先週はお休みしたんで、今日は無理して行ってみた。といっても6時過ぎまで会議があって、それから都内に出るんで、国会前に着いたのは7時45分頃。もうほとんど終了間際っていう感じだったかな。
国会前の少し手前でドラム隊が盛り上がっていたので、そこで一緒になって「再稼動反対」の声をあげる。その後、この日は外務省あたりで抗議行動があったのでそっちに参加。9時の終了までつきあい、「人事案白紙撤回」と声を張り上げてきた。
じょじょに参加人数は縮小されてきているのかもしれない。その分、各地での抗議行動が増えてきているという話も聞く。正直、自身についていえば、例えば川越とかそのへんで抗議デモとかがあれば、そっちに向かうかもしれない。
でも来ている人たちはみんな熱心だし、もちろん冷やかし的に着てみましたとか、とりあえず久々にとか、初めてです、みたいな方もいるだろう。主催側も口々に言っていることだけど、とにかく継続が大事なんだとは思う。とにかく今の原発を巡る状況にいてもたっていられない、ただ黙って容認することだけは出来ないと、そういう思いが、この場に集まる動機になっているのだろうと思う。
実際、3.11以降のこの国のやっていることはおかしすぎる。原発の維持推進に不都合な事実はとにかく小出し、あるいは隠蔽される。マスコミも伝えない。放射能汚染の問題を声高に言えば、「放射脳」と揶揄される。こうやってディープ埼玉の田舎からわざわざ1時間かそこらのために都内まで足を運んじゃうジイさんなどは、推進派からすれば、困ったちゃん扱いということになるのだろう。
しかし福島第一原発の状況、なにも収束されていない状況をどうやったら目をつぶっていられるのか。炉心熔融した1号、2号、3号、そして水素爆発で強度を失った4号機のプールは。あそこから出た膨大な放射線とそれによって汚染された周辺地域の問題は。被曝にさらされる住民たち、特に子どもたちのことは。
さらには地震大国日本にあっては、いつどの原発が次の1Fの状況になるのか、その可能性はある種の蓋然性にゆだねられつつも、けっしてゼロにはなりえないのである。まだある、さらには使用済み核燃料、放射性廃棄物の問題もまったく未解決のままである。電力会社、近隣自治体、政治家、官僚たちにとって、税金を湯水のごとくつぎ込め、そこから金を引き出せる金の成る木でしかない。さらにその根底には、核保有の能力維持という国家主義観点に立脚している。
多くの人が語っているように、放射性廃棄物の処理を先送りし続ける点、さらには原発を維持管理するために、末端労働者に被曝労働を強いる点、この二つだけをとっても倫理性に欠くとんでもない代物なのではないかと私も思う。さらには安全、安全と言い募ってきたものの、3.11を経験してしまった以上、それを安全なものとして受け入れることはとうてい出来ないのである。
原発震災を経験したからこそ、より安全な原発を作り上げていかなくてはならないなる言説を推進派の専門家、政治家、官僚たちは語る。しかしもしまた1Fの状況が生じたとき、おそらく彼等は右往左往し、あるいはアチャーという顔をするか、モゴモゴと声にならない声で口ごもるか、あるいは下を向いてただ黙るだけなのである。そして事実を隠蔽し続けるに違いないのだ。
だからこそ、とにかく小さなことからこつこつ、とりあえず日常生活に支障の出ない範囲で、出来ること、ささやかな抗議の声をあげていかなくてはならないのじゃないかと、ジイさんである私は、さほど暇でもないのに、とりあえず国会前にいそいそと出かけてみたりもするのである。