山本潤子のコンサートに行ってきた

Junko Yamamoto The 40th Anniversary Concert 2009 ☆Special☆
場所 : 東京/東京厚生年金会館 ウェルシティ東京 (東京都新宿区新宿5-3-1)
時間 : Open/16:15 Start/17:00

というもの。先々週、偶然新聞で見かけてすぐに電話を入れるとけっこう席は空いているということ。早速、誰か一緒に行く人いないかなと思案して、最近あんまり会ってないけど、古くからの女友だちにメールしてみたら、「いくいく」みたいな返事がきて、本当に久々コンサートの電話予約なんかしてみたりした。
しかしここ十数年はだんだんと古い友だちとの付き合いも疎遠になってきている。つきあってくれる、遊んでくれる友人もほんと少なくなってきているな。といってもこっちからもほとんど連絡もしないでいるから、疎遠になるのもしょうがないのではあるけど。そんな中、今回の彼女、いちおう経営者のはしくれやっているから、かなり忙しいのにわざわざ時間空けてくれて助かった。そしてほんとアホな話だけど、会うとあっという間に二十代の頃に戻ってしまうのが面白い。傍目には五十過ぎのおっさん、おばさんなんだけど。
さてコンサートである。山本潤子の音楽生活40周年の記念コンサートなのである。というわけでスペシャルなのだ。どのへんがスペシャルなのか。ステージ奥に昔の写真とかがスライドされ、それを元に長い彼女のメモワール的なMCがあったりする。小中学生の頃のことや、音楽との出会い。赤い鳥結成前夜のこと。ハイ・ファイ・セットの時代のことなどなど。さらには今は成人して巣立っていった二人の娘さんの小学生時代の写真や可愛がっていた愛犬の写真などとともに思い出を綴っていく。
そうなのである、赤い鳥結成が1969年のことだから、すでに彼女はこの道40年の歳月を歩んできているのである。そして当然のように彼女の歌声を私は同時代的に聴いてきているのである。1969年、たぶん小学6年生か中学1年くらいか。初めてギターを手にしてジャンジャカはじめた頃である。そのときに現れたのが赤い鳥だったわけだね。当然良く聴いたし、けっこうコピーしたものだよ。確か中三の時だったか、学祭で初めて人前で演奏とかをした。女の子二人がフロントで歌って、男の子二人がギターでバッキングした。もろに赤い鳥スタイルで「翼をください」とか「河よ」とかやったんだな、これが。ああ恥ずかしい。
その頃か新居潤子の凛とした澄んだ歌声は、子ども心にもしっかり届いていたんだと思う。この人の歌声は半端ないと思っていたもの。その後の赤い鳥の解散、ハイ・ファイ・セットの結成、荒井由実のバッキングとかもずっと同時代的に聴いてきたわけだ。「あの日に帰りたい」の間奏部分でのこの人のハイトーンのあの「ラー、ラララーラ、ラーラーラー」をしみじみ聴いて泣きそうになったこともあったし。「冷たい雨」はなぜかカラオケの定番でよく歌ったし。三十代くらいには仲間と大声で「卒業写真」とかよく歌ったものね。
さらにいえばハイ・ファイ・セットが実験的にジャズとかやったのも実は微笑ましく聴いたりもした。あれは明らかにマンハッタン・トランスファー路線を狙ったのだろうけど、ちょっとテクニックが不足していたんだろうな。正直けっこう痛かったと思ったものだよ。
そういう意味じゃハイ・ファイはやっぱりどこかで背伸びし過ぎてポシャッた部分もあるのだろうな。山本潤子という人は稀代のボーカリストだし、あの声は天賦の才といえる。でもテクニックの人ではないんだろうなとも思った。
どんどんと脱線するな。コンサートのことである。最初に赤い鳥時代の「卒業」で始まり、次にユーミンの曲が2曲。「海を見ていた午後」と確か「スカイレストラン」だったと思う。もうこの辺で不覚にも破顔してメロメロになっているのである。それからはずっとウルウル状態で5時から8時まで彼女の声にシビレまくった。後で友だちに利くと彼女は「卒業写真」あたりでたまらずメロメロになったそうである。
曲順は最初はメモワール的に赤い鳥時代からハイ・ファイ時代のもの。それから9月に出たばかりのアルバム「音楽に恋して」から何曲か。それからまた懐かしいナンバーとなり、アンコールではついに「竹田の子守唄」まで出た。赤い鳥がプロになるきっかけとなったヤマハライト・ミュージック・コンテストの決勝はこの厚生年金会館で行われたのだとか。たぶん40周年のアニバサリーのコンサトートをここで開いたのはそのへんのからみがあってのことのようだ。
そしてさらにアンコールナンバーは続くのだが、途中でサプライズとしてあの小田和正が花束贈呈でステージに現れる。せっかくだから1曲一緒にやればいいのにそれもなくMCのみで退場する。そして最後にはお約束の「翼をください」を歌い上げて終了した。
翼をください」では彼女が皆さんご一緒にと言ってくれるのだけど、会場のみなさんみんな小声でウィスパーのように歌っていた。私も当然歌ったけど、自分の声が聞こえてくる始末。みんな声張り上げて歌ってないなのだな〜。誰かのブログに山本潤子のコンサートで歌うのは駄目みたいなことが書かれていた。彼女の澄んだ歌声を濁った声で汚すのは間違いみたいな記述だったと思う。それも確かにありかもしれないけど、でも違うと思うんだけどな。彼女の歌声を同時代的に聴いてきたからこそ、一緒に歌いたいと思うのはたぶん間違っていないと思う。
山本潤子の歌声は素晴らしい。でもただ鑑賞するだけではなくて、一緒に手拍子してお気に入りの歌を口ずさむ。それがライブじゃないかとも思う。ちょっと前にも書いたけど、ポール・マッカートニーアメリカでやった2002年頃のライブのDVDを観た時に思った。あの会場にいたかったな〜と。もう会場じゅうで大合唱だもの。みんな声張り上げて歌っているのね。会場にいるほとんどの観客がビートルズの曲を、ポールの曲をぜんぶ知っていて歌えるわけだ。あれが素晴らしいと私なんかは思う。
山本潤子が歌う曲も、赤い鳥時代やハイ・ファイ時代のものはたぶんたいていの曲を知っている。口ずさめる。今回のコンサートでも小さな声で口ずさんでいた。たぶん隣の彼女の耳には聞こえたかもしれん。でも許されると思う。山本潤子の歌声を40年間ずっと享受してきたんだからね。それは隣に座っていた女友だちも同じだと思うし。お互いコアなファンではないにしろ、ずっと聴いてきたし、たぶんこれからも聴き続けていくのだろうから。
今年の12月30日で山本潤子はめでたく還暦を迎える。私等の世代からすればちょっとだけお姉さんの世代である。でもいつまでも彼女の美しい歌声を折に触れ聴くことができれば、それは僥倖なんだろうなとも思う。彼女の音楽活動に幸あれ。ディランの名曲を彼女に捧げたいと思う。「フォー・エバー・ヤング」を。そして私や今回一緒に行った女友だちにも同じように「いつまでも若くあれ」と願いたい。ある種の福音のようにして。