東京富士美術館へ行く(8月14日)

 久々、東京富士美術館へ行ってきた。

 車で30分と少し、比較的アクセスしやすい美術館だが、ここしばらく間が空いた感じだ。雑記の記録を見ると1月にマン・レイの回顧展に行ってみるみたいだ。

 例年、70回くらい美術館・博物館を訪問しているけれど、今年はちょっとペースが落ちているみたいで、まだ30回も行っていない。これはまあ年齢的なものもあるのかと思ったりもしている。学業との兼ね合いでいれば、卒業研究を残すだけでたいしてビデオ講義もテキスト中心の講義も受けていない。なのでもっと美術館巡りしてもいいのだけど、やっぱりこうなんとなく、足が重いというか。

 まあうまいこと来年に卒業できたら、たぶん他にすることもないので、美術館巡りをしたいとか思っているけど、どうなることやら。もっとも卒業できなくても、たぶん学業は終了だとは思っている。4年続けただけで十分ではないかと。

 なになにを終えたらやりたいことみたいことは、例えば会社を替えたらとか、仕事を辞めたらとか、まあいろいろあった。5年前に仕事リタイアするときにも、けっこう壮大にいろんなこと考えていた。通信教育もその一つだったけど、ピアノやりたいとか、ギターをもう一度やるとか、まあいろいろあった。40代の頃はドストエフスキープルーストは老後の楽しみとかなんとか。まあだいたい思うだけど、実際にはなんもやっていないけど。

 一応、来年は通信教育やめたら、リアルの大学の聴講生したいとか思ったりもする。子どもの通った大学がけっこう面白そうな授業が多くて、子どもが羨ましいと思ったりもしたし、講義ごとの聴講制度もあるようなのでちょっと興味はある。まあこれも漠然と思っているだけで、たぶん果たすことないようにも思う。来年は古希だし、たぶん気力もないだろうし、懐ぐらい的にも許されないような気もする。

 なんの話だっけ、そうか富士美のことだ。

手塚治虫

 
 

 富士美では現在、手塚治虫展が開かれている。

手塚治虫展 | 展覧会詳細 | 展示をみる | 東京富士美術館(Tokyo Fuji Art Museum, FAM)

 この企画展、何年か前から断続的に全国で巡回されているようで、自分は2019年に水戸の茨城県立近代美術館で観ている。

茨城県近代美術館と手塚治虫展 - トムジィの日常雑記

 展示構成は基本的に同じで、図録も同じものが使われている。図録の奥付は2017年7月(3刷)となっている。

 

第一部 手塚治虫の誕生

第二部 作家・手塚治虫

第三部 手塚治虫のメッセージ

 展示構成は上記の三部構成で、その中で少年時代の写真や手塚が夢中になっていた昆虫採集や標本などが展示されている。そして子ども時代に描いた絵、マンガなど。さらに第二部からは、手塚の自筆原稿やアニメーションの絵コンテ、シナリオなど。さらに第三部では手塚のマンガ以外の著作からの引用などが続く。

 美術館ごとに多少アレンジされている部分もある。茨城県近代美術館では、手塚の祖先である手塚良仙(二代目)、手塚良庵(三代目良仙)が常陸府中藩(現・茨城県石岡市)の藩医だったことなどから、茨城と手塚治虫のゆかりがあるものとして、『陽だまりの樹』の関連資料が展示されていた。

 東京富士美術館の場合は、母体が創価学会であることと、手塚治虫の『ブッダ』を掲載していたのが、創価学会系列の潮出版だったことから、『ブッダ』関連の展示、自筆原稿なども多数展示されていた。このへんが富士美の独自展示ということなどだろう。

 『ブッダ』については雑誌掲載時にリアルで読んでいないが、コミックで読んでいたときに、ブッダのキャラクターが壮年時代になっていきなり変貌するのに驚いた記憶がある。それまでのマンガ風の美少年キャラだったブッダが、いきなり劇画調の中年男性キャラになるのである。その風貌がどことなく池田大作氏を彷彿とさせるものだったからだ。これは直接的に潮出版編集サイドからの指示だったのか、あるいは様々な金銭的部分を含めた大人の事情だったのか判らない。でも、あのキャラクター変更は意外性以前になんとなく露骨なものを感じたものだった。まあ昔の話だし、あくまでこれは自分がマンガを読んでいての感想でしかない。

 展示された作品の自筆原稿、『鉄腕アトム』のアニメーションの冒頭シーン映像などを見ていると、懐かしさとともに、自分が子ども時代に手塚治虫作品に親しんでいたことを思い出した。1959年に創刊された『少年サンデー』や『少年マガジン』もリアルに愛読してしていたし、月刊誌の『少年』、『少年ブック』も読んでいた。『少年』が光文社刊であること、『少年ブック』が集英社刊であることなどは、ずいぶんと後になってから知った。当時、小学校の低学年、中学年の子どもには出版社がどこだったかなどというのは知る由もなかった。『少年』は「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が連載されていたのが楽しみだった。

 リアルに手塚作品を毎号読んでいたこともあり「W3」が『マガジン』から急に『サンデー』に連載が変わったこともけっこう鮮明に覚えている。ただしその理由については子どもの自分にはさっぱりわからないことではあった。1965年だから、自分はまだ9歳、小学3年生くらいだっただろうか。

 手塚治虫の企画展はそんな感じで自分の少年時代を懐かしく思い出すような、そんな感じだった。とはいえ一度茨城で観ていることもあり、既視感はあるし、さほどじっくり観るというでもなくなんとなく流し見みたいな感じだっただろうか。そして改めて思ったのは、自分らの世代はたぶん、たぶんだけど、みんな手塚治虫のマンガで育った、人格形成をしたのではないかと、そんなことだ。

 「鉄腕アトム」で育った自分らにとって、核兵器原発の負の部分はけっして描かれることはない未来だった。「nuclear」を「核」と「原子」と二通りに読ませる欺瞞性。小型原子炉を内蔵したロボットが活躍する夢の未来の物語には、核燃料や核兵器の恐怖については触れられることがなかった。

 今、我々は21世紀の世界に生きている。それは、手塚治虫が描いた未来社会とはずいぶんと離れたところにある。リアルな日常となった未来社会は、1960年代に手塚治虫が描き、子どもたちが夢見たバラ色の未来とのギャップ。なにが実現し、なにが変らなかったのか。そんなことにちょっとだけ苦々し気な感傷を抱いている。

常設展

 常設展示の方は1月とさほど変わりはない。特にバロック、古典主義、新古典主義の、ロココの部屋はだいたい同じようなものだった。といってもベッリーニクラーナハブリューゲルルーベンス、ヴァトーらの名品を観ることができるのは楽しい。

 近代絵画、自然主義、ロマン派、印象派の間はかなり展示品が変っていた。マネ、モネ、ルノワールらの名品もちょっとずつ展示品が変っている。そんななかでギュスターヴ・ロアゾーとアンリ・マルタンの作品がそれぞれ3点展示されているのがちょっと嬉しかった。ロアゾー、アンリ・マルタンやアンリ・シダネルの作品をそれぞれ複数所有し、常設展示できるのは、多分国内では富士美と上野の西洋美術館だけかもしれない。

ギュスターヴ・ロアゾー

ギュスターヴ・ロワゾー | 作品を知る | 東京富士美術館(Tokyo Fuji Art Museum, FAM)

 

草原の道、ヴォードルイユ 1900年/油彩、カンヴァス 66.7×82.0cm

ヴォードルイユの農家  1900-03年頃/油彩、カンヴァス   44.5×53.5cm

 いい絵だと思う。明るい印象派的な作品だ。一枚部屋に飾りたくなるような。ロアゾーはゴーギャンの周辺で、ゴーギャンの助言によって活動していたポン=タヴァン派、あるいはナビ派の一人として位置づけられることもあるようだが、作品には総合主義的な平面的な色面、太い輪郭線はなく、どちらかといえば印象派的、さらに筆触分割を点描へと昇華させた新印象派的な雰囲気が感じられる。

ギュスターヴ・ロワゾー - Wikipedia

アンリ・マルタン

アンリ・マルタン | 作品を知る | 東京富士美術館(Tokyo Fuji Art Museum, FAM)

画家のアトリエからの眺め 1902年頃/油彩、カンヴァス 73.0×78.0cm

 アンリ・シダネルとともに新印象派に位置づけされる画家。点描表現や明るい、やや強烈な色彩が特色で、押さえた色彩、抒情性を感じさせるシダネルとはそのへんが異なるだろうか。以前、山梨県立と損保美術館でシダネル・マルタンの回顧展を観たが、あれは貴重で美しい体験だった。

 シダネルは点描表現を多用する新印象派の画家というだけでなく、象徴主義的な画風、また装飾的な作品も多数描いている。富士美が所蔵している作品はどちらかといえば新印象派的な風景画だが、いずれも心に残る作品だ。

モーリス・ユトリロ

ムーラン・ド・ラ・ギャレット 1920年/油彩、板 44.5×61.5cm 

 ユトリロといえば白を基調としたパリの風景画が有名だ。その白は絵具にしっくいを混ぜていたという。そのユトリロにしては珍しく、白がほとんど使われていない。ユトリロには白の時代や、華やかな色彩の時代などがある。この絵も色彩の時代の一枚だが、鮮やかな色彩というよりもどこか沈んだ雰囲気、そしてなによりも強烈な青によって構成されている。我々が知っているユトリロとは違う側面ともいえる。

 ムーラン・ド・ギャレットは風車がランドマークとなっているダンス・ホールである。そこは社交場として多くの人々が集った華やかな場所で、ルノワールロートレックゴッホなども画題としてとりあげている。

 重度のアルコール中毒で、たぶんムーラン・ド・ギャレットにも日々訪れ、そこで飲んだくれていたであろうユトリロが描いたそれは、華やかな店内でもなく、入り口周辺でもない裏側であり、しかもやや陰鬱な雰囲気も感じさせる。すでに売れっ子の画家として名を成していたユトリロは、一方でアルコール中毒も悪化していった。店内で暴れたりといったことも多く、店から放りだされることも多かったのかもしれない。

 華やかなムーラン・ド・ギャレットの裏側をやや暗い色調で描くのは、アルコールから覚めたユトリロの陰鬱な心持の現れだったのかなどと、これは適当に思ったこと。

グランマ・モーゼス

 富士美がグランマ・モーゼスを所有しているのは以前から知っていた。たしか世田谷美術館で開催された回顧展でも富士美の作品が貸し出されていたと記憶している。その作品をたぶん初めて富士美で観たような気がする。

 
ジョゼフ・フランシス・ケーナ

 この作家も初めて知る人だ。アメリカのイラストレーターで、スポーツやアウトドアをテーマに、雑誌の表紙などで活躍したのだとか。

ジョセフ・フランシス・ケーナン | 作品を知る | 東京富士美術館(Tokyo Fuji Art Museum, FAM)

 

 

 ケーナンについてはWikipediaなどで確認することもできないのだが、このページには作品が多数アップされている。

https://www.illustratedgallery.com/artwork/for-sale/artist/joseph-francis-kernan/

Category:Joseph Francis Kernan - Wikimedia Commons