デトロイト美術館再訪

 休日なんで例によってカミさんがどっかへ連れていけというので、上野の美術館巡りをすることにした。上野の森美術館デトロイト美術館展は10月の体育の日に一度やはり妻と一緒に来ている。印象派、新印象派、エコール・ド・パリ、20世紀のピカソマティスなどの秀作が粒揃いなので、ここ最近の企画展の中では一番気に入っている。さらにいえば、デトロイト美術館を巡る短編を編んだ原田マハの『デトロイト美術館の奇跡』を読んだこともあり、その中で一篇の主題となっていたセザンヌの「画家の夫人」をもう一度観ておきたかったというのもある。

デトロイト美術館の奇跡

デトロイト美術館の奇跡


 セザンヌ婦人オルタンスの肖像をセザンヌは何枚も残している。ボストン、メトロポリタンなど有名な美術館がそれぞれ収蔵している。そのどれも笑うでもない、しいていえば仏頂面をした婦人の肖像である。何かで読んだが、セザンヌはモデルに長時間動かないように要求するため、モデルは嫌気をさしてしまうことが多かった。その中で忍耐強くセザンヌの要求に答えたのが婦人だったという話だ。しかしお世辞にも美人とは形容しずらいタイプの女性である。彼女の肖像が100年を経てこうして存在するのは、偶然画家の夫人であったからという、ただそれだけのことでもあると思う。
 前回観た時は、正直あまり感慨めいたものもなかった。いつものセザンヌだという感じでスルーしたような気がする。オルタンスの顔の造作もあまり興味を惹かないし、正直セザンヌの描き方もなんていうか愛情がこもってないような気すらした。しかし、今回はかなり一生懸命観た。トータルすると15分くらいこの絵の前にいたかもしれない。それもいろいろな角度から観た。すると冷たい仏頂面のオルタンスの表情が角度によって和らいで見えたりしてくるような気がした。なんだ角度を変えてみるとこの人けっこう豊かな表情を持っているのではないかと。そしてそれはそのままセザンヌの画力であり、意匠でもあるのだとは思った。
 向かって左側の下から眺めたとき、ライトアップの加減もあるのかもしれないが、オルタンスが妙に華やいで明るい表情に見えるような気がした。自分はこの角度から見るこの絵が一番好きかもしれないなと思った。なるほど、原田マハの短編『マダム・セザンヌ』でこの絵に語りかける引退した初老のブルーカラーの男の心境が少しわかったような気がした。と、同時に絵画を鑑賞するというのはこういうことなのかとも思った。鑑賞体験とでもいったらいいのか。
 今回も閉館まで十分に堪能した。やはり自分は印象派時代のルノワールが好きだということを再認識もした。そしてすべてを持っていくのはやっぱりピカソなんだというのもいつもの感想だ。でも、マチスのけっして印象が劣る訳ではない。マチスは観れは観るほどその魅力が少しずつわかるような気もする。
 退館後、30分だけ時間があったので、西洋美術館のクラーナハ展に飛び込む。これも自分は二回目、カミさんは初めてである。この500年も前の売れっ子画家の風変わりでコケティッシュ美人画を観るにつけ、近代画家に負けてないなこれはこれでと思ったりもした。今、上野では上野の森や東京都美術館ゴッホゴーギャンの近代絵画が観れる。同時に500年前、北方ルネサンスに分類されるのだろうか、当時人気のあった風変わりな美人画も愉しむことができる。その対比的鑑賞もけっこう面白い。