ニック・デカロ〜イタリアン・グラフティ

 アルバムジャケットはなんとも怪しげなオヤジのポートレイトである。これでデカロでイタリアン・グラフティである。ちょっとどんな音楽か想像し難い。CDをトレイにのせてプレイ・オンに(昔ならターンテーブルにのせて針を落とすとみたいなイメージか)。そこから流れ出すのは心地良いAORミュージックである。
 1974年の作ということだがあまり話題にものらなかったようだ。私もほとんどこの人のこと聞いたことがない。凝ったアレンジ、ジャズテイストを取り入れた洗練されたポップス、当時としてはだいぶ先駆的というか、時代の先をいっていた感じがある。
 AORというくくり、ウィキペディアの記述にならっていえば「Audio-Oriented Rock」=「歪みのない楽器音と怒鳴らない声」あるいは「Adult-oriented Rock」=「大人向けのロック」あたりということになる。ソフトロックみたいな意味合いでも使われることも多いだろうか。あとはミュージシャンのくくりとして、ボビー・コールドウェル、ボブ・スキャッグスあたりを筆頭にクリストファー・クロス、70年代以降のブラスロックじゃなくなったシカゴ、マイケル・マクドナルドあたりの音楽の総称ということになるのだろうか。
AOR - Wikipedia
 私自身はあまりAORというくくり、実は好きではなかったのだが、使ってみるとけっこう便利なのでもある。他者に説明するときにとても便利な言葉だからだ。「○○ってどんな音楽」「まあ一言でいえばAORのメイン・ストリーム」「ふ〜ん」みたいな感じである。
 定義ならぬ定義としていえば、繰り返しになるがジャズ・テイスト、こ洒落たアレンジ、ソフィストケートされた音作り、トドメにいえば中性的な男性ヴォーカル、全体として良い意味での軟弱音楽というところか。代表的アーティストはネッド・ドヘニー、スティーヴン・ビショップ、ケニー・ランキン、マイケル・フランクス、フォークロックじゃなくなった80年代以降のジェイムス・テイラーなどなど。
 こうやって並べてみると、けっしてひとくくりになんかできないくらいに音楽の方向性とかも異なっていたりもするんだよな。安易という言葉が適切かどうかわからないけど、あえていえば安易にボサノバに流れる人もいるし、ソウル・ミュージック・テイスト溢れる人もいる。考えてみれば、洗練されたポップスなんて
60年代にモータウン系がかっちりやっていたりもするんだよな。
 それではジャズとの融合というと、これも70年代にクロスオーバーだのフュージョンだのというジャンズが出現してきた。たいていその出自はというとマイルスに収斂されちゃうのだけれど、70年代にはスタッフとかジョージ・ベンソンとかが軟弱ジャズやり出したあたりと符丁があうのだろうとも思う。個人的には最初にポップス系ミュージシャンがジャズを取り入れたのはジョニ・ミッチェルあたりではないかと思ったりもする。「コート・アンド・スパーク」とかでジャズ系ミュージシャンを使って良質なアルバム作り、さらにそのメンバーとツアーを行った。あのへんじゃないかなと思う。ようはポップ系のスターがジャズ・ミュージシャンを使って、ジャズを自分の音楽に積極的に取り込んだっていうことなんだろうと。
 そういう意味じゃ70年代というのはポップ・ミュージックにとってはけっこう重要な時代だったのかもしれないなと思ったりもする。そういう時代にニック・デカロは満を持するようにしてこの1枚のアルバムを世に問うた。そして見事に埋没した。以上ということになる。これが10年後だったら、そこそこヒットしたと思う。少なくともクリストファー・クロスなんかよりははるかにいい出来だし。
 本作はデカロ自身のアレンジとともに選曲も充実している。

1.Under The Jamaican Moon
Written-By – L. Kunkel*, S. H. Bishop 4:41	
2. Happier Than The Morning Sun
Soloist, Flute – Bud Shank
Written-By – Stevie Wonder 4:17	
3. Tea For Two
Double Bass – Jim Hughart
Tenor Saxophone – Tony Ortega*
Written-By – I. Caesar*, V. Youmans* 3:54	
4. All I Want
Written-By – Joni Mitchell 3:21	
5. Wailing Wall
Bass – Max Bennett
Soloist, Flute – Bud Shank
Written-By – Todd Rundgren 4:34	
6. Angie Girl
Soloist, Alto Saxophone – Bud Shank
Written-By – H. Cosby*, S. Wonder*, S. Mays* 3:48	
7. Getting Mighty Crowded
Written-By – Van McCoy 2:24	
8. While The City Sleeps
Written-By – Randy Newman 3:31	
9. Canned Music
Soloist, Alto Saxophone – Plas Johnson
Written-By – Dan Hicks 4:36	
10. Tapestry
Written-By – Gunston*, Peter James Wilson 3:58

 スティーヴン・ビショップスティービー・ワンダージョニ・ミッチェルトッド・ラングレン、ヴァン・マッコイ、ランディ・ニューマンとそうそうたるメンバーからの楽曲である。そのうえでニック・デカロならではのアレンジが施されている。何気にバド・シャンクの名前が散見する。フルートやサックスで3曲に参加している。普通にちょこっとアルバイトみたいな感じかしらん。それともデカロとなんらかのつながりありだろうか。ニック・デカロA&Mでアレンジャーとしても活躍していたから、そのあたりで絡みもできたのかもしれないな。
 ニック・デカロに関しては日本語のウィキペディアの記述もないみたい。評伝としてはこのへんが詳しい。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/wcr/ndecaro.html
http://rocks.studio-web.net/bou/decaro/ita.html
 ニック・デカロのキャリアとしては70年代のバーバラ・ストライザンドの専属アレンジャーとしても活躍したという。70年代のストライザンドは飛ぶ鳥落とす勢いみたいなスーパー・スターだった。そのアレンジャーを努めたというのは、ミュージシャンとしては間違いなく成功者だったのだとは思う。デオダートがある時期のシナトラのアレンジャーだったり、バカラックがデートリッヒの専属ピアニストだったりしたようにだ。そしてニック・デカロはすでに1992年に死去している。20年以上も前のことだ。ある意味、音楽人生を真っ当したというところなんだろうな。そういうある意味、過去の人のたった1枚(ヴォーカリストとして)作り上げたアルバムを2013年に普通に聴いて、それをまったく古びたものと感じない。こういうこともあるんだなと思う。
 もう何度も引用しているのだが、佐々木俊尚の『電子書籍の衝撃』の中にこういう言葉がある。音楽や書籍がデジタル・コンテンツ化して簡単に入手可能になった時代のある種の特徴としてミュージシャン、ブライアン・イーノの言葉を引用した部分の再引用だ。

「私の娘たちはそれぞれ、五万枚のアルバムを持っている。ドゥーワップから始まったすべてのポップミュージック期のアルバムだ。それでも彼女たちが何が現在のもので何が昔のものなのかよく知らないんだ。たとえば、数日前の夜、彼女たちがプログレッシブ・ロックかなにかを聴いていて、私が『おや、これが出たときは皆、すごくつまらないと言っていたことを思い出したよ』と言うと、彼女は、『え?じゃあこれってふるいの?』と言ったんだ(笑)。彼女やあの世代の多くの人にとっては、すべてが現在に属していて、”リバイバル”というのは同じ意味ではないんだ」

  デジタル・コンテンツとしていつでも好きなときに享受できる時代が到来しつつあるということ。その時代にあっては時系列としての新しさ、古さは存在しなくなっていく。享受する側の感性によって新しさ、古さは異なる位相につらなっていく。シンタクスからパラダイムへの転換などというと笑われそうだが、たぶん意味合い的にはけっして間違っていなさそうにも思う。