ポール・マッカートニー/追憶のかなたに〜PAUL McCARTNEY/MEMORY ALMOST FULL

Memory Almost Full ポールが新譜を出したことは何週間か前に朝のワイドショーで知った。シングルカットされる曲のプロモーション・ビデオにナタリー・ポートマンが妖精役で出ていた。マンドリンをフィーチャーした少々古風な作りのポップソング「DANCE TONIGHT」を聞きながらポール顕在を知った思いであった。そのまま例によって例のごとく日常に埋没して忘却のごとしの日々を送っていた。
会社での昼休み、アルバイトの男の子がCDを聞きながらジャケットを眺めていた。何と聞くと、ポールと答える。ひょっとして新しいやつかと聞くと、そうだというので何気に貸してくれといったら、いいですよと答えてくる。なんかとってもいいやつではないか。で、借りてきたのがこのアルバムだ。バイト君も完成度が高いと感想を述べていたが、その言葉どおり、非常に完成度が高い、作りこみがしっかりしている、ポップアルバムだ。まさしく往年のポール健在というところだ。
なんとなくだけれど、ウィングス時代へのオマージュみたいなものがかんじられる。とはいえ単なるノスタルジックなアルバムじゃない。堂々たるポップスの王道アンドロックンロールに徹した曲作り、音作りだ。ビートルズを愛し、ポールを愛するファンにとっては、心の琴線に触れるような素敵な曲ばかりだ。
1942年生まれのポールは今年65歳になる。あの名曲「WHEN I SIXTY-FOUR」の年を通り過ぎてしまったわけだ。もういい歳のジジイなのにこんなアルバムを作れること、素晴らしいパフォーマンスには脱帽だ。たいした奴じゃないか。願わくば自分もこんな風に若々しい六十年代を迎えたい、過ごしたいなどとかなわぬ思いを描きたくもなる。ジョンが死んですでに26年が経過した。ジョージもすでにいない。でも、まだ我々にはポールがいる。それが実感できる素敵なアルバムだと思う。
バンドのラスト・コンサートで最後に現れたボブ・ディランが歌った「FOREVER YOUNG」をポールに捧げたい、そんな気分になるな。このアルバムの12曲目「THE END OF THE END」はポールの老いを活きる今の心境を何気に吐露したような曲だ。少しだけ寂しくなってしまうような歌詞だ。でも誰もがこんな風に人生の最後への思いを語ることってないのかもしれないとも思う。でも、いつかくるだろうポールの死のニュースの後には、「イエスタディ」などとともにこの曲もかかるんだろうかと、ついへんな想像さえしてしまった。

ジ・エンド・オブ・エンド


終わりの終わりにあるのは
旅の始まりだ
もっともっとよい場所への旅
そしてここも悪くなかったから
もっともっとよい場所は
特別な場所に違いない
悲しむ必要はないよ


僕が死ぬ日には
冗談を飛ばしてほしい
そして昔話を
絨毯のように繰り出してほしい
その上で子どもたちが遊んだんもの
昔話を聞きながら横になっていた
絨毯のように


終わりの終わりにあるものは
旅の始まりだ
もっともっとよい場所への旅
そしてもっともっとよい場所は
特別な場所に違いない
泣く理由なんかないよ


僕が死ぬ日には
鐘を鳴らしてほしい
そして懐かしい歌を
毛布のように吊るしてほしい
その上で恋人たちが遊んだもの
懐かしい歌を聴きながら
横になっていた


終わりの終わりにあるものは
旅の始まりだ
もっともっとよい場所への旅
そしてここも悪くなかったから
もっともっとよい場所は特別な場所に違いない
泣く理由なんかないよ
悲しむ必要はないよ


終わりの終わりには