒に観ているとかなりきまずい。私的には心中かなり穏やかじゃないのだが、娘はどうなんだろう。いろいろと情報が氾濫しているし、こういうシーンも普通にやり過ごせるんだろうかなと、まあこれはオヤジの想像だけど。