茨城県近代美術館へ行く

 日光から水戸へで移動。茨城県近代美術館へ行く。

 何か日光から水戸へというのが定番になりつつある。健保の保養所で一番利用するのが日光なので、必然的に水戸へということになる。この美術館は収蔵作品の豊富さ、回りやすい建物、観やすい展示など、割と気に入っている。

 美術館によっては建築家の意匠なのか、お洒落でカッコ良い外観や内装の割りに、意外と観にくいところもあったりする。まあどこといちいちあげるのもなんだし、あそことか、あそことか・・・・・。

 そういう意味では茨城県近代美術館は本当に居心地の良い美術館である。水戸市民はこの美術館があることを誇っていいのではないかと思う。しかも茨城はいっとき日本美術院が五浦に移転していたこともあり、横山大観菱田春草の収蔵も豊富である。地方の美術館はご当地出身の芸術家の作品をコレクションするのが常なんだが、ここの場合は、中村彝の作品や彼に影響を受けた画家の作品も集めている。このへんもなかなか素晴しいと思うし、けっこう勉強になる。

 今回の企画展はというとまずは竹久夢二である。

次回企画展 | 展覧会 | 茨城県近代美術館 | The Museum of Modern Art, Ibaraki

「憧れの欧米への旅ー竹久夢二展」

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 大正時代に一世を風靡した美人画の人である。今でもけっこう人気がある人で、自分らが若い頃でも雑誌等に取り上げらることも多かったし、映画にもなったように思う。大正ロマンとかそういったコピーとともに紹介されることも多い。

 叙情性とともに、ちょっと儚げな女性をたくさん描いた人なんだが、正直いうとあまりこの絵は好きではないかも。まあ今的にいえばイラストである。商業美術としてのイラスト、雑誌や楽譜の表紙で人気を博した。彼の絵を使った様々な小物類を売る店を別れた妻にやらせ、これもたいへんな評判となったという。今でいうグッズ屋である。商才にも優れていたということか。

 まあ書いていくと、どこかディスるようなことばかりになってしまいそうなので、この人についてはここまで。

 続いて1階の常設展示の一室を使って横山大観の企画展も行っていた。ちなみに竹久夢二横山大観も今日までの展示である。まあそれもあって来たのだけれども。

茨城国体開催記念 企画展示 <横山大観> | 茨城県近代美術館 | The Museum of Modern Art, Ibaraki

 前述したように一時、日本美術院が五浦に移転していたこともあり、県に縁の芸術家としてこの美術館にとっても横山大観は特別の存在のような。収蔵品も豊富であり、ある意味今回の国体開催記念という、なんかどうでもいいこじつけ的企画ではあるが、それでも蔵出し的に名画が出展されているのは嬉しい。

 横山大観は竹橋の国立近代美術館での一大回顧展を二週続けて行ったのだが、正直いうとまだまだ知識が足りず、この巨匠の良さを理解しきれないでいた。なのであの壮大な絵巻水墨画「生々流転」に圧倒されはしたけれど、今ひとつその凄さ、全体像をつかめないでいた。まあ理解できていないという点では現在でもほとんど同じかもしれない。

 今年の3月に訪れた時には、めったに展示されないという「流籠」を観ることができ、その艶かしい作品に、横山大観のある種の大衆性みたいなもの感じたりもした。

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横山大観「流籠」

 

 そして今回の展示品の中で一番気に入ったのはこの作品。やはり横山大観といえば富士である。

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山に因む十題 霊峰四趣 秋」

 この作品はポーラ美術館収蔵とのことである。そういえばポーラ美術館は印象派など近代西洋絵画のコレクションが有名だが、日本画も充実していると聞いている。一度、蔵出しではないが日本画の企画展をやってくれてもいいかと思う。ただし、日本画は長期間展示が難しいとも聞くのでそのへんのことが気になるところだ。

 最後に横山大観菱田春草が作り出した新しい表現法「朦朧体」についてのメモを。

朦朧体は空刷毛を使って空気を表現しようとした無線描法。

岡倉天心が「日本画で空気を表現する方法はないか」という課題を出したことに対して、横山大観菱田春草が考えた答えでもある。 

日本画といえば線描、線が命ともいうべきその特色たる細い輪郭線をやめ、墨や色の濃淡によって描くことで、大気や光や雨を表現したものだ。

この描法は当時の画壇では批判的に受け止められ、それもあって朦朧体という不名誉な名を冠せられる、横山大観菱田春草は世間から非難を受け、経済的にも困窮した。