東電ビデオ

福島第一原発事故が起きた直後の東京電力テレビ会議映像の公開について、東電は渋々公開を認めたようだが、これがまた噴飯ものの条件をつけている。今日の朝日の社説でも「東電ビデオ 公共財との認識をもて」と、東電の姿勢を厳しく批判していたっけ。
それにしても視聴を昨年の3月11日から15日までの150時間分に限定し、幹部意外の社員指名が特定されぬよう、名札等に手を加え、音声にはピー音を施すという。さらに閲覧はOKだが、録音は認めないなどというふざけた制限が続く。
東電の考えでは私企業の社内資料=私的な記録であり、公開の必要は認めないということなんだろう。しかしあれだけの大きな原発事故を起こし、放射能汚染被害をもたらしたことについての責任を考えるとき、さらに事故の原因追究を考えるうえでも、内部資料として隠蔽しようとする企業姿勢はおよそありえないものだと思う。まあこのへんは多くの識者、マスコミ等が指摘していることだろう。
さらにいえば、東電には1兆円にのぼる国費=税金が投入されている。本来破綻すべき企業を救済するためだ。国から税金投入されて存続している企業が、自社に都合の悪そうな情報を隠蔽する、企業の内部情報として公開を拒否するということがありえることなのかどうか。もう呆れてものもいえないという感想である。
例えばだよ、飛行機事故を起こした航空会社が、例えばパイロットなり乗務員の氏名をプライバシーを理由に公開しないなどということがあるかどうか。事故現場から回収されたフライトレコーダーを企業秘密として隠蔽したり、その公開にあたって制限するなどということがありえるのかどうか。
こういう馬鹿げたことが起こりうるのも、東電に事故対応をまかせてしまったからなのかもしれないな。本来的には私企業のプラントとはいえ、あれだけの巨大事故である。事故収拾のための費用は東電にもたせる(もちろんそこに国費が投入されることはあるだろう)。そのうえで事故対応の主導を国が行っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。とはいえ、もともと東電と経産省の力関係でいえばたぶん東電の方が上であったのだろう。様々な天下りポストを用意し潤沢な資金を使って飼い慣らしてきたのである。国の主導で福島第一原発事故収拾などできようはずもなかったのかもしれない。
だとしてもかくもふてぶてしき東電の対応には腸が煮えくり返る思いで、ニュースを見る日々である。さらにいえば、より絶望的な予感もあるにはある。たぶん東電はビデオを編集、改ざんし、東電にとって都合の悪い部分は消去、紛失させてしまっているに違いないのではないかということだ。さんざん出し惜しみしたうえで、実は東電に都合の悪いものはもともとありませんという図式なんじゃないかということだ。すでに1年以上もの日数が経っている。私が東電のしかるべき立場の人間なら、そういう判断、実行をするとは思う。企業防衛としては当然だろうな〜、とも思う。企業なんてまあそういうものだよ。
結局のところ盗人に自分に都合の悪い証拠類をすべて握らせて放置した側が悪いということなんだろう。ただねこういうことも思う。東電は超優良大企業だったはずである。人材も豊富だったろうし、なによりも日本のエリート諸君が集まっていたはずだ。一人くらい企業論理を超えたモラリストがいて、内部告発とかしてくれてもいいんじゃないかと思わないでもないな。尖閣ビデオYoutubeに流した海上保安庁の職員とかしたよな。ああいう内部告発者が今回の原発事故以降、一人も東電から出てこない。下請け、孫受けの強力企業の労働者に被曝を強いる実態を含めて、東電の現役社員から内部告発するという記事を読んだことがない。そういう意味じゃ、あの会社は大変たちの悪い、腐りきった会社なのかもしれんな〜と、そんなことも考えるこの頃である。