電子書籍の記念すべき日なのかもしれない

本日はiPadの発売日である。それにあわせてなのだろう、ソニー凸版印刷KDDI朝日新聞社電子書籍配信の新会社設立という記事が朝日の一面にでかでかと出ていた。
新聞の記事は1面のほか3面でも解説記事が出ていたが、Web上ではこんな感じである。
http://www.asahi.com/business/update/0527/TKY201005270310.html
さらに朝日は同じ1面の左下で社告までうっている。まさに電子書籍元年といった感じである。

読みたい本をいつでもどこでも
日本にも、本格的な電子書籍の時代が到来しようとしています。ソニー凸版印刷KDDIとともに、朝日新聞社が新たに取り組む電子書籍配信事業は、読みたい電子出版物を「いつでも、どこでも」楽しめる機会を、より多くの方々に提供することを目指します。
朝日新聞社は書評や記事、書籍広告などを通じ、出版社と出版文化に密接に関わり、長い歴史を持つ出版部門(現朝日新聞出版)でも活字文化を支えてきました。その経験と、日々ニュースを配信するメディアの特性を生かし、あらゆる読者に、必要な情報を必要な形で伝える使命があると考えています。
今回の事業への取り組みも、その一環です。活字文化の隆盛のため、出版業界とともに、電子書籍時代に幅広く貢献することを目指します。
            朝日新聞社

アメリカではアマゾンのキンドルが爆発的に売れている。そこに今回iPadの登場である。電子書籍用の端末、かってはビューワーといわれていたものが、いまではプラットフォームと呼ばれるようになっているのだが、その進化もまた著しい。アメリカでは相当に普及してきそうな勢いである。
それに対して日本ではというと、携帯ガラパゴスの影響だろうか、亜変種とでもいうべきプラットフォームとして携帯がビューワーとなってしまっている。そこでは若者を中心に違和感なく携帯小説などが消費されている。
電子書籍なるもの、単なる一過性のものなのか、そういえばこれまでにも様々な形態のプラットフォームがあったようにも思う。ソニーのデータディスクマンなんていうのもあったはずだし、確かNECもそういうのを出していた。でもほとんどが淘汰されてしまった。時代的に先行し過ぎていたのかもしれない。また魅力的なコンテンツもほとんどなかった。
しかし今回の流れはどうにも違うような気がし始めている。それでこんな本も読み始めてみた。
電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)
まだ半分程度なのだが、その冒頭プロローグの部分に妙に感心してしまっている。

まず用語について、最初に説明しておきましょう。
電子化された本は、英語圏では「ebook」と呼ばれています。あるアメリカ人ブロガーは、こう書いていました。
「昔はインターネットのメールのことを『email』と呼んでいたけど、気がつけば『e』がとれて単なる『mail』になった。だから『ebook』もそのうち『book』と呼ばれるようなるんじゃないか」
メールといえば郵便のメールをさしたのは昔の話、いまではメールはすなわち電子メールのことになってしまった。というわけです。
同じように本もすべてが電子化されて、紙の本が少なくなっていけば、「本」がすなわち電子本のことを指す時代がやってくるかもしれません。

なるほど得心である。私はなんとなく思ってみた。カタカナ語文化の日本では、紙の書籍を「本」と呼び、電子書籍を「book」=「ブック」と呼ぶ時代がひょっとしたらすぐ近くまで来ているのではないかということを。
この本ではさかんに音楽業界からの類推が使われている。曰く、音楽業界はiPodの登場によって劇的に変化してしまい、アメリカでは音楽産業はアップルのもとに軍配があがってしまったという。レコード会社(CD会社)、レーベル系の製作会社の主導で進んできた音楽産業は1ディストリビューター(配信業者)に過ぎないアップルによって支配されてしまっているというのである。
日本でもその状況は大差ないかもしれない。CDをTUTAYAで借りてくる。自宅のPCでiTunesを立ち上げインポート。それから自分のiPodにエクスポートする。あるいはCDに焼く。そういうものだろう。さらに気に入った曲をテレビで耳にした。好きなアーティストの新曲がシングルで発売された。早速iTunes storeで1曲をダウンロードして購入する。
ただし、日本では携帯電話が国際的な仕様とは異なる形で異様に発達してしまったため、携帯電話へのディストリビューターが発展してしまっているから、曲の配信、ダウンロードのかなりの割合を携帯電話が占めている部分もたぶんあるのではないかと思っている。いわゆるガラパゴスの一例だ。
それにしてもCDを購入することから曲を単体でダウンロード購入したり、レンタルしたCDを携帯音楽プレイヤーに落とし込んで外で聴くという習慣がいつ頃から生まれたのだろう。
iPodの出現はいつだったか。iPod classicの発売は2001年のことである。わずか9年前のことなのである。試みに国内の音楽CDの生産量を調べてみたりする。

      シングルCD アルバムCD  合計単位千)
2001年    99,605   259,233     358,838
2009年    44,742   165,162       209,905
一般社団法人 日本レコード協会

実に▲41.5%である。iPodが主要因とは一概にいえないだろうが、携帯端末プレーヤーと音楽配信の影響は如実だと思う。おそらく日本でこうなのであるから、アメリカではもっと甚大な数字が出ているのではないかと思う。これがわずか10年以内の話なのである。
話を元に戻そう。書籍のことである。年始に職場での朝礼時に電子書籍ことにちょっとだけ触れた。その時に自分の定年(あと5〜6年の話である)までに紙媒体が電子媒体に取って変わるような変化はあり得ないだろう。でもここにいる若い人たちはそういう時代に遭遇することになるかもしれない。その時にどう業態が変化しているか、それに対応できるかどうか、そういうことを少しづつ考える必要がある、みたいなことを話した。
でも時代はそんな悠長なことを言っていられないのではないかという気もしてきた。今日の朝日の朝刊を読んで、またテレビのニュースショーでのiPad狂想曲のような報道を見聞するにそんな思いを持った。
今日の朝礼ではこんなような話をした。

以前、電子書籍が紙媒体に取って代わる時期はだいぶ後になるだろうし、私の定年以後のことだろうと話した。今日iPadが発売され、ソニや凸版、朝日新聞が新しい電子書籍配信会社を立ち上げた。アマゾンが発売しているキンドルは相当に使い勝手がいいとも聞く。時代は思っている以上に早く動いていきそうな気配だ。
みんなも知っているiPodの登場はわずか9年前のことだ。その間に音楽業界、CD業界がどんなに変動したかはみんな知っているだろう。
おそらく出版業界も一気に大変動となる可能性がある。私の定年以前に電子媒体が紙媒体にとって代わる可能性もおおいにありそうだ。
まず最初に教科書が電子書籍に代わるだろう。何年後かには高校生も大学生も、もう何冊もの教科書を買ったり持ち運ぶ必要はなくなる。電子媒体に総ての教科書が入っていて、それを開いて授業を受けることになるんじゃないか。
そうなると紙の本の物流をしている企業は一気に衰退する。その時にどんなビジネスモデルを構築できるか。今その問題意識を持たないと相当にしんどいことになるだろう。

まあそのようなことを偉そうに話した。それはそのまま自分自身が感じた問題意識である。はっきり言って紙の本に依拠したビジネスは相当にやばい状況になるだろう。まして本を実際に動かしてなんぼの物流会社は立ち行かなくなる可能性が大なのである。
ただしどんな仕事に汚れ役というか、細かいリアルなワーキングがいくらでも存在する。キンドルを売るアマゾンであってさえ、そのビジネスを支えているのは巨大な物流倉庫である、そこでの作業は単純な肉体労働の連続なのである。
電子書籍配信事業であっても様々なワーキングが必要になるとは思う。例えば課金ビジネスであれば入金管理もより細かくなっていく。カード会社もクラウド的な形での課金、集金を行うサービスを様々立ち上げている。そこでの細かい単調な仕事もいくらでもある。
顧客とのやり取りも顔も声も聞こえないWeb上だけですべてが済むわけではない。コールセンターでの肉声どうしのやりとりも必要だし、そこには当然のことコストがかかっていく。
本を右から左に動かし商売していた業種、業態はどうしたらこれから生き延びられるか、今いる員数をどうやって食わしていくか、まあ経営者じゃないからそれほど深刻に考えているわけじゃないけど、立場的には少なからず問題意識をもっていかないとあかんやろ、などとも思ってみる。
出版社、本屋、取次、倉庫、美装関連、みんな相当にやばい状況になっていくんじゃないかと真剣に考えている。
まあ、とりあえず何冊か電子書籍関連の本とかあさってあたりをつけていくしかないだろう。