『プロメテウスの罠 明かされなかった福島原発事故の真実』

朝日に現在も連載中のシリーズによる原発報道報道記事をまとめたものである。連載開始から興味深く読んでいる。ある意味単行本化を待ち望んでいた。アマゾンで予約を開始すると同時に申し込んだ。ほぼ毎日読んできた記事ではあるのだが、通して一気に読むと、原発事故を巡る政府=経産省、東電のお粗末な対応についての怒りが蘇ってくる思いだ。
そして同時にこの記事=本書には、原発報道を巡って横並び的に政府=経産省、東電の事実の隠蔽にそれこそ手貸すかのように、大本営発表をそのまま垂れ流してきたマスコミの一員であり、主要メンバーである朝日新聞社内での記者たちの反省の書のようにさえ思える。この本にはある意味朝日の良心が集約されているといっても言い過ぎではないのではないかと思う。でも、なぜにこの書が朝日新聞社から出なかったのか、学研などという旗違いの版元から出されたのか。そこに朝日内部でのある種の暗闘めいたものを想像するのは穿ちすぎだろうか。
あとがきには本書、あるいは連載企画の発端となったモチーフがこう語られている。

美しい自然と原発放射能、最も遠い存在が、ここでは交差していた。これをどう捉えたらいいのだろう。不条理といえば不条理だが、人間が招いた不条理にほかならない。ならばその営為を徹底的に検証しなくてはならないのではないか。
世界有数の地震国になぜ50基を超える原発ができたのか。なぜ深刻な事故が想定されなかったのか。事故が起きたとき、なぜ十分な対処ができなかったのか。なぜ住民には情報が届かなかったのか。官僚は、政治は何をしていたのか。

そしてこの連載の白眉ともいうべきが、1月に連載され本書では最後の6章に描かれる原発事故が起きた3月11日からの政府中枢、官邸での5日間にスポットをあてた「官邸の5日間」である。ここで明らかになった事実は、先日読んだばかりの『ドキュメント福島第一原発事故 メルトダウン』とともに、あの事故が起きた当初政府で何が起きていたのかを衝撃とともに受けとめた。
ある意味、その後に起きた菅首相パッシング、民主党政府への異様ともいうべき批判の数々が、所謂原子力ムラを形成する東電、経産省の側から意図的に繰り出されたものであり、それに電力マネーで骨抜きにされているマスコミが同調し、さらに野党自民党が乗ってという図式がなんとなく浮き彫りにされてくる、いやまさしくそういうことだったのである。
原発安全神話に胡坐をかき、安全対策を取ることはイコールで原発の安全性に疑問を投げかけるからという理由から、様々な安全対策をサボタージュしてきた政府=経産省と電力会社たち。彼らは実際に起きた福島第一原発事故を前ににして、呆然自失となってなんの対処、対応がとれなくなってしまった。
最悪の5日間をなんとか凌いだ彼らがしたことは、徹底的な事実の隠蔽工作であり、組織の権益保持のために、事故対応の不備をすべて政治家に押し付けることだった。やれキレる菅首相の無能さだのなんの、あるいは稚拙な民主党政府首脳だの。すべてが自身たちの無能、無責任の産物であるのにである。そして電力マネーで骨抜きにされたマスコミが同調し、さらに原発を積極的に推進してきた、率先的に原子力ムラを形成してきた自民党がそれに便乗する。その姿は盗人たちの宴のようでさえあった。
あとがきでは第6シリーズ「官邸の5日間」のモチーフをこう記している。

4月以来、国の原発対応が杜撰だった点を首相の責に帰す報道が続いていた。第2シリーズの取材をしていて感じたのは、それへの違和感だった。ことはそう単純ではないのではないか、と。例えば現地本部に行かない官僚がたくさんいた。官邸と各省庁の連絡体制もお粗末だし、SPEEDIは省庁が責任のなすり合い。ひょっとすると官僚機構自体が壊れているのではないか。もう一度、今度は本格的に事故直後の国家中枢にスポットをあてよう。それが第6シリーズの狙いだった。
予想通りというべきか、情けないことにというべきか、官僚機構の無責任さは次々と明らかになった。官僚を使うべき政治家の空回りも明らかになった。官邸に置かれた対策本部に原発の図面はなく、情報も入らない。事務局の動きは本部に伝わらず、いつの間にか事務局長も官邸から消えた。官僚を見限った首相は出身大学の関係者を呼び、アドバイスを求める。そして責任の押し付け合い。極言すれば国家の中枢が機能不全に陥っていた。
中枢の機能不全によって大きな影響を被ったのは浪江町の山間部から飯館村にかけての人々だった。放射性物質の襲来をSPEEDIが予測したにもかかわらず、政府はそれを認識すらしなかった。国民に伝わったのほとんど唯一のメッセージは「ただちに影響はない」 P268

以下印象的だった部分を順に引用する。

SPEEDI(スピーディ)というコンピュータ・シミュレーションがある。政府が130億円を投じてつくっているシステムだ。放射線量、地形、天候、風向きなどを入力すると、漏れた放射性物質がどこに流れるかをたちまち割り出す。
3月12日、1号機で水素爆発が起こる2時間前、文部科学省所管の原子力安全技術センターがそのシミュレーションを実施した。
放射性物質は津島地区の方向に飛散していた。しかし政府はそれを住民に告げなかった。
SPEEDIの結果は福島県も知っていた。12日夜には、東京の原子力安全技術センターに電話して提供を求め、電子メールで受け取っていた。しかしそれが活用されることはなく、メールはいつの間にか削除され、受け取った記録さえもうやむやになった。
3月15日に津島地区から避難した住民に、県からSPEEDIの結果が伝えられたのは、2ヶ月後の5月20日だった。県議会でこの事実が問題となったためだ。P21-22

SPEEDIの動きを見てみよう。
震災から約4時間後の3月11日午後7時3分、国は原子力緊急事態宣言を出す。官邸に原子力災害対策本部ができた。
経済産業省原子力安全・保安院は、対策本部の事務局を担う一方、同省別館3階に緊急時対応センター(ERC)を立ち上げた。他省庁からも人がかき集められた。
SPEEDIの予測は本来、文部科学省原子力安全技術センターを使って1時間ごとに行う。できた予測図は保安院に送られるが、保安院は独自の予測も出そうとした。それに向け、同日夜には同センターのオペレーターをERCに入れた。
保安院が独自で行った1回目のSPEEDI予測は午後9時12分に出た。翌12日午前3時半に福島第一原発2号機でベント(排気)をした場合、放射性物質はどう拡散するかという予測だ。放射性物質は南東の太平洋へ飛ぶという結果が出た。
12日午前1時12分に2回目の予測。今度は同時刻に1号機のベントを仮定した。これも海へ拡散していた。保安院は16日までに45回173枚の独自予測をはじき出した。
保安院の予測の特徴は、さまざまな情報を集めて放射性物質の放出量を推測したことだ。放射量を1ベクレルと仮定した文部科学省に比べ、予測の精度は高かった。
官邸の地下には、各省実働部隊が詰めるオペレーションルームがある。保安院は課長補佐以下の職員をそこに出していた。保安院から予測図を受け取る専用端末も備えられていた。
官邸5階には首相の菅直人ら災害対策本部の中枢が陣取っている。避難区域を決めたのはこの中枢であり、その決定にはSPEEDIの情報を参考にすることになっている。ということは、予測図は専用端末を経て5階まで運ばれていなければならなかった。しかし・・・・・・・、
オペレーションルームの専用端末に送られたのは1、2回目の予測図だけ。保安院が独自に行ったSPEEDI予測のうち、43回167枚はERC内で止まっていた。
しかしプリントアウトして内閣官房の職員に渡したのは2回目の分だけだった。2回目の予測図はA4判で計3枚だが、そのうち何枚を渡したか、渡したあとどうなったかも保安院は確認を取っていない。
なぜこんあことになったのか。P65-66

3月11日午後7時すぎ、官邸に原子力災害対策本部ができたとき、原発から5キロの場所に現地対策本部がつくられた。原子力防災マニュアルでは現地本部が対策の中心だ。SPEEDIを使って住民の避難区域案をつくるのもここの役割だった。
しかし現地本部は地震の揺れで通信回線が途絶していた。要員の集まりも悪い。とうてい避難区域を検討できる状態ではなかった。
現地本部が機能しない場合、避難区域を考えるのはどこか。意図しないまま、保安院と官邸で重大な勘違いが生じていた。
東京・霞が関経済産業省別館3階にある保安院の緊急時対応センター(ERC)は、避難区域の案をつくるのは自分たちしかいないと確信していた。官邸に置かれた対策本部の事務局は保安院であり、その中核がERCだから。
放射線班が避難区域案づくりを担当し、原子力安全技術センターに注文してSPEEDIの予測図をはじき出そうとした。住民の避難には放射性物質の拡散予測が欠かせない。班員らは必死だった。
一方、官邸5階に陣取る対策本部の中枢は違う考えを持っていた。現地が機能しなくなった以上、自分たちが避難区域を決めるほかない。官邸中枢はERCの存在を認識できないほどあせり、混乱していた。
時刻は11日の夜9時前後。ERCと官邸で、別々に避難案づくりが進んでいた。
官邸独断、室内は騒然
3月11日午後9時12分、原子力安全・保安院のERCは、独自に注文した1回目のSPEEDI予測図を受け取った。
SPEEDI放射性物質の拡散を最大79時間先まで予測できる。その能力をフルに使って将来の拡散範囲を予想し、危険区域にいる住民を避難させなければならない。
放出された放射性物質は風に流されるため同心円状には広がらないのが常識だ。何時間後、どこに汚染が広がるか。ERCはSPEEDIの予測を続けながら汚染区域を見極めようとした。ところが・・・・・・・・
その矢先の午後9時23分、原子力災害対策本部長の菅直人は同心円状の避難指示を発する。原発から3キロ圏内の住民には避難、10キロ圏内の住民に屋内退避、という内容だった。
対策本部の事務局は保安院が担当し、その中核はERCだ。そこに全く連絡がないままいきなり結論だけが下りてきた。官邸中枢が独自の判断で決めたのだ。
避難区域の案をつくっている最中に、いったいどうしたことか。ERCは驚き、室内は騒然とした。
官邸中枢が避難区域を決めてしまった以上、自分たちの役割はない、そう即断し、この段階でERCは避難区域案づくりをやめてしまう。
官邸中枢が発した避難指示は12日午前5時44分に原発から10キロ、同日午後6時25分に20キロと広がっていった。いずれも同心円状だった。
ERCは16日までに45回もSPEEDIの計算を繰り返すが、それは避難区域を決めるためではなく、官邸中枢が決めた避難区域について検証するためだった。
同心円状に広がらないのは原子力防災の常識なのに、次々と同誌円状の避難指示が出る。そのおかしさを感じながらERCはそれを追認した。発せられた避難指示を否定する根拠がない以上、追認が妥当と考えた。P67-69

官邸の独断で決まったという同心円状の避難指示の意思決定がどのようにな成されたのか。

「ベント」の言葉が話し合いの場で専門家から政治家に伝えられたのは、11日午後9時ごろだった。
原子力安全・保安院次長の平岡英治は、5階の総理執務室に呼ばれた。経済産業相海江田万里首相補佐官細野豪志がいた。
原子力安全委員長の斑目春樹、東京電力フェローの武黒一郎と原子力品質・安全部長の川俣晋(55)が参加したのも覚えている。
官房長官枝野幸男が会議を仕切った。平岡の記憶だと、その場でこんなやりとりが交わされた。
原子力緊急事態宣言を発したが、今後、住民の避難をどう考えたらいいか議論したい」
枝野はまず武黒に「プラントはどういう状況ですか」と尋ねた。
武黒自身も十分な情報を持ち合わせていない。詳しい説明はできなかった。
「情報収集に最大限努力しています」
次いで斑目に「このままだとどうなるのですか」
斑目は「もし原子炉に水が入らない状態が続くのであれば、燃料棒が露出して、炉心損傷に至ることが考えられます」。
斑目、平岡、武黒の3者は、原子炉を冷やす水を入れるポンプを動かす電源の確保と、炉心にたまる熱を海に逃がすための別のポンプの復旧が必要だという意見で一致した。
「それがうまくいかなかったときはどうなるのですか」
「ベントが必要になります」
その場合、蒸気とともに放射能が飛散し、住民が被曝する恐れがある。どのくらいの範囲で住民を避難させる必要があるか。
安全委員会の指針では、防災対策を重点的に実施すべき範囲を10キロ圏内としている。だが、斑目国際原子力機関文書が示す予防的措置範囲という考え方を引き合いに出した。その範囲は3〜5キロだ。
斑目は「3キロで十分」との見解を枝野らに示した。
平岡は、保安院を中心に毎年実施する避難訓練のシナリオが頭に浮かんだ。
「半径2〜3キロを避難区域にして、風下方向に5〜8キロを屋内退避区域にする」というものだった。
結局、午後9時23分、風向きとか地形などは考慮されず、原発から半径3キロの避難と3〜10キロ圏内の屋内退避が指示された。まずはベント実施を見越した予防的避難だった。 P225−227

結局政治家に重要なアドバイスをすべき専門家のはずである保安院の平岡も原子力安全委員会の委員長斑目も、住民避難にあたってSPEEDIの存在を政治家に説明していない。あまつさえ官邸中枢が勝手に避難区域を決めてしまったとして自らの役割のサボタージュを決め込んだ保安院のERCのメンバーは、自らのお仲間であり上級職にある平岡がSPEEDIとERCの分析を政治家に説明することをしなかったことについてどう考えるのだろう。ようは保安院がまったく機能していなかったことの証左ということでしかないのではないか。
避難区域の同心円状の設定については、『メルトダウン』でも同様の記述がある。

業を煮やしたかのように、先に住民への避難を指示したのは、地元の福島県庁だった。県独自の判断として午後8時50分に福島第一原発から半径2キロ圏内の住民に避難を指示している。
官邸では原子力安全委員会斑目春樹委員長や保安院の平岡英治次長ら原子力の専門家が5階に呼び集められ、閣僚たちから「避難区域をどの程度にするべきなのか」とたずねられている。このときには、すでにもう「最悪の場合は炉心損傷がありうる」という見通しが報告されたが、国際原子力機関IAEA)の予防的避難措置でも3キロ圏としていることなどを根拠に、平岡はこの席で「通常の避難訓練では3キロでおこなわれています」と説明した。半径3キロ圏内の退避という、後からみれば過小な避難範囲となったのは、このときの平岡の説明に由来している。『メルトダウン』P45-46

SPEEDIの存在を知らされていなかった菅直人はインタビューでこう答えてると『プロメテウスの罠』にはある。

原子力安全・保安院のERCがSPEEDIを使って独自に避難区域をつくろうとしていたことを、当の最高責任者は新聞で知った。
「おれの目の前に保安院のトップがいたんだよ」
10月31日夕、東京・永田町の議員会館原発事故当時の首相、菅直人(65)は強調した。菅は毎朝、「プロメテウスの罠」を読んでいる。その日の朝も、いつも通り朝日新聞を開いた。プロメテウスを読み始めた菅は驚愕した。
ERCがSPEEDIを使って独自に避難計画案をつくっていた敬意が載っていた。そんな情報は全く届いていなかった。驚いたあと、怒りがわいてきた。目の前に原子力・安全保安院のトップがいた。ERCの動きを、なぜ彼は自分に伝えなかったのか。いや、自分たちの動きも彼はERCに伝えていない。これはおかしいじゃないか。
新聞を読んだ直後、菅は旧知の朝日新聞記者に電話していた。プロメテウスの担当記者に会いたい、と。菅は保安院への疑問、不満を訴えた。「責任者はおれだ、それは分かっている。責任をとらないと言っているわけじゃない」と何度も言いながら。
浮き彫りになるのは原子力災害対策本部長の菅と対策本部の事務局長を務める保安院長、寺坂信昭(58)の間で重要な会話が成立していなかったことだ。ERCが避難区域を決めようとしていたのも知らなかった。寺坂は自分にSPEEDIのことも言わなかった、と菅は明かす。
寺坂は私たちの取材に応じていない。保安院は、すでにOBとなっているにもかかわらず、寺坂への取材を強く規制している。
当時。菅の前には原子力安全委員会の委員長、斑目春樹(63)もいた。
3月11日の午後6時以降、内閣府にある安全委員会事務局のSPEEDI端末にも文部科学省が1時間ごとに出す予測図が次々と届き始めていた。事務局は同じ予測図が文科省から官邸に送られていると思っていた。それゆえ斑目に届ける手だてをとらなかったのだが、実は文科省から官邸に届くルートはなかった。  P70-71

それでは官邸につめていた原子力の専門家と称される人々、政治家に専門的なアドバイス、次々と起きる事態に対応するための技術的な対応、提言助言する立場の責任者はSPEEDIが住民に避難に活かされなかったことについてどう言い訳をしているのか。

安全委員長の斑目春樹は言う。
原発のプラントが今後どうなるかを予測できる人間は、私しかいなかった。その私にSPEEDIのことも全部やれっていうんですか。超スーパーマンならできるかもしれませんけど。役割分担として菅首相にアドバイスするのは保安院です」
保安院長の寺坂信昭は言う。「保安院SPEEDIの話をしちゃいけないことはないが、SPEEDIは、文部科学省の所管です」  P210

保安院のトップからしてこんな責任逃れを口にする。当時災害対策本部の事務局の立場にある人間である。さらには自分の組織が緊急時対応センター(ERC)を立ち上げ、まさにSPEEDIのデータを解析していたはずなのにである。
それでは保安院の官僚たちは、ERCの現場にいた彼らはどう考えているのか。『メルトダウン』の中にSPEEDIの件で経産省のキャリア官僚にインタビューした内容が記述されている。

保安院がスピーディを適切に活用できていれば、福島第一原発周辺の住民の大量の放射線被曝は避けられたはずだった。しかし経産省のキャリア官僚たちは、そういう問題意識が微塵もなかった。スピーディのデータを官邸に送った責任者は、緊急時対応センター(ERC)の総括班長である保安院の片山啓企画調整課長だが、彼は「そんなのは、物理的に端末があったから僕のところを経由した形になっているだけ。詳しいことは広報担当者に取材してください」と、自身の責任が問われることを避けたがる。後になって保安院の森山善原子力災害対策監は、ほとんどのデータが保安院に退蔵され、住民避難にまったく活用されなかったことについて、「思い至らなかったのです」と釈明した。日本の最高学府を出て政府に勤める男たちは、国人の安全に供する当たり前のことに、遂に一度も思い至らなかった。 『メルトダウン』P76

原子力安全・保安院はまもなく環境省傘下の原子力規制庁に移行するらしい。経産省からすれば支藩が配置換えとなるようなもので一歩後退といったところなのだろう。でも私は思う。ことは原子力安全・保安院だけのことではない。たぶん解体されるべき本丸は経産省なんではないかということだ。
今回の福島第一原発事故にあって本来行われるべき組織の見直しは、実は東電及び経産省の解体なのではないかとさえ私には思えてきた。それがある意味連綿と続いてきた日本の原子力政策を転換する根源的な転機なのではないか。あるいは原子力ムラの利権構造に手を入れるための第一歩になるのではないかと。
もちろんそれがあまりにも現実的ではないということも百も承知である。今の民主党政権にしろ、おそらく次の総選挙で政権に返り咲くことになるだろう自民党公明党の連立政権にあって、日本の原子力政策が抜本的に変わることはありえないだろう。
今も続いている事故情報、被害情報の隠蔽、後だしで最小限の情報だけを小出しに出し続ける今のやり方はおそらく変わらざるをえない。たぶん、たぶん自民党政権化では原発事故の風化を加速下させることだろう。
今後予想される被曝による様々な影響は、科学的な関連性がない、証明されてないという論法でやり過ごしていくに違いない。原発事故の深層に迫るレポートを読むにつけ、自分の住む社会、国に対する絶望がより深まっていく。それが2012年の現実なのかもしれない。