ケニー・ランキン

リビングのオーディオは飾り同然でほとんど音楽を聴くということがない。年に数回、妻も娘もいない日に一人で酒飲みながら寛ぐみたいなときだけのためにおいてある。その中に入れてあったCDを取り出して自室で聴こうとしたところ読み取りエラーで駄目。慌ててPCで再生するといける。そこでiTunesにインポートして焼きなおしてみると今度はきちんと聴けた。ようは皿に問題があったようである。
そのCDがこれである。

ヒア・イン・マイ・ハート

ヒア・イン・マイ・ハート

ケニー・ランキン、とても懐かしいシンガーだ。このアルバム自体はいつ頃手にいれたのだろう。たぶん7〜8年前に中古CDショップかなにかでだと思う。彼自身は大変古いキャリアの持ち主で、先日久々にディランのベスト盤聴いていて、ディスコグラフィーを眺めていたら、バック・ミュージシャンとして参加していたりもする。60年代のことである。
90年代にはAOR系シンガーとしてけっこう注目されていた。その頃だとマイケル・フランクスあたりと一緒に取り上げられることが多かっただろうか。アコースティック・ギターとドラム、ベース、キーボードという最小人数で、フォーク・ロック、ボサノヴァ、ジャズ・テイストの効いたメロー・ナンバーを幾つも聴かせてくれた。
一度だけ知人に誘われて彼のライブを聴きにいったことがある。たぶん1990年代の後半で場所は確か横浜の県立音楽堂あたりだったか。紅葉坂の県立図書館の隣にあるそこは、けっこう馴染みのある場所というか、私にとってはホームグランドみたいなところだったかな。県立図書館やその対角線上に面した青少年センターの学習室は、高校時代3年間ほぼ毎日、受験勉強のために過ごしたところでもある。蘇る暗い、暗い日々ってやつですか。
ケニーのライブはたいへん寛いだ感じで、めっけものみたいな感じだった。知人というのは、妻の友人だったと記憶している。当然結婚する前で、なんかこういう人知ってます、チケット余っているんでみたいな感じで持ちかけてきたんだと思う。その当時からけっこうケニーのことは知っていたから、ケニー・ランキン、いくいくみたいにして聴きにいった。
それ以前に彼のことをどうして知ったかというと、たぶんこの1枚のアルバムをずっと愛聴していたからだと思う。
Kenny Rankin Album

Kenny Rankin Album

  • アーティスト:Rankin, Kenny
  • 発売日: 2010/02/16
  • メディア: CD
80年代のどこかで友人の一人からこれいいよと紹介され、テープにダビングしてずっと聴いていた1枚である。テープも当然紛失してしまっていた。昨日、アマゾンで検索すると簡単に見つかりすかさず注文したら、いきなり今日届く。いやはや便利な世の中になったものである。さっそく針を落とすではなく、皿をセットする。ストリングスの美しいゆったりとした調べをバックにハンク・ウィリアムの「HOUSE OF GOLD」から始まる。なんとも古風なアレンジである。アレンジ、指揮はドン・コスタとある。これも懐かしい名前である。ポール・アンカやシナトラのためにいいアレンジを聴かせてくれた人だったと思う。そして4曲目のスティーヴン・ビショップの名曲「ON AND ON」。たぶん、ひょっとすると、私はこの曲をビショップではなく、ケニーのこのアルバムで知ったのかもしれない。大好きな大好きなナンバーだ。
それから「YOU ARE SO BEAUTIFUL」。この曲は古いスタンダード・ナンバーだとずっと思っていたのだが、何気にCDジャケットを見ると、BILLY PRESTONの文字。ビリー・プレストン、あのモジャモジャアフロのオデブなキーボード・プレイヤー。5人目のビートルズとして、ゲット・バック・セッションにも参加している様子は映画「レット・イット・ビー」でも見ることができる。そのビリー・プレストンである。知らなかったな。しかしこの曲のイントロのストリングスはあまりにも古風、50年代を彷彿とさせる。
続いてはヤング・ラスカルズの名曲「GROOVIN'」。これも素晴らしい1曲だ。たぶん日本的にはこの曲は達郎のカバーで聴いた人が多いのじゃないか。白人系のR&Bバンド、ヤング・ラスカルズは、60年代かなりの人気を博していたらしい。このへんのことはググっていたら、こんなサイトもありけっこうためになった。
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/young-rascals.htm
この中にある記述がけっこう興味深いというか。

<イタリア系のアーティストたち>
 フォーシーズンズ、ヤングラスカルズローラ・ニーロらの初期ブルー・アイド・ソウルのアーティストたちに共通するのは何か?
 それは彼らがイタリア系だということです。では、なぜイタリア系が多かったのでしょうか?イタリア人はオペラやカンツォーネなどの歌を歌う文化が盛んであり、それもソウルフルな歌いっぷりが共通しているという説があります。初期のドゥーワップ・グループを見渡しても、確かにイタリア系は多数派でした。その他、イタリア系の音楽家をあげてみると、フランク・シナトラトニー・ベネットディーン・マーチン、テディ・ランダッツォ、ポール・アンカなど、明らかに50〜60年代にはイタリア系が多かったことがわかります。(最近の代表格はやはりマドンナでしょう)

なるほどなるほど、ふむふむという感じである。そういえばスティーヴン・ビショップもそうだし、おそらくニック・デカロとかもそうじゃないか。イタリア系はオペラやカンツォーネなどをソウルフルに歌う点が共通しているというのはなんとなくうなずけるような、そうでもないような。
それよりも私が思うのは、彼らイタリア系移民たちと黒人文化とが、おそらくニューヨークとかでは普通にシンクロしていたんじゃないかということ。おそらくお互いに貧しくて、路上で、お互いに文化圏を異にしつつも、隣同士で歌ったり、踊ったり、そういった交流というか、重なり合ったりとか、まあもろもろあったんでしょう。
もろにイタリア系のローラ・ニーロは少女時代から路上でゴスペルやR&Bとかを歌っていたとかいう。当然黒人のお友だちだってたくさんいただろうし、ラジオから流れてくるのは、その手のものだったろうしね。
貧困、人種差別、移民同士の抗争などなど、60年代のアメリカは、様々に緊張感を孕みつつも、文化としてはたいへん面白い時代だったのかもしれないなどとも想像してみる。
脱線に次ぐ脱線である。次の7曲目、ある意味ではこのアルバムの白眉ともいうべき1曲、ビートルズの、ジョージ・ハリソンの名曲「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」である。スローなバラードに仕立て上げられたアレンジの秀逸。ケニーがしみじみ歌い上げている。そしてそれから9曲目の「I LOVE YOU」。スケールの大きさを感じさせる曲、アレンジ。さらにラストの「THROUGH THE EYE OF THE EAGLE」。静かでしんみりとしたナンバー。本当に素晴らしい流れである。
いや〜、つくづく良いアルバムである。なんとなく昔を思い出して、あのアルバムがもう一度聴きたいとなると、あっという間にそれが手に入ってしまうのである。ある意味恐ろしく利便性に満ちた時代にいるということだ。
そのケニー・ランキン本人はというと、残念ながら昨年6月に肺ガンのため死去している。
AORのカリスマ、ケニー・ランキン(Kenny Rankin)が死去 - CDJournal ニュース
69歳、いい歳ではある。そりゃ聴いている我々が五十の坂を転げているのである。みんないい歳にはなるよとも思う。でも彼のメローボイスはいつでも聴くことができる。なんとなれば、彼の歌う姿だって、YouTubeあたりではいくらでも見ることができるのである。これまでにもいくらでも言ってきたことだし、これからも何度でも言うことになるのだろうけど、まさしくテクノロジー万歳ということだ。
Googleの試みは、すべてを記録し検索できるようにすることだとは、何かで読んだことだ。おそらく21世紀という時代の特色は、人類のこれまでの営みの総てをデジタル化してアーカイブするということなのかもしれないな。まだその試みは端緒ととげたに過ぎないのかもしれないけれど、この流れはずっと進んでいく。そして22世紀、23世紀の時代にあっては、人々は歴史をより同時代的なものとしてとらえることができるようになるかも。
まあ、いいや、それは我々の時代にとってはどうでもいいことだし。とりあえず今、出来上がりつつあるテクロノジーをせいぜい享受していくということ、せいぜいそういうものなんだから。
http://www.youtube.com/watch?v=KCSEfz8VGis