T市のあゆみと自分史について

 自分の住んでいる市が市制30年だとかで市報に30年の歩みが載っていた。

 市名を出しても別に身バレがどうのなんてことはないんだけど、T市とかって書くとちょっとカッコ良さげでなんか戦前の自然主義文学というか私小説っぽいかなって、まあ別に深い意味はない。

1989年 T村誕生

1966年 T町誕生

1991年 T市誕生

1990年 市役所庁舎完成

1996年 中央図書館開館

2004年 W駅西口開設、ショッピングモールオープン 

2007年 イメージキャラクター誕生

2012年 人口7万人

2021年 市制施行30周年

  主だったところを書き出してもなんか代わりばえのしないというか地味である。ディープ埼玉の田舎町である。

 自分史とのからみでいえば2002年に会社が都内から移転してきた。そこからこの町とのからみが生まれる。その頃は多分ふじみ野というところに住んでいたので電車で通った。それまではずっと都内だったのにいきなり逆方向だ。駅の西口開設が2004年なので2年くらいの間は、一つしかない降り口から出てテクテクと線路沿いを歩いて歩道橋を渡って会社へ行った。

 今は居酒屋になっているが当時は駅の下には書店があったように覚えている。2東武ブックスとかなんとかだったと思うが、広さは20坪くらいで品揃えもたいしてよくないよくある駅中書店だった。その書店がつぶれたのと同時期にショッピングモールが出来て書店が入ったので、本屋のない町という淋しいレッテルは貼られることはなかったけど、そこもあまりピンとくるような本屋でもない。いちおう近くに大学や高校もある町にしてはちょっと淋しい感じもしないでもないが、まあこれもディープ埼玉だ。

 2005年に妻が病気になり、仕事と家事、育児、介護を両立させるため、職住近接をと考えてこの町に引っ越して来たのが2007年の暮だった。2003年に戸建てを購入して自分と妻のそれぞれでローンを組んでいたため、妻の病気で一挙にローンを背負うことになったので家の売却が急務だった。

 あたかもリーマンショックの頃で、なんとか売り逃げることができたけど、もし売れなかったらとんでもないことになっていたかもしれない。幸い売却でローンは完済、さらに今の家も借金なしで購入できたからラッキーといえばラッキーだった。しかし川越より先というのは都落ち感満載。今でも妻は前の場所が良かったとか時々ブツブツ言っている。

 住めば都という部分もある。職住近接(通勤徒歩5分)は計り知れないような恩恵もあったとは思う。毎日、昼食は家に帰ってとる。朝、洗濯して昼に干すみたいなことずっとしてたように思う。家が近いので仕事を夜の8時くらいまでしてても帰宅して諸々家事も出来た。都内に務めていた頃は、夜8時、9時に仕事を終えても帰宅は11時前後というのが普通だったしね。

 子ども関連でも例えば学校への用事とかがあっても、会社抜け出して学校に行きまた会社に戻るみたいなことができた。これってけっこう重要だったし、妻の通院とかでもこれができた。

 職住近接はメリットも多いけど、逆に公私のメリハリがつかなくなることもあった。すぐ会社行けるということもあり土日出勤とかもけっこうな頻度であったように思う。一応、仕事的には大役負わされていたので、もし通勤5分でなかったらとてもやっていけなかったかなとか思ったりもする。

 市制30年、この町との関わりをもって約20年。引っ越して来てからおよそ14年。細かく年表と自分史を重ねれば、仕事でのキャリアの変遷、子どもの進学、車の買い替え、家のリフォームなどなど諸々思い起こすこともあるとは思う。

 そして仕事リタイアしてまもなく1年を経過する。多少身体的なガタツキはあるし、毎日薬を7錠飲むのが日課だからけっして健康という訳でもない。働こうと思えば働けるのだろうけど、40年仕事してきてもう労働にモチベーションを見出すのがなんか困難な心持だ。今は細々年金で朽ちていく、そういうことか。

 現代史風の年表、歩みみたいなものをみるとつい自分のことに重ね合わせてふりかえる。こういうのってやっぱり年とったせいなんだろうとは思う。