アリス・イン・ワンダーランド


http://www.disney.co.jp/movies/alice/index2.html
久々家族三人で劇場に行ってきた。個人的には「のだめ」が観たかったが、ディズニー好きの娘に押し切られてこっちになった。ディズニーで3Dで興行的にいいという前評判、でも悪趣味なティム・バートンだし、ジョニー・デップだしとなんとなく相反するものの予感だ。
観終わった感想を率直に言うと、子どもと妻にはけっこう面白かったみたいで、二人とも喜んでいた。で、私はというと、正直つまんなかった。ワンダー・ランドの映像は綺麗だし、愉快だし、3D効果もあってけっこうたのしめるけど、結局それだけの映画のような。ようは3Dじゃないと、この映画は相当にしんどいような気がする。
どこに問題があるか、まず19歳になったアリスが自分探しのために再びワンダーランドを訪れるというこの設定がしんどい。けっこうあるよねこの設定、ロビン・ウィリアムスがピーター・パンをやったやつも基本的にこういう感じじゃなかったっけ。中年になったピーター・パンがネバー・ランドに戻ってダスティン・ホフマン扮するフック船長と対決する・・・・、「フック」だっけ。恐ろしくミス・キャストでつまんなかった。
今回のアリスも基本はこういう設定だな。さらにだ、この映画は出来の悪いファンタジー活劇映画に堕してしまっている。赤の女王の圧制に苦しめられるワンダー・ランドの救世主として再び訪れたアリスは甲冑に身を包み竜のような化け物ジャバ・ウォーキーと闘うって・・・・。原作のもつ詩的なもの、ナンセンスにナンセンスを重ねて構築された雰囲気が完全に死んじゃっている。
元からあったディズニーのアニメにはそういう原作の雰囲気がけっこう残っている、生かされていたように思う。大工とせいうちと牡蠣のエピソードなんて、はっきりいって悪趣味と残酷性に満ち満ちていているんだけど、けっこう楽しめちゃう。子どもも普通に楽しめるんだよな、ああいうのが。そういう部分が今回の映画には実はない。
なんでかな〜と思うにつけ、やっぱり監督の資質みたいなものにいきあたってしまう。現在はイギリス在住らしいけれど、ティム・バートンアメリカ人。彼のユーモアの質はかなりブラックで悪趣味、下品だとは思う。でもそのブラックさは絶対アメリカ的であって、イギリスのそれとは違うと、まああんまり説得力ないけど、直感的にそう思う。
例えば同じ下品で悪趣味、ブラックユーモアとしても、モンティ・パイソンのそれは絶対に違う。背景にそれはそれは鼻持ちならないくらいのインテリ臭が漂っている。早い話が知的で、あえて下品にやっています的なスノビズムの極致なのである。さらにいえば知的な背景としての文化芸術的な素養があって、それらの引用に次ぐ引用によって、ある種の一元的な価値観を無意味化させるみたいなものとしてお下劣やっていますみたいな、まあそういう方法論としてのパロディなんだと思う。
そういうのがティム・バートンにはないと思う。ようはねあんまり知的じゃないと思うわけ。私は彼の火星人をみたときに思ったよ。品がねえな〜って。というわけで、監督の質としてこの映画というか、この原作にむいていないかったんだろうなと思った。同じブラックなんだから、こいつじゃなくてテリー・ギリアムあたりにやらせればもっと原作のもつナンセンスをより悪趣味に映像化できたんじゃないかと思う。残念だな。
さらに続けて思う。アリスを演じた若い女優さん、なんだっけすぐに覚えられないような名前、ミア・・・・、ミア・ワシコウスカ。ロシアとかポーランドとかそっち系なんだろうか、プロフィールにはオーストラリアの若手女優とあるけど。この人、まあそこそこに魅力的なのかもしれないが、絶対にミス・キャストだと思うぞ。アリスっぽくない。いくら19歳になったアリスだとしても、この顔、アヒル口は我々が知っている「アリス・イン・ワンダーランド」のアリスじゃない。
どうしてこういうキャスティングしたんだろう、やっぱりティム・バートンのセンス、趣味なんだろうか。せっかくディズニーで「アリス」を実写化するのである。やっぱりアニメの雰囲気というか、そういうものを継承するというか、そういうのが必要だったんじゃないか。ディズニーの実写映画というと「パイレーツ・オブ・カリビアン」とかそのへんからしか知らない若者ならいざ知らずだけど、オールドなディズニー・ファンが「アリス」の実写化となると、あの楽しい長編アニメの世界の延長線上でいろいろ想像力を働かせる、それが人情ではないだろうか。それが文化の継承、歴史の連続性、その他もろもろだと思うわけだ。なのにあのヒロインはないよなと思うわけだ。
だいたいなぜアリスを19歳にする。アリスはね、お子様じゃなくてはいけないんだと私なんかは思うわけだ。あれは少女の夢的世界、それも脈絡のない世界の物語なんだから。ワンダーランドに再訪するにしてもやっぱり15〜6歳が限界でしょうと、まあそう思う。でもって、そのくらいの子役さんいるでしょういろいろ。ダコタ・ファニングとかアビゲイル・ブレスリンでいいじゃない、よっぽど可愛いし、とまあそう思う。とにかくアヒル口のミア・・・、ミア・ワシ・・・、ミア・ワシコウスカは相当にしんどかったと、まあそう思う。
とはいえお子ちゃま映画としていえば、まあまあそれなりに楽しめるのかもしれない。アリスとかディズニーとかそういうことを考えないで、「ハリー・ポッター」とか「ナルニア物語」みたいなものだって思えばそれなりにと、まあそういうことだな。ようは数多あるファンタジー映画の一つとして観れば、それなり、そこそこ、と、まあそういう映画なのである。お子様がいるご家庭であればとりあえず子どもは満足するとは思う。
さてと「アバター」に続く3Dではあるが、さすが二番煎じ、じゃなくて二回目となるとけっこう普通に楽しめるというか、なんか普通に受け入れてしまう。「アバター」観たときは、そこそこ衝撃的というか、「ワォウ」みたいな感じがあったのだけど、今回はそういうのがまったくない。庶民ってハイテクを簡単に受け入れてしまうものなのね。こうなると3Dじゃないファンタジー映画はだんだんとインパクト性なくなっていくかもしれないかもね。
あっ、私は基本日常的に眼鏡をかけているのだが、3D用の眼鏡は当然眼鏡の上にかける。そうするとけっこう重たくなるのか目と目の間のやや下あたりがけっこう痛くなったりする。長時間のことだからしょうがないのだろうが、今回はそれをけっこう感じた。「アバター」の時はそういうこと忘れるくらいだったのにね。まあそのへんが慣れの部分、映画自体のインパクトとか、ある種の多義性があるのかもしれないな。
ようは映画自体のインパクトがあれば、またスクリーンに釘付けにするだけの面白さ、魅力があれば、少々の痛みは忘れさせてくれる。「アリス」はというと、けっこう途中で眼鏡を外しては目と目の間を軽くマッサージみたいなことを何度かした。まあそういう映画だったということで。