松方コレクション展に行ってきた

 上野西洋美術館、松方コレクション展に行ってきた。

松方コレクション展|開催中の展覧会|国立西洋美術館

 西洋美術館に行くのは久しぶりだ。だいたい二ヶ月に一度くらいは訪れているのだが、今年は3月に一度行ったきり。なかなか都内に出る機会と美術館訪問がマッチングしないというところか。

 企画展松方コレクション展は、西洋美術館の元になった松方コレクションの成り立ちと松方財閥の衰退と戦争によるコレクションの散逸といった歴史がわかる展示が成されている。

 松方コレクションは川崎造船所を率いた実業家松方幸次郎が、日本に西洋絵画を一望にする美術館を開館するという目的のもと収集された美術作品である。それは軍需による軍艦製造等で好景気に湧いた川崎造船所の収益がもとになっている。松方は造船所の利益を惜しみなくつぎ込んで美術品を買い漁った。

 しかし軍需による利益は第一次世界大戦終結関東大震災、金融恐慌等により川崎造船所の経営破綻とともに、収集されたコレクションも散逸することになった。それらは主にロンドン(約900点)、パリ(約400点)、日本(約1000点)にのぼるとされる。そしてロンドンの倉庫に保管された作品は空襲で焼失したとされている。日本のそれも多くが売りに出されたとされる。その中でパリに分散保管された作品は戦災を逃れた。

 戦後その返還交渉を行なったのは吉田茂の政府である。その過程で375点が返還され、それが西洋美術館開館の契機となった。しかし芸術的価値の高い作品の中には返還されないものもあり、その中には現在オルセー美術館に収蔵されているゴッホの「アルルの寝室」もある。この有名な作品が今回貸し出されて、企画展の目玉として展示されている。

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アルルの部屋

 ある意味、川崎造船所の興隆は日本の帝国主義化と機をいつにしているとはいえる。日露戦争とそれに続く軍拡路線の中での軍艦製造が、造船所の右肩上がりの伸長を支えていた。ある意味戦争特需によって出た利益が、美術品収集の原資となった。しかし戦争後の金融恐慌によりその利益は霧散し、コレクションは散逸することになる。

 戦争さえなければもっと膨大なコレクションを我々は今日目にすることができたかもしれない。日本に本格的な美術館開館を目指した松方幸次郎の崇高な意思は戦争によって潰えたのかもしれない。でも、もともと戦争特需のあぶく銭が原資となっていたといえば、なにかしらのアイロニーめいたものを思わざるを得ない。