税から逃げるサラリーマン

今朝の朝日の朝刊一面に掲載されていたリポート「公貧社会」から。

出勤するサラリーマンですし詰めの地下鉄車内。東京都内に住む50歳代の大手商社マンは不動産投資に関する本を取り出した。「低額物件の複数購入でリスク分散・・・・・」。前日の深夜、自宅でネット検察した物件を一つひとつ思い出していく。
都内や札幌など6都市に持つワンルームマンションなどは41件、資産総額で3億円。そのノウハウの一つが、不動産投資で得られる所得と、サラリーマンとしてもらう給与所得の合算による節税だ。
マンションの賃貸収入を上回る経費を計上して不動産所得を赤字にすれば、合算後の所得が減り、納税額も少なくなる。経費は物件購入のために借り入れたローンの利払い費や管理会社への委託費だけではない。札幌に花火大会を見に行く経費も。物件の視察を組み込んで経費に。賃貸料の帳簿記入を子ども2人に手伝わせ「アルバイト料」として8万円づつ計上。実際には2人の高校の授業料や小遣いだが、年齢などの要件を満たしており「合法」だ。
商社での給与が1千万を越えた92年ごろから10年間、所得税と住民税は「無税状態」だった。昨年は給与1400万円に加えて家賃収入が2400万円あったが、「払った税金は60万円ほど」。子どもの保育量の軽減や教育助成金など、国や区の低所得者向け補助もしっかり受けてきた。物件の長期保有に徹したため売却損もなく、ローン残高を引いた純資産は約1億円に膨らんだ。
「会社人間になりたくない」と始めた不動産投資だったが、領収書があれば「経費」がとがめられることはない。「サラリーマンは損をしている」とつくづく思う。「役所の仕事ぶりをみると税金を払う気がなくなる」
定年を迎える数年後のプランもある。「法人を作り、不動産などの資産は相続税のかからない法人所有に移し、子どもたちに・・・・・・」。「節税人生」の老後はバラ色だ。
税金を給与から源泉徴収され、「従順な納税者」だったサラリーマンの「反乱」が広がり始めた。

なんだか読んでいてむかつきを通り越して吐きそうな気分になってしまった。なぜこれが許される。給与が1千万を越えていながら低所得者向け補助が受けられるのは行政の瑕疵以前に犯罪ものだろう。なぜこれが許される。こうした補助は税金が原資になっている。なのに所得に応じて徴収されるべき税金を節税するだけ節税しておいて受益だけはきっちり受け取る。
モラルハザードっていうのはこういうことをいうのではないか。真剣にそう思うぞ。誰もが税金を払う。貧乏人も金持ちも。それぞれが所得に応じて払う。それによって公的な扶助を受けることができる。それが社会というものではないのか。弱肉強食の資本主義にあっても篤志家というのだろうか、ようは金持ちは様々な慈善事業を行ったり、様々な寄付を行ったりとかそういうことだってあったのではないのか。以前の資本主義社会にあってはだ。そう映画でいえばフランク・キャプラが描いた金持ちも貧乏人もともに善人であり、助け合い生きていく社会みたいな。
おそらく朝日の記事はある特定の誰かではなく、様々に成功した何人かのサラリーマンからステレオタイプみたいな人物を作り出したのだろうとは思う。でもこれはサラリーマンの「反乱」でもなんでもないぞ。これははっきりいって犯罪だ。すべて法令順守したうえでの節税だとしてもだ。「役所の仕事ぶりをみると・・・・」、こういう高額所得者なのにせこせこ節税している奴等に役所だの公務員をどうのという資格なんかありえないだろう。こいつ等に比べれば、タクシーチケット使って缶ビールのささやかな提供受けている霞ヶ関の小役人のほうがよっぽどましだし、それこそ愛おしく思えてくる。
朝日はこの記事をどういうつもりで書いているのか。「公貧社会−支え合いを求めて」というタイトルから納税者の意識変化とかをもっともらしく描こうとしているのだろうか。でもこういう節税ノウハウは、法の抜け穴ねらいみたいなものだし、モラル的には脱法、雑税に近いと思う。社会の木鐸だったら、もっと叩けよ。節税は朝日的にはアリなのかと、そう思えてくる記事だ。
税金の使い道について、もちろん様々な形でのチェックが必要だ。今の行政のムリムダは不断に追及していかなくてはならないと思う。でもそれとは別にだ、徴税の不公正さをいかにして正していくか、補足率をいかにあげていくかも追求しなければならないと思う。我々の税金でこの社会が成立している。弱者を助け支えるのも我々の税金を基にした福祉、制度である。だからきちんと税金を払う。それが社会に属する我々の基本的な義務。そうでありたいと思う、いや思いたい。
自分のことだけしか考えない連中がどんどん増殖していく。それを「反乱」だのなんだのと美化する風潮が広がる。どうにも吐き気がとまらない世の中だ。