謎の公園

 地域の小ネタである。

 いや、小ネタにもならないかもしれない。

 2日に妻と近所を散歩していて見つけた鶴ケ島JCTの間にある緑地広場。歩いていて偶然見つけたところだ。以前から関越自動車道と圏央道がクロスし、それぞれから入り繰りしている間にポツンと緑地帯があるのは知っていたのだが、はてさてどうやったら行けるのかと思っていた。今回、実際に行ってみると、一応鶴ヶ島市による園内での注意事項を記載した看板があり、やれゴルフ禁止、ボール禁止、犬の放し飼い禁止みたいなことが面々書かれていた。

 Googleマップで検索してみると、実際に藤金公園という表記もある。こんな感じだ。

 

 

 でも市のHPの公園一覧には藤金公園は載っていない。同様に市民の森の一覧に載っていない。

つるがしまの公園紹介 | 鶴ヶ島市公式ホームページ

市民の森 | 鶴ヶ島市公式ホームページ

 なにかちょっと因縁あり気というか。

 実際、その日も土曜日だというのに、公園(?)の中にいたのは犬を連れた夫婦連れが一組。ベンチらしきものはないのだが、脇に木を切ってそのまま置いたようなイスらしきものに老人が一人座っているだけ。そこに車いすを押した老夫婦の私たちである。そして駐車場には車が三台ほど止まっている。これって営業車がちょっと休憩(サボる?)できる隠れ家みたいなところなのだろうか。

 車いすを押して散歩をして偶然見つけた場所なので、試しに車で行けるかと思い5日の子どもの日でちょっと行ってみることにした。ナビの地図を見ながら、細い道を通ってなんとかたどり着く。確かに公園(?)はあった。

 しかしGWの午後だというのに誰一人いない。

 

 

 ここは異界、冥界みたいなところなのか。

 舗装されていない駐車場には車が2台止まっている。でも人の気配がほとんどない。1台のワンボックス車は窓が前回で、後部にカーテンで窓が目隠しされているので、ひょっとしたら仮眠中なのかもしれない。しかし.........。

 せっかくなので車を止めて車いすを出して妻と一緒に中に入る。でも芝生は柔らかくて車いすを押すのには適していない。妻はあまり乗り気ではなかったが、車いすを押して少し歩くことにする。こうやって少しでも歩行訓練しないのと、どんどん機能は落ちていくから。でも芝生は杖をついて歩くのもなかなか大変なようで、ずっと手をひいて歩いた。

 ほんの少し歩いて、妻が疲れたというので歩行訓練は終了。車いすに乗せて駐車場に戻ることにした。駐車場の前の道路を隔てて、至近に関越自動車道が見える。低い柵があるだけなので、入ろうと思えば高速道路内に立ち入りが可能だ。逃走した犯人が車を乗り捨てて高速道路に入り込み、車の間をすり抜けて向こう側に逃げようとする。そして運悪く対向車にはねられる。そんな胡乱なことを適当に想像してみる。

 関越道とクロスしている圏央道はかなり高いところの高架を走っている。

 改めてこの空間はなんとも不思議な感じがした。

 

 その後は、御伊勢塚という近くにある住宅地にある公園に行く。そこには大きな池があり、その近くには小畔川が流れている。園内の池を半周してから、道路を隔てた小畔川の両岸の遊歩道を歩く。気持ちが良い午後だ。

 途中でヒジャブをかぶったムスリムの女性が小さな女の子と二人で散歩しているのとすれ違った。「こんにちは」と声をかけると、母親も「こんにちは」と返してきた。女の子にも「こんにちは」と声をかけたが、彼女は不思議そうな眼差しをこちらに向けただけだった。人見知りな子なのかもしれない。

GW前半の日常雑記

 とりあえずGWはどこにも行く予定がない。

 たぶんどこへ行っても混んでいるような気もするし。

 とはいえ先々週、軽井沢や山梨方面に小旅行したときも思ったし、土日の関越道の混み方を見ているとどうなんだろうね。いや散歩していて関越道の跨線橋とかを通って眺めていると、妙に車が流れている。やっぱり物価上がっているし、ガソリン代も高い。観光どころじゃないのかもしれない。

 

 そういえば大学の聴講生の件、大学から聴講許可のメールが来たので、聴講料の支払いを済ませた。これで前期、後期と、とりあえず週に1回都内の大学に通うことになったわけだ。

 実はもうすでに3回聴講している。最初はガイダンスだったけど、2回目からはきちんと授業を受けている。最初前から3列目は右側に自分、真ん中に一人、左側に一人だったんだけど、3回目は3列目は自分だけになった。なんか、前の方には聴講のおじさんやおばさんが座るというのは、授業あるあるらしい。とはいえ、今さら席を移動するのもなんなんで、もうおじさんは前から3列目を指定席にしようかと思う。とにかく前にはスライド写すスクリーンと教員だけ。後ろはようわからない、振り向かないから。

 授業はまあまあ面白い。いちおう予習もしているし、すでに何冊か本も読んでいるから既出というか、知っていることも多いけど、やっぱり新たな知見的なことも多い。なんていうか授業受けながら「お~」みたいな。もちろん心の声だけど。

 とはいえ予習や復習も意外と進まない部分もある。やっぱり集中力ないというか。これは年齢的にも致し方ないことなんかなと思ったりおしている。

 

 一昨日、昨日とご近所を散歩している。妻がお出かけしたがっているし、そうなると無碍にもできないし。

 土曜日のご近所散歩は、子どもが通った中学校のあたりから、洋風の住宅が立ち並ぶあたりへ最初行った。ここらは10年くらい前まで、クリスマス時期になると各戸が競うようにしてイルミネーションをしていた。洋風建築でイルミネーションということで、アメ村(アメリカ村)と呼ばれていた。

 でもだいぶ前からいつのまにかイルミネーションがなくなってしまった。思うにそれは、それぞれの家でお子さんが大きくなったとか、巣立ったとかそういうことなんだろうな。うちのそうだけど、子どもたちはみんな家をでて都心に向かう。ディープ埼玉のある種の少子高齢化ってけっこう進んでいると思う。

 次にその近くにある割と大きめの神社へ。そこにはずいぶん前に一度初詣に来た。たぶん10数年前になるだろうか。神社というと、日高の高麗神社には年に1~2度いくし、それこそ箱根神社あたりも毎年のようにも行っている。なのに地元の神社は10年ぶりとかって。まあそういうものなんだろうな。

 

 

 関越道と圏央道が交差する鶴ケ島JCTの間にぽつんと隙間のようにしてある広場を発見。そういえば以前から地図を見ていてなにか緑地帯のようなところがあるのは知っていたのが、これがそうなのかと。夕方近くということもあり、ベンチに座る老人が一人。犬を連れた夫婦連れが一組だけ。車いすで公園の中に入ったが、芝生はちょっと押しずらい。すぐに公園を後にした。

 その後、近くのスーパーに寄ってトイレ休憩。それからお隣の駅にあるサイゼリヤでやや早めの夕食。その時点ですでに9.6キロ歩いているのでガソリンを入れることに。妻と二人で生、小エビのサラダ、ポテト、ピザなど。妻はそのあといつものハンバーグ、ポタージュ、フォカチャなど。自分は安いワインをチビチビ飲んだ。

 帰りは最寄り駅までまた歩き。最後に駅前のスーパーにちょっと寄って帰った。疲れていたのですぐに寝た。翌朝アプリで歩いた距離をみると13.5キロ。これはアラ古希にはつらい。

 

 日曜日は掃除や洗濯。

 午後、遅くになって川島の平成の森公園へ。ここはバラ園や菖蒲の池などがある。バラはまだ早いかと思ったが、ところどころ早咲きのものが咲いている。キレイな花を見ていると、月並みだけど心が和む。

 

 

 

 

 その後は園内をぐるりとしてから、次に公園の周りの田んぼのあたりを少し歩いた。田んぼは水をはってまもなく田植えを行うところ、すでに田植えが終わったところ、今回は遊休地にするのか、ただ泥を掘り返しただけのところなんかが入り組んでいる。

 おそらく田んぼの準備なのか、トラクターで土を耕している。その近くに白鷺がいる。妙に慣れているのか、トラクターと絶妙な距離を保ちながらも逃げて飛び立つということもない。しばらくトラクターと白鷺の鬼ごっこみたいな光景を眺めていた。

 帰りに近くのホームセンターに寄ってちょっとした買い物。今は少し買い物するだけで軽く5千円を超えてしまう。物価上昇を日々感じる。

 帰宅後、アプリを見ると歩行距離は4.8キロ。そんなものだろう。
 

最近の訃報について

 人が死ぬ。

 自分が見知った人の訃報に接すると、有名、無名に関わらず一抹の淋しさを感じる。あの人も亡くなったのかという、小さな感慨。でも最近はというと、なんていうのだろう、みんな死ぬんだよという、ある種の諦観と共に受容するような面持ちになる。

 そして例のカート・ヴォネガットの決まり文句になる。ドレスデンの大規模な空爆を捕虜として体験したことをモチーフにして書いた『スローター・ハウス5』のなかで、人が死ぬたびに繰り返させる言葉。

そういうものだ

so it goes.

4月17日 ナタリー・バイ(77)

 フランスの名優ナタリー・バイが死去 77歳『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『ダウントン・アビー』に出演 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

 ナタリー・バイの訃報に接したとき、77歳だったことと、思った以上にキャリアのある大女優だったことにちょっと驚いた。自分にとっての彼女はずっとトリフォーの『アメリカの夜」のスクリプターだったから。髪の長い、眼鏡をかけた理知的で仕事ができる女性のプロトタイプを好演していた。そして何よりも映画が大好きな裏方。映画の主役の一人である女好きで甘々の二枚目俳優ジャン=ピエール・レオの恋人役でもあるのだが、彼の純情一直線を軽く受け流している。そんな感じだったか。『アメリカの夜』が彼女のキャリアの最初だったのはずいぶん後になって知った。

 『アメリカの夜』ではとにかく仕事をテキパキとこなすスクリプター兼なんでも屋。主役のパメラが初めて義理の父と過ちを犯した翌朝、ほとんど手をつけなかった朝食をドアの外にそっと出す。そこに子猫がやってきてミルクを飲むというシーン。子猫がちっともミルクを飲んでくれない。そのたびに「カット」とNGテイクが繰り返される。

 するとナタリー・パイが子猫の代わりになる野良猫を捕まえてくる。その猫はワンカットで朝食のお盆の周りを匂いを嗅ぎまわり、そしてミルクを飲みだすという名演技をみせる。映画撮影の悲喜こもごもが描かれたいいシーンだった。

 

 



 この映画でナタリー・バイが演じたスクリプター、ジョエルのモデルは、トリフォーが信頼を寄せていた脚本家、助監督、スクリプターであるシュザンヌ・シフマン。彼女はトリフォーよりも3歳上で、そのキャリアをみるとトリフォーの主要作品で助監督、脚本をしているほか、ジャック・リヴェット、ゴダール、ジャック・ドゥミらの助監督、脚本を務めている。いわばヌーヴェル・バーグのど真ん中を生きた映画人だったようだ。

シュザンヌ・シフマン - Wikipedia

 彼女について、あるいはナタリー・バイについて山田宏一はなにか書いていないだろうか。

4月17日 篠原勝之(84)

「ゲージツ家のクマさん」篠原勝之さん死去 SNSに最後の言葉:朝日新聞

 「ゲージツ家のクマさん」か。テレビで出るだいぶ前からこの人のことは一応知っていた。赤瀬川原平などと同じ縊りだったか。嵐山光三郎、赤瀬川原平も亡くなっている。なんとなく面白グループ的には南伸坊、椎名誠、なども一緒だったのだろうか。そういえば過激派くずれのコピーラター糸井重里もそうだった。彼だけは、なんか遠いところに行ってしまったような気もするな。当時、情報センター出版局から面白いエッセイ本がたくさん出ていた。篠原勝之もそうだったし、村松友視や椎名誠もそのへんから出てきた人だった。

4月18日 水田玉枝(96)

水田珠枝さん死去:朝日新聞.

 ジェンダー研究の先駆けみたいな人だっただろうか。たぶん岩波新書の『女性解放思想の歩み』は読んだような記憶がる。この人の場合、ご主人というかパートナーというか、やはり水田洋のことを思い出す。アダム・スミス研究の泰斗。社会思想史をかじると、必ず水田の師でもある高島善哉や水田洋にぶちあたるというか読みことになったような。その水田洋は2023年に103歳で亡くなっている。

4月19日 デイヴ・メイスン(79)

英ロックバンド創設メンバーが自宅で死去…椅子に座って 死因は明らかにされず 重度の感染症後にツアー活動引退(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース

 トラフィックもさほど聴いていなかったし、ソロになってからのデイブ・メイスンもきちんと追いかけてはいなかった。でもこの1曲だけがずっと愛聴盤的に聴き続けてきた。キャリアの長い人だし、最近はテデスキ・トラックス・バンドと一緒にライブやったりもしてたっけ。

4月19日 デスモンド・モリス(98)

「裸のサル」が2千万部超 動物学者・デズモンド・モリスさん死去:朝日新聞

 1970年代から80年代にかけて、この人の著作はかなり売れた。文庫判の『裸のサル』は常時平積みだったし、小学館から出ていた『マンウォッチング』は大判書籍ながらこれもよく売れていた。そのパートⅡでもある『サッカー・人間学』もまあまあ売れた。実は自分も読んでいる。以前、サッカーの本を出すことになったとき、著者の新聞記者がこの本を参考にしたいというので、編集者からの依頼で貸したことがある。もちろんその本はあまり売れなかった。多分、Jリーグが始まる少し前のことだっただろうか。

 この頃は動物行動学とその人間の行動への換用は、けっこう流行していたように思う。それもあってかコンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』もロングセラーだったと記憶している。

4月26日 ネドラ・タリー(80)

Nedra Talley Ross, last surviving member of the Ronettes, dies aged 80 | Music | The Guardian

 

 80歳だったとか。これでロネッツのメンバーは全員鬼籍に入ってしまった。

 

 

 左がネドラ・タリー、真ん中がロニー・スペクター、右がエステル・ベネット。こうやって改めた見てみると三人とも美人。そしてロニーのあの歌声、さらに作曲、プロデュースは当時売れっ子のフィル・スペクター。売れるべき理由が揃っていた。歌手を志したのは、ポップ・ミュージックにはまっていたロニーが姉のベネット、従妹のネドラを誘ったからだったとか。解散後、ロニーはソロとしても活躍しただけに、最初から彼女だけという選択肢もあったかもしれない。でも三人揃ったロネッツには言い知れぬ魅力があった。三人とも先住民の血を引くという。そのへんがちょっとエキゾチックな雰囲気を醸していたかもしれない。

 

4月28日 五十嵐淳子(73)

俳優の五十嵐淳子さんが死去、73歳 中村雅俊さんの妻:朝日新聞

 女優、中村雅俊の妻。

 自分らからするとほぼ同年代のアイドルだった人。美人というよりも可愛らしいタイプでグラビアアイドルの走りみたいな感じだったか。そしれなによりも五十嵐じゅんという名前だった。死因は現段階では発表されていず急死とのみ。

 五十嵐じゅん(1952年生)、岡崎友紀(1953年生)、吉沢京子(1954年生)、このへんが自分からするとちょっと年上のアイドル、ごく初期のアイドルだったように思う。同時に歌手だと天地真理(1951年生)、小柳ルミ子(1952年生)、南沙織(1954年生)あたりか。そのすぐ後に麻丘めぐみ(1955年生)とかも。

 たぶん中学生くらいの年齢だったと思う。自分は多分岡崎由紀と南沙織のファンだっただろうか。そしてそこからなぜかフィギュア・スケートのジャネット・リンにいったりした。同い年のアイドルとして出てきたのが浅田美代子(1956年生)。それから一気にアイドルはみんな年下になっていった。花の中三トリオとか。その頃には急速にアイドル的なものに興味がなくなっていった。まあ自然とリアルな女性に興味がいくようになると。

 しかし五十嵐じゅん、もとい五十嵐淳子の死はなんとなくショックだな。やっぱり同世代ということになるのだろうから。

ハイジの村(4月25日)

 軽井沢から山梨県北斗市にやってきたのはこれ。

 妻がどうしても行きたいと言うのですよ。

 理由を聞くと、どうもデイケアのリハビリの先生がここにやってきてライブ配信をしたのだとかなんとか。

 ハイジの村は山梨県が運営するテーマパーク。県立のフラワーセンターのようです。

Top of ハイジの村

山梨県立フラワーセンター ハイジの村 - Wikipedia

 もともとは1998年にフラワーセンターとして開園したが入園者数が低迷。2005年に民間企業の活力を導入、アニメ作品『アルプスの少女ハイジ』の著作権をもつ企業と契約を結び、指定管理制を導入して今の「ハイジの村」という形になったのだそうな。そして指定管理者は信玄餅で有名な桔梗屋だという。

 「ハイジの村」の名を冠してからもすでに20年を経過している。そこそこに年季が入ったテーマパークでもある。まず大きな駐車場からエントランスに来ると、建物全体がシートに覆われている。ただいま外壁工事の進行中だそうな。そして入り口を抜けると広場みたいなスペースがあり、そこから次の建物に入るのだけれど、その広場にはバラなどの花木の鉢植えが所せましと置いてある。全部、値札がついた売り物のようでした。さらに右側にレストラン(営業してないような)があるらしく、その奥にはバラの温室があるのだが、ここに置いてある鉢植えも全部売り物。なんとなくテーマパーク併設のホームセンターみたいな装い。

 次の建物にもレストランやショップ、花屋さんがあって、その先にようやく屋外施設がある。これは斜面を利用した大きな花壇が棚田のように何層にも重なっている。その間の遊歩道は緩やかに下っている。これは行きはよいけど帰りはけっこう足くるなと思いつつも、とりあえず進むことに。妻はまあまあ喜んでいるので、すべては良しとすることに。

 花壇は一面チューリップ。これはなかなかに見応えあるというか、まあ普通に美しい。

 

 

 花は寄って見るのも良し。

 
 

 

 やっぱりキレイな花を見ていると心洗われるというか。心黒い自分のような人間でも、なにかしら感じ入るものはある。そしてチューリップも様々な種類があり、これはこれで飽きない。

 

 

 

 そういえば前日も軽井沢のレークガーデンでチューリップを見ているので、今回の旅行はなんとなくチューリップずいているという感じ。でも山梨のこちらの方が、規模感が圧倒的にすばらしい。この規模のチューリップはというと、何年か前に行ったひたち海浜公園のそれに匹敵するか、それ以上かもしれない。

 ネモフィラで有名なあの公園は敷地が広大で、左側のネモフィラの小高い丘と右側の遊園地の間にチューリップが植えてある一角があって、けっこう見事だった。でもハイジの村のチューリップはたぶんそれ以上かも。
 ハイジの村の斜面を利用した花壇は、夏になるとひまわりになったり、秋にはコスモスなど四季にあわせて彩りを変えるようだ。

 とりあえず目の保養というか、心の潤いというか、和むというか。

 花を見てウルウルするのは年齢のせいとかいわれるが、感受性のバリアが薄くなってきているのかもしれない。子どもと年寄りは景色、風景の類に対する受容性が単純明快というか。

   それに対して若い人たちいろいろね、社会生活を強いられると、素直に喜んではいられないような、感受性バリアみたいなものができてくるのかもしれないなと。まあ、今考えたような適当な思いつき。

 

 

 とりあえず花の方はこれくらで、ハイジの方はというと、館内にハイジのテーマ館があり、ハイジのぬいぐるみとかアニメの資料とかもあったり。そしてハイジの舞台のジオラマなども。

 

 

 なんかこのジオラマ、既視感があるな。以前、たしか2019年だったか、東京国立近代美術館で高畑勲の回顧展が開かれたことがあった。そのときにこれとよく似たジオラマが展示してあったような。

 アニメの『アルプスの少女ハイジ』は、ジブリ設立以前に高畑勲が総合演出を務め、宮崎駿が場面設定や場面構成を担当したものだった。まんまその後のジブリの世界観(あまり使いたく言葉)を先行的に体現したようなそういう作品だったと。放送されたのは1974年で、自分は高校生だったはずだが、こういうのはほとんど見た記憶がない。

 当時はティーンエージャー以上の子たちがアニメを見るというのは、あまりなかったような気がするな。自分はというと、クラシック・ディズニー至上主義者だったので、中学生くらいまでは『ジャングル・ブック』とかそのへんまでは劇場で観ていたクチだけど、日本のアニメはほとんど見なかったかな。あのコマ割りというかセルを制限したためか、しゃべっているのに口は空いたままみたいな質の悪い作品群はちょっと見ているのがしんどかった。ちょっと動く紙芝居みたいな感じがしたものだ。

 10代、20代の若者、あるいは大人が普通にアニメを見るようになるのはいつ頃からなんだろう。やっぱり70年代後半の『宇宙戦艦ヤマト』とか『ガンダム』とかそのあたりだろうか。ジブリが劇場アニメを作りだしたのは『ナウシカ』の1984年が最初なので、やっぱり80年代あたりからアニメがサブカルからじょじょにメインに移行していったのかもしれない。

 当時、書店に勤めていて、『アニメージュ』、『アニメディア』、「月刊OUT」とかそのへんが少しずつ売れ始めていたような気もする。でも買っているのはなんとなくオタク的な子たちだったような。

 今はもうアニメがコンテンツとして子どもだけでなく大人も普通に受容するものになっている。でも実は今一つ観ないんだよな。いちおう宮崎駿の新作くらいは劇場で観ていたけど、でもあまりのらないな。

 自分が世の中についていけなくなったのは、多分ゲームをしない、アニメを見ないとか、そのへんからかもしれない。ちょうどその頃が40代後半から50代みたいな時期だったか。そしてもはや高齢者だし、もう今さらアニメもゲームもいいかなと少しだけ思ったりもしている。他に受容すべきコンテンツがあり過ぎるのだし、それこそ映画、音楽、絵画やその他の芸術作品もたくさんある(アートという言葉もあまり使いたくない)。なのでアニメはまあいいかとスルーしてもいいと思っている。

 とりあえず今回の山梨県立フラワセンター・ハイジの村は、ハイジ的要素を差し引いても、チューリップがキレイだったので、そこそこに満足。ただし斜面を利用したこの手の公園は、やっぱり車いすおしているとけっこう来る。

 そこそこ広いし、金もあまりかからない。自然は沢山あるので、小さな子どもがいるご家庭は十分楽しめるかもしれない。とはいえ次、埼玉からわざわざ来るかとえば、ちと微妙。花や自然なら近場で森林公園もあるし。

 ということで以上、ハイジの村についてでした。

野辺山周遊② 野辺山電波天文台(4月25日)

 

 ジャジャ~ン。

 野辺山に大きな電波望遠鏡があるのはなんとなく知っていた。

 今回、ナビを見ていて、けっこう近くにあるなと思い行ってみることに。といっても根っからの文科系の人なので、天体観測的なものにはほとんど興味はないな。子どもが小学生の頃に自由研究のネタにもなるかとオモチャの天体望遠鏡を買ったことはある。チープでお手軽なケンコー製だったか。間違ってもピクセンなんてとんでもない。

 しかし電波望遠鏡って、そもそもなんなん。実はよくわからない。なんとなくだが、大きなパラポラアンテナで電波を集めて、おそらくブースターみたいなもので増幅させて、画像として可視化させる。BS/CSアンテナのかなり規模のでかいものみたいな理解でいいのだろうか。いやこれはちょっと違うか。とりあえず文系の高齢者なので。

国立天文台 野辺山

野辺山宇宙電波観測所 - Wikipedia

 国立天文台野辺山は駐車場無料、入館料も無料。運営は1969年に開所されているので、56年くらいの歴史がある。一番巨大な45m電波望遠鏡も1982年に完成してから44年経過している。

 ミリ波望遠鏡は大きいほど視力が高まり、小型のミリ波干渉計はつなぎ合わせることで効果をあげるのだという。そしてこの観測所で培われた技術、ノウハウなどはチリにあるアルマ望遠鏡に受け継がれているのだとか。

東アジア(日本・台湾・韓国)・北米(アメリカ合衆国・カナダ)・ヨーロッパの国際共同プロジェクトである。アンデス山脈中の標高約5,000mの高地砂漠(アタカマ砂漠)に高精度パラボラアンテナを合計66台設置し、それら全体をひとつの電波望遠鏡として観測可能な開口合成型電波望遠鏡として活用する。観測に用いる波長帯は1cm(31.3GHz)から0.3mm(950GHz)である。

アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計 - Wikipedia

アルマ望遠鏡 - 国立天文台

 

 オジサンには今一つ理解がすすまない。でもこれはかなり壮大なロマンだ。もともと可視光の天体望遠鏡によって見える星の光もおそらく相当昔のものを目にするのであり、可視化されない微弱な電波を集めてそれを可視化させる。当然そこで得られる情報も〇〇光年の距離にある大昔のものになる。もはや宇宙の情報というのは、日常の時間軸で考えてはいけないものなのかもしれない。

 宇宙空間での同時性、共時性について。それを考えると科学は哲学、あるいは宗教、それらを縫合するような観念体系に収斂されてしまうのかもしれない。

 我々の時間軸とは異なる悠久の時間。それを観測するのは、都会から離れた場所だ。もともと野辺山に観測所が開かれたのは、この地が標高が高く乾燥していてミリ波の観測に適しているという。さらにさまざまなノイズの妨害が少ない広大な土地も必要だという。

 観測所に細長い土地で、ところどころにミリ波干渉計、太陽電波強度偏波計、電波ヘリオグラフ、そして45m電波望遠鏡などが偏在している。受付からみて左側には白樺を中心として森林があり、右側は信州大学の広大な農場=牧草地となっている。

 こういうところで日々観測に従事するというのもある種のロマンかもしれない。天文学を夢みた少年の理想的な将来がここにあるという。

 これがチリのアルマ望遠鏡となるとさらに規模感がとんでもないことになる。標高5000mのアタカマ砂漠で広さは直径16㎞、そこに高精度パラボラアンテナが66台設置してあるのだとか。そこで従事する研究者は100名以上で、日本からも10数名が赴任しているという。

「今度、アルマで仕事することになった」は天文学者にとっては垂涎の的かもしれないな。

 話は野辺山に戻す。見学コースは受付からまっすぐ45m電波望遠鏡までの細長く続く。左手にはアンテナ移動台車が通るレールが敷設されている。右手には展示棟や信州大の農場に沿って小さな電波ヘリオグラフが連なっている。長い見学用の歩道の間には、アンテナ直径が10mのミリ波干渉計が6台設置されているが、こちらはアルマ望遠鏡が運営されてから稼働はしていないという。

 受付から45m電波望遠鏡まではだいたい600メートルくらいの距離がある。往復したり展示棟を見学したりするとだいたい1.5キロくらいは歩くかもしれない。でも見学コースは平たんで、天気も良かったので気持ちよく回ることができた。車いすを押していてもまったく苦にならないし、妻もけっこう興味深々に望遠鏡や展示棟を見学している。

 土曜日のお昼過ぎの時間で、そこそこ見学者はいるけれど、敷地が広いので、なんとなくポツン、ポツンと人がいるみたいな感じ。開放感ってこういうことをいうのかもしれない。見学しているのはもちろん我々のような高齢者もいるけれど、どちらかというと若いひとたちが多い。そして家族連れも多い。小学生くらいの子どもを連れたお父さん、お母さんたちが。きっとかっての科学少年、科学少女たちが子どもに自分がかって感じた宇宙のロマンを継承させたいと。まあそんな大それたことではないのだろうけど、子ども連れて来たいところだろうなとは思う。上野の科博と野辺山天文台はある種の聖地感があるかもしれない。

 
 

 

 

 

 45m電波望遠鏡は文字通りアンテナ直径が45mある。その下にいると、なんとなくR・シュトラウスの交響詩「ツァラツストラはかく語りき」が頭の中で鳴り出す感じがする。「2001年宇宙の旅」のあれですよ、あれ。

♪♪ジャジャ~ン♪♪

 最後に駐車場からはるか向こうに八ヶ岳のスカイラインが見えました。

 

野辺山周遊① 野辺山駅とリゾートマンションのこととか(4月25日)

 国道141号線を走っている。

 八千穂町、小海町、南牧村と緩やかに登っていき、いよいよ八ヶ岳エリアに入る。なんとなく周囲に牧場的景色があったり、右手には八ヶ岳の稜線も見えてくる。

 天気も良く気持ちもいい。標高も高く、空気もカラっとしていて高原ドライブという感じ。

 前方で道路が右に湾曲する。それとは別にまっすぐ進む道路がある。ウィンカーを出してそのまま直線道路を行くと右手に蒸気機関車が展示されたり、遊具が設置された公園があり、左側には駅のロータリーが見えてくる。

 日本一標高の高い地点に位置するJR野辺山駅だ。

 

 そして駅舎の左手に少し行ったところには記念碑もある。

 

 

 標高1345.67m。記念碑の文字には国鉄最高地点とある。昭和だね。

 ここには以前、一度来ている。

 友人が八ヶ岳の麓にリゾートマンションを持っていて、一度招待してくれた。子どもが4~5歳の頃だったから、もう25年くらい前になるのだろうか。近くの牧場や清里などをいろいろと案内してくれた。この碑の前でも記念撮影しているので、探せば写真が残っているかもしれない。当然のごとく銀塩写真だ。

 友人とはその頃は毎月1度くらいは会って飲んだりしていたけど、こちらも子育てに忙しく、お互い仕事も多忙になり、それこそ今では年賀状だけのやり取りになってしまった。マンションは母親名義だったとかで、当時築10数年だったから、今は築40年くらいになるだろうか。リゾートマンションも築年数が経過するといろいろな問題もあるだろうな。オーナーの高齢化、管理運営などなど。おそらく毎月の管理費は3万前後、他に年間で共益費が必要だし、それなりの観光地だと固定資産税もそこそこだ。

 15年くらい前だったか、取引先の知人から熱海のリゾートマンションを勧められたことがある。当時で築30年以上で、金額は100万以下だった。なんならタダ同然で渡してもいいとも言われた。聞けば、毎月の管理費など維持費が5万以上かかるのだとか。まあこれは当然のごとく丁重にお断りした。

 庶民というか、貧乏人には別荘ライフなどおおよそ現実的ではない。リタイアした今、せいぜい1~2ヶ月に一度、健保の保養所に行く程度で十分。一泊二食6千円とリーズナブルだが、それすら贅沢かもしれないと思ってはいる。リゾートマンションや別荘ライフなど夢の夢ということだ。

 

 大昔、勤めていた会社がマンション投資などを含めた資産運用を積極的に行っていた。銀行から低利で金を借りてマンションを購入し、その含み資産価値でさらに金を借りてみたいな感じだっただろうか。越後湯沢にリゾートマンションを2つ所有し、都内近郊にマンションを4~5戸くらい持っていただろうか。1990年前後のことだったが、さすがにちょっとヤバイのではと思い、経営者や経理部長に「大丈夫か」と聞いたが、返事は「まだまだいける」みたいなことだったか。

 さすがにこれはあかんだろうと思ったのと、もっと本業の出版に注力すべきと考えていた。仕事は営業、予算管理、システム導入など山のようにあり、それこそ週に1~2回会社に泊まるなんてことも常態化していた。

 所有マンションはリゾートマンションについては、会社の福利厚生施設という名目で、何人かの社員がスキーで利用していた。都内近郊のマンションは、社宅として幹部社員に住まわせていた。自分も勧められて実際に物件回りをしたが、最終的には断った。そしてそのすぐ後に会社をやめた。資産運用にも投資にも興味はなかったし、なにより本を作って売ることにしか興味がなかった。それから数年で会社は破綻した。まあ当然の帰結だろうか。

 リゾートマンションというと思い浮かべるのは、そういう過去に自分が経験というか、ちょっとだけ遭遇した苦い話だ。別荘ライフということで有意義な生活をしている人も多いだろう。友人の話では、リゾートマンションとはいえ管理組合がきちんと機能していないと、オーナーが不明みたいなことも多くなるという。管理組合の理事も成り手がいないので、持ち回りではなく同じ人が何年も続けているという。友人もずっと理事をやっているとか。

 

 日本一標高の高い位置にある駅舎を訪れて思うことが、20世紀のちょっと苦めな下世話なこととは、なんとも野暮というか無粋というか。

 時間があれば周辺の牧場などリゾートエリアにも行きたかったが、他に寄りたいところもあり、それはパス。そういえば牧場で子どもが馬に乗って一周したなんてこともあったな。最初はこわごわしていたけど、途中からニコニコして大きな馬にまたがっていた。係の人が付いていてくれて、心配はないのだけど、ついて一緒に回り写真撮っている親バカしてたっけ。まだ妻も元気な頃のこと。21世紀に入ってすぐ頃だっただろうか。

奥村土牛記念美術館(4月25日)

 妻の希望もあり、軽井沢から山梨方面に移動することにした。

 まずは軽井沢から小諸方面に向かい、中部横断自動車道で八千穂高原まで。そこから小海線沿いの道を通って山梨へ抜ける。途中で日本一標高の高いというJR駅の野辺山や清里の周辺を通るはずだ。

 中部横断自動車道は、静岡から山梨の長坂まで、長野県内は小諸から八千穂高原までは開通している。未開通区間は長坂と八千穂の間の40キロほどだが、ちょうど標高が1300メートル前後と一番高所のあたり。おそらくトンネルなどに相当な工事と費用が必要なのだろう。さらにいえば環境への影響などもあるにちがいない。

 

 八千穂高原で国道141号線に入ったところで、道路沿いに奥村土牛記念美術館の看板が目に入る。そういえば土牛の美術館が佐久のあたりにあることは知っていた。たしか改修工事で長期休館中だったはず。もうオープンしていたのか。

 せっかくなので車をユーターンさせて行ってみることにした。場所はJR小海線の八千穂駅の真ん前。なかなか良い雰囲気の大きな古民家楓の建物だ。

 

 

奥村土牛記念美術館|長野県博物館協議会公式サイト | 信州 Museum Guide

奥村土牛 - Wikipedia

 

 奥村土牛はこの地に戦後の1947年(昭和22)から1951年(昭和26)の4年間、一家で疎開していた。そのときに提供されたのが、当地の酒造会社黒澤合名会社の旧社屋で、その当時は迎賓施設となっていたこの大きな古民家風の建物である。土牛一家が上京した後はほとんど使われてなくなった。その社屋施設は文化事業に役立ててほしいの申し出により1985年に八千穂村に寄付された。

 当初は資料館としての利用が計画されていたが、展示物の一つとして奥村土牛に作品の寄付を願ったところ、大量の素描や下絵が寄贈されたことにより、1990年(平成2)に奥村土牛記念美術館として開館することになった。

 開館からすでに30数年を経過したこともあり、2023年には長期休館して耐震工事を施工し、2004年にリニューアルオープンしたという。

 建物は和洋折衷建築の二階建てで、一階、二階ともに天井がかなり高い。中央部分に部屋があり、その四方に廊下をめぐらすという珍しい造りになっている。これは展示施設としては見やすいけれど、人が住む居室としてはどうだろうか。天井の高い居室は、冬は相当に寒いし、暖房効率も悪かっただろうなと思ったりもした。

 奥村土牛は1989年生まれで41歳の時に結婚し、男4人、女3人の計7人の子どもをもうけている。疎開した1947年は58歳の時でおそらく疎開したのは本人と妻をいれて9人家族のはず。その大家族であればこの大きな和洋折衷の建物も持て余すほどの大きさということはなかったのかもしれない。

 奥村土牛というと2021年に山種美術館で回顧展を観ている。

奥村土牛展を観る (12月10日) - トムジィの日常雑記

 そのときに年譜などで確認したのだと思うが、16歳で梶田半古の塾に入門する。塾の先輩には小林古径や前田青邨がいた。梶田半古は弟子に自由に絵を描かせたようで、もっぱら絵の指南役は小林古径によったという。半古が亡くなってからそのまま古径の画室に住み込み師事したという。

 画風は古径や青邨と同様に新古典主義風で、1932年に日本美術院同人に推挙され、院展を中心に活躍した。西洋画的アプローチも積極的に行ったようで、日本画的な写実だけでなく、デフォルメされた形象表現などにもチャレンジしている。たしか西洋画については、古径からセザンヌの画集をプレゼントされ、それを積極的に模写したというエピソードもあったような。

 

 美術館での展示作品はほとんどが素描や下絵であり、とくに目をひくものはなかった。しいていえば、特別展示されていた2025年度新規収蔵品のこの作品。

《本画・桃》 第106回作品展示チラシより

 やっぱり古径と似通った雰囲気だなと少しだけ思った。

 奥村土牛は1990年(平成2)に101歳で亡くなった。100歳超えの長命は男性画家では珍しいかも。一緒に年表を見ていた妻が、「この人、凄い長生きしたんだ」とつぶやいていた。日本画で100歳超えというと、自分が知る限りだとほとんどが女性ばかりのような気がする。小倉遊亀(105歳)、片岡球子(103歳)、堀文子(100).......、あと誰かいただろうか。

 

 美術館の建物内は入り口にスロープがある他、狭い階段とは別に、きちんとエレベーターも設置されている。また建物の右側には日本庭園がしつらえてあり、真ん中には池があり、藤棚などもある。池泉回遊式のこじんまりとしつつも落ち着いた雰囲気の庭園だ。

 土曜日ながら12時少し前の時間ということもあり、観覧客も我々以外に一人だけみたいな感じだった。滞在時間は30分程度だったけれど、ゆったりとした時間を過ごすことができた。

 機会があればまた来たいと思わせる美術館だが、はてさて、そんな機会が訪れるだろうか。