平和資料館へ行く

台風一過のわりに天気は曇り。せっかく二日間、家にいてできれば今日もと思っていたのだが、妻の例によってのどこかへ連れて行け攻勢にあい、午後からお出かけ。まあ、こっちとしても二日間三食きちんと食事作ってきて、いい加減しんどくなってきていたので、まあいいかとも思いまして。
で、とりあえず車に乗って駐車場でる前にナビにて検索開始。雨降りそうだし、屋外系はちょっと嫌だな。近場でそこそこ時間つぶせる屋内施設なんかないかな。そういえば高坂の子ども動物公園の近くになんかあったな。戦争博物館?違うな平和だっけ、などと思い巡らしながら、センソウで検索してヒットせず。次にヘイワでなんとなくそれらしいものが検索できた。埼玉県立平和資料館。
http://homepage3.nifty.com/saitamapeacemuseum/

埼玉県平和資料館は、風化しつつある戦争の体験を次の世代に引き継ぎ、県民に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えることにより、平和に対する県民の意識の高揚を図るとともに、平和な社会の発展に寄与することを目的に、平成5年8月に開館いたしました。

という趣旨の資料館があることを裏覚えしていた。一度は来て見たいとは思ってもいた。娘にはいろいろな意味で戦争の悲惨さを教えていきたいとも思っていた。小学4年生にはややもすれば時期尚早だったかもしれないが、いつもいつも遊ばせるためだけの公園、遊園地だけでなくこういった所があることも知っておく必要もあるのだろうと思った。そしてかってあった戦争のことを知るための機会を時々を設けることも必要なのだろうと。
この資料館、規模的には小さいものだったが、そこそこに展示物や映像スペースなどもけっこう興味深いものがあった。戦時中の生活や生活グッズなどの展示が中心で、当時を知るための民俗館的色彩が強いものかなという気もしていたのだが、映像・視覚系の展示ものではそれなりに戦争によって民衆が被る悲惨さが十分伝えられているようにも思えた。まあこの規模、この予算というか金のかけ方なりにという部分ではあるにはあるが。
娘はというと、再現された国民学校の教室に興味をもったようで、机の中に自分の持ってきた手帳などをいれて遊んでいた。やっぱり小学生だ。この教室は戦時下の疑似体験コーナーとなっていて、途中で黒板にスクリーンが降りてきて当時の修身の授業を再現した映画をやったりもする。また時間によって周囲が暗くなり空襲警報が鳴ったりもする。空襲警報が鳴り、防空壕に退避すると音と光と振動で空襲を疑似体験できるようにもなっている。空襲の恐ろしさが伝わることもなく、子どもたちにはなにやら面白いアトラクションぽくとらえられがちではあるが、一種異様な体験ではあった。
妻はというと私と娘が見学している間ずっとビデオ鑑賞コーナーで戦争体験者の証言ビデオを見ていたようだ。妻にはこの場所が面白いのかどうか、あえて聞かなかったけれど、彼女にしてみれば家族でおでかけが目的だから、行き先に対するこだわりは希薄なのかもしれない。彼女にも興味のある場所、好きな場所とかはもちろんあるのだろうけれど。
それから講堂で上演されているアニメを観た。「最後の空襲くまがや」というアニメだ。内容は以下のサイトで。
http://homepage3.nifty.com/saitamapeacemuseum/JIGYO/KUMAGAYA.HTM
絵は稚拙だし、ストーリー展開とかも貧弱なアニメである。そして何の救いもない悲惨なお話だ。いくら戦争の悲惨さを訴える目的とはいえ、かくも救いなきお話作るよなとも正直思った。だからこそ戦争というものの民衆にとって、あるいは一番弱き子どもたちにとって恐るべき災禍としてふりかかるということが、愚直的ストレートに伝わってくるのかもしれない。なんていうか、二度とみたくない系である。例えば「蛍の墓」を二度とみたくないと私なんかは常々思ってはいるのだが、同じ感触、同じ傾向である。娘にこの話の意味が伝わったかどうか、あえて問うことはしなかったけれど、映画が終わっても娘はすぐには席を立たなかった。ちょっとは伝わったのかな〜という気もした。
熊谷の空襲については今回はじめて知った。敗戦の前日1945年8月14日午後11時30分頃からB29の大規模な編隊による爆撃にあい、市街の74%が消失、死者は266人と記録されているという。戦争が終わる前日あるいは当日未明の空襲で市井の民の命が奪われたのだ。しんどいね。これを戦争の一般的な悲劇、あるいは歴史のシニカルな側面とやりすごすべきなのかどうか。調べると8月14日〜15日に空襲を受けた都市は熊谷以外にも岩国、光市、小田原、秋田・土崎などがあり、合計すると数千の死者が出ているという。
こういう第二次大戦のアイロニーに遭遇するといつも思うことは、いつものように歴史のタラレバの話になってしまう。なぜ日本はポツダム宣言をもっと早くに受託できなかったのかということ。1945年7月26日のこの宣言を日本政府がすぐに受諾していれば、広島、長崎の悲劇を防ぐことはできた。ソ連満州侵攻もなかった(かも)。そして確実に熊谷の空襲や266人の命が失われることはなかった。
すでに戦局の帰趨は明白であったのになぜ日本政府がポツダム宣言を黙殺したのか。一般的には当時の政府内では、とにもかくにも国体護持、天皇制の存続を連合国側に確約すべく模索を繰り返していたのだという。近衛元首相を密使にソ連に停戦の調停を求めた一件なんかもそうだったという。ようは天皇の命と引き換えに多くの民衆の命が奪われたってことなわけだ。もちろん反論、異論はあるだろうとは思うけど。
そうした意味のない暗中模索が広島、長崎の原爆投下とソ連参戦でぶっ飛び、どうにもならずに無条件降伏に応じたということなんだ。それが別方向の考え方をされる人々の手にかかると、軍部はあくまで本土決戦を主張し政府は戦争終結の意見をまとめることができなかった。それを昭和天皇の英断で終戦が決まった。天皇の英断があればこそ、本土決戦で多数の死傷者がでることなく戦争が終結した。天皇は国民を救ったのだ。ちゃんちゃん・・・・。
歴史にIFはあり得ないのだろう。でもあの戦争がもっと早くに終わっていれば失われずにすんだ命がたくさんあったということも覚えておくべきことなんだと思う。アニメの中の可哀想な子どもたちの死もなかったんだと。
もはや国民の大多数が戦後生まれの世の中だ。「戦争を知らない子どもたち」と「戦争を知らない大人たち」だらけなのである。戦争体験はとっくに風化しきっており、この国に戦争があったということは教科書の中だけの歴史的事実でしかないのかもしれない。それも受験中心の歴史教育の中ではほとんど取り上げられることもないらしい。そういう世の中だからこそ、こうした資料館、戦争ミュージアムは有意義な施設なのだと思う。子どもたちが何かを学んでくれればいいと思う。
戦争ミュージアム(平和博物館)は他にもいくつかあるようだ。
http://homepage3.nifty.com/saitamapeacemuseum/Sonota/HAKU_KAN.HTM
でも、考えようによっては少なすぎるのかもね。できれば各県に一つづつくらいあっても良さそうなものなのにね。平和と戦争の悲惨さを考える場としてこういうものは必要だとは思うのだが。
それはそれとして我が県のバカ知事上田氏が、この資料館について妙なちょっかい出していたことを始めてしった。いや新聞記事とかでは見知っていたかもしれないけど、軽く流してしまっていたかも。でも、こういうウルトラ反動系の歴史認識で政治家やっている人がいるというのが、ちょっと耐え難いなと思う。
http://www.janjan.jp/area/0608/0608018924/1.php
ここ最近の従軍慰安婦についての論議とかをつらつら眺めていて思うのだが、従軍慰安婦=軍に属した、軍に組織された慰安所及びそこに働く慰安婦が存在したかどうかが実証的に証明されていないというのは、あまりにも不毛な議論だと思う。従軍慰安婦否定派は、当時は(今でも)、慰安婦(=売春婦)は存在した。それと日本軍の関与は証明されていない。だから従軍慰安婦は存在しなかったみたいなことを主張しているようだ。さらには職業としての売春婦なのだから、彼女たちには職業を選択する自由があったかのようにさえ語ったり、軍人(あるいは一般的な客)との自由恋愛すらあったとさえ主張したりする。
でも思うのだが、何を好き好んで毎日何人もの客をとってセックスする(させられる)んだい。貧困と無知、さらには様々な強制、暴力によってじゃないか。占領地で占領軍の兵隊さん相手に春を売る非占領地の女性たちは、様々な意味での直接、間接の暴力、強制、さらに貧困のためその仕事に従事させられていたんじゃないだろうか。彼女たちは明らかに抑圧された立場の人々だ。そして彼らの性を買う占領軍の兵隊さんは確実に抑圧者の側にある。もうそれだけで十分じゃないかと私なんかは思うわけだ。
占領軍による強制的な買春など、どの国でもある。アメリカだって日本女性を買っていたじゃないか。その通りである。だからといって自国の軍隊が行ったことの免罪符が得られるわけじゃない。どの国にせよそうした戦争の暴力の中に、女性に対する直裁な性的暴力があることを認め、それを恥じていかなくてはいけない。そしてそれを含めて戦争の悲惨さを直視して、いかにしてそれを防ぐべきかを考えていく、そういうことなんじゃないのか。
自虐史観を廃して、自国の文化、歴史に誇りを持とうという論がある。戦争の被害者の視点だけにたってあの戦争を論じようとする立場がある。でも、自国の侵した戦争の罪責をきちんと認め、戦争の被害者であっても加害者でもあるという側面をもきちんと持たなければ、やっぱりどこかで偏ったものの見方に陥っていくのだと思う。
あの戦争で日本という国は、アジア解放のために立ち上がったという側面がひょっとしたらあるのかもしれない。日本の侵攻とその敗北によって結果として植民地解放が成されただけという気もしないではないが。でも、日本がどういう理由にせよ、アジアに侵攻し占領軍として各国の民衆に対して暴力的に君臨したのは歴史的事実なんだと思う。占領された側からすればこれは忘れられない歴史的記憶なんじゃないのかな。だからこそ彼らとつきあうには、自ら加害者であったという視点をきちんともっていなければ、それはとっても無神経なんじゃないのかなと思う。
敗戦に包まれて占領されることを甘んじて受け入れるだけでなく、それに肯定的に迎合していったどこかの国とアジア諸国を同列には論じられないんだと私なんかは思うわけだ。