JR上野駅公園口

JR上野駅公園口 (河出文庫)

JR上野駅公園口 (河出文庫)

  • 作者:柳美里
  • 発売日: 2017/02/07
  • メディア: 文庫
 

  2014年の作品、2020年11月、全米図書賞を受賞(翻訳文学部門)して話題になった。そのときにそのうち読まなくちゃと思っていたのだがそのままになっていた。たまたま友人が貸してくれた。160頁くらいの中編。

 上野駅は東北からの出稼ぎ、集団就職者が最初に訪れる場所だ。本書の主人公は先の天皇(現上皇)と同じ日に生まれ、長男が皇太子(現天皇)と同じ日に生まれた。出身は福島県の相馬、このあたりは特に産業もなく農家だけでは食っていくことができない。男は故郷を出てずっと出稼ぎで家族を養ってきた。60になって故郷に戻るが、すぐに伴侶にも死に別れ、行き場所がないまま再び故郷を棄て上野駅に降り立ち、以後はホームレスとして日々を送り、ある日死を覚悟する。

 「もう、いい」

 男は覚悟を決める。そして様々な回想、回顧、逡巡、さらに幻視の果てに男は上野駅のホームに向かう。

 天皇と同じ日に生まれた地方出身のホームレスの男は、かって故郷を巡幸した天皇を見る。そこで巻き起こる「万歳」の声の記憶。上野周辺に住むホームレスたちは、皇室が上野周辺を訪れるときには、山狩りと称してその場を追いやられる。荷物をまとめたホームレスは皇室の訪問が終わるとまた上野に戻る。

 追いやられた男は上野公園に戻り偶然車で訪れる天皇、皇后を目撃する。かって昭和天皇を目撃した記憶が蘇るとともに、自分と同い年の天皇を眺める。

 天皇とホームレス、光と影、これは多分、山口昌男が唱えた中心と周縁論そのままの図式である。中心=天皇からもっとも疎外された周縁にある者たちが、中心を訴求しそこに回帰していく。

 本書の解説を政治思想史家原武史が書いているが、原にいわせれば本書の主人公のような地方出身者は天皇制の呪縛と地方共同体の習俗の狭間にいる。死ぬことによって地方共同体に回帰にしていく。しかし共同体をも抜け出しホームレスになった者は回帰すべき場所もない。

 本書のテーマは日本の近現代史における孤独のありようを浮き彫りにすることなのかもしれない。本書を書いた頃、作者柳美里は孤独と日常生活の緊張からひどい鬱状態にあったという。この小説を書くことによって、柳美里は自身の孤独を見つめ直し回復に向かうことができたのだろうか。

 柳美里はごく初期の頃から、自己あるいは周辺の人々の孤独を見つめてきた作家だ。ごくごくプライベートな部分からある種の普遍性を浮き彫りにする。帰納的な私小説作家といっていいかもしれない。いや、私小説自体が帰納的であるといいかえてもいいか。デビュー作の『家族シネマ』やパートナーだった東由多加との日々を描いた『命』などいくつかの作品を読んだが、どちらかといえば苦手な作家の一人かもしれない。

 この小説も全米図書賞というファクターがなければ多分読まなかったかもしれない。日本近現代史の闇、福島の貧困、原発問題、東日本大震災、そして根源的な人々の孤独、様々なものが織り込まれ、過去、現在、未来が主人公の意識の中で、範列的に浮かび上がり消える様を描く。2006年のホームレスの現在を描きながら、最後に2011年の惨劇が幻視される。秀逸な手法による現代的な小説といっていいかもしれない。柳美里はあとがきでこんなことを書いている。

 上野公園は、わたしが最初に「山狩り」の取材をした2006年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられました。

 昨年、2020年の東京オリンピックパラリンピック開催が決定しました。

 先日、東京五輪の経済効果が20兆円、120万人の雇用を生むと発表されました。宿泊・体育施設の建設や、道路などの基礎整備の前倒しが挙げられ、ハイビジョンテレビなどの高性能電気機器の購入や、スポーツ用品の購入などで国民の貯蓄が消費に回され景気が上向きになるとも予想されています。

 一方で、五輪特需が首都圏に集中し、資材高騰や入手不足で東北沿岸部の復旧・復興の遅れが深刻化するのではないかという懸念も報じられています。

 オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います。

 多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないもを見てしまいます。

「感動」や「熱狂」の後先を-。       P169-170

 今や、1年以上も続くコロナ禍にあって、東京オリンピック自体が風前の灯のような状態になりつつある。コロナに疲れた日本の状況を柳美里はどんな風に見ているのだろう。あるいはあらたな切り口で孤独を描いていくのだろうか。