原発事故における二つの現場レポート

ルポ イチエフ――福島第一原発レベル7の現場

ルポ イチエフ――福島第一原発レベル7の現場

  • 作者:布施 祐仁
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
『イチエフ〜』は昨日率直な読後感を書いた。『死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発の五〇〇日』は当時イチエフの現場にいた東電社員たちに取材したレポートである。実際大変な現場だったのだろう、それはひしひしと伝わる。3.11以後東電、マスコミが連綿と続けてきた吉田所長の英雄化、もっとも原発が危機的状況にあった3月15日、全員撤退も示唆された時に現場に留まったとされる例のフクシマ50の面々と思われる人々の懸命な努力も描かれている。それはある種の戦記物としてある種のカタルシスすら与えてくれる。
売れ行きも『死の淵〜』のほうが圧倒的に良いようで、アマゾンでもベスト100位以内に長く留まっている。そうあの時、中操に、免震重要棟にいた作業員達の決死の奮闘は賞賛に値するものがあるのだろう。一民間企業の社員がなぜそこまでという問いと、それに対しては崇高な職業倫理としての必然みたいなことで理解されるのかもしれない。そして何名かの東電社員が実名で取材を受けてもいる。彼等は吉田所長とともに特に英雄的な活躍をされたと。
しかし一方で『ルポイチエフ』で取材を受けた原発作業労働者のほとんどが匿名を条件に取材を受け仮名で紹介されている。なぜか、彼ら末端労働者、東電が公式には認めていない3次請以下の偽装請負派遣労働者、あるいはさらに末端の日雇い労働者たちは、実名を出すことによって確実に職を奪われるのである。都合の悪い事実には蓋をする。それが原発の現場で普通に行われている実態だ。原発において労災認定されることがほとんどないのは、電力会社や元請の原発プラントメーカーやゼネコンが徹底的にその事実をもみ消すからなのである。
そしてイチエフの現場での東電社員たちの奮闘に対して、『ルポイチエフ』ではこんな証言もある。

前畑は事故後も、緊急作業に従事した。
「原子炉建屋やタービン建屋の周辺では、東電社員は見かけませんでした。震災前は、若手の当直社員などが確認などに(現場へ)来ていたけれど、いまはまったく来ません。免震棟でモニター見てるだけ。相変わらず、「殿様商売」やってるなって感じました。P141

原子力発電を巡る様々な側面には常に光と陰が存在している。そして陰の部分は「安全神話」の元に徹底して隠蔽されてきたのである。原発事故を巡る現場での様々な人々の活躍、奮闘、そうした部分にも、原発の光と陰が投影している。現場の東電社員や元請、1次請企業の協力社員たちの活躍を描くとき、より過酷な被曝労働を強いられる末端作業員たちのことが触れられることがない。
そもそも吉田所長はイチエフの責任者として、偽装請負、違法派遣についてまったく状況を認識しないまま過ごしてこられたのだろうか。彼には現場の将として奮闘した側面とともに、福島第一原発の所長であり、東電本社の執行役員という重責を担う上級企業官僚としての側面もあるのだ。原発労働の重層構造を必要悪として肯定してきたのか、あるいは積極的にそうしうた労働政策を進めてきたのか。少なくとも彼にはトップとしてそれに対する責任が実はあるのだと思う。
もう一つ、この2冊について思うのは現場主義、現場賛美が必ずしもことの本質を捉えるにあたってプラスにはなっていないということだ。
例えば『ルポイチエフ』でも例の東電の原発からの撤退の問題について、取材した東電社員から現場は撤退を考えていなかったと証言させている。この社員は東電に「全面撤退」を防止するため、自ら東電本店に乗り込んで東電幹部らに「逃げても逃げられない、覚悟を決めてくれ」と強い口調で訴えた元首相に対して感想をこんな風に紹介している。

「みんな白けていましたね。この人は何を言っているんだろう、誰が逃げるんだって。逆に、本当に本店から全面撤退の指示があっても、(残っていた職員の)半分以上は地元の人間なんで、「ふざけるな」って言ったでしょうね。ましてや所長が吉田さんですから、全面撤退はあり得なかったです」
瀬谷らの退避は、あくまで一時的なものであった。退避先が福島第二原発であったことが、その何よりの証拠だ。同原発で待機し、状況を見て、いつでもイチエフに戻れる大成をとったのである。実際、瀬谷も翌16日には戻って作業した。
二号機の圧力抑制室の圧力がゼロとなり、格納容器が損傷した可能性があるなかでは、事故対応に最低限必要な人員を残し、残りをいったん退避させるのは当然の判断だろう。この時の「全面撤退」をめぐる政府と東電本店のやりとりは、死力を尽くしている現場の作業員たちにとっては”空虚な空中戦”であった。

東電の公式的な見解もまた全面退避は一切考えていず、官邸の一方的な誤解であるという論にたっている。その証拠として出されるのが、こうした現場での士気旺盛なモチベーションや例のフクシマ・フィフティなのである。しかし東電本店はやはり徹底して民間企業なのである。あのとき間違いなく東電は全面撤退を検討あるいは実行するつもりでいた。それを官邸からの予想外の圧力によって防止されたのだ。そして事故対策について官邸にヘゲモニーを握られたことが後の東電からの様々な情報操作とそれに踊らされた政治家、マスコミによる異常な菅パッシングにつながっていったのだと私は思う。
そして現場の士気旺盛に対して私が思うのは娯楽映画のパロディのような言葉だ。
「事件は現場で起きている。しかし事件を収束するのは会議室だ」
あるいは、
「戦争は戦場で起きている。しかし戦争を始めるのも終わらせるのも会議室である」
と。
現場の士気旺盛、モチベーションの高さ、その他もろもろ。彼らが例えば東電本店や政府官邸に対して抱いた感覚はたぶんフロントライン・シンドロームのようなものだったのではないかと思う。
3.11からの数日間、確かにイチエフの現場は死力を尽くして対応された。しかしそのほとんどがとてつもなくしんどい応急処置の類だった。それに対して本来、適切な指示、命令をすべき、あるいは戦術、戦略を構築すべきはずだった本店はなにをしていたのか。同様に経産省保安院は何をしていたのか。彼らがみな一様にシェル・ショックに陥っていたこともあの長く続く混乱と事実の隠蔽の大きな要因になったのではないかとも思う。
繰り返す、福島原発事故に関する様々なレポートには常に多面的な事実が存在している。事故に対応した現場に関するレポートについてもそれは同様である。