例によってブルーノートの決定盤1500を聞いている。
ここ2〜3日は、ソニー・クラーク。ジャズ喫茶ではけっこういろいろ聴いてたはずなんだろうが、これまで持っていたのは『クール・ストラッティン』ぐらい。それで『ダイアル・S・ソニー』と『ソニーズ・クリブ』の2枚を交互に聴いている。なんか、モダン・ジャズを初手からおさらいしているみたいな感覚だな。ブルーノート決定盤シリーズを片っ端から聴いていること自体がモダン・ジャズの歴史をたどっているみたいなもんだし、きちんと聴いていなかったり、知ってはいるけど聴いたことがないものとかも多いから、けっこう楽しい。新しい発見とかもあるわけで。
そういえば、大昔に読んだ植草甚一の『ジャズ・エッセイ』とかも読み返している。植草さんは49歳になってからジャズを聴きはじめたんだね。ほとんど同じようなものかもしれないな。
クラークの2枚では『ソニーズ・クリフ』がいい。テナーにコルトレーンが入っているんだね。同じ3管でもコルトレーンが入るだけで全然違う。この1枚はファンキーというより、ハードバップっていう感じだな。どこがどうファンキーで、どこがハードバップなのか、ちゃんと説明してよといわれるととても困るのだが、確かにそういう印象を受ける。
だいたいにおいてファンキー・ジャズの定義とかっていってもかなり感覚的な部分が多いわけだし、油井正一先生の著作『生きているジャズ史』でも、先生はファンキーを黒人的、アーシー(土くさい)なものと定義している。そうした黒人的な感覚にさらに黒人霊歌、教会音楽、ブルースを取り込んだものがファンキー・ジャズということらしいのだが、どうだい、ちっともよくわからねえじゃないか。
だいたいファンキーだからといってソニー・クラークやホレス・シルバーのピアノがそんなにアーシー=土くさいだろうか。よく泥くさい音とかいうけど、この二人のピアノは僕の耳にはけっこう洗練されたものに聞こえたりもする。まあ黒っぽいっていわれれば、なるほどとは思うけど。僕が泥くさいな〜と感じるピアノっていえば、やっぱりボビー・ティモンズとか。でもそれもやる曲によって印象変わるから一概にはいえないんだな。
個人的には泥臭い、アーシー、どファンキーっていえるのは、例えばアダレイの「ワーク・ソング」とか。あと前にも取り上げたけど同じアダレイの「マーシー・マーシー・マーシー」なんかだろうか。あれはソウル・ジャズだ、みたいなカテゴリー化すると、じゃあソウル・ジャズってなにみたいなことになる。
黒っぽいものがファンキーっていっても、基本的にジャズは黒人の演奏者がほとんどで、およそ出自からいえばジャズ=黒みたいな部分もあることはあるわけで。まあ、ようは感覚的にだね、より黒っぽい音とかそういうことでしかないんだろうと。
話はソニー・クラークに戻る。『ソニーズ・クリフ』は2曲目の「スピーク・ロウ」が最高にいい。この曲にしろ『クール・ストラッティン』の2曲目「ブルー・マイナー」にしろ、この手のミディアム・テンポの曲に滅法弱い。とにかく好きなんだな。むかしウォルター・ビショップJrの同名アルバムとかも愛聴していた。
それでコルトレーンがが快調に飛ばしている。『ダイアル・S・ソニー』のテナーはハンク・モブレーでずいぶんと赴きが違っているなと思う。ソニー・クラークが志向していた音からすると多分レギューメンバーはモブレーなんだろう。実際ファンキーという意味でいえば、『ダイアル〜』のアート・ファーマー、ハンク・モブレー・カーティス・フラーのフロントのほうがしっくりくる。それに対してコルトレーンが入るとなんかファンキーとは異質の感覚があるんだな。嫌いじゃないんだけど。
そういう意味では今ちょうと聴きはじめたんだが、ホレス・シルバーの『ホレス・シルバー&ジャズ・メッセンジャーズ』はいい。まさにファンキー・ジャズっていうんだろうな。ケニー・ドーハムとハンク・モブレイのフロントもいい。聞き比べてみると個人的なほんと個人的な好みの問題だが、『ソニーズ・クリフ』のドナルド・バードよりもケニー・ドーハムのペットのほうが断然好きだ。テクニック的にも優れているような。まあ、時代的にいえば円熟しつつあるドーハムと駆け出しのバードとの差ってことなんだろうかな。
とりあえず本日聴いている3枚ではより完成度が高いなって感じるのはホレス・シルバー。ホーンのアンサンブルもしっくりする。ピアノ自体もクラークよりシルバーのほうがスタイリッシュだし粋なものを感じる。まあきわめて個人的かつ脆弱なわが耳の感想なんだが。それでもベスト・チョイスはというとやっぱりクラークの『ソニーズ・クリブ』。だってコルトレーンで「スピーク・ロウ」だから。