2014年、あなたは何処にいて何をしていましたか?

 

 

 Xでフォローしている方が「2014年が10年前だというのが信じられない」みたいなことツィートしていた。

 2014年が10年前、確かに信じがたい。2011年の原発震災はもう13年も前のことだ。

 デビューした頃の村上春樹だったら、「やれやれ」とでも言うだろうか。

 そして思いついたのはこの言葉。

「1962年の夏、あなたはどこにいましたか」

 そう、ジョージ・ルーカス出世作アメリカン・グラフティ』のキャッチコピーだ。あの映画は1973年公開だった。ルーカスは1944年生まれだから、当時29歳。どうでもいいが彼は5月14日生まれだ。あの映画はルーカスの伝記的な部分もある。映画の舞台となったカリフォルニア州モデストはルーカスの生まれ故郷だ。そして大人になった若者、28~29歳の若者が10年前、高校を卒業する年を回顧するお話だったのだ。

 

 そう、『アメリカン・グラフティ』は「10年ひと昔」という映画だった。

 

 あの映画がある意味、衝撃的だった。音楽は我々の世代からすると一世代上のオールディーズ、アメリカはまだベトナム戦争の泥沼に入り込む以前の繁栄した時代。リーゼントをポマードで固めたジェームス・ディーンみたいな男の子たちとコニー・フランシスみたいな女の子たち、アメリカの高校生たちが卒業生の一夜、町に繰り出し、卒業ダンスパーティーを楽しむ。狂言回しはラジオから流れるフルフマン・ジャックのDJとオールディーズ・ナンバー。

 『アメリカン・グラフティ』は確か試写会で観た。多分、懸賞かなにかで当たったんだろうか。日本公開は1974年12月だったからその少し前くらいだろうか。自分は高校三年生くらいだっただろうか。すでに深夜放送とかで凄い映画ができたと話題になっていたし、映画雑誌でも大々的にとりあげられていた。でも、ジョージ・ルーカスって誰みたいな感じだったか。実際、まだスピルバーグも『ジョーズ』を撮る前で、テレビ映画だった『激突』が話題になっていたくらい。ミリアスもチミノも無名だった。たしかルーカスは、コッポラが推しているとかそんな触れ込みだったか。

 そして試写会で観て、もう興奮したものだ。暗いアメリカン・ニューシネマとはまったく違う新しいタイプの映画だなと思った。ストーリーはたった一晩、そして高校生たちの青春群像劇。出演している俳優もほとんど無名だった。のちにアカデミー賞俳優となった主演のリチャード・ドレイファス、映画監督で名をはせるロン・ハワード、そしてそしてただのチンピラでしかなかったハリソン・フォードなどなど。

アメリカン・グラフィティ - Wikipedia

ジョージ・ルーカス - Wikipedia

 

 そして改めて思った。10年ひと昔ということ。そして2014年、自分は何をしていたのだろうかと。

 こういうときこのハテナのブログはけっこう役に立つ。簡単に10年前に自分が何をしていたか(たいていバカなこと)、何を考えていたか(きっとバカなこと)、がわかる。当時は、はてなダイアリーといっていたが、まさにウェブ上の公開日記みたいなものだ。まあ継続は力というところか。

 2014年は記述が少ない。当時はだいたい毎年120~130くらいのエントリーがあるのに2014年は77とわずかだ。おそらく前年に中小零細企業とはいえ、サラリーマン双六で上がってしまったので、それなりに忙しかったのだろう。けっこう気負っていた部分もあるし、経営などほとんど素人同然だったから、親会社とのやりとり、会社の運営、銀行とのやりとり、システム運営の改善などなど、まあそんな今となってはヤボ用の類に無手勝流であがいていたのだろう。

 

 家のことでいえば、屋根の葺き替え、外壁塗装、トイレの交換とかリニューアルに金使っていたりしている。

 

 そして2月にテデスキ・トラックス・バンドのライブで人見講堂に行き、4月にディランのライブでお台場へ。5月はジョン・メイヤーのライブを武道館で観た。

 そしてそして、同じ5月にポールの前年に続いてのライブを観るため国立競技場まで行った。でもポール急病のためあえなく公演は中止。一緒に行った友人と国立の近くでベンチに座って缶ビール飲んだり、北海道から来たという方と話をした。

ポール!ポール!ポール狂想曲 - トムジィの日常雑記

 

 あれからもう10年が経ってしまったんだ。

 

 はてなの記録を読んでいくと、六本木の国立新美術館オルセー美術館展もあった。最初に勤めた会社で一緒だった知人が6月に亡くなった。なんでもその方の墓じまいが割と最近あるという。

 

 子どもは受験生の頃かと思っていたのだが、冬に修学旅行でヨーロッパ行っているみたいなのでまだ二年生だったか。羽田まで迎えに行ったことが記録に残っていた。

 17歳の誕生日には奮発して、ディズニーランド・ホテルに宿泊した。ハロウィンの日で、とんでもない混み方をしていたっけ。

 

 2020年に亡くなった兄が暮れも押し迫った時期に、買い物に出かけて転倒。そのまま入院手術して片目を失明した。ちょうど電気屋iPhoneの機種変更をしているときに病院から電話がかかってきた。そして電話は不通になり、開通してから慌てて病院に電話をしてかけつけた。兄はそれからも年末になるとよく入院することが多く、その都度呼び出された。最終的にはコロナ禍の12月に亡くなった。

 そのときのiPhoneは4から6への機種変更だった。それから我がiPhoneは、6から8になり、去年、型落ちの13に代えた。最新は15である。10年というのはそういう歳月だ。

 

 2014年、あなたは何処にいて何をしていましたか?

 私は今住んでいる町で同じように暮らしていて仕事をしていた。

 テデスキ・トラックス・バンドとボブ・ディランジョン・メイヤーのライブに行き、ポール・マッカートニーのライブは彼の急病のため中止となり観ることができなかった。もっともポールは翌年も来日したので、そのときにリベンジというか観に行くことが出来た。

 展覧会はオルセー美術館展、ヴァロットン展、ラファエロ前派展、バルュテス展、ミレー展に行った。

 

 10年後の今は、もう仕事を辞めて4年になる侘しい年金生活者で、老いぼれた通信教育の大学生をしている。

 身障者の妻は相変わらずといえば相変わらず。去年からインシュリンの注射をうつことになり、それが毎朝の私の日課になった。

 子どもは3年前に独り立ちした。

 

 多分、多分だけど、2034年に10年前を思い起こすことはないのではないかと思っている。ヴォネガットではないが、そういうものだ。

5月の日誌的①

5月2日(木)

 明け方近くまでAmazonプライムで『プライベート・ライアン』を観ていたせいか、昼過ぎまで寝ていた。昼夜真逆になりそうな老人である。こういう生活はなんだか高校生のときの夏休みみたいな感じだ。

 『プライベート・ライアン』はもう何度目だろう。もう片手ではきかないかもしれない。この映画と『ゴッドファーザー』が一番繰り返し観ているかもしれない。それくらいなぜか気に入っている。戦争で殺し合いをしている最中に、兄弟3人が戦死したので残った弟の二等兵一人を帰国させる任務を負ったレンジャー部隊。安易なヒューマニズムと戦争のアイロニー

 そして激しい戦闘の中で生き残り帰還した二等兵は、家庭を築き激戦の地だったノルマンディーを訪れる。戦没者の墓地の中で、自分を救ってくれた大尉の墓の前で崩れるようにして膝をつく。そして「私はいい人生を送れたでしょうか」と問いかける。

 老いたライアン二等兵の後ろでは同じように老いた、おそらくかっては美しかっただろう妻がいて、さらに息子や娘たち、さらに孫が見守っている。ライアンは品のいいスウィング・トップにコットンパンツという装い。リタイアした経営者然としている。妻や子どもたちの様子からも、アメリカの中産階級の成功者然としている。こういう風に特に説明もなく、その服装とかそういうところで物語を語らせるのは、スピルバーグの達者な演出だと思ったりもした。

 「私はいい人生を送れたでしょうか」

 いつか自分もそんなことを自問自答する時がくるのか。眠い目をこすったのは、あるいは目頭が熱くなったせいかもしれない。

 

 ここ数日、熱いのにも関わらず日中に石油ファンヒーターを稼働させ、ようやく灯油がなくなったので物置にしまった。併せてグルニエにしまってあった扇風機を3台下して、逆に電気ストーブ類をしまった。あとはいつ合わせの掛布団を薄がけにするかだ。

 

 夕方、妻の皮膚科通院があるので送っていく。受付で診察券を出したのだが、保険証と重度心身障害者医療費受給者証が見当たらない。いつも身障者手帳に入れあるはずなのに

 記憶をたどると4月23日に歯医者に行っているので、その時に返してもらってないか。いやそれだったら歯医者から連絡があるはずだ。とりあえず皮膚科は次回でかまわないということですんだ。そこですぐ家に帰って探すと、置いてあるお薬手帳の中に入っていた。お薬手帳は4月16日に糖尿病の通院に来たときに使用しているので、多分そのときに妻が入れたままにしていたみたいだ。

 妻のこういううっかりは、病気のせいだとは判っているのだけど、イラっとすることがある。いずれはもっと症状が悪化して、いわゆる認知症状が重くなるのかもしれない。それは今はあまり考えないようにしているのだけれど。

5月3日(金)

 前夜、4ヶ月分記帳した預金通用の明細をパソコンに打ち込んだ。使っているのは現役時代から一番よく使っていた簡易データベースソフト桐。帳簿的な使用では入力効率という点ではエクセルなんかよりはるかに使い勝手がいい。もっとも30年くらいずっと仕事で使ってきているという慣れの部分が大きいかもしれない。家のパソコンに入れているのはかなり前のヴァージョンだが、Windows11でも問題なく動いている。 

 とりあえず引き押しも特に怪しいものは見当たらない。自分のと妻の通帳と二つ分を入力。さらに買い物レシートを貼り付けてあるノートからここ2週間分を入力した。これはもう1年半くらい続けている。総計を取るととんでもない金額になるが、まあこういうことをするだけでも少しは金遣いを控えめにするような心理が働くかと思って続けている。

 その後、最近は利用明細を送ってこないカードをそれぞれのサイトからダウンロードできるようにした。いずれはまとめてCSVでダウンロードしてこれも桐のファイルに取り込もうかと思っている。このへんは仕事しているときによくルーチンとして行っていた。

 たいていは専用システムからデータをダウンロードしてそれを加工して経営資料を作ったりとかそんなことだっただろうか。

 

 そんなこんなで10時過ぎに起きて、燃えるゴミの日だったので慌てて出しに行く。一応、回収前かどうかを一度確認に行ったりとか。それから妻のインシュリンをうつ。

 昼過ぎに妻と二人で府中市美術館に「みほとけの国の美術展」を観に行く。府中市民の森公園はすっかり初夏みたいな感じで夕刻でも心地よかった。

 家に帰ると、子どもが帰って来ている。この日から3日間、子ども的にはのんびり実家で過ごすという。こっちはおさんどんの日々が続くことになる。

 

5月4日(土)

 家族三人で川島の平成の森公園に行く。車で30分くらいの川島の田園地帯の中にある広々とした公園。まあご近所散歩の延長だ。

 園内では咲き始めの薔薇を見たり、園内をのんびり一周する。天気も良く、カラットしていて心地よい。ある意味、一年で一番いい時期だ。世界は諸々たいへんなことが多いが、少なくともディープさいたまは平和だとは思った。

 夕食はブルコギ、豚肉生姜焼き、中トロ刺身、ほうれん草のおひたしなど、子どもが好きなものでまとめた。

 

5月5日(日)

 高速に乗り群馬県立近代美術館へ。もっとも高速が混んでいたら即変更して近場の公園にでもと思っていたのだが、思いのほか高速は空いていて。1時間かからずに玉村スマートチェンジまで行く。

 着いたのは11時少し前。少し早めの朝食をというとこで、群馬県近美近くの梅やという蕎麦屋に入る。ここは開店が11時だが、すでに行列が出来ている。6番目か7番目だったのだが、テーブル席はいっぱい。お座敷席は妻が座れないので、カウンター席に家族三人並んで食することに。

 自分はいつものもりそばとミニイカ天丼のセット。妻は天重のセット、子どもは天ざる。値段はまさに自分>妻>子どもという順。まあいいか。

 

 群馬県近美は「コレクションの作り方」という常設展示のみの展示。いつもは二階の常設展示コーナーにある作品のうち日本近代の洋画、西洋美術のみを展示してあった。二階は次の企画展の準備なのか締まっていた。感想については別途書くかもしれない。

 その後は群馬の森の中をのんびりと散歩。ここは開放的でいい。

 

 園内の奥に今年1月に撤去された「朝鮮人追悼碑」の跡地を探してみた。献眼顕彰碑の隣にあった碑だがきれいさっぱりと無くなっていた。

 

 もともと歴史修正主義たちのグループが、追悼式典で参加者が「朝鮮人の強制連行」に触れたことで「碑文は反日的」と批判し、撤去を求めたことに押されて、県が更新を不許可とし強制撤去したというものだ。更新不許可の理由が「政治的行事は行わない」という設置条件に抵触したというものだ。

 この国は自治体レベルを含めて、戦前の記憶をないものとする歴史修正主義が横行する国になってしまった。これも長く保守政権が続く影響かもしれない。これは多分、ヨーロッパにおいてナチスヒットラームッソリーニを賛美し、ファシズムは悪い部分もあったが良いこともしたという論調が広まるのと同じかもしれない。少なくともそれは公のレベルでは相手にされないヨタ話の類なのだが、日本においてだけはそうした歴史修正主義が流通している。

群馬の森「朝鮮人追悼碑」代執行で撤去方針…それで「政治的な紛争」はなくなる? 抗議が止まらない理由とは:東京新聞 TOKYO Web

群馬の森 - Wikipedia

  献眼顕彰碑の隣に空虚ななにもない空き地がある。それを見ているとなんとも悲しい気分になってきた。

 

 帰宅後はカレーを作る。カレールーをバリ辛にしたら、かなり辛い出来になった。その他にはコブサラダ、冷凍してあった安いステーキ肉を切って焼いたものなど。

5月6日(月)

 朝、妻のインシュリンをうつ。昨日は急かされていて忘れてしまったので、自責をこめて起きて最初にうつことにした。その後は朝食作り。前日のカレーとオムレツ、ほうれん草のお浸し。

 午後は、子どもを家まで送っていく。途中、子どもの地元近くにある銚子丸で回らない寿司を奢ることにする。妻はダイエット中、自分はさほど腹が減っていなかったのであまり食べなかったので、子どもが一人で頑張っていた。親二人があまり食べなかったのと、アルコールがなかったためか、料金は思いのほか安かった。

 

 子どもと別れてから、妻どこかで遊びたい、海に行きたいというので、葛西臨海公園に行った。GWの最終日の5時過ぎということでえらく空いていた。

 この公園に来たのは何年ぶりだろうか。結婚する前に一度来ただろうか、あとは子どもが小さい頃で妻がまだ障害者になる前。それからするともう20数年ぶりみたいなことになるのだろうか。

 

 園内をぐるりとしてから、最後に大観覧車に乗った。もともと高いところは苦手なほうだが、年と共に苦手意識が強くなっている。けっこう風が強かったので、風の音とかも恐怖心をあおる。一周17分くらいの間、けっこう緊張していた。

 景色はなかなかいい感じだったか。

 

 

『ゴジラ-1.0』 (5月1日)

 

 近所のシネコンで『ゴジラ-1.0』を観た。Amazonプライムで視聴可能になるようなのだが、妻がゴジラは大画面で観たいと宣うので。

 以下感想だけど、多分ネタバレ満載かもしれない。まあいいか。

 ゴジラが殺伐としていて、大量殺戮するところなどは、これまでのゴジラ映画とはちょっと違う部分もあるが、人間ドラマ部分のあまりにもご都合主義的な設定にはいささか興ざめする部分もある。

 良かったのは伊福部昭の音楽!

 ゴジラ駆逐作戦の途中やエンドクレジットであの音楽がかかると、なんとなくゴジラらしいと思ったり。安定の伊福部昭だ。

 結局のところ、VFXというのか、コンピューターグラフィックスで映像化された戦後まもない日本と、そこを襲うゴジラの迫力ある画面が売りというのだが、盛り上がったのは自分にはあの音楽だけだったというオチだった。

 今回の-1.0の意味は、敗戦で焼け野原になってゼロから再出発する戦後日本をまた焦土と化すゴジラの襲撃という意味で、-1.0と名付けたということらしい。もしくは1950年代の第1作そのその前史という意味合いもあるのだろうか。

 CGによって作り出されたゴジラは迫力がある。しかし人間ドラマ部分のご都合主義と類型化があまりにもアレだ。戦後まもないとはいえ、安易に特攻崩れを主人公とする必要があるか。そして最後にゴジラに特攻を試みて、自らの戦争にけりをつけるという点も、突っ込みどころが多すぎる。

 まず前提として戦後まもない日本をゴジラが襲撃する。当時日本は進駐軍と称する連合軍、実質的にはアメリカ軍が占領統治していた。なのに当時冷戦構造で対立を始めていたソ連を刺激しないためという理由で、アメリカ軍は全面に出ないことを決定した。武力を放棄した日本はほとんど丸腰状態でゴジラと対峙するという設定。これがまずありえない。

 ゴジラがどういう経緯で生まれたのか不明だとしても強力な放射能を有した巨大生物である。その侵攻が日本に留まらない場合は、アメリカ本土にもソ連や中国の本土にも被害が及ぶ可能性がある。そういう世界的危機の中でアメリカ軍が撤収して、丸腰の日本にすべてをおっ被せるだろうか。

 もともと日本の占領統治は、ソ連が東日本、特に北海道の統治を主張し、それをアメリカがはねのけて日本を一括統治したのだ。もしアメリカが身を引くとなったとたんに、赤軍はまちがいなく北海道に進駐するだろう。祖国防衛という名目があればなんでもする国である。

 さらにいえばゴジラの襲撃とそれを日本で押しとどめるためとなれば、アメリカは間違いなく核攻撃を行うはずだ。朝鮮戦争においてもマッカーサーは核使用を主張し、トルーマンの反対で中止したという経緯もある。ゴジラを日本で駆逐するためということであれば、核兵器使用強行はなんの反対もなく実施された。すでに二度の実験使用済みだったのだから。

 もしアメリカが核使用を躊躇すれば、ソビエトが祖国防衛を名目に核使用を強行したかもしれない。ある意味でゴジラは格好の核実験のターゲットになっただろう。まあ一般的に考えれば、米ソを含む連合軍によるゴジラ駆逐作戦が実施されたのではないかと。

 荒唐無稽な怪獣映画で、当時の国際情勢をからめていきっても仕方がないだろう。それにしても丸腰の日本が、払い下げ同然の駆逐艦と開発途中だった幻の戦闘機一機だけでゴジラに立ち向かうというのはあまりにも現実性がない。

 もっともそうした現実性のなさと、ゴジラの都市破壊シーンのリアルっぽさ、それがこの怪獣映画の肝でもあるのかもしれない。そして多分そのへんが海外で圧倒的な支持を受けてヒットしたところなのだろう。

 欧米でヒットを続けるマーベルシリーズ。特撮シーンのリアルさに比して、主人公たちの超人性について、「そこにリアルはあるのか」を問うのはあまりにもナンセンスだろうから。

 最後にこの『ゴジラ-1.0』で思ったこと。それは主演女優浜辺美波の不死身性だ。東宝看板女優の彼女を途中で死なせることはできないという、ある種古風なスターシステムもあるのだろう。さらには彼女の首筋のアザ、ラストシーンで首だけのゴジラ細胞分裂などから、ゴジラ復活を暗示しているのだろう。次回はじょじょにゴジラ化する美人女優を見ることができるのか。あるいはゴジラ細胞を植え付けられた多くの日本人がゴジラ化して、大陸や欧米に進出するとか・・・・・・。

 第一作『ゴジラ』は冷戦による東西の対立、互いの核兵器開発競争といった世界情勢の中で、核戦争の恐怖、そうした雰囲気の中で醸し出される漠然とした不安をゴジラという巨大生物に具象化させたものだ。なぜか日本を襲撃する放射能に汚染された巨大生物は、水中の酸素を一瞬に破壊するオキシジェン・デストロイヤーによって駆逐された。そのヒットによりシリーズ化され70年を経た今日に至るというところだ。

 もともと漠然とした不安から生まれた得体のしれない巨大生物である。自分が考えるゴジラはといえば、多分突然と現れ都市を襲い、殺戮の限りを尽くし、忽然と去っていく。不安が現実化しただ意味もなく破壊され、殺される人々。そういう不条理性のストーリーで十分なのではないかと思ったりもする。まあそれでヒットするかといえばハテナということになるだろうが。

 もう一つ思ったことがある。それはアフターコロナならぬアフターゴジラである。ゴジラは体内に放射能を生成するある意味生きた原発である。そして口から発する放射線によって破壊の限りを尽くす。襲撃された都市は汚染されるだろうし、生き残った人々にも放射能の影響は出る。汚染と除染、被爆による影響、巨大生物の存在をみせることなく、その脅威の実態の結果を描く。そんな物語があったら、多分誰も観たくはないだろう。でもそれが放射能を帯びた巨大生物のリアルなのではないかと。

 ゴジラ核兵器を二度使用された日本で生み出された。そしてゴジラリバイバルとして『シン・ゴジラ』、さらに今回の『ゴジラ-1.0』が制作されたのは、多分深刻な原発事故を経験し、現在もメルトダウンが進行中の日本だからなのだろう。

 体内でおそらく臨海を繰り返し核物質を作り出すシステムを抱合した、およそあり得ない巨大生物。その暴発による破壊、殺傷。一度駆逐しても、またいつその襲撃にあうか判らないという恐怖。ゴジラという架空の存在を作り出し、仮想的な恐怖を追体験することで、実は現実の恐怖から目逸らししているのかもしれないと、まあ大いなるフィクション、ただの怪獣映画で何をイキっているんだと、ちょっと自重してみる。

4月の日誌的③

4月27日(土)

 前日、友人と久々酒を飲む。終電で帰宅。最寄り駅二つ前まで起きていたのに寝落ち。はっと目を覚ますと最寄り駅を過ぎていた。帰る電車もなく徒歩で帰宅。深夜、歩いて帰るのは久しぶりのこと。四捨五入すれば70というのに、何をやっているんだろうか。

 

 リビングのパソコンを久々立ち上げて、Windowsのupdateでもしようとしたところ、急にファンが高回転し始め、画面が右から左に流れる。何度か電源を入れ直すが、ピープ音がして立ち上がらなくなる。バイオス起動を試みるがそれもダメ。どうもCPUかマザーボードが逝ったみたいだ。

 このパソコンは12月までメインで使っていたもので、確認すると2019年の暮れに中古で買ったもの。Core i-7の第4世代だ。購入して4年になるけど、もともと2013年製という年季の入ったものだから、いつ壊れても仕方ないといえばそれまで。

 まあリビングでデスクトップマシンはほとんど使ってないので、とりあえず廃棄してパソコン台にはノートPCでも置こうかと思ったのだが、それ以前に使っていたデスクトップが1台下に置いてあったので、とりあえずそれをモニターとかケーブルをつないでみると、普通に立ち上がった。

 このPCはというと、同じCore i-7でも第2世代というレトロな代物。でもメモリ20ギガくらいにしているので、ネット見るくらいだととりあえず支障がない。

 今、自室で使っているのが第8世代。そしてリビングの第4世代が逝って、第2世代が現役復帰。なんかどんどん退行していくような。

 

 パソコンのごたごた終了してから掃除をする。車椅子で出かけていた妻と外で合流してから一緒に買い物。

 近所のユニクロで前からちょっと欲しかったドローストリングバッグ(肩掛け巾着バッグ)が3日間限定で2990円が1990円に値下げしていたので速攻ゲットした。色はオーソドックスな黒。年とともに物欲を衰えつつあるとはいえ、ミニマムな残滓が残っているような感じだろうか。

 その後は妻と二人で天狗で飲食。二人で5000円弱。なんというか、外食がサイゼ、日高屋、天狗の三択になってきている。

4月28日(日)

 前夜、11時頃に寝たせいか2時頃に目を覚ました。なんとなく寝付けないので、起き出して夜なべ仕事を始める。前日洗濯をしていて、割と気に入っていた厚手のTシャツの右側、ちょうど肩甲骨のあたりに小さな穴が開いているのを見つけた。そのまま干して取り込んでおいたので、穴を糸で繕った。

 裁縫は誰に教わることなく、自然と身につけた。老眼で針に糸を通すのは少々難儀にはなっているけれど、まあなんとかなる。大昔、家庭科で最低の成績をとったことがあるくらいで、裁縫は苦手中の苦手ではあるけれど、まあなんとかなる、なってきた。

 思い起こせば、子どもの体操着の名札付けとかいろいろ夜なべ仕事した記憶もある。人間、必要とあらば、たとえ学校の成績が最低でもなんとかするものだ。

 

 その後は東洋美術のビデオ授業を何コマか見て明け方に就寝。そのため起きたのは昼過ぎ。

 炊飯器に残り物の飯があった。匂いをかぐとギリいけそうな感じ。これにやはり賞味期限切れのチョリソーがあったので(そんなんばっかりだ)、細かく刻みケチャップライスにしてオムライスを作る。オムライスは妻も好物なので、最初はダイエット中なので食べないと言っていたのだが、なんとなく自分よりも多く食べている。

 

 4時半頃に車で外出。いつも行く浅羽のビオトープを散歩する。遊歩道で今年最初のニョロを発見する。車椅子を押して歩いていて、ふと目の前、車椅子のすぐ前のところに小さくて細長いのがいる。思わず大声を出すと、妻は私の声に驚いてビックリする。

 ニョロはやや斜めに進んだり、止まったりしている。まだ子どもなのだろうか。そのまま止まった状態の時、向こうからウォーキングをしてきたオジさんに、ニョロがいるというと、「もう出てくるんだ」と言って一瞥して去っていった。

 ニョロはそれからようやく動き出して草むらに入っていった。それからは恐る恐る歩きながら散歩を続けた。多分、しばらくはビオトープ高麗川遊歩道の散歩は中止するかもしれないな。

 

 その後、あまり時間はなかったが、ホームセンターに行き、庭の植え替え用の花を買う。いつものペコニアとかキンギョソウナデシコなど。広告の品とかで茄子の苗が安かったので5つ買ってみた。その後、ダイソーに寄って安い除草剤を3本買う。

4月29日(月)

 昭和の日? かっての天皇誕生日

 前日買った花を植える野良作業を始める。

 その前にお隣さんとの間の狭いスペースに雑草が生えてきていたので、除草剤を撒く。狭いとはいえなんだかんだで3本全部使い切る。ダイソーの除草剤はなんかお酢が入っているとかいうやつだ。昨年使ってみたところ、割と効果はある。まあ狭いスペースなのでラウンドアップとかその手は使う気にはならない。 

 それから花の植え替え作業を開始。それまで植えてあったパンジー類を引っこ抜く。可哀そうな気もするが仕方がない。毎年恒例のことだ。ついでにラティスに絡まる藤の木やツタ類の葉を刈る。まめにやらないととんでもないことになる。しかし今年も藤の花は咲かなかったなあ。

 花壇の土を耕して肥料を混ぜてこねくる。普通は耕して肥料をやってから一週間くらい寝かすとかなんだろうけれど、基本なんちゃってなのでこのへんは適当。耕す、肥料やり、さらにこねくる。

 その後は買ってきた花を植え付ける。茄子はプランターに3つ、花壇に2つ植える。昨日の今日なのにかなり萎れている。これ植えてもそのまま枯れるパターンかもしれない。茄子を庭で育てるなんて、小学生以来かもしれないから60年ぶりかもしれない。微かな記憶ではけっこう大きい実がなって、焼いて食べたら美味しかったのを覚えている。

 植え付けを終えてから水やりしてすべての作業を1時過ぎに終える。なんちゃってガーデニング終了。

 

 

4月30日(火)

 7時頃起床、前日のガーデニングで出たゴミ2袋と通常のゴミ1袋のゴミ出し。妻のインシュリン注射をうってから、9時半頃デイに行く妻を見送る。

 その後はずっと中国美術のテキストを読んでいるのだが、本当に数行読むだけで眠くなる。老いぼれに学習は無理なのかもしれない。なんか本を読んでいるというよりも寝たり起きたりを繰り返す、あるいは寝ているような状態かもしれない。

 年なのか、あるいはどこか身体の具合でも悪いのだろうか。

 夜はというと妻がダイエット中なので、一人でやきそば作って食べた。昼間寝すぎたせいか今度は眠れない。ということで昼間頓挫した中国美術のテキスト読みを続けることにする。

 

 

昔、こんなに勉強しただろうか

 通信教育の大学生になって3年目に突入した。

 一応、学士入学というのだろうか、4年間ではなく2年間で卒業できるはずだったのだが、2年なんてとてもとても、という状態にある。2年間で60単位が卒業要件なのだが、ただいま41単位である。今年1年で卒業できるかどうかも微妙な状況だ。やっぱり66歳からの勉強はあまりにも無理があったか。成績は一応だいたいAをキープして、ちょこちょこBがあるくらいだけど、もう右から左。単位とったとたんに総てを忘れているような感じ。

 それでも例えば一般教養の社会学などは、新しい学説とかに触れるとけっこう嬉しくなったりする。ブルーノ連関の社会学とANT(アクターネットワーク理論)とかネットワーク社会のパノプティコンとか、そういう考え方はなんていうか目から鱗みたいな感じもする。昨今の人文科学、社会科学は認識主体としての人間を崇高概念としていないみたいな感じをもったりする。多分、18世紀以降の啓蒙主義、近代理性主義には、前提条件としての認識主体=人間みたいな前提条件があった。でも20世紀後半以降はその前提としての人間優先が崩れているような。まあこれは単なる思いつき。

 

 通信教育を始めてからというもの、普通の読書、小説とかルポとかそういうのを読むことが極端に少なくなった。本、読んでいないかといえば、テキストの類はそれこそ毎日といえばウソになるけど、ひっきりなしに読んでいる。一冊3000円なにがしの170~200ページのテキスト類をもう何冊買っただろう。本棚1段くらいはあるけど、それにけっこう目を通している。

 そしてなによりもレポートの類がたくさんある。ビデオ授業は、ビデオ視聴後に1200~2000字くらいのレポートを提出する。テキストだけをもとにした授業はというと、まずレポートとして1問800~1200字のものを3問くらい。それに受かると試験として1200字くらいの論述試験を1時間で仕上げる。ネットで繋げて「さあ、これから試験ですよ」となるとそこからきっちり1時間で仕上げなくてはならない。

 こういうの年寄りにはシンドイ。シクシク。それを思うと、わざわざ金払って、しかも年金生活者にとってはけっして安くない授業料を払って、なんでこんな苦行をしているんだということになる。仕事を辞めてから、急にマゾヒスティックになったのだろうか、体質が。

 

 そしてつくずく思うのだが、昔々のこと、かれこれ50年近く前の大学生の頃を思い出してみる。

「俺って、昔、こんなに勉強しただろうか」

 かって自分がいた大学は、まあ程度はあまりよろしくないうえに、まだまだ学校が荒れていたこともあり、試験がつぶれてレポートになることもけっこうあった。当時、レポートが多いといっても、今ほどの字数書いていなかったような気がする。

 そもそも昔は年間通しての一コマの授業で4単位、4年間で120単位くらい取れば卒業できたのではなかったかと思う(定かではない)。そして自分は多分、3年間でほとんどの単位を修得して、4年生のときはほとんど遊びのような一般教養科目や、単位習得なしで授業でたりしていた。3年で単位のほとんどが取れるというのは、けっして自分のレベルが高いということでもなんでもなく、ようはそういう大学だったというだけのことだ。

 

 今、受講している通信制の大学はというと、年間4学期制で1科目を三ヶ月で受講し試験を受ける。合格すると2単位を得ることができる。これってタイト過ぎないかと思ったのだが、友人に聞いてみると今の大学はけっこうそういうところが多いのだとか。

 う~む、今の大学生って大変なんだな。

 これも友人と話したこと。

「なんか、ずいぶんレポートとか論述試験多いみたいだな」

「そうなんだ、毎回1200~2000字とかある」

「よくそんなに文章かけるね」

「そう、正直きつい。会社ではけっこう報告書の類は短時間で書いたりしてたけど、それと学習系は全然違うしね」

「というか、そもそも自分ら昔大学生の時に、こんなに勉強してただろうか」

「うん、自分もそれちょっと考えてた。確実にしてないな。昔の大学の授業はもっとルーズだったし、試験やレポートも楽勝だったような気がする」

 

 思い起こせば、ほとんど一回も授業出ることなく債券総論は「優」をもらった記憶がある。なんなら一般教養で近代文学かなにかで、書くことがなくて、答案用紙の裏にカレーの作り方を書いたことがあったような。それでも「不可」ではなく「可」だった。でもその授業で北村透谷や島崎藤村の苦悩や煩悩について学んだような記憶がある。漱石や鴎外のメインストリームからすると、今風にいえばB面の文学史みたいな感じだったか。

 しかし、かって自分らの拙いレポートを読まされた先生たちには、なんとなく同情というかお詫びしたい部分もあるな。多分、多分だけど相当に拙いヘタレな作文ばかりだったような気もする。

 

 そしてさらに思う。最近の大学生は多分、かっての自分たちよりもはるかに学習している、あるいは学習させられているのだなと思ったりもする。これは凄いことだ。でもエライとは思わない。なんなら50年前の大学生だった自分らは、勉強こそしなかったけど、もっと社会に対する問題意識をもっていたし、変革志向みたいな部分もあったように思う。テキスト以外の教養書、専門書だって読んでいた。

 そして卒業してからも、読書の幅はもっと広がったようにも思う。自分の場合だけど、哲学書思想書を一番読んだのは大学を卒業してから30になるくらいだったような気もしている。書店や出版社に勤めていたからか、そういうものに触れる機会も多かったし。ただし、いわゆるお勉強はずっとずっとできない部類だったかもしれない。

 今の大学生が優秀かどうか。身近では数年前まで自分の子どもがそうだったが、けっこう学習でアドバイスもしたので、うちの子はさほど優秀ではなかったのだろう。この親にしてこの子みたいな。

 あまり若い人と接することなく人生送ってきた。自分が人生の後半にいた会社、それまであまり高学歴の子は採用しなかった(そもそも応募してこない)。でも、ある時期から就職難、不況のせいもあり、募集するとそこそこの学歴の子が応募してくるようになった。ちょうど自分が経営の立場にたった頃だったか、新卒、第二新卒などで大卒をメインにとるようにした。

「こんな子、うちの仕事にはあいませんよ」

 そういう否定的な意見も多かったが押し切った。

 2年続けて国立大出の子が応募してきたので採用したが、やっぱり仕事の覚えいいし、頭の回転も早かった。でもだいたい仕事以外のコミュニケーションを取るのは難しかった。ゲームのことなどこちらはまったく判らないし。ある時、「ダフトパンク聴いたことあるか」と質問して、「いやありません、なんですか」と返された時には、もう若い子とコミュニケーション取るのはやめようと思った。『ランダム・アクセス・メモリーズ』が大ヒットした頃だっただろうか。

 

 話はいつものように脱線した。

 とにかく3年目の老いぼれ大学生である。学習の日々はヒーヒーの連続だ。そしておそらくこれまでの人生でいえば、二番目くらいに勉強をしているかもしれない。一番は多分、浪人して受験勉強していた頃か。あの時はまだ未来に希望があった。大学に入ればいろんなことが待っているはずだ。鬱屈した中でもそれがあった。

 今はというと、そもそも未来がないのだから、トホホでもある。まあそうはいっても今まで知らなかったこと、忘れたこと、中途半端にかじったことなどに新たに接することは、まあ喜びといえ喜びかもしれない。

 それにしても昔の大学生は、こと自分に限っていえば、今ほど勉強はしてなかった。

4月の日誌的②

4月12日(金)

 8時過ぎに起床。階下に降りて妻のインシュリン注射。燃えるゴミを捨てに行き、妻のデイの準備を手伝い8時45分に見送る。金曜日のデイの送迎はいつもより30分以上早い。

 なんとなくノートパソコンを1台立ち上げると例によってWindowsのアップデートが始まる。けっこう大きなアップデートみたいでけっこう時間がかかる。ついでなので同じ機種でもう1台あるので、そっちも立ち上げてアップデートを開始。いずれもcore i5 の第8世代のX280でなんとなく家用と外出用みたいに区分けしているけど、あんまり使わない。

 最近は図書館やマックで学習することもあまりない。家にいてグダグダしていることが圧倒的に多い。ひきこもり老人ってやつだろうか。

4月13日(土)

 朝9時頃起床。自室でグダグダしてたので、階下に降りたのは11字頃。珍しく何も食べるものがなかったので、以前スーパーで買ったラトビア産の安いオートミールに卵スープを入れて食べる。まあ普通に食べることができるけど、あまり美味くない。オートミールはなんか動物の飼料みたいな感じがする。

 その後、妻のインシュリンをうつのを忘れていたので慌てて注射する。

 午後はとりあえず妻が一人で近所に散歩に行くというので車椅子を外に出しておく。自分はそれから掃除を始める。

 4時少し前に掃除終了。それから外で妻と待ち合わせて床屋に行く。いつも行く床屋は格安のところで、自分はシルバー料金で1800円。通常でも2000円くらい。そういえば、今、普通の床屋の料金っていくらくらいなんだろう。かれこれ普通の床屋には20年くらい行っていないかもしれない。その頃でも3000円以上したから、今は4000円以上するのだろうか。

 床屋は左側が男性用の理容室、右側が美容室になっている。自分は二か月ぶりの散髪、妻はスタンプを見ると去年の8月以来だ。

 しかし今は二か月も床屋に行かないと、もう鬱陶しくて仕方がない。なんていうか髪は短いのが一番みたいになっている。大学生の頃、それこそ背中くらいまで髪の毛を伸ばしていたのが信じられないくらいだ。

♪♪髪の毛が長いと、許されないなら♪♪

 とても無理だと思う。まあ年取ったら清潔感が一番かもしれないな。

 その後はダイソー行ったり(小物をいくつか買う)、ユニクロへ行ったり(見るだけ)。そして夕食は近所の日高屋で。ワンパターンのおつまみ系、生ビール、固焼きそば、天津飯などなど。二人で4300円。そういうものだ。

4月14日(日)

 妻のインシュリンをうってから、朝昼兼用の食事を作る。多分、先週あたりに開けたスパム缶の残りを焼いて、目玉焼きを作って。あとはキュウリとトマトを細かく切って、さらにチーズを加えてコブサラダ風。ドレッシングはチョレギサラダ用のやつ。これが割と上手くいったみたいで美味しい。

 ちなみにコブサラダのコブは、ハリウッドのレストラン「ブラウンダービー」のオーナーであるロバート・H・コブが作ったサラダなんだとか。なんでも残り物を使ったメニューだったらしい。

 午後3時過ぎにお出かけ。妻のリクエストで浅羽のビオトープ高麗川遊歩道を散歩。暖かくて初夏を思わせる。車椅子を押して歩いていても少し汗ばんでくるくらい。

 遊歩道の両側の菜の花もやや盛りを過ぎた感じ。アプリで調べると、どうも菜の花ではなくノハラガラシという外来種らしい。菜の花モドキといったところ。

 対岸の土手脇の桜もまだギリで観ることができる。多分、来週は葉桜になっているかもしれない。

 その後はいつものように買い物。

 夕食は出来あいのトンテキとネギを炒め、最後に残り物のキムチを加えてキムチ炒め。これがけっこう美味い。あとは見切り品で安く売っていた生でも食べることができるというサラダナスをワサビ漬けの素であえる。これも美味しくて、妻が気に入ったみたいで三分の二以上とられた。

4月15日(月)

 朝は例によって妻のインシュリンをうつ。その後はデイの支度を手伝いお見送り。

 壊れていたダイソン掃除機DC63のキャスターを、新たにヤフオクで11円で落札したDC48のキャスターに付け替える。DC48のネジは星型のT15というサイズ。それに合うネジ回しがなかったので、昨日はダイソーで探したが合うものがなく、急遽Amazonで900円のねじ回しセットをポチる。もう翌日には届くのだから便利といえば便利。作業自体は10分もかからず終了。

 もともとDC63もたしか5年前くらいにオークションで落札したもの。1万くらいだっただろうか。まあまあ使い勝手がよかったので、もうしばらくは使えそう。故障してからは以前からある日立の掃除機を使っていたけど、別にこっちでも問題はないんだけども。

 その後は現実逃避的に洗濯物を畳んだり、新たに洗濯ものを干したり。伊東家の食卓とかでやっていた簡単にTシャツを畳めるというやつをやってみたけど、まあ簡単は簡単だけどなんとなく今ひとつ。ずっとお店とかで畳んでるやり方でやっていたのだけど、そっちの方がコンパクトになるような気がする。ということで伊東家の食卓は終了。

 やることがなくなったので、仕方なく本来はこれを早く片付けなくていけないという中国美術のテキストの読み込みを始める。といっても10分、15分すると睡魔が襲ってきて全然集中できない。

 ようやく5章分を読み込んでから、夜はビデオ講義の視聴。

 夕飯は冷御飯があったので、オムライスを作る。妻がオムライスが大好きなので、今週はダイエット週間で夕御飯は抜くと宣言していたのに、オムライスは食べるという。「私のダイエットの邪魔ばかりしている」と宣いつつ完食している。

4月16日(火)

 妻のインシュリン注射とデイへの見送り。

 その後は洗濯しつつシャワーを浴びる。

 中国美術のテキストを少し読んでからビデオ講義の視聴。

 それから日々のレシートを貼り付けたノートから未入力分を桐というソフトに入力。2022年11月からずっと続けているけど、その合計がすでに300万をゆうに超えている。他に引き落としの分もあるし、補足してない出費も多々ある。ため息がでることばっかり。

 まあ家計簿とかは厳密にやらなくても、つけることで節約意識が働くとかそういうこともあるのだろう。

 2年前以前はまったく無頓着。レシートなんてその場で捨てることが多かった。家計簿なんてもってのほかである。でも考えてみたら会社でもすべての現金の出入金、銀行の口座の出入金、すべて記帳して日々合わせていた。そして1円の狂いもなくやっていた。まあむりやり合わせるテクニックはいろいろあったけど。

 会社では当たり前にできることが、家だとできないっていうのもなんなんだと思ったりもする。友人で一人暮らしの人で、何十年もきっちり家計簿つけている人もいる。仕事できるし、同い年だから70近いというのにいまだに現役で、割と要職についている。やっぱり出来る奴は普段から違うんだろうなと思ったり、思わなかったり。

 午後は、冬タイヤから夏タイヤへの交換に行く。最初は去年スタッドレス購入したところに電話したけれど、予約でいっぱいとか。しかたなくいつも行くガソリンスタンドに電話すると、すぐ出来るというのでそこへ。

 タイヤ交換、ガソリン満タンにして、さらに洗車もする。拭きあげていると、ボンネットに小さな傷やサビがある。まだ買って3年なのにちょっとショック。高速で小石とかがはねて当たったことが何度かあったから、多分そういうときのものだろうか。

 これってペンタッチで補修すべきだろうな、やっぱり。

4月17日(水)

 前夜、Netflixで『賢い医師生活』を見直していて結局徹夜。なにやっているんだろう。

 朝、階下に降りたのは8時少し前。妻のインシュリンをうち、前夜用意しておいた、ビン、缶、他プラのゴミを出しに行く。それから妻のデイの支度を手伝う。

 妻は折り紙をやっていたせいか、盛大にソファやこたつの上にお店を広げた状態。とにかく急かして支度をする。

 9時半頃にデイの送迎。水曜日は遅く来る。見送ってからようやく睡眠をとる。起きたのは午後1時くらい。それから中国美術のテキスト読み。

 まだノートをとってはいないけれど、とにかく知らない人名、地名、用語などが多数ある。中国表記のほとんど外字扱いのようなものが多い。

 ノートはOne noteを使っているけれど、単語の登録のオンパレードになるのが必須な感じ。仕方なくネットで調べてはコピーして、IMEの単語登録の作業をする。

 馬王堆漢墓(まおうたい)、形魄(けいはく)、木槨墓(もっかくぼ)、崖洞墓(がいとうぼ)、帛画(はくが)、画像塼(がぞうせん)、明器(めいき)、揺銭樹(ようせんじゅ)、説唱俑(せっしょうよう)、貯貝器(ちょばいき)、司馬炎(しばえん)、九品官人法(きゅうひんかんじんほう)、古画品録(こがひんろく)、気韻生動(きいんせいどう)、女史箴図巻(じょししんずかん)、骨法用筆(こっぽうようひつ)、随類賦彩(ずいるいふさい)、顧愷之(こがいし)、陸探微(りくたんび)、張僧繇(ちょうそうよう)、勧戒画(かんかいが)、王義之(おうぎし)、蘭亭序(らんていじょ)、婁睿墓(ろうえいぼ)、古越磁(こえつじ)、神亭壺(しんていこ)、洛神賦図巻(らくしんふずかん)、宗炳(そうへい)、仏図澄(ぶっとちょう)、鳩摩羅什(くまらじゅう)、敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)、雲岡石窟(うんこうせっくつ)、麦積山(ばくせきさん)、賓陽中洞(ひんようちゅうどう)、鮮卑族(せんぴぞく)、裳懸座(もかけざ)、戴逵(たいき)、戴顒(たいぎょう)、張僧繇(ちょうそうよう)、智顗(ちぎ)、玄奘(げんじょう)、義浄(ぎじょう)、盧舎那仏(るしゃなぶつ)、善無畏(ぜんむい)、金剛智(こんごうち)、不空(ふくう)、吐蕃(とばん)、展子虔(てんしけん)、閻立本(えんりっぽん)、尉遅乙僧(うっちおっそう)、呉道玄(ごどうげん)、李思訓(りしくん)、江帆楼閣図(こうはんろうかくず)、永泰公(えいたいこう)、懿徳(いとく)、窖蔵(こうぞう)

・・・・・・続く

4月の日誌的

テキストとレポート

 やはりGoogle keepで日記のようなものをつけ始めたら、はてなの方はおろそかになってしまった。まあここのところは、テキストの読み込みやら、レポート課題の草稿作りとかに時間をとられていたので、どちらかといえばそっちの影響かもしれない。

 科目は「西洋史」で課題は四問。最初の一問から四問までは西洋史というよりも「歴史学」や「歴史学」に関するもの。E.H.カーのこともテキストに言及してあったりなど、まずはテキストを読み込むのにえらく時間がかかってしまった。

 おまけに四問目はいくつかのテーマから選んでそれについて論じるのだけど、選んだのが「イギリス産業革命とその社会的帰結」。そのため別に『世界の歴史22巻』を概説書として通読するはめに。しかしなんで金払って、それもそこそこ高い金払って、こんな苦行しなくてはならないのだろうなどと。

 もう67歳の老いた脳ではもろもろ集中力、理解力も減じているし、本読んでいてもすぐに睡魔がやってくる。まあ卒業できようが、できまいが今年が最後なので、とりあえずダラダラ続けるしかないか。

4月2日

保険の話

 生命保険で2年前に受けた白内障手術の給付金が降りるようだ。先日やってきた保険屋さんにそのことを話したら、手術内容の明細が判れば降りるという。保険屋はずっとかけている生命保険が6月に更新になるので、継続するか、保険内容を見直すかみたいな話。

 今の生命保険は多分、祖母が始めたのでおそらく40年くらい前から。いちおう死ぬと〇千万くらいの死亡保険になるのだが、6月からは保険料が3倍近くに跳ね上がって7万近くになる。とても払えないので解約するつもりなのだが、解約しても10数万しか戻ってこないとか。

 もう子どもも独立したし、死んでも葬式代程度があればいいかなどと思ったりしてもいる。障害のある妻のことを考えると預貯金だけではしんどいものがあるかもしれないけど、こればかりは。

夕食

 めずらしく作ったものを全部書き出した。

麻婆茄子

スペイン風オムレツもどき

浅漬け

レンチン菜の花

サラダ

ゴーストバスターズ アフターライフ』

ゴーストバスターズ/アフターライフ | Netflix

 

 深夜、Netflixで『ゴーストバスターズ アフターライフ』を観た。新作の『ゴーストバスターズ フローズン・サマー』がまもなく公開されるということで話題になっていたのでその前作を観てみようかと。

 子役のマッケナ・グレイスは確かに上手い。新作でも主演を務めているようで順調にキャリアを積み重ねている。現在は17歳で、大人っぽい雰囲気で子役的イメージを脱し始めているようだ。この子は『ギフト』で天才少女役を演じていたのを覚えている。子役時代にスターとなった人は、その後のキャリア苦戦したり、薬などに走るケースもある。この子はどうなるだろうか。
 映画自体は定番のコメディであり、かっての雰囲気をよく受け継いでいる。監督のジェイソン・ライトマンは第一作の監督だったアイヴァン・ライトマンの息子。若い頃から俳優として、また監督としてキャリアをスタートさせている。シャーリーズ・セロンの『ヤングアダルト』、『タリーと私の秘密の時間』なども監督している。またデミアン・チャゼルの『セッション』の制作総指揮も行っている。

 その後もノリで女性科学者をメインにしたコメディスピンオフ作品『ゴーストバスターズ(2016)』も観た。これは昔、家族でワカバウォークで観ている。まあまあのドタバタコメディ。主役の女性たちはみなコメディエンヌとしてキャリアのある人たちで、久々観たけどけっこう楽しめた。

 ということで寝たのは明け方近く。

我が家の桜

 陽気がいいせいか、我が家の桜も少し花開いた模様。

 

4月3日

 朝8時少し前、妻の階下からの声で起きる。

 すぐに降りて妻のインシュリン注射をしてから、ゴミ出しに行く。前夜集めておいたビン、缶、他プラ。最近、よく飲むので缶ゴミが多い。

 

 9時頃、テレビの「モーニングショー」を見ていたら、石垣島や沖縄近辺で震度4の地震発生。震源は台湾近くで浅いので津波警報が出た。それからはどこのチャンネルを回しても「津波が来る、逃げて」のオンパレード。

 じょじょに情報が入ってきて、震源の台湾ではマグニチュードが7.6、震度も6強とかで、映像でもビルが傾いたり、山が崩れたりといった情報も入り始めた。

4月4日

 明け方まで西洋史のテキストからのノート書き。といってもメモソフトに入力してまとめているのだけど。

 起床は11時過ぎ。妻のインシュリンを打つために階下に行く。

 

 新聞に目を通すと訃報記事が。

 NHKのアナウンサーだった鈴木健二が亡くなったとか。この人の本『男は20代に何をなすべきか』が学生に読まれていたことを思い出す。勤めていた大学内の本屋でもそれこそ飛ぶように売れた。なんでこんな本が売れるんろうって思ったものだ。自己啓発雑誌の『ビッグトゥモロー』が創刊されたのも同じ頃だったか。

 同じくアメリカの作家、ジョン・バースが亡くなった。難解なアメリカ文学の人。自分的にはピンチョンと同じ括り。酔いどれ草の仲買人』、『やぎ少年ジャイルズ』は持っているけど読んだ記憶がない。引っ張り出して読む気もさらさらない。多分、一生読まないのだと思う。

鈴木健二さん死去 元NHKアナウンサー 95歳:朝日新聞デジタル

ジョン・バースさん死去:朝日新聞デジタル

 

 その後は妻のお出かけ欲求を満たすため、幸手の権現堂桜堤へ行く。去年行ったときは2月だったので駐車代は無料だったけど、今回は駐車場料金2000円をきっかりとられる。桜は三分から五分咲き。菜の花は満開近い。

 

 帰宅後、割と早めに夕食。

 その後はだいぶ咲き出した庭の桜見つつ、一人でだらだらと酒を飲む。酒は横山大観が愛飲したという「酔心」。なんとなく「勧酒」の気分だ。

勧酒  井伏鱒二
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

 

4月5日

 日中は中央公論の『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』のイギリス産業革命の部分を読んだ。例の西洋史の課題のため。もともと受験は日本史だったし(もう50年近い前の話だけど)、世界史のことは本当に知らないことばっかりである。

 農本主義から工業化社会への転換、人口増加、運河建設、舗装道路、鉄道の建設など交通網の整備。すべてエネルギー源の石炭を炭鉱から紡績工場のあるランカシャー地方(マンチェスターなど)に運ぶためだったとか。

 夕方、友人と会うために外出。その前に妻用の夕食のおかずを作る。

 友人と会う前に少しだけ散歩。埼玉は駅から少し歩き、住宅地を離れるとけっこう畑にでくわすが、菜の花畑や桜を見かけることもある。

 

4月6日

 前夜、明け方4時過ぎまで映画を観ていたので、かなり遅い起床。妻のインシュリンをうってから軽めの朝食。

 午後は自室でダラダラと過ごす。事前に車椅子を外に出しておいたので妻は3時過ぎに一人で散歩に出かける。その間に週に一度の掃除。

 夜7時くらいに駅前のスーパーに行き買い物。トンカツが30%オフになっていたので2パック購入。夕飯はカツ煮に決定。他には半額になっていたさつま揚げの詰め合わせとか。なんかこういうおつとめ品や半額ものを7時過ぎに買いに行くって、高齢貧困家庭っぽい。いや実際そうなんだけど。

パルプ・フィクション

 明け方近くに観たのはタランティーノの『パルプ・フィクション』。Netflixで観たのだが本当に久々観た感じ。最近、たしかAmazon primeで『レザボア・ドッグス』を観たので(こっちは初めて)、その流れでって感じ。知性のかけらもないクズなギャングのエピソードを集め、時系列をバラバラにしたアンソロジーみたいな映画。『レザボア・ドッグス』に比べるといささか冗長ではあるが、やっぱり面白い。トラボルタとユマ・サーマンのツイストを踊るシーンは何度見ても最高。

 クリストファー・ウォーケンの出てくるシークエンスはちょっとダラける感じで寝そうになった。クリストファー・ウォーケンハーヴェイ・カイテルなどを使うところなど、タランティーノマーティン・スコセッシ好みなんだろうなと感じる。そういえばデ・ニーロはなかなか出てこないなと思ったのだが、あれは『ジャッキー・ブラウン』だったか。

 勢いで次は『ジャッキー・ブラウン』も観るかとは多分ならないと思う。タランティーノ、面白いことは面白いが殺伐としているし、ぶっちゃけクズたちの話はちょっと食傷気味かもしれない。この感覚は北野武の映画をあまり観たいと思わないのと同じような部分かもしれない。

 同じクズを集めたヤクザ映画でも、深作欣二の『仁義なきシリーズ』はけっこう好きなのだが、その違いがなんというか微妙。多分『仁義なきシリーズ』はヤクザ映画というよりも、ヤクザ社会でのある種の群像劇みたいな部分に面白味を感じるのかもしれないな。まああまり掘り下げて考えたことはないけど。

4月7日

 妻がデイサービスの友人たちとカラオケに行くというので、その送迎を仰せつかった。11時からの約束で、その10分くらい前に友人2名を車で拾ってカラオケ喫茶まで。

 妻の友人の一人は70歳過ぎの独身男性、妻と同じく脳梗塞片麻痺。状態は妻よりはだいぶいいようで、なんなら一人で少し離れたカラオケボックスまで出かけていくという無類のカラオケ好き。もう一人はやはり70過ぎの女性。こちらはたしか脳幹出血の後遺症で下半身に痺れがあるという。とはえい両手両足ともに使える。ただ痺れであまり感覚がないという。

 そういう意味では片麻痺高次脳機能障害、1種1級という点だけでいえば妻が一番重症なのだと思う。まあ病気はすべて個々だからなんともいえない。

 

 夕方、また迎えに行くまではフリータイム。

 割と近くということもあり、一人でいつも妻と二人でよく行く高麗川遊歩道に行く。

 手ぶらで来たので、スマホBluetoothのイヤホンつなげて音楽を聴く。なんかBeatlesローラ・ニーロスティーヴィー・ワンダートッド・ラングレンばかりがループしている感じだった。

 遊歩道の周囲に咲く菜の花、桜とも満開に近い。

 菜の花畑を見ていると、なんとなく「菜の花畑でつかまえて」みたいな言葉が思い浮かんだ。もちろん『The Catcher in the Rye』のパクリだ。イメージ的には菜の花畑で「死」に捕縛されるような感じ。そうだな、菜の花畑で死ぬというのも悪くないかと。

 なんとなくスウェーデン映画、ベルイマンの『みじかくも美しく燃え』を連想した。音楽はたしかモーツァルトのピアノ・コンチェルトだったか。

 

 

 

 

4月8日

 8時少し前に起床。妻のインシュリン注射。

 紙ごみの日なので、前日縛っておいた新聞紙を捨てに行く。

 午前中、先週とった西洋史のノート読みながら、そのままうつらうつら。

『エア・フォースワン』

 午後、NHKBSでやっていた『エアフォース・ワン』を観る。これは多分初めてかもしれない。ハリソン・フォードが大統領役で、ハイジャックされた大統領専用機エアフォース・ワン内で孤軍奮闘する話。荒唐無稽だが面白い。女性副大統領役のグレン・クローズが名演技。この人はやっぱり『ガープの世界』の母親役が印象的。あと『危険な常時』がオカルトチックで凄すぎた。

4月9日

 前夜からずっと雨が続いてる。

 朝はいつものように妻のインシュリン注射。それから前夜用意した燃えるゴミを出しに行く。

 妻をデイに送り出してから眠ってしまい、目を覚ますと昼近い。そういえば前夜はNetflixで『正しい医師生活』を3~4話みたんだっけ。これはたしか2年くらい前に夢中で観ていた記憶がある。医者もの、大病院での群像劇だが、とにかく悪人が出てこない。多分、韓国ドラマでは一番好きかもしれない。

ア・フュー・グッドメン

 これもNHKBSでやっていたので観た。

 キューバのグンタナモ基地内で起きた殺人事件を巡る法廷サスペンス。トム・クルーズジャック・ニコルソンデミ・ムーアキーファー・サザーランドらが出演。面白い映画だが、やっぱりトム・クルーズが二枚目過ぎて入ってこない感じ。けっして演じが下手ということではないのだけど。この感覚は『7月4日に生まれて』でも感じたものだ。

 ジャック・ニコルソンの演技はいかにもというか感じの軍人ギミック。トム・クルーズの優秀な弁護士にして海軍の将校といいもう少し類型的な役柄を変えた方がいいような気もした。

 ハリウッドのシステム、人気俳優起用による興行収入期待とか、もろもろあるのだろうけど、こういう配役はちょっと微妙、せっかくの法廷ドラマの緊張感がだいなしみたいな感じがする。こういう映画ではもう少し配役を考えた方がいい。そしてジャック・ニコルソンはやり過ぎというかなんというか。でも当時的にいえば人気二大俳優を配し、さらにやはり人気のあったデミ・ムーアも使っている。主役三人で制作費の三分の二くらいもっていったのではないかと想像したり。

 ということで面白いような面白くないような。ぐいぐい画面に引き込まれることもなく終了した感じ。

4月10日

 前夜はNetflixジュリア・ロバーツ主演の『終わらない週末』を観た。サイバー攻撃でネットワーク、通信が遮断されたリゾート地で孤立化していく家族の話。奇妙な映画だ。

 カメラワークがけっこう面白いこと、制作会社がバラク・オバマとミシェル・オバマが立ち上げた会社で、二人はエズゼクティブ・プロデューサーも兼ねているとか。

Watch 終わらない週末 | Netflix Official Site