川村美術館

http://kawamura-museum.dic.co.jp/museum/index.html
千葉県佐倉市にある美術館である。正式にはDIC川村美術館という。DIC株式会社の総合研究所の広大な敷地内にある美術館。周辺は庭園になっているというか、広い庭園の中に美術館もあるという雰囲気である。
そもそもDICって何ぞやというと大日本インキ化学工業がCIしたということらしい。大日本インキならなんとなく知っている。いつの間にアルファベットになっていたのだろう。
千葉はほとんど馴染みもなく、佐倉という地名で思い浮かぶのは長嶋茂雄の出身地ということくらいである。長嶋は自分にとって特別な存在である。私の最古の記憶の一つが背番号3のジャイアンツのユニフォームを着て素振りをしているというものだ。多分三つか四つの頃である。小さいながらにジャイアンツのファンであったこと、長嶋が好きだったのだろうか、あるいは親バカで巨人ファンの父親が子どものためにわざわざユニフォームを作って着させてご満悦ということなのだろうか。いずれにしろ私の長嶋茂雄好きはこの時に規定されているのである。
そういう私にとって長嶋の出身地佐倉というのはある種聖地のようなイメージがあった。それこそたいていの住民は毎日素振りを欠かさないとか。道行く人々はみなバット持参して、何気に素振りをするとか、なんとか。
まあそういう下らないギャグがおいといても、なんとなく長嶋の町的な感じがあるのかと思っていたのだが、そういうのはまったくない。だいたいにおいて佐倉といってもほとんど八街に隣接しているような場所のようで、落花生の看板が目立った。
って、何の話かというと川村美術館だった。こんな所に美術館があり、そこに近代以降の絵画、印象派からフォービズム、エコール・ド・バリ派、さらに現代美術の名画が収蔵されているというのは、ほとんどつい最近まで知らなかった。
たぶん大塚国際美術館マーク・ロスコの複製画を観ていて、ロスコのことをサイトとかで少し調べていてこの美術館の存在を知った。
ウィキペディアにはこんな記述があった。

そしてニューヨークのシーグラムビルのレストランの壁画を依頼され、約40枚の連作(シーグラム壁画)を制作した。しかし友人に譲った作品が売りに出されるという事件をきっかけに、自分の作品が世間に理解されていないと考えるようになり、前渡しされた購入金を全額返却して納入を拒否した。その後、いくつかの美術館が作品の買い取りを申し出たが、ロスコが全部を一つの空間で展示することにこだわったため難航し、結局彼の死後、世界の3つの美術館(ロンドンのテート・モダン(テート・ギャラリー)、ワシントンD.C.のフィリップス・コレクション、千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館)にわかれて収蔵された。

シーグラムビルのレストランはフォーシーズンズ。有名な三ツ星レストランだったと記憶している。そこに飾るために製作されながら、結局それを断り自ら校入金を返却して買い戻す。作品を一つの空間で展示することに拘り、現在ではロンドンのテート・ギャラリーとワシントンとここ川村美術館にだけあるという。こうなるとなんかもう見たくなるのが人情というもの。気合を入れて行ってみることにした。

美術館のエントランスはこんな風である。凝った作りといえないこともない。中に入ると、外光をふんだんに取りいれた設計になっていることがわかる。


この美術館の売りの一つがレンブラントの「広つば帽を被った男」である。この絵一枚のために一室を使っている。

レンブラントは嫌いではないが、絶対観たいというものでもない。この絵に一室を設けるのは美術史的価値からいって妥当なのだろうかもしれないが、なんとなくそこまでの絵かと思わないでもない。左側から光をあてるのは典型的なレンブラント・ライトといえるだろうか。
次の間には印象派からフォービズム、キュビスムあたりまでを俯瞰できるようになっている。モネ、ピサロルノワール、ボナール、マチスピカソ、ブラック、シャガールなどなど。私には一番嬉しい部屋である。
ルノワールからボナール、マチス、ブラック、ピカソと裸婦を続けて飾ってあるのが面白い。
ルノワールは「水浴する女」

ルノワールノアングル風時代といわれた頃の作品だという。確かに半端ないスベスベ感である。
そして今回気に入った絵の一つであるボナールの「化粧室の裸婦」。

モデルはボナールの妻マルト。彼女は日に何度も入浴する習慣があり、ボナールは彼女の日常を描くことによって自然と入浴する姿や裸で過ごす姿を多数描いている。たしかにたらいの中で水浴する絵とかを覚えている。
しかし日に何度も入浴するというのは、ある種の神経症あるいは病的にきれい好きだったのかとみょうな想像をしてしまう。そんな妻の姿を捉えるタッチはさり気ない日常を描いているが、実はこれもちょっと覗き見的な感じもしないでもなかったりもする。まあ邪な想像である。
ボナールはナビ派といわれるが、この絵のタッチはなんとなく印象派っぽい。構図はドガを思わせる。明るい雰囲気と妻の日常生活を切り取った描写は親密派=アンティミスムといわれる所以でもあるかもしれない。
そして裸婦シリーズにトドメをさすのは、やっぱりピカソなのである。
「シルヴェット」

1954年、73歳のピカソが南仏で見つけた若い少女シルヴェット。彼女をモデルとして口説きおとしたピカソだったが、巨匠に対して警戒心を露にし、アトリエにはいつもボーイ・フレンドを連れて行き、ヌードになるのを拒んだというエピソードのような与太話も聞いたことがある。
この絵においても彼女の裸婦姿は画家の想像の産物であるともいわれている。横顔のちょっとスーパー・リアリズムが入ったような写実性と裸の上半身、やや幼さを持った胸と完全にデフォルメされた両腕。このへんのアンバランスがなんとも魅力的な絵である。
そしてそしてマーク・ロスコのロスコルームである。

正直、ロスコやサム・フランシス、イブ・クラインといった抽象画家の作品は理解を超えたものがある。様々な解釈が可能なのだろうが、どんな解釈も思い浮かばない。インスピレーションも黙示もない。ただこの部屋でこの赤茶けた壁画に囲まれていると妙に落ち着いた心持になる。ひょっとすると何時間でも過ごすことも出来るかもしれない、そういう静謐な雰囲気な空間だ。
多分、この美術館をこれからも何度でも訪れるとは思う。大好きなモネ、ピサロを観るために。ボナール、マチスピカソを観るために。そしてそれと同じようにこのロスコルームで長い時間を過ごすことになるかもしれないなと思う。