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ここは去年の正月に訪れている。天皇が静養のため訪れた別荘であり、インペリアルな雰囲気かつ和洋折衷の建物で部屋数も多く、邸内を見学するだけでけっこう楽しい、面白い。基本畳敷きの部屋が何十とあるのだが、その照明はなぜかシャンデリアであったり、アールデコ調の装飾が施されていたりする。それでいて襖には見事な襖絵が描かれていたり。和の文化と西洋文化をガラガラポンからガッチャンコしてインペリアル風味をふりかけると出来上がるのはこんなワンダーランドだ。
去年は寒い時期で御用邸の中も寒々としていた。何日か前に雪が降っていたせいか、木々に積もった雪が落ちてくる可能性もあるとかで建物の裏にある庭園が立ち入り禁止になっていたのだが、今回は当然庭園内に自由に行き来できる。ここは庭園とセットで楽しむところだ。
以前の来訪記のときにも書いたかもしれないが、もう一度おさらい。
ここは皇太子時代の大正天皇の静養所として造営された旧御用邸で、明治期以降に造られた御用邸建築のうちで全体がほぼ完存する唯一の建築。現在は栃木県立の都市公園となっており、その保存状態、管理状態も良い。以前、沼津の御用邸にも一二度行ったことがあるのだが、建物の状態、管理保全状況も田母沢のほうがはるかに良く、全体としてとにかくキレイな状態が保たれている。
以前、自分が小学生の時に就学旅行で泊まった宿舎がこのあたりではないかと調べたところ、御用邸に隣接する田母沢別館という国民宿舎のような大きな木造建築物があったことが判り、おそらくそこに泊まったのだろうと想像した。実際、同じように調べた人が、修学旅行生が泊まったのは田母沢別館と指摘していた記事もあった。
今回も邸内で説明などをしている係の人にちょっとそんな話をした。すると昭和30年代に小学生たちが修学旅行で利用したのは、この御用邸自体であるということだった。
Wikipediaで確認すると以下のような記述がある。
1954年(昭和29年)4月
日光国立公園観光会社が全館を借り受け、奥向を日光博物館とし、その他を宿泊施設の「日光田母沢本館」として営業開始。
1986年(昭和61年)11月末
老朽化により宿泊施設を閉鎖し宿泊施設部分は国に返還し、日光博物館のみの営業。
そうなのである。御用邸本館は1954年から1986年まで宿泊施設だったのだ。そして自分が小学6年生の時、おそらく1968年のことなので、そのときに泊まったのは田母沢本館、つまりは御用邸だったということなるようだ。
係の人はこんな説明もしてくれた。
「おそらく皇后がお住まいの間あたりが、小学生が泊まる部屋だったはずですよ」
「この前も、同じように修学旅行で以前泊まったはずだとおっしゃるお客様がいて、皇后の間を見て、記憶を蘇られせていらっしゃいました」
記憶をたどると、泊まったのは古い木造建築の旅館で妙に装飾というか、仰々しいイメージがあった。そして旅館の人か、教員だったかは定かではないが、ここは大正天皇がお泊りになったところだと、そんな説明があった。
あとで調べるとこんな記事もあるので、まちがいなく私は、もとい我々は、1968年に修学旅行で日光を訪れた横浜の小学生は、田母沢御用邸に泊まったのだろう。
サンデー毎日:児童が皇后の寝室に宿泊 日光・田母沢御用邸の民主化 社会学的皇室ウォッチング!/92 成城大教授・森暢平 | 週刊エコノミスト Online
ということでそんな懐かしい記憶の旅も含めて、館内を回ることにする。



















おそらくこのあたりが皇后の間のようなので、このへんの襖をとっぱらって、布団を敷き詰めてみんなで寝たのかもしれない。


アールデコみたいな洋風照明。ラリックのデザインとか言われても、たぶんそ「ふ~ん」と信じてしまうかもしれない。

この階段も何か既視感がある。みしみしいう階段を上ったり、冒険というか、探索というか、そんなことしていたような。







