誕生日


グーグルでアカウントとっていると誕生日にこういうホリデーロゴが出るのね。少しびっくりした。
59歳である。還暦カウントダウンが始まった。
10代の頃に60歳を迎えた自分自身を想像することなどできなかった。子どもの頃、周囲にいた60代の年寄りのイメージはみんなヨボヨボの爺さん、婆さんばかりだった。自分があんな風になるなんて本当に想像の外のことだった。
いや実は大人になってからだって、20代、30代どころか40代の頃だった自分が60になるなんて思いも寄らないことではあったのだと思う。想像力の欠如、あるいは嫌な将来を思い描くことを心理的に回避する、そういうような心持なんだろう。
59歳、微妙な年齢である。一般的には定年間際、これから年金支給年齢までどういう人生設計をすべきかを真剣に考えなければいけない。そういう大事な時期でもある。60で定年、延長雇用で65歳まで。最初は嘱託社員で何年かするとパート扱いになる。そういうのが一般的だと聞いているし、会社の制度もそうだ。
自分自身はすでに定年とかとは無縁だ。順調に行けば後何期か今の立場で仕事を続けることは出来るかもしれない。しかし今の構造不況化した業界と取引先との関係からは、逆に数年先になにがあってもおかしくない。まあ一般論としても一寸先は闇という状況でもある。
遅くに作った子どもが学業を終えるのはたぶん後5年くらい。それまでなんとか凌いでいくことができるのか。こちらの様々な思いを見透かすように年金宅急便も届いている。年金支給は62歳から。その支給額たるやこれで生きていけるのかと思うようなわずかな額である。良い老後なんてありえないのだろうね。かといって虎の子の預貯金をなにかに投資するなんて気もさらさらない。そもそも投資といえるほどの額もあるわけでもない。
59歳、いい話はなにかないのか。取敢えず健康である。いや高血圧の薬、胃薬、眼精疲労薬、毎日けっこうな量の薬を飲んでいる。どこが健康なものか。ただたんに大病していないだけである。仕事は一応している。たぶん世間的にもさほど悪くない収入がある。子どもも毎日文句たらたらではあるが学校へ行っている。片麻痺で一級障害者の妻も障害は固定されているが、さらに悪化するということもない。
幸福、不幸の度合いでいえば、中ぐらいにそこそこ幸福かもしれないし、同様にそこそこに不幸でもあるだろう。とにかく凌いでいる、ただそれだけのことだ。例えば自分が健康を損ねて入院とかとなったら、そこで一度回っている歯車が止まったら、多分そこでアウトになる可能性も高い。
59歳、見た目は多分だいぶ若い。趣味趣向は一般的にいえば老成化していない。絵を観るのが好きで月に一度くらいの割合で美術館へ行く。映画館にも1年に何度かは行くし、話題作はレンタルされたら借りてくる。音楽は洋楽志向で演歌の類は一切聴かない、歌わない。それ以前にJポップスするほとんど聴かない。ジャズ、クラシックス、30年以上前のポップスやロック。これはけっして若い趣向ではないか。
いろいろと感慨めいているが実はなにもないのかもしれない。ただただ無駄に齢を重ねることに戸惑っているだけでしかない。60歳になったら少しは枯れるかもしれないが、たぶんあんまり変わらないような気がする。