脳梗塞について

脳梗塞は成人病=大人の病気だと思っていた。まれに若年層でも症例があるということは聞いていた。以前NHKで放映された「戦うリハビリ」の中でも高校生の患者さんのことが取り上げられていた。
余談になるが、この番組観てすぐに感想を書くことができなかったのだけれど、長島茂雄のリハビリが大きくクローズアップされていた。あの長島が懸命にリハビリ訓練、PTを行っている姿には感動を覚えた。長島は一貫して私にとってのアイドルでありカリスマであり、ヒーローであり続けた。彼はいつもここで打ってくれというところでヒットをホームランを打ってくれた。阪神の上田投手に9回ツーアウトまで完璧な投球で完全試合まで後一つというところでバッターボックスにたった長島は、きっちりレフト前にヒットを打ってくれた。もちろん試合は負けたけれど、やっぱり長島は打ってくれたのだ。
昭和のアイドルといえるのは昭和天皇裕仁美空ひばり長島茂雄石原裕次郎この四人だけとは誰かが言ったことか、あるいは私がぶつぶつ言っているだけか。人によって思いいれや温度差はあるのだろうが、私にとってはやはり長島茂雄なのである。私にとって最古の記憶の一つが背番号3番のユニホームを着て素振りをしているというものだ。たぶん3〜4歳の頃だと思う。実はその時のユニホームをまだ持っている。胸にはGのマーク、背には3番である。
その長島が脳梗塞で倒れた。その後長く闘病生活を送っていることも知ってはいた。その長島がニュース等で取り上げられるのではなく、きちんとインタビューに答え、その過酷なリハビリをこなしている姿が映像に流れた時、私の涙腺は決壊したかのようになり、なんども目をごしごししながらテレビの中の長島の姿を見続けた。
長島は明らかに左をやられているようだった。だから利き手である右手、右足にマヒがある他、言語も少しきているようだった。おそらく発症当時は、相当な言語障害や嚥下等もあったのではないかと想像する。その彼が、リハビリをこなし続けた結果、見た印象だけでいえば、とりあえず装具なしで歩行を行えるまでに回復した。たどたどしいながらも言葉をきちんと発していた。
長島のトレーニングマシンを使ったリハビリはかなりきついものだと思った。ウォーキングマシンを改良したような器具で体を牽引しながら、歩行訓練行うものだ。長島はそれを懸命に懸命に行っていた。長島は野球選手として記憶に残るチャンピオンだったけれど、リハビリにおいてもやっぱりチャンピオンなんだなと思いながら観た。
妻が倒れて入院した翌日、脳神経内科の医長から最初に病状説明を受けたとき、思わず長島と比べてどうかと聞いてみた。医師は、う〜んと少し間をおいてから、「同じくらいかな、少し軽いかも」みたいなことを話した。妻の梗塞巣は脳の右部分の三分の二、さらに頭頂葉前頭葉におよぶかなり広範囲なもので、脳梗塞としてはかなり重篤なほうだったから、長島が同じような症状だとすると年齢のことも考え合わせれば、インタビューを受けてたどたどしいながらきちんと話している姿や懸命にリハビリを行う姿は、まさに驚異的な回復力だと思う。
今だに装具なしでは歩くことも覚束ない、また麻痺した左手は硬縮したままである妻の現状からすると、その梗塞巣の大きさからも妻の症状は相当に重いものだったのかもしれないなと改めて思う部分もある。医療センターから転院を勧められて最初に国リハにいった時に、国リハの医師の第一声は、妻のCT、MRIの画像を見て「まだ動かせないだろう、これだけ大きな梗塞巣では」というものだった。当初一生車椅子と言われながらも、リハビリの成果で装具ありとはいえ、歩行ができるようになったこと自体、ある意味脅威的なことなのかもしれないとはつくづく思うところでもある。
ある意味、もはや麻痺した側の改善は難しいだろう、手についていえば補助手としての役割も難しい。それでも健手を使っていろいろなことができるようになりつつあるというのが今の妻の現状なのだ。
話はだいぶん脱線したけれど、長島が出演した「戦うリハビリ」の中で取り上げられた高校生の男の子は、16か17歳くらいで発症した。脳の右側の広範囲にわたる梗塞巣で妻と同じように脳浮腫になった。その脳浮腫がひどかったため、生命維持のため梗塞巣を中心にした右側部分を切除する手術を行ったという。脳の右側を切除するということは、司る体位左側部分の運動野がなくなるということになる。まあ素人考えではそう思う。
実際、手術後はほとんど寝たきり状態だったという。それが最初は寝返りから始めて、様々なリハビリの結果、現在は装具なしで歩行できるようにまで回復しているという。これはまず第一に患者が若かったということ。そして脳神経の可塑性、代替性の可能性、そうした部分の生きた見本=証明とさえいえるのではないかとさえ思った。