墓参り

f:id:tomzt:20210822151714j:plain

  

 毎度同じ写真を使っているのかと思うくらいに代わり映えしない絵柄だ。

 まあ墓の景色なんてそんなものだと思っている。定点観測してもまったく同じ風景だ。ほぼ毎年、墓参りをして同じ構図の写真を撮ってきてあげている。ただそれだけのことだ。

 今年は昨年暮れに亡くなった兄の新盆になる。妻は新盆なんだからとさかんに言っていたけど、15日前後はずっと天候不順で雨ばかりだったので一週間遅れということになった。

 何度も書いていることだが、自分はほぼ完ぺきな無宗教で信仰心もほとんどない。おまけにある時期から法事の類もまったくといっていいほどやらなくなってしまった。

 法事のような宗教的行事は結局のところ生きている者の世間体のためにあるみたいなことを誰かが言っていたような気もする。親類縁者がいれば、どこかからそろそろ何回忌ねみたいな声があがり、重い腰をあげてみたいなことが一般的になんだろう。でもうちの場合は縁戚関係もほとんどいないか疎遠になってしまっている。なので疎かにしても誰かに咎められることもない。そんな風にして何十年もきてしまった。

 妻の方の実家はというと、田舎ということもあるし、割としっかりされているので法事が決まればきちんと出席するようにはしている。でも自分の方の法事で、妻の兄弟とかを呼ぶということは一度なかったのではないか。まあ物理的に遠いということもある。

 なので、新盆といっても特に僧侶を呼んで読経をしてもらうとか、そういうことは一切なしである。いつものようにしきみと線香をあげ、手を合わせて心の中で近況を報告し、家族の健康を願いやすらかにねむってと祈る。それから墓を簡単に掃除する。ただそれだけのことだ。

 しかしお盆を一週過ぎた日曜日の午後遅くとなると、墓参りの人もまばらで閑散としている。閑散の前に驚くほどという形容詞をつけたくなるほどの静かな雰囲気。陽射しはまだまだ強く、遠くの山からひっきりなしに蝉の声が小さく聞こえてはいる。なんとなくだが、終戦の日ってこんな感じだったのかなと思ったりもした。

「墓って、静かで寂しいところだね」と妻に話すと、なにを今更と言わんばかりに「お墓は寂しいところに決まっているわ」と返された。